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第一章 蒼山経
(4)四面楚歌に戦慄く
しおりを挟むとはいえ、この芳満は明犀と同じく先代王の御代より仕える古参の重鎮のひとり。明犀は心ならずも最低限の礼をもって語りかける。
「何を悠長なことを。援軍を待つまでもなく城もろとも討ち滅ぼされますぞ」
明犀のうんざりといった表情に芳満がみるみる青ざめる。
「では……もはや手の打ちようが……」
ない、そう口にしかけたその時、ドンと鉄扉が打たれ一同肩をふるわせた。
「…………」
恐る恐る振り返る。
次の瞬間、天蓋がはげしく右往左往と揺らぐ。
敵は木槌での攻撃に切り替えてきた。城門をこじあけようとしている。
「おぉぉぉ!? もうこんな城内にまでーーーー」
玉座の間の荘厳さもかくや、いつ王宮につめる者たちの墓標になるともしれぬ。
そんな恐怖からミシミシと柱がきしむたび怪奇音の凄まじさに誰となし戦慄く。
「誰ぞ余に報告せよ!!」
それが……と言を左右にして重鎮たちはみな一様にうつむく。
「……ッ!?」
フゥ、と荒い息差しをととのえ、額をおさえる。
皇王は仕方なし、これまでを順次立て、つらつらに惟た。
下からの報告が途絶えてひさしく、良策もなければ打破するための秘策もない。
奇襲をうけてからの荒肝を拉ぐ妙策などないに等しい。
今宵は満月とあって篝火もへらすほど大変明るかった。
奇襲はおろか何かをしかけるには不適切。
しかも蛮族の奇襲が一ヶ月前にあり、しばらくはないだろうと過信。ここ最近の安寧ぶりから備えをおこたったとしか考えられない体たらくぶりだ。
重鎮たちの慌てぶりからして兵糧から武器の備蓄すらも把握しきれておらず、管理がいき届いていたとは言いがたい。
「おそれながら皇王様。畏こくも奏上もうしあげます」
衣擦れの音が重鎮たちをかきわけするりと躍り出た。
その者は官服とはことなるくすんだ小豆色の袍をまとい臣事に就くものの証である冠をかぶる。
その面には臆することなく泰然自若として穏やかな微笑をたたえている。
跪拝の礼をとり、うやうやしく頭をたれた。
「伯陽か。申してみよ」
それを受け、つっと顔をあげる。
赤みがかった赤褐色の眸を見開くと皇王を直視した。
「はい。ではーーーー」
伯陽は皇王直々に三顧の礼をもって朝廷にむかえた神算鬼謀の軍師にして博雅の士。
だがその真意をとう重鎮の声が今もあとをたたない。
その伯陽が口を開いたとあって匕首に鍔とばかりいならぶ重鎮たちは苦々しげに双眸をゆがめ、伯陽が口を開くのを耳目をすませじっと待っている。
抜き差しならぬ相手ながら年若き王の師としては認める部分も多々あるのも事実だ。
「皇王様。ここで慌てふためき二の足をふんでいたのでは事態は好転しますまい」
「落ち着けと? 余の民は余の命にもひとしい。よもやその志しをわすれたとは言わせぬぞ」
グッと皇王の眉宇が険しくなった。
「いいえ、忘れようはずがありません。お怒りはごもっとも。されど」
「余は怒れどもいたって冷静だ。だがそなたら、敵を見て矢を矧ぐとは何事ぞ? 状況をつぶさに報告することもできぬとは。そなたたちは今まで何をしておった!」
すると白皙の初老が目を白黒させ頽おれるようにして平伏した。
近衛府長官、申玉夭だ。
「め、面目しだいもございません。ただちに兵をあつめ情報収集に奔走させーーーー」
「遅い! しかも手ぬるい! よいか玉夭だけでなくそなたらに申し渡しておく。此度の一件、泣いて馬謖を斬るぐらいのことではすまさぬぞ、よいな」
「……! 御意」
一堂、平伏してげちを賜る。
「こうしていても埒もあかぬ、余がいく。雑兵でかまわぬ、ただちに兵を集めよ」
「お待ちをっ、それはなりません。いま王がで張れば敵の思うつぼ」
「伯陽とめるな、余がいく」
「なりません! 頭が動けば尾も動くというもの。伝令を待つべきです。この伯陽めを信じ、どうか、どうかーーーー」
「……ッ!?」
確かに伯陽の言うことには一理ある。
うかつに兵を動かせば全滅もありうる。
最後の報告では、敵は串刺しになろうとも決して安息の時をあたえられず、むしろ致命傷をあたえようものならその動きは活発かして士気もあがるかのようであると。
この死をおそれぬ屈強なる戦士たちにはまったくといって命のやりとりの恐ろしさを感じられない。
それどころか器から生者の輝きすらかんじられなかったという。
(此度の首謀者は蛮族の王、卲郭? ーーーーいや、何かが解せぬ。)
卲郭は人類はみな兄弟のように付き合うべきとして四海兄弟を説く。
一見して穏和なことを言っているようであるが、そうでもない。
何かと手練れを送ってよこす男だ。この一件も先だっての小競り合いによる仕返しとも考えられる。
それより、奇襲をしかけられるほどの兵力を手にした経緯に何か裏がある。
(そもそもこの人外のものはなんだ?)
まさか? そんなはずはない、そう打ち消すも頭に一度うかんだ疑念はそれを肯定する要素にかわっていく。
頭を大きく振ってみたものの消え去ることはなかった。
(アレが卲郭めの手にわたった? だがいかにして?)
蒼国の解語之花、、明宝公主が描きし画には神なるいぶきが宿る。
各国はその力にあやかろうと国中の宝器をかき集め、それらを悉く献上した。
すべては公主画をたまわるためだ。
先だってこの華南からも蒼国ゆかりの小猿を献上して公主よりお礼の玉梓をたまわったばかり。
(現津御神なる少女。その力たるやーーおそるべし)
皇王は危機感をつのらせた。公主は危険だ。おのが力がどれほどのものか、あまりにも無頓着すぎる。
おそらく卲郭のいかにもお涙頂戴な嘘臭い舌先三寸で公主の同情をひき、強引に画をたまわったに違いない。
そんな無邪気な娘の威をかり悪用せんとした卲郭めの腹黒さが想像するだに怒り心頭に発する。
のみならず、この状況をかんがみて他国とて危機感をあらわにするだろう。
次の標的は自国やもしれぬと。
「…………」
頤を撫で付ける。
もし公主が描きし戦士なればもとをただせば紙より出しもの。ならば火、火箭はどうだろう。
相克を考慮すると木は火、もしくは水に弱い。
「火焔、前に出よ」
はっ、と一声があがったのち、いならぶ重鎮をかきわけて頭一つ分高い巨躯が一歩前に歩みでた。
すでに甲冑をまといし豪傑なる老将が玉座にむかい跪拝の礼をとる。
「火焔。火箭をもちいて敵を討て。一兵たりとも残敵を討ちもらすな。できるな? いや、できぬとは言わせぬ。必ずや敵を撃砕せよ」
そう談じこむ。
火焔の返答を待たずして傍らにあったひとふりの刀剣をさしかざした。
「今この時をもって軍の全権を委任するものとし、火焔を総帥に任ずる。駆逐までは無理でもこれ以上の進行だけくいとめるのだ、なんとしても。よいな」
皇王は微動だにしなかった。それはなにものにもゆるがぬ火焔への絶大なる信頼がそうさせた。
火焔は信奉のまなざしでそれに応えた。
「はっ。桃李物言わざれども下おのずと蹊をなし、皇王の御前のもと弱卒なし。必ずや打破してみせます。軍備をととのえすぐに出兵いたします」
うやうやしくそれをうけとる。
そのずっしりとした重さに火焔の表情が一瞬こわばったが、すぐきりりと武人らしいものにかわった。
「…………」
皇王と軽く視線をからめ、火焔は小さく目礼する。
「では」
生殺与奪の権限が火焔にゆだねられ、その統帥も皇王の膝下をはなれた。
物々しさが火焔とともに去ったところで皇王はそば近くに控える鹿蘇を見やる。
「城内の武器をかき集め、民にあたえよ。出し惜しみは無用である」
文字どおり総力戦だ。
「それが……まことに申し上げにくいのですが……」
まさか、と呟いた皇王が次のコトバを紡ぐまでしばし。
歯の奥からやっとのことで声をしぼりだす。
「ーー全、滅?」
どん、と玉座に尻餅をついた。
この心胆さむからしめる黒き戦士たち。その進行をおさえるすべはもはやないにひとしい。殺戮のため鍛練されたような戦士に死角などなかった。
もはや怒声をあげる余力もない。
皇王の宵闇をうつしたような暗い眸に鹿蘇うつした。
「ーーそれで。現在の城内に待機している兵士の数は?」
「把握できうる限りですと、その数、およそ五百」
「五百!?」
なんと、口々に驚愕の声があがり、重鎮たちの口も漸う軽くなった。
左大臣、明犀が口火をきる。
「わずか五百とは。かたや敵は二万と数千。やれやれ、火焔には聞かせられぬな。よもや華南全土から兵を募ったところ急ごしらえの兵士ではすぐにはモノにならん。各役所に配置した兵に招集の宣言を下しーーーー」
「お言葉ですが明犀殿。それでも到着するまで城はもちますまい」
それでも一万にもおよばない。数だけでも劣勢だ。
「ならば鹿蘇殿には他に何か策が?」
「いぇ。こんな無策のまま手をこまねくぐらいなら、先ほどから申しあげておりますように、同盟国へ使者をおくり援軍の要請を請うてみては」
それは何もしないよりはましだから、そう言ったも同然だ。
明犀はゆっくりと頭をふる。
「すぐに軍を動かせるものではない。少なくとも三日はかかろう。それでは手遅れだ」
籠城、の二文字が脳裏にうかんだ。
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