ある朝起きたら目の前に怪物がいたって話

本編

よん

　部屋に入り、強引にバンッ、と戸を閉める。

　盛大なため息をつき、ベットにうつ伏せでダイブした。

　いろんな感情が渦巻いて、商店街のネオンみたいにうるさく、枕を引き寄せて顔を埋める。

　もう外は暗くなっていて、空では星が瞬きだしていた。

　肺の中の空気をこれでもかというくらいに吐き出して、そして一気に吸う。
　息を止めると体が酸素ほしさにあえぎ出すのが、滑稽で面白いのだ。

　はあ、と唸りながら姿勢を仰向けにする。

　空白の天井。

　照明はつけない。

　今は闇のなかで静かに、死にかけの身についた傷を癒したかった。
　明るい言葉なんていらない。
　とってつけたような同情はいらない。

　先輩たちを懸命に指導して見向きもしてくれない、コーチ。
　下手くそな後輩に苛立ちと軽蔑を隠さない、先輩。
　蚊帳の外を装って適当に振る舞う、顧問の先生。

　視界を腕で覆う。

　その左腕を、ふに、と、何かが触った。

　触手の怪物。

　その目に。

　その全てを見透かしていそうな怪しく澄んだ目に、絡めとられて気分が悪くなる。
　怪物は気にもとめず、ベットの縁に触手を伸ばしてきて。

――パチッ

　しまった、と思った。
　心の奥にしまっておいたはずの感情を、誰かには明かすまいとしていた感情を、汚い自分を、見られたような気がして。

　反射的に伸ばされた触手を叩いていた。

　ごめん、と通じないながら言おうとし、しかしその言葉はでかけて終わった。

　怪物が、それに対して少しも動くことをせず、何事もなかったかのようにベットの縁を掴んだからだ。

　その目はまっすぐこちらを見ていた。

　私以外の何も見ていなかった。

　昨日みたいに遠慮がちにではない。強い意思があった。

　え、とかすれた声が出る。
　次の瞬間、怪物の触手に全身が拘束されていた。

　黄緑色の、宝石のように輝く目が、真っ暗な視界のなかに一つ、浮かんでいる。

　目をそらすことは叶わなかった。
　目を塞ぐこともできなかった。

　触手がずるず、と伸ばされて、目の下をそっとなぞられる。

　いつのまに、泣いていたらしかった。

　黄緑色の目がぱちりとまばたきする。

　優しく、丁寧に。
　ひんやりとした触手が、まだ湿っている髪に触れ、額に触れ、耳をかすめ、輪郭をなぞっていく。
　とん、とん、と頭を軽く叩かれると、不思議と心が軽くなった気がした。

　怪物の触手が少し緩む。

　少し見つめあってから、触手の一本をすっとよせてゆっくり、口づけをした。

　怪物がその意味を理解しているかはわからない。
　でも、自己満足でも、そうしてみたかった。

　
　カレーの良い匂いが、二階の部屋まで漂ってきていた。