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熱線の棺
列車
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がたごとという音を耳が拾う。揺れを体が感じとる。
――がたん。
ひときわ大きな揺れで、列車に残った最後の乗客は目を覚ました。齢は十六、七ほどか。目をぱちぱちとさせたが、まだ半覚醒状態にあるらしい。薄く開いた目、瞳は虚を映している。
青年の意識はしばらくどこぞを彷徨していたらしい。まだ、あるべき場所へ戻ってきたことを理解していなかった。列車に揺られる中で、だんだんと青年は気づいていく。意識のあるべき場所、自分の肉体に。
手のひらを見る。年に合わないほど、それは固く、傷だらけで汚れている。にぎってひらいてを繰り返す。だんだんと、肉体に精神が重なって自分が戻ってくる。
ここはどこだろう。自分は何をしていたのだろう。
青年の衣服は砂塵にまみれている。どこぞの国の軍服のように見えるが、着られているといった感じで彼には不釣り合いだった。
斜陽。列車の中にはその乗客以外に人影はない。
青年は顔を上げた。窓の外を景色が流れていっていた。流れた景色は青年の記憶からすぐに消えていく。見ているのに、見えていないも同然だった。どんな景色だったか、覚えることができない。ニューロンの網をすべてがすり抜けていく。現実に基づけばこの表現は正しくないが、とにかく、なにも引っかからない、ただただ流れていく、その中にいた。
なんとなく、青年は夕方のような気がしていた。列車の中に差し込む光から、そんなことが推測された。何故か朝だとは思わなかった。光は、青年の背後にあった。
――がたん。
列車が揺れる。この列車はどこに向かっているのだろうと考える。行き先に不安はなかった。このまま乗っていれば良いということだけはわかっていた。
瞬きを一つする。ゆっくりと、時間を噛みしめるように。
列車が進んでいく。景色が流れていく。
青年はふと視線を感じ目を動かした。右の方、先程まで誰もいなかったところに誰かが立っていた。白い狐の面、制服。夕日で引き伸ばされた影が、存在をそこへ落とし込んでいる。
「車掌さんですか」
そう直感した。狐面は小さくうなずいた。
「運転士は」
狐面は悩むように少し時間をおき、そして胸に右手をあてて自分だ、と表現した。
青年は車内を見回した。そして自分と狐面の二人だけであることを把握した。狐面の背後、操縦席にすら人影はなかった。
「他の車両に人は」
狐面は首を振った。この先頭車両から後ろに何両が連なっていようが、そこは空っぽらしかった。
この空間にいるのは二人だけだった。
列車は進んでいく。景色も流れていく。
車掌は動かない。何かを待つように、立ったまま向こうの車両を睨んでいる。青年もまた沈黙している。起きたときと同じように、少しうつむきながら、じっとなにもない床を見つめている。
「町を知りませんか」
その問は唐突だった。車掌が青年に視線をやる。青年は相変わらず俯いている。
「目が見ているんです、黒い、大きな目が」
青年は語りだした。
「目は常に町を見ていました。目と町は一体でした。でもある日、町を見る目のまぶたがおりて、目が眠った。町は……町は」
青年は語っている。
「熱で町は溶けました。そう、そこまでは記録されているんです。目は爛れていた。月が地上に降りてきて、町は溶けた……」
青年が頭を抱える。
「目はどうして閉じられたのですか。わた、お、僕は……なぜ僕らの町は溶け落ちたのですか」
戯言が続く。
「僕は知りたかった、のか……?いえ、僕は連れて行かれた、町のために、僕らの目のために、降りた月を、月を……?」
支離滅裂な言葉が続く。
不意に、最後の乗客がこちらを見る。
「車掌さん、僕は」
何を話していたのですか。
がたごとという音が続く。揺れを体が咀嚼している。
――がたん。
車掌が青年に近づく。頭を抱え放心する彼のもとへ跪き、その表情を窺う。
「……知りませんか?僕の……僕の、何かをしりませんか」
青年は譫言のように呟いている。
車掌は両の手で青年の頬に触れた。顔を上げさせ、目線を合わせる。
言葉はない。車掌が話せど、青年の頭には残らないだろう。肉の中央演算処理装置は停止していて、今の彼の思考は幻肢痛のようなものであるから。
彼に肉体なぞとうにないのだと、車掌は知っている。これまで駅を見つけて降りていった数多の乗客を見てきた、車掌は知っている。
まあ、だとして、車掌にそれを伝える術は無かった。実は青年は精神すら危ういということも。同化したヒトの大海に飲まれぬよう、青年の小さな精神を保持しているのが車掌であるということも。
窓の外には終末がうつる。知られないでくれと車掌は願う。
狐面がじっとこちらを見ていた。頰を包む手は冷たいような温かいような、不思議な感覚がする。もうしばらくこの微睡みの中にいても良いのかもしれない、なんて思う。懐かしさを感じる。
――やがてここへも、月は追ってくるのだろう。しかし、あの町の遺物を、[人称]は守らねばならない。
青年の呼吸が落ち着いたのを見て、車掌は立ち上がる。立ち上がって、青年の少し癖のある黒髪を二、三撫でつける。
残酷にも、列車は進む。運転士は存在しないか、あるいは車掌だった。しかし進まないでくれと願うのもまた、車掌だった。車掌は最後の乗客に執着する。それに理由をつけるならば、俯瞰するならばきっと、車掌が其であるための利己的な行動といったほうがいいのだろう。それ以外を挙げるのは、些か非現実的な気がした。
――がたん。
ひときわ大きな揺れで、列車に残った最後の乗客は目を覚ました。齢は十六、七ほどか。目をぱちぱちとさせたが、まだ半覚醒状態にあるらしい。薄く開いた目、瞳は虚を映している。
青年の意識はしばらくどこぞを彷徨していたらしい。まだ、あるべき場所へ戻ってきたことを理解していなかった。列車に揺られる中で、だんだんと青年は気づいていく。意識のあるべき場所、自分の肉体に。
手のひらを見る。年に合わないほど、それは固く、傷だらけで汚れている。にぎってひらいてを繰り返す。だんだんと、肉体に精神が重なって自分が戻ってくる。
ここはどこだろう。自分は何をしていたのだろう。
青年の衣服は砂塵にまみれている。どこぞの国の軍服のように見えるが、着られているといった感じで彼には不釣り合いだった。
斜陽。列車の中にはその乗客以外に人影はない。
青年は顔を上げた。窓の外を景色が流れていっていた。流れた景色は青年の記憶からすぐに消えていく。見ているのに、見えていないも同然だった。どんな景色だったか、覚えることができない。ニューロンの網をすべてがすり抜けていく。現実に基づけばこの表現は正しくないが、とにかく、なにも引っかからない、ただただ流れていく、その中にいた。
なんとなく、青年は夕方のような気がしていた。列車の中に差し込む光から、そんなことが推測された。何故か朝だとは思わなかった。光は、青年の背後にあった。
――がたん。
列車が揺れる。この列車はどこに向かっているのだろうと考える。行き先に不安はなかった。このまま乗っていれば良いということだけはわかっていた。
瞬きを一つする。ゆっくりと、時間を噛みしめるように。
列車が進んでいく。景色が流れていく。
青年はふと視線を感じ目を動かした。右の方、先程まで誰もいなかったところに誰かが立っていた。白い狐の面、制服。夕日で引き伸ばされた影が、存在をそこへ落とし込んでいる。
「車掌さんですか」
そう直感した。狐面は小さくうなずいた。
「運転士は」
狐面は悩むように少し時間をおき、そして胸に右手をあてて自分だ、と表現した。
青年は車内を見回した。そして自分と狐面の二人だけであることを把握した。狐面の背後、操縦席にすら人影はなかった。
「他の車両に人は」
狐面は首を振った。この先頭車両から後ろに何両が連なっていようが、そこは空っぽらしかった。
この空間にいるのは二人だけだった。
列車は進んでいく。景色も流れていく。
車掌は動かない。何かを待つように、立ったまま向こうの車両を睨んでいる。青年もまた沈黙している。起きたときと同じように、少しうつむきながら、じっとなにもない床を見つめている。
「町を知りませんか」
その問は唐突だった。車掌が青年に視線をやる。青年は相変わらず俯いている。
「目が見ているんです、黒い、大きな目が」
青年は語りだした。
「目は常に町を見ていました。目と町は一体でした。でもある日、町を見る目のまぶたがおりて、目が眠った。町は……町は」
青年は語っている。
「熱で町は溶けました。そう、そこまでは記録されているんです。目は爛れていた。月が地上に降りてきて、町は溶けた……」
青年が頭を抱える。
「目はどうして閉じられたのですか。わた、お、僕は……なぜ僕らの町は溶け落ちたのですか」
戯言が続く。
「僕は知りたかった、のか……?いえ、僕は連れて行かれた、町のために、僕らの目のために、降りた月を、月を……?」
支離滅裂な言葉が続く。
不意に、最後の乗客がこちらを見る。
「車掌さん、僕は」
何を話していたのですか。
がたごとという音が続く。揺れを体が咀嚼している。
――がたん。
車掌が青年に近づく。頭を抱え放心する彼のもとへ跪き、その表情を窺う。
「……知りませんか?僕の……僕の、何かをしりませんか」
青年は譫言のように呟いている。
車掌は両の手で青年の頬に触れた。顔を上げさせ、目線を合わせる。
言葉はない。車掌が話せど、青年の頭には残らないだろう。肉の中央演算処理装置は停止していて、今の彼の思考は幻肢痛のようなものであるから。
彼に肉体なぞとうにないのだと、車掌は知っている。これまで駅を見つけて降りていった数多の乗客を見てきた、車掌は知っている。
まあ、だとして、車掌にそれを伝える術は無かった。実は青年は精神すら危ういということも。同化したヒトの大海に飲まれぬよう、青年の小さな精神を保持しているのが車掌であるということも。
窓の外には終末がうつる。知られないでくれと車掌は願う。
狐面がじっとこちらを見ていた。頰を包む手は冷たいような温かいような、不思議な感覚がする。もうしばらくこの微睡みの中にいても良いのかもしれない、なんて思う。懐かしさを感じる。
――やがてここへも、月は追ってくるのだろう。しかし、あの町の遺物を、[人称]は守らねばならない。
青年の呼吸が落ち着いたのを見て、車掌は立ち上がる。立ち上がって、青年の少し癖のある黒髪を二、三撫でつける。
残酷にも、列車は進む。運転士は存在しないか、あるいは車掌だった。しかし進まないでくれと願うのもまた、車掌だった。車掌は最後の乗客に執着する。それに理由をつけるならば、俯瞰するならばきっと、車掌が其であるための利己的な行動といったほうがいいのだろう。それ以外を挙げるのは、些か非現実的な気がした。
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