22 / 35
第22話 鬼列の月下氷人
しおりを挟む夜の帳色をした髪先から、ぽたり、とつたった。
頭天で一朶に束ねられた長い髪は肩より下が濡れ、彼の形をくっきりと浮きぼらせる白妙の小袖は上気した桃色の肌を隠しきれないで、もてあましている。
きゅとしまった形のいいお尻。
すべての有象無象をそぎおとされたような美脚、その筋骨隆々美。
気なし、振り返った彼の胸元は大きくはだけ、それは腹筋の割れた臍下にまでおよび、外気にさらされ熱気を発する躯から目視不可能な色香がまきちらされた。
ーーくら、と眩暈におそわれ、意識が遠のく。
「…………」
もはや視姦といってさしつかえないだろう。
未知なるものへの探求心から一瞬とて目をそらせないでいると、驚きをはらんだ清らかなる目とからみあった。
「……ぇ!?」
どうしたことだろう。足早に煌禿はこちらへやってくる。
鼓動がはねた。
麗凜は逃げ場を探して左見右見する。うろたえた。
やましさ半分、人は追われると逃げたくなる。
半歩後退したその時、つるっと滑る。ーーウ、ソ、と思った。
「きゃ」を形作った唇が、あろうことか武骨で美しいあの指でふさがれ、麗凜の躯は煌禿の腕の中へすっぽりとおさまってしまった。
「――――大丈夫?」
色香むんむんのたくましい胸板が目の前にある。
「むむぅ!? (皇子様!?)」
大丈夫なはずがない!
目の玉をこれでもかとひんむく。
「むむぅん!! (放して!!)」
じたばたするも抱えこまれ身動きできないばかりか、抗議の一声をあげようにも口をふさがれ、自慢の舌戦に火をふかせることもできない。
悶々として見上げると、美麗な薄い唇に人差し指が押し当てられる。
「しっ! 訳はあとで説明するから、いい?」
耳元でそっと囁かれ、途端、腰がくったりと砕けた。
麗凜は心中で、はぅぅぅ、と奇声を発する。
腰から下がタコかイカにでもなってしまったようにまるで力がはいらない。
自力で立っていられず、くったりとした上体をぎゅと抱き抱えられた。
「……うん、いい子だ。決して大声をあげるんじゃないよ、あれをごらん」
もはや抵抗する気力さえないでいる。
力なく、こくこくと頷いてかえしながら煌禿の視線の先を追った。
「!?」
目を疑うような光景に絶句した。
天をも突かんばかりの鹿角をもつ雄牛。
ウサギの頭部をして筋肉むきむきのネズミ。
カタツムリの殻を背負ったカッパ。
全体は鯉のそれで、ヒレがあるはずの場所には手がはえ、尾ひれをはさんで無駄毛ぼうぼうの脚で二足歩行する魚男。
おそらく半魚人とくくってさしつかえないだろう。
ざっと目視できた異形の姿をしたモノたちは、それぞれ酒瓶やなにかしらを手にもち、露天風呂の垣根の向こうを、浮遊する火の玉によって先導されながら、道なき獣道をてんでわんやと囃し立てながら百鬼もの大群で練り歩いている。
【今、女の声がしなかったか?】
どき、とする。
人ならざるモノたちの聲だ。
その聲は波動に近く、へたすればうなり声まじりにも聴こえ、内容を理解できることから人にもっとも近い多彩な音域であることがわかる。
「…………」
見上げると、煌禿は、うん、と力強く頷く。
温泉からわきたつモヤの助けもあってあちら側から万が一にも見つかる可能性はないだろう。
煌禿の双眸が、大丈夫だよ、と告げている。
なら大丈夫なのだろうが。
相対して、こちらも露天風呂の全体すら把握することもできない。
おそらくこの露天風呂だけでも庭院にもうけられる池畔は軽くあろうかという広大なる規模をほこると思われる。
そこへ川から源泉をひきいれているらしく、運がいいんだか悪いんだか、たまたま引き入れ先である水路の上をわらわらと練り歩くあれらの会話が、そこからだだ漏れてくるようだ。
【いゃ? オレには何も聞こえなかったぞ】
ただでさえ抱き止とめられ、鼓動が弾んでいるというのに。
うっかり気を抜くと煌禿の吐息が鼻先をくすぐり、フッと意識が吹っ飛ぶ。
はぅぅんと奇声をあげたいのは山々であるが、ほんの少しの理性が今は自重すべきであるとうながす。
もしアレに気づかれでもしたらと思うとゾッとする。
【そういえば聞いたか? とうとう主様が花嫁を娶られるそうだ】
すると鹿角をもつ雄牛が手のひらを打った。
【もぅぅ、そいつはめでたい! おぬし、どのような方であるか知っておるのか?】
それに応じたのは、カタツムリの殻を背負ったカッパだった。
【何でも十四・五のたいそう美しい人間の娘だそうだ。ぬき様に見初められるとはなんたる強運をもつ娘だろうよ】
【だが、人間の娘とはいささかどうだろう? ぬき様のような大妖怪にそのような人間の娘を娶らせるというのは】
雄牛は難色をしめした。異種の婚姻はどちらからしても利のあるものではないだろうから頷ける。
【そうは言うが、あの、ぬき様がようやく花嫁を娶る気になられたのだ。それだけでもめでたいことじゃないか】
まぁな、と微妙な相槌をうつ。
雄牛にとって賛同しがたくなるような手痛い過去でも背負っているのか。
気になるが、むしろその人間の花嫁の方に興味がそそられる。
【その娘は承諾したのか? ぬき様はお優しいお方だ。婚礼で娘に泣かれでもしたらお心をいためられるのではないか?】
カッパカッパと言って首をふりつつ否定するカッパ。
【すでに承諾済みだとか。なんでもすでに御印をあたえられたそうだ】
【もぉぅぅ! ぬき様の御印といえば五つの斑点、御手形模様であるか】
【さ、なんにせよ、ぬき様のもとへ馳せ参じて寿ぎを申し上げねば】
めでたい、と言ってカッパは無邪気にやんやと踊りだす。
ぉぉ、と喜びの咆哮があげられるなか、カワウソのような妖怪が【ん? 人間の臭いがしないか?】警戒心をあらわにした。
「!」
風向きが変わった。
麗凜たちの背後からそよそよと吹く。いつの間にやら風上になっている。
自由気ままにそよ吹く風は突如として敵になった。
モヤが晴れだす。
このままではあちらから丸見えになるのは必至。
「…………」
不安にかられると、それを察した煌禿の手がぎゅと力がこめられる。
大事ない、そう伝わってくる。
きっとこの人なら守ってくれる。
麗凜もまた煌禿の腕をぎゅぅぅと握りかえす。
「!?」
煌禿は驚いて見下げたが、ニッと柔和に笑む。
心配はしてない、そう告げたかっただけなのだが、あろうことか煌禿はきつく抱きしめてきた。
もぅ、と嘆息を吐きたくなったが雄牛が麗凜の代わりに【もぅぅぅ!!】と咆哮をあげた。
カッと蹄を鳴らした雄牛は、今にも飛びかからんばかりの勢いそのままで高らかと告げた。
【いたとしてもどうせ婆さんか爺さんだろ。そんなよぼよぼした奴らが束になってかかってきたとして何になる? 悉く返り討ちにしてやる。てか、そもそもこんな夜遅くに起きちゃいないだろうし、たまたま起きていたとして、どうせ厠へ直行だろ】
カッカと大笑してみせた雄牛は小馬鹿にして、ふん、と鼻を鳴らした。
けれど警戒心の強いカワウソは【そうとばかりは言えんぞぃ。先頃そこな廃墟を手直ししておったぞぃ。また王族の誰かがやってくるのかもしれんぞぃ。まったく迷惑なはなしぞぃ】と愚痴をつらねる。
【違いない。急ごう】
やんやと妖怪御一行様は嵐のごとく去っていった。
0
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説
「白い契約書:愛なき結婚に花を」
ゆる
恋愛
公爵家の若き夫人となったクラリティは、形式的な結婚に縛られながらも、公爵ガルフストリームと共に領地の危機に立ち向かう。次第に信頼を築き、本物の夫婦として歩み始める二人。困難を乗り越えた先に待つのは、公爵領の未来と二人の絆を結ぶ新たな始まりだった。
平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜
本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」
王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。
偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。
……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。
それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。
いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。
チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。
……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。
3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
運命の恋人は銀の騎士〜甘やかな独占愛の千一夜〜
藤谷藍
恋愛
今年こそは、王城での舞踏会に参加できますように……。素敵な出会いに憧れる侯爵令嬢リリアは、適齢期をとっくに超えた二十歳だというのに社交界デビューができていない。侍女と二人暮らし、ポーション作りで生計を立てつつ、舞踏会へ出る費用を工面していたある日。リリアは騎士団を指揮する青銀の髪の青年、ジェイドに森で出会った。気になる彼からその場は逃げ出したものの。王都での事件に巻き込まれ、それがきっかけで異国へと転移してしまいーー。その上、偶然にも転移をしたのはリリアだけではなくて……⁉︎ 思いがけず、人生の方向展開をすることに決めたリリアの、恋と冒険のドキドキファンタジーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる