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第22話 鬼列の月下氷人

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夜の帳色をした髪先から、ぽたり、とつたった。

頭天で一朶に束ねられた長い髪は肩より下が濡れ、彼の形をくっきりと浮きぼらせる白妙の小袖は上気した桃色の肌を隠しきれないで、もてあましている。

きゅとしまった形のいいお尻。
すべての有象無象をそぎおとされたような美脚、その筋骨隆々美。

気なし、振り返った彼の胸元は大きくはだけ、それは腹筋の割れた臍下にまでおよび、外気にさらされ熱気を発する躯から目視不可能な色香がまきちらされた。

ーーくら、と眩暈におそわれ、意識が遠のく。

「…………」

もはや視姦といってさしつかえないだろう。
未知なるものへの探求心から一瞬とて目をそらせないでいると、驚きをはらんだ清らかなる目とからみあった。

「……ぇ!?」

どうしたことだろう。足早に煌禿はこちらへやってくる。

鼓動がはねた。

麗凜は逃げ場を探して左見右見する。うろたえた。

やましさ半分、人は追われると逃げたくなる。

半歩後退したその時、つるっと滑る。ーーウ、ソ、と思った。

「きゃ」を形作った唇が、あろうことか武骨で美しいあの指でふさがれ、麗凜の躯は煌禿の腕の中へすっぽりとおさまってしまった。

「――――大丈夫?」

色香むんむんのたくましい胸板が目の前にある。

「むむぅ!? (皇子様!?)」

大丈夫なはずがない!
目の玉をこれでもかとひんむく。

「むむぅん!! (放して!!)」

じたばたするも抱えこまれ身動きできないばかりか、抗議の一声をあげようにも口をふさがれ、自慢の舌戦に火をふかせることもできない。

悶々として見上げると、美麗な薄い唇に人差し指が押し当てられる。

「しっ!  訳はあとで説明するから、いい?」

耳元でそっと囁かれ、途端、腰がくったりと砕けた。

麗凜は心中で、はぅぅぅ、と奇声を発する。

腰から下がタコかイカにでもなってしまったようにまるで力がはいらない。

自力で立っていられず、くったりとした上体をぎゅと抱き抱えられた。

「……うん、いい子だ。決して大声をあげるんじゃないよ、あれをごらん」

もはや抵抗する気力さえないでいる。

力なく、こくこくと頷いてかえしながら煌禿の視線の先を追った。

「!?」

目を疑うような光景に絶句した。


天をも突かんばかりの鹿角をもつ雄牛。
ウサギの頭部をして筋肉むきむきのネズミ。
カタツムリの殻を背負ったカッパ。
全体は鯉のそれで、ヒレがあるはずの場所には手がはえ、尾ひれをはさんで無駄毛ぼうぼうの脚で二足歩行する魚男。
おそらく半魚人とくくってさしつかえないだろう。

ざっと目視できた異形の姿をしたモノたちは、それぞれ酒瓶やなにかしらを手にもち、露天風呂の垣根の向こうを、浮遊する火の玉によって先導されながら、道なき獣道をてんでわんやと囃し立てながら百鬼もの大群で練り歩いている。



【今、女の声がしなかったか?】

どき、とする。

人ならざるモノたちの聲だ。

その聲は波動に近く、へたすればうなり声まじりにも聴こえ、内容を理解できることから人にもっとも近い多彩な音域であることがわかる。

「…………」

見上げると、煌禿は、うん、と力強く頷く。

温泉からわきたつモヤの助けもあってあちら側から万が一にも見つかる可能性はないだろう。

煌禿の双眸が、大丈夫だよ、と告げている。

なら大丈夫なのだろうが。

相対して、こちらも露天風呂の全体すら把握することもできない。
おそらくこの露天風呂だけでも庭院にもうけられる池畔は軽くあろうかという広大なる規模をほこると思われる。

そこへ川から源泉をひきいれているらしく、運がいいんだか悪いんだか、たまたま引き入れ先である水路の上をわらわらと練り歩くあれらの会話が、そこからだだ漏れてくるようだ。


【いゃ? オレには何も聞こえなかったぞ】

ただでさえ抱き止とめられ、鼓動が弾んでいるというのに。

うっかり気を抜くと煌禿の吐息が鼻先をくすぐり、フッと意識が吹っ飛ぶ。

はぅぅんと奇声をあげたいのは山々であるが、ほんの少しの理性が今は自重すべきであるとうながす。

もしアレに気づかれでもしたらと思うとゾッとする。


【そういえば聞いたか? とうとう主様が花嫁を娶られるそうだ】

すると鹿角をもつ雄牛が手のひらを打った。

【もぅぅ、そいつはめでたい! おぬし、どのような方であるか知っておるのか?】

それに応じたのは、カタツムリの殻を背負ったカッパだった。

【何でも十四・五のたいそう美しい人間の娘だそうだ。ぬき様に見初められるとはなんたる強運をもつ娘だろうよ】

【だが、人間の娘とはいささかどうだろう? ぬき様のような大妖怪にそのような人間の娘を娶らせるというのは】

雄牛は難色をしめした。異種の婚姻はどちらからしても利のあるものではないだろうから頷ける。

【そうは言うが、あの、ぬき様がようやく花嫁を娶る気になられたのだ。それだけでもめでたいことじゃないか】

まぁな、と微妙な相槌をうつ。
雄牛にとって賛同しがたくなるような手痛い過去でも背負っているのか。

気になるが、むしろその人間の花嫁の方に興味がそそられる。

【その娘は承諾したのか? ぬき様はお優しいお方だ。婚礼で娘に泣かれでもしたらお心をいためられるのではないか?】

カッパカッパと言って首をふりつつ否定するカッパ。

【すでに承諾済みだとか。なんでもすでに御印をあたえられたそうだ】

【もぉぅぅ! ぬき様の御印といえば五つの斑点、御手形模様であるか】

【さ、なんにせよ、ぬき様のもとへ馳せ参じて寿ぎを申し上げねば】

めでたい、と言ってカッパは無邪気にやんやと踊りだす。

ぉぉ、と喜びの咆哮があげられるなか、カワウソのような妖怪が【ん? 人間の臭いがしないか?】警戒心をあらわにした。

「!」

風向きが変わった。
麗凜たちの背後からそよそよと吹く。いつの間にやら風上になっている。

自由気ままにそよ吹く風は突如として敵になった。
モヤが晴れだす。
このままではあちらから丸見えになるのは必至。

「…………」

不安にかられると、それを察した煌禿の手がぎゅと力がこめられる。

大事ない、そう伝わってくる。
きっとこの人なら守ってくれる。
麗凜もまた煌禿の腕をぎゅぅぅと握りかえす。

「!?」

煌禿は驚いて見下げたが、ニッと柔和に笑む。

心配はしてない、そう告げたかっただけなのだが、あろうことか煌禿はきつく抱きしめてきた。

もぅ、と嘆息を吐きたくなったが雄牛が麗凜の代わりに【もぅぅぅ!!】と咆哮をあげた。

カッと蹄を鳴らした雄牛は、今にも飛びかからんばかりの勢いそのままで高らかと告げた。

【いたとしてもどうせ婆さんか爺さんだろ。そんなよぼよぼした奴らが束になってかかってきたとして何になる? 悉く返り討ちにしてやる。てか、そもそもこんな夜遅くに起きちゃいないだろうし、たまたま起きていたとして、どうせ厠へ直行だろ】

カッカと大笑してみせた雄牛は小馬鹿にして、ふん、と鼻を鳴らした。

けれど警戒心の強いカワウソは【そうとばかりは言えんぞぃ。先頃そこな廃墟を手直ししておったぞぃ。また王族の誰かがやってくるのかもしれんぞぃ。まったく迷惑なはなしぞぃ】と愚痴をつらねる。

【違いない。急ごう】

やんやと妖怪御一行様は嵐のごとく去っていった。


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