16 / 35
第16話 聲の大きさ
しおりを挟む夕べのてんやわんやな荷造りを無事に終え、どうにか日の出とともに憬麟を出発した。
一行は名もなき秘湯にむけ馬車にゆられ、およそ五時間で目的地へ到着の予定だ。
輿入れ以来の馬車旅はあの時とはまた違ったドキドキがいっぱいで、目に飛び込んでくる全てのものが真新しい。
麗凜は目の下のクマさえ霞む温かな陽光に眸を輝かせていた。
「いいお天気ですね」
絶好の旅日より。しかし温度が上昇してこないのは、きっと標高のせいもある。
なだらかな傾斜を軽快にのぼっていく。
振り返ると伎玉や風鈴たちを乗せた後続の馬車が小さく見える。
王宮から離れるにつれ、町並みは集落に近くなり、そのうちに深緑に埋もれるれようにしてぽつぽつと民家の屋根らしきものが確認できた。
紫輝とそう変わらない景色。長閑で、田畑を掘り起こす農夫。河原で衣類を洗濯する女人。どこでもよく見られる光景も、よく見るとお国柄の違いもあって楽しくてならない。
国は違えど、貧富の差、日常の光景といったものはさほどかわりない。
なのに、人は生まれ落ちた瞬間に運命が決まる。
農夫であれば子も農夫に。
官吏であれば子もそれなりに。
貧乏は貧乏のまま。
抗えぬ運命の歯車によって人は懸命に生きている。
「…………」
気持ちが打ち沈んでいると「ぅーん」と小難しげな皇子の一言で我にかえった。
「伎玉。先程より何やら良い臭いが」
甘ったるい臭いが馬車に充満する。
「ぁぁ。そろそろ食べ頃ですね」
火鉢の中の炭を、よっこらせ、と天地返し。コロンと掘り起こす。
「その黒いものは何だい?」
「焼き芋ですよ」
「焼き芋!?」
「長旅にオヤツの一つもないんじゃつまらないでしょう? ただの焼き芋かとあなどるなかれ、簡単なくせしてとても美味しい! しかも腹持ちがよくて大満足のお菓子ですよ」
「ほぅ、素晴らしい!」
パチパチと手を叩いて称賛する皇子様。
「それはそうと。これは?」
筒状の陶器だ。くつくつと沸いている。
「お酒をお燗するやつです」
「それは存じておる」
「お湯を沸かすのにいいかと思って。そろそろ湯も沸いたことだし、お茶にしましょう」
粉砕された緑の粉をさらさらと溶かしいれる。
なるほど、と感心して頷かれると恥ずかしい気もするが。
「今さら君の突飛な行動には驚きもしないよ」
そりゃそうだ。
熱々の薩摩芋を二つに手おる。それを懐紙でくるみ、皇子に手渡した。
「景色も最高ですし、たまにはこういう遠出もいいものですね」
こぽこぽと茶杯に注ぎ手渡す。
「うん。絶景だね」
堪能しつつ二人で茶をすすった。
窓のむこうは町並みから山景へ。
緑なす白樺やら人には抗えぬ自然のなかへ突き進む。
「皇子様、お口に」
ふきふきと手巾で拭き取る。
「ありがとう。やはり君でよかった」
ご満悦そうに煌禿は柔らかく笑む。
「お役にたてて私も嬉しいです」
皇子様の馬車に同乗するにいたった経緯は以下のようなものからだ。
『皇子様に随行するはずだった侍女が急に腹痛でお供できなくなった』
困った、困った、とお困りの様子の侍従長官。
『まぁ、それはお気の毒に』
伎玉こと皇女が困り顔で言う。
いままさに出発するという間際に飛び込んだ アクシデントに、さすがににっちもさっちもいかぬ様子。
『あまりに急なため侍女を選ぼうにも皇子様がお許しにならぬ。どうしたものか』
気の合う、合わないということなのか。
普段、お茶を無償でお呼ばれする身だ。何かしらの役にたてればと、よくわからないまま麗凜は挙手する。
『私がやりましょうか』と。
それで皇子様と二人きりの馬車旅となったわけであるが。
「鹿だわ、あそこ!」
「急に立ったりしたら危なっ……」
ゴトンと音をたてて傾ぐ馬車。
「きゃ」
抱きすくめられ、見つめあった。呼吸がとまる。
唇と唇が触れるか触れないかの絶妙な距離で肩を抱かれたまま一拍分の時が流れた。
「大丈夫かい? ケガは?」
はた、と目が合ったまま。
キレイだ。
曇りもなく清くすんで。
兄とも違う。同じ年の少年とも異なる。男の人の目だ。
ドキリとする。
呼吸が弾んだ気がするのは気のせいだろう。
「……だ、大丈夫です」
いつもの侍女笑顔でかわした。
ちょっと意識してしまった、と皇子に言えば、図に乗る気がして言いそびれてしまった。
煌禿は安全を確認するようにして懐深くに麗凜を抱く。
「ちょっと待って。確認するから。何事だ」
外の従者に問う。
「脱走です」
「脱走?」
怪訝そうに煌禿の方眉がはねる。
「はい。年若い兵士が急に奇声をあげて隊を離脱したようで」
「奇声?」
「はぁ。ぬるき、とか、ぬき様とか? 詳細はいま確認中で兵にあとを追わせています」
「ぬるき? はて」
麗凜と顔を見合わせた。
「…………」
麗凜は首をふる。
博学に富む麗凜とて知らぬ名だ。
「わかった。脱走兵については引き続き捜索を頼む。何かわかり次第すぐに知らせてくれ」
「御意」
0
お気に入りに追加
58
あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。

【完結】100日後に処刑されるイグワーナ(悪役令嬢)は抜け毛スキルで無双する
みねバイヤーン
恋愛
せっかく悪役令嬢に転生したのに、もう断罪イベント終わって、牢屋にぶち込まれてるんですけどー。これは100日後に処刑されるイグワーナが、抜け毛操りスキルを使って無双し、自分を陥れた第一王子と聖女の妹をざまぁする、そんな物語。

噂の悪女が妻になりました
はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。
国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。
その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる