災ーsaiー幽戯

冰響カイチ

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第二章 女神の一筆

(3)お姫さまが言うことには

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「…………。ない」




「何だよ、そのいかにも何かありました的な間は」




一刻ほど前、仲秋の儀が行われた。




それを取り仕切ったのは他ならぬ明宝。


建国以来、鎮めの神事は宮中にすまう女官の義務として重んじられてきた。




元来王妃が取り仕切るべきであるが、若き蒼王にはいまだ王妃はおらず、国母である皇后もまた病床で長く床につき、その責務をはたせられる状態にはなかった。




そこで白羽の矢が明宝にむけられたわけであるが、女官たちをまとめあげて儀式を無事に終えられたはず。




「儀式で何かあったのか?」




「…………」




「じゃぁ、誰かにまた文句をつけられたとか?」




「これ。そう勘ぐるものでない」




「へぃへぃ。さようですか」




あった、けど言いたくない、というわけだ。




お姫様は難しいや。




「しばし黙っておれ」




明宝は再び卓子にむかう。




彩管をとり、墨をたっぷりふくませ料紙に一滴をたらす。


それを濃く陰影を描いて薄墨でぼかす。


すると二匹のコオロギとなり、すぐに画のなかのコオロギは仲睦まじく寄り添い、チチヨと語らう。稍あって秋の調は愛の囁きへと変じた。




「へぇ? コオロギとは珍しい。あれ、落款は?」




朔は横に立ち、上から眺めていると明宝がチラと見る。




「これから押すところじゃ。此度の画はそなたから見てどうじゃ?」




「どうって……」




月にススキ。絵心のない朔にも神韻縹渺として牡丹に唐獅子、竹に虎といった取り合わせのよい構図なのだろうことはわかる。




「いいじゃね? 画のことはさっぱりだけど、いつみても落款の押されるまでは生きている虫そのもの、跳ねあがったら飛び出してくるんだろうな。神宿画とはよく言ったもんだ。一国の公主にしておくには実に惜しい。いい腕してるよ」




ホント、と言って、うんうんと頷く。




「ときに、腕、と申せば、そなたの仙術の修行とやらはいつ終わるのじゃ? 妾の世話役とは名ばかりではないか」




「うーん。俺が納得するまで? それに人の一生ってのは生涯勉強なんだと」




「何を達観しておって。そなたの仙師である伯陽の受け売りであろう」




「あれ、バレバレ?」




「うむ。バレバレじゃ」




そう言うと明宝は鈴を振るようにコロコロとし笑し、すぐに麗しの顏を翳らせた。




「よく見ると、そなた、ズタぼろじゃの、その長袍。この筆ふきにもおとる」




卓子の上のそれをつまみあげ、さしかざした。




しとどに湿り気をおびた布には鮮やかな刺繍がほどこされ、それが惜しげもなく薄墨色にそまっている。




「余計なお世話だ!」




そこは気をつかって然るべきだろう。多少の気遣いはあってもいい、そう思う。




「これは師匠からたまわったお下がり。しかも一張羅だ、何か文句でも?」




「いや。だがあえて言おう。文句をつけるとしたらその前髪じゃ」




「そっちかよ! 切るよーーそのうちに。別にいいだろ」




渋面になった。




が、実りのない口論が長くなることを見越して、明宝はあえて違う話題をふる。




「約束を忘れず帰着するとは珍しい。なんぞ旅先であったのか?」




「!?」




核心をつく。帰着した当初の目的をやっとこさ思い出した。




「ぉっと、忘れるとこだった、単刀直入に言う。明宝、あれをヤツに渡したな? この人でなし」




「ヤツ、とは? 大体からして主人を人でなし呼ばわるとは何事じゃ。そなたこそ人でなしのくせに…………」




ぁ、と小さくもらした。




「ーーーー俺のことはいい」




朔は冷たく、くぐもった声できっぱりと言い放つ。




「……すまぬ。言葉がすぎた、妾を許せ」




明宝はしょんぼりとうつむく。




「いいって。言うほど気にしちゃいないし。俺が人ではないことは曲げようもない真実だし? んなことより」




そう区切り、朔は明宝を見据える。




「聞け。邵郭が二万と数千の兵をもって華南を攻めいっている」




「!?」




明宝は驚いて顔をあげ、言葉を失った紅唇はかすかに震えてみえる。




そのすぐ下で、子猿がぴょこんと顔を出した。


チッと舌打つ。




華南と聴いたからだろうが、子猿は真摯な目をむけてくる。面倒だ。




子猿はさておき、朔はなおも続ける。




「邵郭にくれてやった神宿画を使って」








嘉朶にあえて告げなかった【予感】がこれだ。




邵郭とは、今さら醜名を流布するまでもない悪名高い北の蛮族の王。


昨今、兵力のみなおしをはかるなどあまりいい噂をきかない。




すべての民族統合を訴えながらその舌の根のかわかぬうち諸国を席捲し、次に狙われるとしたらーーーーと警戒していた最中のこれだ。




暖衣飽食になかで生きてきたこの公主様にはわからないのだ。




苦労を知らず、誰かにかしずかれそれが当然として生きてきた。




田畑、家を焼かれ、寄る辺ない人々。絶望にうちひしがれ、明日をもしれぬ苦しみがいかばかりなんて。きっと想像すらもできないだろう。




すまじきものは宮仕え。




「チッ、こうなったからには始末は……」




「妾がつける」




「……っぇぇ!?」




「妾をあざむいた邵郭めをこらしめてやらねば。そなたの流儀風に言えば、画には画を、戦士には戦士をじゃ? 」




にっこり、と艶やかに笑む。




「ーー!?」




とくん、と鼓動を打った。




("……月……仙女……?")




それはそう遠くないだろう神仙となった明宝の女神たる姿を想起させた。




白雪色の肌が闇色の背景によって浮きぼられ白光し、まるで光明がふりそそがれるがごとく輝いてみえる。


桃色の頬も艶めく紅唇も、なにもかもが窈窕たる美しさに彩をそえていた。




痛ッ!? とうめき、朔は痛む胸に掌をおしあてた。




「……あれ?」




もう痛くない。まただ。心の腑の張り裂けんばかりの痛みはすでに遠のき、痛みを感じたことが嘘のように正常に時をきざんでいる。




「朔?」




ヌッと明宝がのぞきこんできた。




朔の目と鼻の先でりぃん歩搖が玲瓏な音を奏でた。




朔はぎょっとして目をむき、上体をのけぞらせる。




「バッ!? 何だよ、突然」




心なしか人であったころの名残に翻弄されもてあましている。




人の剛が呼び覚まされつつあるのは目の前の少女が番茶も出花をむかえようとしているからだろう。




実に滑稽である。


人であって人にあらずのくせに。




だから妖怪を見るとひどく血が騒ぎ、正義の味方気取りでバカもした。




同じようなものが自分のなかに流れているかと思えばその存在自体が許せなかった。




("それでもーーーーそばにいたい")




そのために積み上げてきた修行。




("もしその努力が報われなかったら?")




「痛ッ!?」




またチクリと痛みがはしった。




この痛みは心なのか胸なのか。その両方が痛んだ。




「朔?」




「俺のことはいい。画をくれてやることはまかりならぬ。そう今は亡き父王と約束したろ? だから人となりをみて純粋に心から画を欲する者にだけやることにした、違うか?」




「違わぬ。違わぬがーーーー」




「だったら何でやった。邵郭の胡散臭さなら子供にだってそれとわかる」




邵郭のように毒を食らわば皿までもといった下賎者も少なくない。


生き馬の目を抜くよこしまな思想をいだくヤツならはいてすてるほどこの世には数多いる。




そのことを明宝は知らない。


良く言えば純真無垢。悪く言えば世間知らずの公主様。




「そこはあれじゃ? 心意気にほだされ……そうじゃ! 皇王殿に嘉朶をくれた礼をしておらなんだ。のぅ、嘉朶や」




指をさしかざすと嘉朶はすり寄ってムキュと喉を鳴らした。




「は? クソ猿をくれた礼?」




("ーー名目ーーか、なるほど")




助力を請われもせぬ他国へ行き、勝手に大立ち回りなどできようはずもない。下手したら拘束される。果ては密偵の嫌疑がかけられ死罪なんてことも。




だが明宝への献上品に対しての返礼をお届けにあがったとなれば問題はなかろう、そう明宝は踏んだ。




そのついでに事の収拾をはかろうと、あくまでもののついで。




「行くぞ」




「はぃ? どこへ」




「決まっておろう。華南へじゃ」




「ーーーーマジっすか」




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