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第一章 蓼科で生活環境をつくる魔女
第16話 《改築》する夢の生活
しおりを挟む「――おぉっ!?」
地鳴りのような音と共に、家がガタガタと動き出した。
広場の中心に置いてある資材が、まるでヘビのようにうねうねと庵に巻き付き、瞬く間に庵の形が変わっていく。
中にいる自分は大丈夫なのかと思ったが、エスティ自身は薄い防壁膜に守られているようだ。庵を作った時のような痛みも無く、あっという間に改築が終了した。
エスティは両手の掌をにぎにぎした。
「……何ともないですね」
体調に違和感は感じない。
自分の魔力も、ほぼ使わなかった。
ロゼがてくてくと家に戻って来た。
「今回は呆気ないな」
「か、感動が薄いですねロゼ。ほら見てください、私達の家が大変革ですよ!」
そう言って、エスティは大袈裟に両手を広げた。
玄関は南東向きで、靴を脱ぐ場所と靴箱を作った。これは笠島家と同じ造りだ。
そして、玄関の先にはリビングがある。
リビングの北側にはキッチンや電気のスイッチ類、それに4人掛けの無垢のテーブルを設置した。椅子と合わせて、白樺ゴージャスホテルから拝借したものだ。
リビングの南側は今回新たに拡張したスペースだ。壁面の真ん中には暖炉を設置し、その前にはソファを置いた。暖炉近くには庵の魔石が埋め込まれている。
そこから南西側に向かって、広場に少し突き出たような小部屋を作ってみた。この小部屋こそがエスティの寝室兼、工房だ。
エスティは目を輝かせながら、ドアを開けた。
「おぉー、格好いいですね」
「いい部屋ではないか」
広さはベッド4つ分程度で、ベッドと工房用の作業机が設置してある。そして机側の壁一面には戸棚が出来上がっていた。インクや皮を全て収納しても、十分な余裕がありそうだ。
エスティは工房の椅子にちょこんと座ってみた。作業机はL字型になっており、使い勝手がよさそうだ。机の南側には窓があり、広場がよく見える。
その窓をパカッと開く。
すると、ロゼが机の上に飛び乗ってきた。
「エス、あそこは何だ?」
ロゼの肉球が指す方向、広場の真ん中に1m四方の木枠のデッキが地面の上に作られていた。
「あれはロゼのニャーレム場所ですよ。青空の下でロゼが発情している時に、私が工房からこうして爆発物を投げるのです」
「おい!」
「ふふ、冗談ですよ。あそこは唯一陽当たりの良い場所ですから、ロゼが寝れるようにと思いまして」
エスティが微笑みながらそう告げると、ロゼは机の上で丸まって座った。
尻尾をゆっくり左右に振っている。
これは、喜んでいる証拠だ。
「悪くないでしょう?」
「……悪くないな」
エスティはロゼの背中を撫でる。
ロゼが今座っているこの窓辺に、ロゼ用のベッドを置こうと決めた。
「しかしエス、寝室をこちらにしてどうする。元の部屋はどうなるのだ?」
「見に行ってみますか?」
リビングから走る廊下は一本だけ。リビング側から順番に転移門の部屋、トイレ、そして廊下の突き当たりにお風呂となる。
「まぁこのトイレは飾りです。我が家には水がどこにも無いですし。お風呂も同じで浴槽を置いただけですね」
「結局、水はどうなるのだ?」
ロゼがそう問うと、エスティはポケットから【弁当箱】を一つ取り出し、ロゼに見せつけた。
「これが私のトイレです」
「冗談だろう?」
「それが、冗談じゃないんですよ……」
エスティは渋々だった。元々ネクロマリアでは糞便は垂れ流す文化だったが、蓼科に来てからはそれが異常だったと強く感じていた。何よりも、ウォシュレットが無いなんて辛すぎる。
「足りないのは上下水道を組み込んだ魔道具ですね。私も早く何とかしたいので、これから工房で考えます」
エスティは【弁当箱】をしまい、再びリビングに戻ってきた。
「ひとまず、庵の状況を確認しますか」
魔石に触れ、一通り目を通す。
だが、大きな変化は無いようだ。部屋数と面積のみが増加しているだけだった。オプションを付ければ何か変わるのだろうか。
「寿命はまだ空白です」
「ふむ。まぁそのうち分かるだろう」
「そうですね。さて……」
早く日向に見てもらおう。
そう考えたエスティは、早速笠島家に出かけた。
◆ ◆ ◆
「おおー! 全然変わってるー!!」
「そうでしょう、そうでしょう! いやぁ流石は日向、素晴らしいリアクションです。分かりますか、ロゼ?」
「エスよ。我がそんな風に驚いていたら、我の崇高で男らしいイメージがあー! マタタビにゃー!」
エスティが取り出したマタタビに誘導され、ロゼが広場の真ん中のウッドデッキで転がった。
「まったく。素直じゃないですねロゼは」
「相変わらず仲良しだね」
「日向、図太い性格のメス猫の知り合いはいませんか? ドSだとなお良いのですが」
「ふふ、今度探しておくよ」
そう言って、日向はソファに腰掛けた。
ソファを撫でながら不思議そうにしている。
「こんな真新しいソファが、あの廃墟に捨てられっ放しになってたなんてねー」
「いえ、実はそれ結構ボロボロだったんですよ。庵に設置したら庵の一部になりまして。改築時の魔力で綺麗に修復されました」
「うわー……魔法って何でもアリだ」
もはや驚くを超えて呆れる。
日向は非日常を目にしすぎていた。
そして日向は工房に移動した。
ベッドに腰掛けて、工房の机を見る。
新しいのに使い古したような色合いだ。
「憧れるなぁ、この暮らし。夢みたい」
そのまま上の棚を見上げた。
天井の高さは、3mに届かないぐらいだ。
エスティが一番上の棚に触れるためには台に載らなければならない。だが実際には時空魔法を使い、出し入れする。手を伸ばすだけでいいのだ。
そもそも時空魔法さえあれば戸棚はいらないのでは、とも考えたが、エスティは空間の中はできるだけ空っぽにしておきたかった。何が起こるか分からないから備えたいという、冒険者時代の性が残っていた。
「夢の生活への一歩を踏み出したばかりです。まだ足りないものは多いですが、ようやく自立できそうな気がしますよ。日向は何歳から自立するつもりなんですか?」
「んー、自立かぁ……」
これは、孤児院育ちのネクロマリア人としての単純な質問だった。15歳で学校を卒業したら、それ以降は誰も面倒を見てくれない。
日向はばさっとベッドに倒れ、天井を見た。
「私、お父さんのパン生地でおやつを作って、永遠にそれを食べて暮らしたい」
「永遠に? ふふ。私が言うのもなんですが、日向の自堕落な未来が見えますね」
「ほんとだよ、ふふっ!」
日向は微笑みながら工房の窓を開けた。
ロゼがデッキでゴロゴロと転がっているのが見える。
「エスティちゃんはあれでしょ。朝起きてうちのパンを食べて、ネクロマリアに弁当を配送して、ここで魔道具作るかお出かけして蓼科を満喫して、夜はあそこの露天風呂に浸かって、暖炉の前で本を読んで暮らすんでしょ?」
概ね、大正解だった。
「日向は予言者ですか……しかし、言葉として自分の未来を耳にすると、実に悠々自適な生活ですね」
「だよねぇ。あ、枝豆食べる?」
そう言うと、日向は急に鞄から袋に入った枝豆を取り出した。
「余ったやつ貰ってきたのを忘れてた。ここプチッて押して中の豆を食べるの」
「うわ、うま……何ですかこれ、無限に食べれそうです」
「分かる」
エスティは無心で枝豆を食べ始めた。
そして日向はその様子を眺めながら、自分の事を考えていた。
もうすぐ夏休みが終わり、学校が始まる。大学に進学するならば長野市内か、もしくは県外に出る事になる。進路相談で先生にはそう伝えていた。
だが、ここに来て迷っていた。将来特にやりたい事も無かったし、そもそも大好きな蓼科から離れたくない。
それに……エスティの存在も大きかった。
エスティは日向が見つめる視線にも気付かずに、必死で枝豆を食べている。
これだけ可愛いのに、ぽんこつで面白い。
「ふふ……パン屋、継ごうかな?」
日向は自由なエスティとロゼを見て、小さな独り言を零した。
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