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第一章
24 うちの妹が何を目指しているのか分からない 料理編
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疲労困憊すぎてもはや死にかけではないかと我ながら不安になる足取りで、副隊長ドレは一足先に帰宅した。
借家が近づいてきた頃から漂っていた動物系の美味しそうな匂いの発生源が我が家の台所の鍋と気付き、また何か煮込んでいるのかと若干不安になる。
ドレはお世辞にも肝の太い方ではない。
基本的には冷静だし判断能力もあると思っているが、わりと小心だし、グロ耐性とでも言うべきものは持っていない。
たぶん自分にも邪霊視能力なんてあったら妹より大変なことになっていたはずだ。
ただいまとかおかえりとか荷物頼むとか、もはや定番のやりとりをした後で、座り込みながら二つの鍋を見上げる。
美味しそうな匂いが漂っているが、中を見たくない。
「シシャル……。今日は何を煮ているんだ」
「骨とモツだよ。副隊長さん最近疲れているから、栄養のあるものを食べてもらおうと思って、骨の出汁でもつ煮を作ろうかと」
気持ちはありがたい。
完成した出汁は美味いしもつ煮は抵抗なく食べられるし美味しいと思う。
だが、調理行程は、見たくない。
生のモツなんて絶対無理だ。
ドレは内臓とか骨とかが苦手なのだ。
骨格標本前にしたって血の気が引くし、野生動物の白骨化死体なんか見たら立ちくらみがするのだ。
執事の仕事でそういったものを見たり触ったりすることはないし、カユシィーの教育でも触れない分野だったから、兄妹で逃避行始めるまで全く知らなかった事実だが。
知らない町をさまよう中で食肉加工現場に居合わせて倒れそうになったことを思い出してしまう。
そうだ、たとえ食肉加工してあろうと生の肉の塊もダメなのだ。
だからといって、菜食主義というわけじゃないのだが。
むしろ肉食べるのは好きなのだが。
だが、骨付き肉は骨部分が苦手だし、鶏の丸焼きみたいな原型とどめているものは火が通っていても直視できない。
可愛い妹たちの手前、平気なふりして振る舞っているが、内心冷や汗ものなのだ。
「今日狩ったばかりの新鮮なイノシシのだから臭みないよ。あく取りの手間もそんなになし。美味しくできると思う」
「そ、そうか……」
シシャルに料理の基本を教えたのはドレだが、骨だ内臓だを使う料理は一切教えていない。
そもそも知らないから教えようがない。
ドレは名門神聖貴族に仕える神殿式執事だったから、仕事上では料理の技能を必要とされなかったし、そもそも貴族階級が骨や内臓を料理に使うことはないのだ。
昔々、移民船団がこの地にやってきた時代から、良い肉は貴族と富豪のもの、悪い肉は庶民のもの、内臓と骨は貧民と奴隷のものだった。
実際の栄養価とか味とか度外視で、今でもそんな認識は残っている。
肉用の家畜を飼う仕組みができたことで庶民も良い肉を安く手に入れられるようになった現在、内臓や骨の価値はさらに落ちていて、一部冒険者が使う騎獣や北部の狩人や金持ちの使う猟犬や猛禽の餌としての需要がわずかにあるだけだ。
「なあ、シシャル? いくらうちが貧乏でも、無理してそういったものを使う必要はないんだぞ? 肉が食べたいなら言ってくれれば……」
美味いのは認めるが、染み着いた常識はなかなか変えられない。
「肉の代用でモツってわけじゃないよ。おいしいし栄養もあるから好んで使ってるの。副隊長さんはお肉食べたかった? じゃあ明日はお肉にするね。お肉ももらったから」
(肉があるなら肉にしてくれ……)
この子にモツの味を教えた誰かが、ちょっとだけ憎い。
「ただいま戻りました。今日は半日だけだったわりに良い稼ぎですよ」
冒険者組合で換金を終えたカユシィーが笑顔で戻ってきた。
「シシャルちゃん。今日はもつ煮ですか?」
「うん。副隊長さんのために腕によりをかけたよ」
俺のためというなら別のところに労力使って欲しいと思うが、言えない。
「最近疲れていますものね」
うちの妹たちはどうして平然としていられるのか。
どうして、骨が原形とどめたまま入っている鍋をおたまでかき混ぜられるのか。
「けっこう良い色になってきてますね」
「でしょ? 今日は骨をスパスパっと輪切りにして入れてあるの。切れ味強化魔術で骨も断ち切れるようになったんだよ」
それは、嬉々として言うことなんだろうか。
カユシィーもなぜ目を輝かせる。
ドレは自分の今の顔色も表情も分からないが、疲労と別のところで青ざめていっている自信がある。
今ばかりは、妹たちが、怖い。
「あ。骨も切れるのなら装甲トカゲにも通用するのではありませんかっ?」
「どうかなー……。装甲トカゲの鱗って骨より柔らかい?」
「どうなんでしょう。あー、早く試してみたいですっ。でもその前に、次に骨もらってきた時にわたしにも試し切りさせてくださいっ」
「隊長さんって生の骨見るの平気?」
沈黙が降りた。
カユシィーさん、きょとんと首を傾げているあたり、見たことないらしい。
「骨って、白い塊ですよね? なんで確認が必要なのです?」
「えっと……白い以外にもいろいろあるから。生だといろいろあるから」
「んー。とりあえず見てみないことにはなんとも。無理ならやめます」
本当に、心底、思う。
魔物の中は内臓も骨も肉もなくて色の濃淡もない黒一色で助かった、と。
夕食の頃には、ドレは多少回復していた。
が、栄養あるもの食べようと明日の荷物運びは耐えられる気がしない。
「明日は魔物討伐を休んで他のことをして過ごそうと思う。そろそろ買い出しも必要だしな。予定より早く塩が減っている」
「ごめんなさい。でもモツの下処理はたっぷり塩使った方が臭み取れて美味しくなるから許して。臭みあるままで料理って作るのも食べるのも苦行だから」
「怒ってはいないが……。食べ物に関してだけは金に糸目をつけないよな」
「いかに安い食材を美味しくするかは生きがいにも関わる重要事項だよ」
否定はしないが、食材が安く済んでも調味料を大量に使ったら結果的に高くなる。
見た目に反して美味なもつ煮を口に運びながら、塩をケチったらどんな味になるんだろうと、不安と好奇心が頭をもたげる。
「しばらくは骨の出汁もあるしモツもあるし、贅沢に使った分美味しいご飯作るからね」
ちなみにだが、出汁を取った後の粉々に近くなった骨は日が暮れる前にシシャルが肥料屋に持っていった。
骨の成分が良い肥料になるから、快く引き取ってくれるそうな。
(これはこれで美味いんだ。滋養強壮も疲労回復も分かるんだ。それは認める、認めるんだが……普通の飯が恋しい)
どうも骨出汁や内臓食になじめないドレは、兄妹なのになんなんだろうこの味覚と感性の違いはと内心首を傾げるのだった。
借家が近づいてきた頃から漂っていた動物系の美味しそうな匂いの発生源が我が家の台所の鍋と気付き、また何か煮込んでいるのかと若干不安になる。
ドレはお世辞にも肝の太い方ではない。
基本的には冷静だし判断能力もあると思っているが、わりと小心だし、グロ耐性とでも言うべきものは持っていない。
たぶん自分にも邪霊視能力なんてあったら妹より大変なことになっていたはずだ。
ただいまとかおかえりとか荷物頼むとか、もはや定番のやりとりをした後で、座り込みながら二つの鍋を見上げる。
美味しそうな匂いが漂っているが、中を見たくない。
「シシャル……。今日は何を煮ているんだ」
「骨とモツだよ。副隊長さん最近疲れているから、栄養のあるものを食べてもらおうと思って、骨の出汁でもつ煮を作ろうかと」
気持ちはありがたい。
完成した出汁は美味いしもつ煮は抵抗なく食べられるし美味しいと思う。
だが、調理行程は、見たくない。
生のモツなんて絶対無理だ。
ドレは内臓とか骨とかが苦手なのだ。
骨格標本前にしたって血の気が引くし、野生動物の白骨化死体なんか見たら立ちくらみがするのだ。
執事の仕事でそういったものを見たり触ったりすることはないし、カユシィーの教育でも触れない分野だったから、兄妹で逃避行始めるまで全く知らなかった事実だが。
知らない町をさまよう中で食肉加工現場に居合わせて倒れそうになったことを思い出してしまう。
そうだ、たとえ食肉加工してあろうと生の肉の塊もダメなのだ。
だからといって、菜食主義というわけじゃないのだが。
むしろ肉食べるのは好きなのだが。
だが、骨付き肉は骨部分が苦手だし、鶏の丸焼きみたいな原型とどめているものは火が通っていても直視できない。
可愛い妹たちの手前、平気なふりして振る舞っているが、内心冷や汗ものなのだ。
「今日狩ったばかりの新鮮なイノシシのだから臭みないよ。あく取りの手間もそんなになし。美味しくできると思う」
「そ、そうか……」
シシャルに料理の基本を教えたのはドレだが、骨だ内臓だを使う料理は一切教えていない。
そもそも知らないから教えようがない。
ドレは名門神聖貴族に仕える神殿式執事だったから、仕事上では料理の技能を必要とされなかったし、そもそも貴族階級が骨や内臓を料理に使うことはないのだ。
昔々、移民船団がこの地にやってきた時代から、良い肉は貴族と富豪のもの、悪い肉は庶民のもの、内臓と骨は貧民と奴隷のものだった。
実際の栄養価とか味とか度外視で、今でもそんな認識は残っている。
肉用の家畜を飼う仕組みができたことで庶民も良い肉を安く手に入れられるようになった現在、内臓や骨の価値はさらに落ちていて、一部冒険者が使う騎獣や北部の狩人や金持ちの使う猟犬や猛禽の餌としての需要がわずかにあるだけだ。
「なあ、シシャル? いくらうちが貧乏でも、無理してそういったものを使う必要はないんだぞ? 肉が食べたいなら言ってくれれば……」
美味いのは認めるが、染み着いた常識はなかなか変えられない。
「肉の代用でモツってわけじゃないよ。おいしいし栄養もあるから好んで使ってるの。副隊長さんはお肉食べたかった? じゃあ明日はお肉にするね。お肉ももらったから」
(肉があるなら肉にしてくれ……)
この子にモツの味を教えた誰かが、ちょっとだけ憎い。
「ただいま戻りました。今日は半日だけだったわりに良い稼ぎですよ」
冒険者組合で換金を終えたカユシィーが笑顔で戻ってきた。
「シシャルちゃん。今日はもつ煮ですか?」
「うん。副隊長さんのために腕によりをかけたよ」
俺のためというなら別のところに労力使って欲しいと思うが、言えない。
「最近疲れていますものね」
うちの妹たちはどうして平然としていられるのか。
どうして、骨が原形とどめたまま入っている鍋をおたまでかき混ぜられるのか。
「けっこう良い色になってきてますね」
「でしょ? 今日は骨をスパスパっと輪切りにして入れてあるの。切れ味強化魔術で骨も断ち切れるようになったんだよ」
それは、嬉々として言うことなんだろうか。
カユシィーもなぜ目を輝かせる。
ドレは自分の今の顔色も表情も分からないが、疲労と別のところで青ざめていっている自信がある。
今ばかりは、妹たちが、怖い。
「あ。骨も切れるのなら装甲トカゲにも通用するのではありませんかっ?」
「どうかなー……。装甲トカゲの鱗って骨より柔らかい?」
「どうなんでしょう。あー、早く試してみたいですっ。でもその前に、次に骨もらってきた時にわたしにも試し切りさせてくださいっ」
「隊長さんって生の骨見るの平気?」
沈黙が降りた。
カユシィーさん、きょとんと首を傾げているあたり、見たことないらしい。
「骨って、白い塊ですよね? なんで確認が必要なのです?」
「えっと……白い以外にもいろいろあるから。生だといろいろあるから」
「んー。とりあえず見てみないことにはなんとも。無理ならやめます」
本当に、心底、思う。
魔物の中は内臓も骨も肉もなくて色の濃淡もない黒一色で助かった、と。
夕食の頃には、ドレは多少回復していた。
が、栄養あるもの食べようと明日の荷物運びは耐えられる気がしない。
「明日は魔物討伐を休んで他のことをして過ごそうと思う。そろそろ買い出しも必要だしな。予定より早く塩が減っている」
「ごめんなさい。でもモツの下処理はたっぷり塩使った方が臭み取れて美味しくなるから許して。臭みあるままで料理って作るのも食べるのも苦行だから」
「怒ってはいないが……。食べ物に関してだけは金に糸目をつけないよな」
「いかに安い食材を美味しくするかは生きがいにも関わる重要事項だよ」
否定はしないが、食材が安く済んでも調味料を大量に使ったら結果的に高くなる。
見た目に反して美味なもつ煮を口に運びながら、塩をケチったらどんな味になるんだろうと、不安と好奇心が頭をもたげる。
「しばらくは骨の出汁もあるしモツもあるし、贅沢に使った分美味しいご飯作るからね」
ちなみにだが、出汁を取った後の粉々に近くなった骨は日が暮れる前にシシャルが肥料屋に持っていった。
骨の成分が良い肥料になるから、快く引き取ってくれるそうな。
(これはこれで美味いんだ。滋養強壮も疲労回復も分かるんだ。それは認める、認めるんだが……普通の飯が恋しい)
どうも骨出汁や内臓食になじめないドレは、兄妹なのになんなんだろうこの味覚と感性の違いはと内心首を傾げるのだった。
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