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第二章
17 お疲れ勇者は酒場で回復する
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土地探しが上手くいかなかった翌日、また特異種発生のせいで情報収集できなかった。
すぐに片付けて午後は新居探しができるほど楽な敵ばかりでもなかったし、一日の間に複数回発生していたのだ。
発生報告があった特異種討伐後も念のため森の中を巡回するようになんて指示まで出ていたし、それが無駄にならない状況だった。
(何が起こってるんだろうな……。あぁ、やだやだ)
勇者は神殿認定であって、常人離れした能力はない。
いくら特異種がイノシシモドキやキャロクモドキが元になったものばかりだとしても、特異種相手の戦闘は油断が命取りになるし定石が通用しなくなるしで、心身共に消耗する。
勇者の聖剣を持っているから武器の消耗を考えなくていいのだけが救いだ。
そんな彼の一日の疲れを癒すのは、カユシィーちゃんか酒場である。
進展なしで会いに行くのは気が引けるため、いつもの酒場でいつもの同志とカユシィーちゃん語りをすることにした。
「いらっしゃい。お仲間なら奥の席にいるよ」
「おーう、ありがとー。いつもの酒とおすすめおつまみ頼む」
「はいよー。ごゆっくりー」
勇者はこの酒場の常連だ。
良くも悪くも覚えられている。
「お疲れ、勇者。今日のカユシィーちゃんの話聞くか?」
席に着くや否や、カユシィーちゃんを見守る会の同志がにやりと笑った。
「聞く聞く! って待てやなんで知ってんだよ」
「だって今日も魔物討伐行けなかったんだぜ? 町でぶらぶらしてたらカユシィーちゃんがお兄さんと歩いてるの見かけてさ」
「昼前には魔物討伐できない間できる内職を探しに冒険者組合寄ってたぜ。俺も内職探しで寄ってたんだからなっ? ま、内職は斡旋してないから町中の清掃で食いつないだらどうかってすすめられたけどな」
冒険者組合が斡旋する清掃仕事は、危険はないし経費もそれほどかからないが、臭くて汚くて重労働な上に賃金がとにかく安い。
魔物討伐できない身体状態でもなければやりたくない仕事筆頭でありながら、魔物討伐できない身体ではきつすぎる仕事なのだ。
大通りをはじめとした石畳の道の掃き掃除とか省庁の建物の内外の清掃とかは、冒険者組合の管轄外。
どちらも町の管轄で、掃き掃除は孤児院の子供たちや町で支援している困窮家庭を優先して斡旋しているそうだ。
省庁の清掃は専門業者と契約しているとか。
なんにせよ、冒険者の入り込む余地はない。
「大したことのない貯金が底をつく前に特異種問題どうにかしてくれよ勇者ぁー」
「カユシィーちゃんのためにも、こんな時こそ勇者が一肌脱ぐべきだろうっ」
「勇者なんだから悪の根源見つけたりできるだろー?」
こいつら、勇者(神殿認定)をなんだと思っているのか。
カユシィーちゃんのために一肌脱ぎたい気持ちは大いにあるが、実際問題、それが可能な力はない。
魔物討伐と正体不明の悪党捜索では必要な技術がまったく違う。
「それにさ、ほら、勇者には妖精さんがついてるじゃん?」
「妖精さんって。あのなぁ、妖精さんってのは便利に使える存在じゃねえし、神出鬼没だし、代償にいろいろ要求されるし」
鶏の半身揚げ買えずにいるし今後も無理そうなのもあって、顔を合わせづらい。
勇者おすすめの唐揚げを食べ放題なくらい買い込んで渡したり、今月に入ってから開店した屋台の高級品を代わりに持っていったりすれば、許してもらえるだろうか。
「元凶知ってたらもう動いてるはずだしなぁ」
闇属性の立場を悪化させる存在には容赦がないのだ、あの子。
大きな動きがないということは、勇者を呼びだして何か命じていないということは、大した情報をつかめていないと言うに等しい。
「はいよ、いつものとおつまみ。おかわりと、おつまみと、日替わりおすすめ料理ね」
勇者の酒とおつまみの他、同志たちの酒とおつまみも並べられていく。
下戸な同志の前には一人前の煮込み料理がどんと置かれた。
身体が温まりそうだ。
庶民向けなだけに、ごろっと入ったイノシシ肉はやたら脂身が多かったり筋張った部位だったりする。
が、脂っぽさを感じさせず柔らかくなるまで煮込まれている。
元々庶民寄りの身分だった勇者にはなじんだ味だ。
夜は酒とつまみばかりだが、昼はたまに頼んでいる。
「勇者にはがんばってもらわないとね。冒険者の稼ぎが減ると客も注文も減るからさ。そいつらの分も大いに飲み食いして帳尻合わせてくれてもいいけどね」
「いつも大いに飲み食いしてっから増やすのは無理。できるだけ早く解決するっすよ」
「頼んだよー。はいよー、おかわりと炒り豆だねー」
他の席からの注文は時々あるが、いつもほど頻度は高くないし量も多くない。
「カユシィーちゃん語りで気力回復しようと思ってたのに……なんかやりづらいな」
「しゃあねーよ。俺みたいな遊びで冒険者してるのなんか一人二人だもん」
しばらく飲み食いする中で、実家が金持ちな道楽冒険者のおごりで本日の席は保たれていることを知る。
こいつは道楽息子だが放蕩息子ではなく、酒場には市場の動向を探る目的もあって来ているらしいが、そんな気配がまったくないのは調査なんて建前に過ぎないのか本来の目的を隠すのが上手いのか。
「けどなー、俺んち冒険者が一番の顧客だから、魔物討伐できなくなると本業の経営も悪化するんだよなー。すぐには影響出ないってだけ。だから頑張れ勇者。妖精さんへの供物はこっちで用意するし、とっておきのカユシィーちゃん話も披露してやるから」
この道楽冒険者、飴の使い方を心得ている。
文字通り飴を差し出してきたのはどうかと思うが、稀少な砂糖を貴重な果物の果汁と混ぜて料理人が付きっきりで時間をかけて作る飴は高価な菓子で、妖精さんへの供物に最適だ。
一番喜ぶのは鶏料理と分かっていても、なんか悔しい。
「ぜ、善処する、から、カユシィーちゃんの話を頼む」
色とりどりの飴は瓶に十五個も入っている。
この道楽野郎、本気だ。
「よし。まずは、この間の特異種発生で臨時休暇の時のお昼。屋台のくるくる包みを公園で食べていた。上品にちょっとずつ食べる姿が可愛かった」
「うちも見たことある。場所は違ったけど、可愛いよなー」
「別の日、そば粉生地の卵焼き包みも食べてたな。その後、金持ち向けの菓子屋の前で難しい顔して立っていた。俺が親しかったらなんでも買ってあげたのに」
菓子屋は町に一軒だけある。
庁舎が多い通りにあるし、庶民はそもそも入りづらい高級感あふれる外観だし、庶民お断りといわんばかりの雰囲気を無視して中に入れたとしても金額にめまいがして何も買えずに退散するような場所である、らしい。
勇者は入ったことがないので、仲間から聞いた話だが。
そんな場所に姫様は平気な顔をして入っては何か買って店内で食べているそうだ。
一口で食べきってしまうお菓子が小銀貨一枚する事もざらだとか。
客がものすごく限定されそうなのに儲かっているのかは、謎である。
「カユシィーちゃんと親しくなっておいしいもの食べさせてあげたいよなぁ」
「参考に聞きたいんだけど、カユシィーちゃんが実家で食べていた真っ白ふわふわのパンって、町じゃ売ってないよな? 売ってるところだといくらくらいするん?」
「拳大一個で小銀貨一枚もありうる。しかも日持ちしない。俺も実物を見たことはない」
「俺も勇者だけど見たことなーい」
勇者に認定された後、お披露目かねて晩餐会でもあるのかと思っていたが、何もなかった。
支度金渡されて、仲間になりたい連中から仲間選んで、そのまま出発だった。
なので、高級な飯は縁遠いままだ。
姿形も分からないものが多々だ。
「ま、まじ、かよ。カユシィーちゃん、超お嬢様……っ」
「そういや、姫さんと話が合ってたなぁ。俺には分からないような高級料理の話も理解し合ってた。……てことはあれか、カユシィーちゃんってほんとに名門貴族っ?」
「皆の者、一つ怖い話をして差し上げよう……。ほぼ忘れられた法律に、階級別食料規則ってのがあってなぁ。どんなに金持ちでも貴族じゃないなら、一定以上に精白した小麦粉のパンは食べちゃいけないんだそうだよ……」
この道楽貴族、なんでおどろおどろしい口調にするのか。
「牛肉の霜降りやフィレは貴族以外が食べたら罰金ってやつは聞いたことあるな」
「え。牛って食えるの?」
煮込み料理を食べていた一人の言葉に、場が同調し始める。
最辺境のこの町において、牛は農耕用か酪農用だ。
肉を食べるという発想はない。
死んだら焼いて、骨と灰は肥料にする。
焼く金が惜しい場合は土に深く埋める。
この町では埋める方が多いらしい。
「まさか勇者も牛を食ったことが? どんな味?」
「知らねえよっ。食えるのは知ってるけど食ったことはねえ」
「勇者でさえ食べたことのない高級食材を、カユシィーちゃんは食べていたのか」
「お、おう。暮らしの落差を不憫に思う前に、住む世界違いすぎて愕然とするしかなかった。一番驚いたのはあれだ、名前は忘れちゃったんだけどさ、皮はいで真っ白にしたパンを黄金色の卵と真っ白な砂糖とクリームなるものを混ぜた何かに漬け込んでたっぷりのバターで揚げ焼きにして蜂蜜と粉砂糖たっぷりかけたお菓子」
「なにそれ? まったく想像できねえんだけど」
「俺にも分からん。けど分かるのは、ものすごく高そうってことだけだ」
「なー、勇者。パンの皮ってなに?」
「知らんっ。パンはパンだよな? 名門貴族の家のパンって作り方が特殊なのか? それで皮ができるのか? 誰か知ってるやつー、いないか」
「いるわけねえっしょー」
そして場は沈黙する。
カユシィーちゃん可愛い談義は、どんな話題でもできるわけじゃないのだと、全員の共通認識になった。
しばし黙って飲み食いする中で、近くの席に煮込み料理が運ばれてきた。
「そういえば、この間、『シシャルちゃんと一緒に暮らしたいけどモツ煮は嫌』って言ってた。モツってあのモツ? 人が食うものじゃないあのゲテモノ?」
一人の言葉に、先ほどとは異なる驚きが場を包む。
「あ、あのモツだろな。見た目に目をつぶれば美味いらしいが、食べる勇気はねえ」
庶民でさえよほどの食糧難でない限りモツを食べなくなって数百年。
珍味通り越してもはや未知の味である。
「闇属性ってモツを食うのか。カユシィーちゃんにも食わせてたのか、外道め」
「闇属性といたら他に食べられるものがないんじゃないか? ヒトガタ野菜も食べなきゃ生きてけねえんだろ?」
「一刻も早く引きはがさなくては。あ、いや、今は別行動中か。ならこのまま……」
「ダーメーだっ。現状維持は悪手だぜ。俺の貯金が尽きてしまう。そして、貯金が尽きて邪霊対策できなくなったら、カユシィーちゃんが苦しむ」
現状は、闇属性いなくても生きてけるじゃんと楽観視できるものじゃないのだ。
「なあ、勇者。邪霊見えなくても邪霊退治ってできないん?」
「出来はするけど、効率最悪だ。手当たり次第攻撃になるし、倒せたかも分かんねえ」
書物から得た知識でどのような形でどのような性質かは知っていても、具体的な動き方は知らないし、どのくらいの高さを漂うのかも分からない。
「じゃ、とんでもない金かかりそうだけどさ、例の魔導具持って町中練り歩いて邪霊全部外に追い払うのは?」
「それも理屈は可能だろが、ほんとにとんでもない金かかって――」
その瞬間の衝撃は、もはや落雷の如しだった。
いるだけで超強力な邪霊除けが一人いるではないか。
「で、できる、かもしれねえ。いや、できる。これならいける……っ」
効果期間はせいぜい数日という部分に目をつぶれば、魔力結晶使うより安上がりな解決策が、勇者の頭には浮かんでいた。
すぐに片付けて午後は新居探しができるほど楽な敵ばかりでもなかったし、一日の間に複数回発生していたのだ。
発生報告があった特異種討伐後も念のため森の中を巡回するようになんて指示まで出ていたし、それが無駄にならない状況だった。
(何が起こってるんだろうな……。あぁ、やだやだ)
勇者は神殿認定であって、常人離れした能力はない。
いくら特異種がイノシシモドキやキャロクモドキが元になったものばかりだとしても、特異種相手の戦闘は油断が命取りになるし定石が通用しなくなるしで、心身共に消耗する。
勇者の聖剣を持っているから武器の消耗を考えなくていいのだけが救いだ。
そんな彼の一日の疲れを癒すのは、カユシィーちゃんか酒場である。
進展なしで会いに行くのは気が引けるため、いつもの酒場でいつもの同志とカユシィーちゃん語りをすることにした。
「いらっしゃい。お仲間なら奥の席にいるよ」
「おーう、ありがとー。いつもの酒とおすすめおつまみ頼む」
「はいよー。ごゆっくりー」
勇者はこの酒場の常連だ。
良くも悪くも覚えられている。
「お疲れ、勇者。今日のカユシィーちゃんの話聞くか?」
席に着くや否や、カユシィーちゃんを見守る会の同志がにやりと笑った。
「聞く聞く! って待てやなんで知ってんだよ」
「だって今日も魔物討伐行けなかったんだぜ? 町でぶらぶらしてたらカユシィーちゃんがお兄さんと歩いてるの見かけてさ」
「昼前には魔物討伐できない間できる内職を探しに冒険者組合寄ってたぜ。俺も内職探しで寄ってたんだからなっ? ま、内職は斡旋してないから町中の清掃で食いつないだらどうかってすすめられたけどな」
冒険者組合が斡旋する清掃仕事は、危険はないし経費もそれほどかからないが、臭くて汚くて重労働な上に賃金がとにかく安い。
魔物討伐できない身体状態でもなければやりたくない仕事筆頭でありながら、魔物討伐できない身体ではきつすぎる仕事なのだ。
大通りをはじめとした石畳の道の掃き掃除とか省庁の建物の内外の清掃とかは、冒険者組合の管轄外。
どちらも町の管轄で、掃き掃除は孤児院の子供たちや町で支援している困窮家庭を優先して斡旋しているそうだ。
省庁の清掃は専門業者と契約しているとか。
なんにせよ、冒険者の入り込む余地はない。
「大したことのない貯金が底をつく前に特異種問題どうにかしてくれよ勇者ぁー」
「カユシィーちゃんのためにも、こんな時こそ勇者が一肌脱ぐべきだろうっ」
「勇者なんだから悪の根源見つけたりできるだろー?」
こいつら、勇者(神殿認定)をなんだと思っているのか。
カユシィーちゃんのために一肌脱ぎたい気持ちは大いにあるが、実際問題、それが可能な力はない。
魔物討伐と正体不明の悪党捜索では必要な技術がまったく違う。
「それにさ、ほら、勇者には妖精さんがついてるじゃん?」
「妖精さんって。あのなぁ、妖精さんってのは便利に使える存在じゃねえし、神出鬼没だし、代償にいろいろ要求されるし」
鶏の半身揚げ買えずにいるし今後も無理そうなのもあって、顔を合わせづらい。
勇者おすすめの唐揚げを食べ放題なくらい買い込んで渡したり、今月に入ってから開店した屋台の高級品を代わりに持っていったりすれば、許してもらえるだろうか。
「元凶知ってたらもう動いてるはずだしなぁ」
闇属性の立場を悪化させる存在には容赦がないのだ、あの子。
大きな動きがないということは、勇者を呼びだして何か命じていないということは、大した情報をつかめていないと言うに等しい。
「はいよ、いつものとおつまみ。おかわりと、おつまみと、日替わりおすすめ料理ね」
勇者の酒とおつまみの他、同志たちの酒とおつまみも並べられていく。
下戸な同志の前には一人前の煮込み料理がどんと置かれた。
身体が温まりそうだ。
庶民向けなだけに、ごろっと入ったイノシシ肉はやたら脂身が多かったり筋張った部位だったりする。
が、脂っぽさを感じさせず柔らかくなるまで煮込まれている。
元々庶民寄りの身分だった勇者にはなじんだ味だ。
夜は酒とつまみばかりだが、昼はたまに頼んでいる。
「勇者にはがんばってもらわないとね。冒険者の稼ぎが減ると客も注文も減るからさ。そいつらの分も大いに飲み食いして帳尻合わせてくれてもいいけどね」
「いつも大いに飲み食いしてっから増やすのは無理。できるだけ早く解決するっすよ」
「頼んだよー。はいよー、おかわりと炒り豆だねー」
他の席からの注文は時々あるが、いつもほど頻度は高くないし量も多くない。
「カユシィーちゃん語りで気力回復しようと思ってたのに……なんかやりづらいな」
「しゃあねーよ。俺みたいな遊びで冒険者してるのなんか一人二人だもん」
しばらく飲み食いする中で、実家が金持ちな道楽冒険者のおごりで本日の席は保たれていることを知る。
こいつは道楽息子だが放蕩息子ではなく、酒場には市場の動向を探る目的もあって来ているらしいが、そんな気配がまったくないのは調査なんて建前に過ぎないのか本来の目的を隠すのが上手いのか。
「けどなー、俺んち冒険者が一番の顧客だから、魔物討伐できなくなると本業の経営も悪化するんだよなー。すぐには影響出ないってだけ。だから頑張れ勇者。妖精さんへの供物はこっちで用意するし、とっておきのカユシィーちゃん話も披露してやるから」
この道楽冒険者、飴の使い方を心得ている。
文字通り飴を差し出してきたのはどうかと思うが、稀少な砂糖を貴重な果物の果汁と混ぜて料理人が付きっきりで時間をかけて作る飴は高価な菓子で、妖精さんへの供物に最適だ。
一番喜ぶのは鶏料理と分かっていても、なんか悔しい。
「ぜ、善処する、から、カユシィーちゃんの話を頼む」
色とりどりの飴は瓶に十五個も入っている。
この道楽野郎、本気だ。
「よし。まずは、この間の特異種発生で臨時休暇の時のお昼。屋台のくるくる包みを公園で食べていた。上品にちょっとずつ食べる姿が可愛かった」
「うちも見たことある。場所は違ったけど、可愛いよなー」
「別の日、そば粉生地の卵焼き包みも食べてたな。その後、金持ち向けの菓子屋の前で難しい顔して立っていた。俺が親しかったらなんでも買ってあげたのに」
菓子屋は町に一軒だけある。
庁舎が多い通りにあるし、庶民はそもそも入りづらい高級感あふれる外観だし、庶民お断りといわんばかりの雰囲気を無視して中に入れたとしても金額にめまいがして何も買えずに退散するような場所である、らしい。
勇者は入ったことがないので、仲間から聞いた話だが。
そんな場所に姫様は平気な顔をして入っては何か買って店内で食べているそうだ。
一口で食べきってしまうお菓子が小銀貨一枚する事もざらだとか。
客がものすごく限定されそうなのに儲かっているのかは、謎である。
「カユシィーちゃんと親しくなっておいしいもの食べさせてあげたいよなぁ」
「参考に聞きたいんだけど、カユシィーちゃんが実家で食べていた真っ白ふわふわのパンって、町じゃ売ってないよな? 売ってるところだといくらくらいするん?」
「拳大一個で小銀貨一枚もありうる。しかも日持ちしない。俺も実物を見たことはない」
「俺も勇者だけど見たことなーい」
勇者に認定された後、お披露目かねて晩餐会でもあるのかと思っていたが、何もなかった。
支度金渡されて、仲間になりたい連中から仲間選んで、そのまま出発だった。
なので、高級な飯は縁遠いままだ。
姿形も分からないものが多々だ。
「ま、まじ、かよ。カユシィーちゃん、超お嬢様……っ」
「そういや、姫さんと話が合ってたなぁ。俺には分からないような高級料理の話も理解し合ってた。……てことはあれか、カユシィーちゃんってほんとに名門貴族っ?」
「皆の者、一つ怖い話をして差し上げよう……。ほぼ忘れられた法律に、階級別食料規則ってのがあってなぁ。どんなに金持ちでも貴族じゃないなら、一定以上に精白した小麦粉のパンは食べちゃいけないんだそうだよ……」
この道楽貴族、なんでおどろおどろしい口調にするのか。
「牛肉の霜降りやフィレは貴族以外が食べたら罰金ってやつは聞いたことあるな」
「え。牛って食えるの?」
煮込み料理を食べていた一人の言葉に、場が同調し始める。
最辺境のこの町において、牛は農耕用か酪農用だ。
肉を食べるという発想はない。
死んだら焼いて、骨と灰は肥料にする。
焼く金が惜しい場合は土に深く埋める。
この町では埋める方が多いらしい。
「まさか勇者も牛を食ったことが? どんな味?」
「知らねえよっ。食えるのは知ってるけど食ったことはねえ」
「勇者でさえ食べたことのない高級食材を、カユシィーちゃんは食べていたのか」
「お、おう。暮らしの落差を不憫に思う前に、住む世界違いすぎて愕然とするしかなかった。一番驚いたのはあれだ、名前は忘れちゃったんだけどさ、皮はいで真っ白にしたパンを黄金色の卵と真っ白な砂糖とクリームなるものを混ぜた何かに漬け込んでたっぷりのバターで揚げ焼きにして蜂蜜と粉砂糖たっぷりかけたお菓子」
「なにそれ? まったく想像できねえんだけど」
「俺にも分からん。けど分かるのは、ものすごく高そうってことだけだ」
「なー、勇者。パンの皮ってなに?」
「知らんっ。パンはパンだよな? 名門貴族の家のパンって作り方が特殊なのか? それで皮ができるのか? 誰か知ってるやつー、いないか」
「いるわけねえっしょー」
そして場は沈黙する。
カユシィーちゃん可愛い談義は、どんな話題でもできるわけじゃないのだと、全員の共通認識になった。
しばし黙って飲み食いする中で、近くの席に煮込み料理が運ばれてきた。
「そういえば、この間、『シシャルちゃんと一緒に暮らしたいけどモツ煮は嫌』って言ってた。モツってあのモツ? 人が食うものじゃないあのゲテモノ?」
一人の言葉に、先ほどとは異なる驚きが場を包む。
「あ、あのモツだろな。見た目に目をつぶれば美味いらしいが、食べる勇気はねえ」
庶民でさえよほどの食糧難でない限りモツを食べなくなって数百年。
珍味通り越してもはや未知の味である。
「闇属性ってモツを食うのか。カユシィーちゃんにも食わせてたのか、外道め」
「闇属性といたら他に食べられるものがないんじゃないか? ヒトガタ野菜も食べなきゃ生きてけねえんだろ?」
「一刻も早く引きはがさなくては。あ、いや、今は別行動中か。ならこのまま……」
「ダーメーだっ。現状維持は悪手だぜ。俺の貯金が尽きてしまう。そして、貯金が尽きて邪霊対策できなくなったら、カユシィーちゃんが苦しむ」
現状は、闇属性いなくても生きてけるじゃんと楽観視できるものじゃないのだ。
「なあ、勇者。邪霊見えなくても邪霊退治ってできないん?」
「出来はするけど、効率最悪だ。手当たり次第攻撃になるし、倒せたかも分かんねえ」
書物から得た知識でどのような形でどのような性質かは知っていても、具体的な動き方は知らないし、どのくらいの高さを漂うのかも分からない。
「じゃ、とんでもない金かかりそうだけどさ、例の魔導具持って町中練り歩いて邪霊全部外に追い払うのは?」
「それも理屈は可能だろが、ほんとにとんでもない金かかって――」
その瞬間の衝撃は、もはや落雷の如しだった。
いるだけで超強力な邪霊除けが一人いるではないか。
「で、できる、かもしれねえ。いや、できる。これならいける……っ」
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しかも実はその精霊は最強の《四大精霊》の一角で、アイリは一夜にしてSランク冒険者となった。
そして自分をクビにしたギルドへ復讐することを計画する。
「許してくれ!」って、全部あなた達が私にしたことですよね? いまさら謝ってももう遅いです。
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