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第2章 精霊条約書
魔道竜(第2章、34)
しおりを挟む「一体全体どうしたっていうのよ」
あわやの大惨事、かろうじて難をのがれたものの、気分は穏やかとはいえない。
唇を死守できたことで安堵感をえられるはずだった。
しかしなぜだろう……この胸にひろがるほろ苦くも気恥ずかしい、青リンゴをかじったかのような甘酸っぱさ。
あらゆる感情がいりまじり、物足りなさだけがティアヌの心を支配する。
もしかして、私……思ったよりガッカリしている???
「…………」
そんなはずはないわ。ドキドキしすぎて頭のネジがどこかへ吹っ飛び、思考カイロをおかしくしちゃっただけよ。
それというのもセルティガ、すべてアンタのせいよ。
セルティガのくせに、よくもいたいけな乙女を愚弄してくれたわね。
どうしてくれよう……。
ティアヌは一層胸ぐらをしめあげにかかる。
するとセルティガは、口をパクパクとさせ、「……し……」と呟き、言葉がそこでとだえる。
「し?」
しめあげすぎたのだろうか。
ティアヌは忌々しいセルティガの胸ぐらから手を放し、
いつ手放したともしれない足もとを煌々とてらす松明をひろいあげる。
「し、って何よ!?」
ヤツなりの言い分でも聞いてやろうか、と思い立った。
が、時すでに遅し。
息も絶え絶え、セルティガはやっとのことで口にした。
「………し……にそ…………」
し、に、そ、区切られた言葉のパーツをつなぎあわせ『しにそ』。
「それって…まさか、死にそう???」
いぶかしげに松明をセルティガの顔面にかざせば、なんとも青ざめ、血の気はうせ、
もし道端でゾンビと遭遇したなら、危うく友情すら芽生えそうな、ペンペン草の上に横たえた屍のようだ。
「なんでもっと早くに言わないの!」
その先につづくはずの言葉をのみこむ。
口がさけても絶対に口にしたくないセリフだ。
「な、なんでもないわ。それより」
言葉をくぎり、ティアヌはセルティガのタダごとではない様子をつぶさに観察する。
激しく肩をゆさぶり、乱れた呼吸は息を吸い込むたび、命の灯火をじょじょに削っていく。
小刻みにゆれる肺は、大量の酸素を必要としていることがうかがえる。
今まさにセルティガは風前の灯火。
血液まで凍り付いてしまったかのように肌は青白く、手足は冷えきり、目は焦点がさだまっているのかもあやしい。
となると、アレか!?
「まさか、酸欠??」
正しくは酸素欠乏症。
酸素とは無味無臭の気体元素。元素記号は『O』。空気の体積の五分の一を占めている。燃焼や呼吸に必要な元素。
ということは、酸素がたりていない=(イコール)死ぬ??
冷静にならねばと、焦れば焦るほど妙な解説が頭の中をかけめぐる。
「待っていなさい、すぐに楽にしてあげるわ」
すぐにでも引導を渡してやりたいところではあるが、三途の川のフチにいるかもしれない人を、見捨てることは人としていかがなものか。
そしてすぐさま、対処法となる魔法をはじきだした。
「エグザル!(緑の守護陣)」
ほのかに香る深緑の木々と、緑のやわらかい妖光がセルティガを包みこむ。
緑の魔法、回復呪文エグザル。
エグザルとは、もとの良い状態へと回復させるのと同時に、一時的に緑の結界をはることのできる呪文だ。
緑の結界は樹木と森の守護者、木の精霊グリビアンの加護の賜物。
樹木は空気を精製し、花々やその他の生態系を司るその頂点にある。
グリビアンは緑の精霊王ともよばれ、魔道の回復呪文といえばすべて緑の魔法と分類視される。
「セルティガ?」
荒々しく途切れがちだったセルティガの呼吸は、しだいに規則正しさをとりもどし、緑の回復呪文の効果により見る見るうちに顔色にもそれがあらわれ、生気をみなぎらせはじめる。
ホッとすると同時に、ティアヌは心の闇にとらわれる。
やはり私は人であって、人間ではないのだと。
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