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第23話 花嫁を娶らば是にも在らず(上)
しおりを挟む「…………」
台風一過となって静けさを取り戻した露天風呂には抱き合う一対の男女が取り残された。
「……ぃ……い、ま、の……夢? それとも幻?」
安全であると判断されてか、煌禿の手から自由を取り戻した唇が、やっとこさ呟く。
「いいゃ。そのどれでもない。つまりは妖怪、あれぞまさしく百鬼夜行というものだろう」
妖怪、と口の内で諳じてみた麗凜は、知らずのうちに煌禿の白妙をぎゅと握る。
「ね、ぬき様って何? 昼間の逃走した兵や噴火口でみた巫女のお婆さんも、みな〝ぬき様〝って口にしてたわ。さっきの妖怪たちにいたっては主だって、これはどういうこと?」
一気にまくしたてた麗凜は豪快に、くしゅん、とくしゃみをする。
「この格好のままでは風邪をひく。ひとまず君はお風呂で温まっておいで」
皇子の胸からはがされ、麗凜は「格好?」と復唱しハッとする。
サァ――――と血の気がひいた。
「見ないで!」
もじもじとさせる。どこをどう隠せばよいのやら。上か下か。それとも右か左か。混乱する。
今こそ昼間の穴を必要としている。穴があったら入りたい!
「そのことだが、すまない。伎玉、君まで濡らしてしまった、どうか許してほしい」
いや、謝られる筋合いはない。
風呂あがりの煌禿はびしょ濡れで、当然抱きとめられた麗凜もまたしっとりと湿り気を帯びるのは至極当然である。
「いいんです。助けてくれてどうもありがとう。皇子様が入浴中であると知らずに、のこのこ入ってきたわたしが悪いんですから。だからどうか謝らないでください」
とはいったものの知らぬは本人ばかりで、まさか煌禿同様、あらぬところが透けているという考えにはいたらず。
煌禿は目のやり場に困った風に仰向く。
「兎にも角にも君は温まっておいで。今日はもう遅い。この続きは明日にしよう」
煌禿は有無を言わせず、早々に身支度をととのえ、湯殿から退った。
「じゃ、お言葉に甘えて」
あとに残された麗凜は寒さに耐えかね、湯につかる。
「ぁ、温かい。断然いつものお風呂とは格段に違う。気持ちのいいものね」
冷たい山颪が吹きすさぶが苦にならない。むしろ心地よい。
ふぅと息を吐く。
モヤは濃度をまして、先ほどまではっきりと見えた垣根すら見えなくなった。
どす黒い火山岩で囲まれた淵に背をあずけ、仰向く。
「星が流れたわ」
頭上で尾をひく小さな光が。
瑞兆のきざしか、はたまた凶事の知らせか。
いずれにせよ、考えることにも、驚かされることにも疲れ果てていた。
「そうだわ。まったりしている場合じゃないわ! またアレが戻ってきたらどうするのよ」
温まるか温まらないかで慌ただしく湯を出、身支度を整えるや足早に湯殿をあとにした。
§
「……もぅ、我慢の限界よ」
臨時皇子付きの侍女を買ってでたため、他国の侍女とて誰の目を憚ることはない。よし、と気合いをいれる。
「皇子様、伎玉にございます」
扉を前にして小さく声をかける。
「どうぞ。入っておいで」
すでに温泉旅行の一日目が終了し、一夜あけて二日目の朝。
西の穹にうっすら仄白い残月が青の中へ溶け残るなか、皇子の居室としてはやや粗末とおもわれる室の前に立っていた。
扉を開けると長椅子でまったりとくつろいでいた煌禿は身を起こし「やぁ、おはよう。よく眠れたかい?」と気遣って声をかけてくれた。
「……はぁ。おはようございます」と苦い笑いでかえす。
すでにお目覚めだったのか、或いは麗凜同様、眠れぬ一夜を過ごしたのか。
一本の蝋燭に火を灯されただけの薄暗い室の奥にある寝台は使われた形跡がまったくなくキレイなもので、麗凜が昨晩食事のお世話に入室した際のあの時のままだった。
卓子の上には何冊もの書架が広げられたまま乱雑に積み上げられている。
几帳面で書架を大切にする煌禿をおもえばありえない様だった。
「そうか。君もさぞや悶々とした眠れぬ一夜をすごしたようだね」
クスクスと穏やかに笑んだものとは裏腹に、煌禿の眸がどこか愁いて見える。
「皇子様。さっそくで申し訳ありませんが、昨夜のアレのことについてうかがいに参りました」
よくよく考えてみれば、あのような夜更けに煌禿ひとりで供もつれずに入浴するなど皇子としてあるまじき行為である。
何かしらの理由があって、というのならまだしも、いや、いずれにせよ意図的何かがあったに違いない。
何故なら煌禿は、あれらを見てさして驚きもせず、麗凜が現れたことには大いに驚いていた。
少なくともあとで説明してあげると言った煌禿にはなにかしらの答えをもっていると確信していた。
「人一倍探求心の強い君は知らないままにしておけないんだろうね」
よくおわかりで。
訊くは一時の恥、知らぬは一生の恥を格言として深く胸に刻んでいる。
疑問におもえば解るまで調べずにはいられない質なのだ。
「結局のところアレはなんだったんですか」
「ふぅむ。あれはね、ぬきの花婿行列だろう」
「はぃ? 花嫁行列じゃなく?」
「そうだよ。読んで字のごとく花婿が花嫁を迎えにいくための行列さ。どうやらぬきというのはこの一帯の雑魚妖怪どもを統べる大妖怪のようだ」
「なるほど。一体全体それが祟りとなんの関係性が?」
「それは僕にもわからない。ただ――――どこかで聞き覚えがあるような……そう思って書庫の古い文献を総ざらいしたところ、そこにたった数行、ぬきと呼ばれる大妖怪は花嫁募集中とあっただけだ」
まるで求人のような物言い。
文献ということはかなり古いものを指す。つまりは、長年にわたり代々受け継がれてきた言い伝えの類いとおもわれるが、なにせ煌禿自身も眉唾もののようで、たった数行ということもあり、真しやかには信じがたいようだ。
「実は幼い頃一度だけ曾祖父につれられこの離宮をおとずれたことがある。あの頃は今みたいに荒廃しておらず建物も壮麗で、賑わいもそこそこあって楽しかったことをよく覚えているよ」
やっぱり、と合点がいった。
一度来たことがあるのなら顔見知りの誰かしらがいたって不思議ではない。
「まさか、その時にアレを目撃したとか?」
「夢だと思っていたよ」――ククッと失笑する。
夢か幻か。確信をもてずにいた煌禿は確かめるべく、あの刻限、あの場所を訪ったのだろう。
「そこで僕らの疑問に答えられそうなものを朝一で呼んである。入れ」
「!?」
扉が重い音をたてて開かれ、スッと一筋のまばゆい陽光がさしこまれる。
鎧戸すらまだ開けられていない薄暗い室内へ朝の清々しさとともに一人の少年をあやなす。
「ぁ、あなたはあの時の!?」
時を同じくする。
「お待たせしました。恐山までの道先案内をおおせつかりました殷丹と申します」
馬上から一通りの口上をのべる。
殷禿の竜顔を拝する紫耀の武官はいない。
が、念には念を入れ、笠を目深にかぶり、使い古した濃紺の麻衣をまとい、その上から外套を羽織っていた。
「さっそくで悪いが案内を頼む」
紫耀の一団も殷禿と同じく外套を羽織っているが、腰に帯刀された刀剣がのぞく。
馬腹には弓箭とわずかな荷物を携えている。
どうやら皇女の護衛という面目上のものに偽りはないようだ。
「では参りましょうか」
馬首をめぐらす。
「急ぎますよ」
馬腹を蹴った。馬はつられて走り出す。
宮城の門扉をくぐり、一気に街道へとすすむ。
殷禿はこうして正々堂々、恐山へと旅立とうとしていた。
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