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第9話 紫陽花恋歌 (中)
しおりを挟む「あら、頭痛がすると思ったら」
扉半個分、ひらけた視界の先はあいにくの曇天だった。
殷禿の予想したとおりの空模様で、今にも降りだしそうである。
「やっと梅雨らしくなってきたわね。火鉢がまだ手離せそうにないわ、またお芋でも焼こうかしら」
扉を後ろ手に閉めた。
長い廻廊は平常どおりまったく人気がない。ひっそりとして閉鎖された特質な場所なのだと改めて実感する。
王宮とを区切るようにして桜の木々などが植えられた樹木が防壁となり、静寂で、それが隔離された閉塞的空間をかもしだしていた。
「まぁ、扱いにも困る厄介者でしょうから仕方がないわよね」
気持ちが理解できる分、わずらわしさも倍増された。
「どこに居ても一緒ね。私は厄介者でしかない。ホント何のために生まれてきたのかしらね」
桜並木を眺めながら、震える両腕を抱える。
きっと春になれば薄紅一色で、ここは桃源郷のようににぎやい、さぞや美しかろう。
今は深緑の萌える青葉が目を癒してくれる。
なのに霞んで見えるのはなぜだろう。
目縁に熱を帯びはじめるが、重みにたえかえる前に、ぐぃと袖口でぬぐった。
「誰もいないとダメね」
とても風鈴や伎玉の前では見せられない情けない姿。今ももし母が生きていたなら情け容赦なく罵倒されていただろう。
『こんな化け物、妾の子ではない!』
今朝の夢の続きが脳裏をよぎる。
「何なのかしらね、人の幸せって」
はぁ、と嘆息を吐き、しみじみと噛みしめる。
満たされて終わりではない尽きることのない欲望。
人の幸も不幸も、この世に生まれ落ちた星のもと、その定めによって多々左右され。右も左もどん詰まりで、多くの人が何者にもなれないでいる。
だが物語の結末はいつもかならず報われる。どんな困難や苦労、苦痛でさえも。
けれどどうだろう。現実で報われたという人の逸話は少ない。苦労は報われないから苦労なのだ。
『こんな化け物を産むと知っておれば妾は産むまでもなく死産させていたものを!』
今も耳にこびりついて消し去ることができない。
生まれた瞬間から麗凜に居場所などなかった。
嗚呼……人はなんて身勝手な生き物だろう。
「ツラさとか悲しみはどこへいくのかしらね」
仰いだ昊を黒くいびつな黒雲が巨大な魚影のようにゆうゆうと馳せる。
私がいつ産んでくださいと頼んだ?
親が子供をえらべないように、子供もまた親を選べないのよ?
吾子を愛せない、あんな大人にはなるものか!
そう呪いのように毎日言霊を吐いていた。
だが、想い描いていた大人に、そうなれたのだろうか?
「…………」
大人ってもっと物事に動じず、飄々として、なおかつ堂々としていたような気がする。
偉ぶって指図し、目上をたて。でも、それだけ?
誰かを傷つけ、それが簡単に許される。それっておかしくない?
何かを強要することも、また強いることも王族なら許されてしかるべき?
いや、違うはずだ。自発的な行動、言動、思想の自由こそが『人間』のあるべき姿だと思う。
苦しい時こそ助け合い、辛い時には寄り添い、嬉しい時には分かち合う。
誰にでも、この世に産まれてきていいんだよ、理由なんていならいよ、産まれてきてくれてありがとう、そう言える大人に私はなりたいのだ。
「きっと寒いから、心まで弱くさせるのね」
人の心はままならず、折れたり曲がりやすい。
それを誰かにさとらせてゆるされる立場ではない。どんなときも前を向き、何事にも動じず、肩肘はって誰かの前を歩き続けねばならない。
皇女という肩書きばかりが重く、ひとりでは何一つ成すこともできない無力な皇女。
なのに。きっと兄のことだから、王と皇子を籠絡してみせよ、とかのたまうのだろうが。
「母のように弱さも武器といえるぐらい私に魅力があれば、きっとこの状況でさえ打破できていたんでしょうけど」
首から下、足の先までを眺める。
胸はややある。谷間はけなげなほどささやか。腰はさほどくびれてはおらず。想像されるような、ボン、キュ、ボンからはほど遠く、泣きじゃくりたいほど妖艶さの欠片もない。
くやしいが、少し足りないぐらいの女が可愛い、そう言って笑った兄いわく。
「思わず助けたくなるような可愛いらしさ、って意味かしら? 普段はツンツンしていて? 意味不明よ。そこへきて、ふいにみせた女らしさ? あれがたまらないとも言ってたわ。それって普段は男のようにがさつで乱暴ってこと?」
ぅーん、と唸った。
いいお手本が数年前まで目の前にいたのに、母からは何一つ学べなかった。というより、母からは学びたくもないから別に痛くも痒くもない。
でも、役に立てることが一つでもあれば、誰かひとりぐらいは存在理由を肯定してくれる?
そうよ! 風鈴と伎玉がそうであるように。側にいてくれるだけで嬉しいものだ。
麗凜はむきになって 唐変木な意味不明な方へと先走る。
「さじ加減しだいってこと? ますます難易度があがったじゃないの。人には向き不向きがあるもの、兄上があきらめてくれるまでは憬麟の者には悪いけど、ここで暮らすいがいないわね」
ふぅ、と嘆息を吐く。
暮らすとなれば、この寒さにも慣れねば。
少し前までの初夏のおとずれのような暑かった日々が幻のよう。心までが冷えきり、上着を一枚羽織りたくなるほどだった。
「紫輝とはまた違った骨身にしみる寒さだわ」
昨晩の殷禿の姿を思い出す。
確かに昼日中からこの寒さともなれば、夜はもっとこたえるだろう。
となると風鈴が何かと世話をやく。
女の子は冷やしてはなりませぬ、など。くす、と苦笑がこみあげる。
「今ごろ皇子様とのお茶会を楽しんでいるかしら?」
再び廻廊を歩きだした。
少し軽くなった足取りは軽快な沓音をかき鳴らす。
「あらあら、厨房は大忙しのようね」
廻廊をぬけると女官たちや下女たちで大にぎわいな、もくもくと煙がわきたつ厨房がみえてきた。
どれほどの規模かまでは不明であるが、今まさに茶会が催されているだろうから、厨房はてんやわんやと慌ただしかろう。
蒸かしたて饅頭のいい臭いがする。
「そういえば朝食も昼食も抜きだったわ」
寝過ごしたので自業自得であるが、空腹であることに気づいてしまうと腹の虫がうずきだした。
「お饅頭ーーといえば紫輝の肉まんは最高よね、肉がぎっしり詰まっていて、味付けも美味」
憬麟のものは味付けも薄く、お上品にひとくちで口内におさまる。そのため味気なく感じていた。
「ぁぁ、お饅頭食べたい」
茶会にまるで興味のない麗凜は、腹は減れどそこへ加わる気もなく、邪魔にならぬよう人気のない所を歩く。
厨房を通りすぎ、東宮殿へとつづく廻廊を歩いていると長い宮女たちの列が。ぞろぞろとお膳をさげている。
「あら、もう終わった? いくらなんでも早すぎじゃ……」
ここは皇太子の宮殿の前、つまりはこの先が第三皇子の居処。茶会の会場である。
そろりそろりと会場である庭院、その中央に人目を避けながら歩み寄る。
四阿が見えてきた。
人払いされているのかまったく人気がない。
そぅと四阿をのぞくと沈痛な面持ちでいすに座した煌禿の姿があった。
「あら、もうおひらきですか?」
つとめて明るげにふる。
「おゃ?」
振り返りはしたが煌禿は驚きもしなかった。
ひょっこり顔をだした麗凜の姿を見て煌禿は浮かなげな表情を少しだけ崩し、柔らかく笑んでむかえた。
「来てくれたんだね、ありがとう。ひどく落ち込んでいたところに君がきてくれてホント救われたよ」
言葉どおり煌禿は地獄で仏様にでもあったように麗凜にすがるようにして柔和に笑む。
「すぐにお茶を用意しよう、そこにかけて」
煌禿の救われる発言に疑問符がわくが、前回と同じ場所に煌禿と対面に座す。
言葉どおり、待たずに麗凜の前に一揃えの茶器と菓子などが並べられていった。
「あら、これは紫輝のお饅頭!?」
これは渡りに船、棚からぼた餅!? 麗凜の眸がパァと輝く。
「そうだよ。君のために作らせた。約束したろう? 次は紫輝のおやつを用意しておくって」
そんな些細なしもじもとの約束すらもこの人はおろそかにしたりもしない。どうやらこの人のことを軽薄そうと誤解していたのかも。
華やかな容姿に人をひきよせる魅力。それを人はカリスマと呼ぶ人もいるけれど、麗凜にとって今まで出会ったことのタイプには違いない。
「さぁどうぞ、存分に召し上がれ」
本日のお茶は侍女が淹れてくれた。
目の前におかれた茶杯から白濁の湯気がもくもくと沸き立つ。
寒かったのでありがたい。
「では、遠慮なくいただきます」
茶杯を鼻に近づけると味わい慣れたジャスミンが馨る。
紫輝でも緑茶は最高級品であるが、麗凜はジャスミンがお気に入りで憬麟にやってきてからもジャスミンはかかさず飲んでいた。
少し熱めなのにそれは口腔をスっと通る。後味も爽やか。胃の腑から温まる。するとすごく落ちつく。
はぁ、と一息つくとホカホカとした蒸かしたて饅頭に手をのばす。
大きくて麗凜の拳、二個分はあろうかという大きな饅頭は白くて艶々とした皮、力を少しこめただけで指がくいこむ。
はむ、と一口噛った。
「美味しい」
まん丸くして目をむくと対面に座した煌禿の目がそれまでにないほど優しく微笑まれた。
「紫輝の出のものに作らせたけど、紫輝のものと遜色はない?」
「ぇぇ、何ら。懐かしい味です」
「紫輝に帰りたい?」
どう答えたものだろう。迷いながらも、小さく答える。
「ぇぇ」
「そぅか。住み慣れた土地ほどいいものはないというからね。僕も理解できるよ」
「…………」
しばらく無言のまま麗凜はむしゃむしゃと肉まんを頬張りつづける。
「……ぁの……」
「なに?」
「食べずらいです。ずっと見られていたら。何か顔についてます?」
「ぃゃ、ごめんね。あまりにもいい食べっぷりのうえ美味しそうにしているものだからつい」
「あのぅ、二つほどいただいていっても?」
きっと風鈴と伎玉が喜ぶだろう。この寒空に肉まんだ。それに紫輝の味が恋しいだろう。
「二つといわず全部いいよ」
「いいんです、二つで」
「そぅ。なら包ませよう、これ」
侍女が卓上にならんだ饅頭を料紙に一つづつ包む。
「ありがとうございます」
それを受け取り、くるりと皇子に背をむけると事もあろうにそれを衣のあいさにしまいこむ。
向き直ると絶句して息を飲む皇子の喉仏がゴクリと音をたてた。
「!?」
皇子の真ん丸な眸が驚きをかくせずにキョトンと正視する。もはやガン見といっていい。
「一石二鳥でしょう? 温かいし女子力もあがる。どうですか、妖艶ですか?」
すると皇子は声をあげ、誰はばかることなく笑声をあげた。
「ハハッ。もしかして、それって巨乳のつもりかい? 確かに魅力的だよ!」
ついには腹を抱えだした。
「横っ腹がっ!? 」
今度は痛みを訴えだした。失礼な。
「医官を呼びましょうか?」
どれだけ皮肉を浴びせようとも煌禿の笑いを止めることはできなかった。
むしろ火に油を注ぐかのように、麗凜の胸元を注視し、火がついたように爆笑しつづける。
「…………」
困惑しつつ麗凜は煌禿という人物の、皇子でもない、憬麟の皇太子のそれでもない、ありのままの素の姿を垣間見た気がした。
無邪気で子供っぽい。すべてのわずらわしいものを取っ払った姿は今までみせたどの煌禿より、ずっといい。
こんな彼の姿を何人の人が理解してくれているのだろう。
「こんなに笑わされたのは久方ぶりだよ。さすが僕のお姫様だ」
「でしょうね。顎はご無事ですか? はずれなくてようございましたね」
「気遣いをありがとう。おかげで気分がようやく浮上したよ。紫輝の話でも聞かせてくれないだろうか」
「なぜ?」
「僕のお姫様のことをもっと知りたいから」
それでもどこか精神的にまいっている様子は変わらない。麗しいお顔が愁いて見える。
「何かあったのですか?」
煌びやかな印象のある雅さが煌禿からは感じられない。一体彼をここまで悩ませる事態とは?
気になるが消沈しきった煌禿の姿をみれば背中のひとつも擦ってやりたくなる。
思い悩んだそぶりで頤をなでた煌禿は、しばし沈黙し、ややあってから口を開いた。
「君には隠し事ができないね。それがね、子息のひとりが皇女様に無礼をはたらいてね。それで急におひらきとなったんだ。皇女様には申し訳ないことをしてしまった」
「無礼? それはどういう……」
「実は…………」
『この方が紫輝の深窓の姫君ですか、さすがお美しい』
有力貴族の子息を招いたお茶会に伎玉と風鈴たちも同席していた。
同じ年ぐらいの子息ばかりで、憬麟と紫輝との交流をかねた気楽なお茶会のはずだった。
『そこもと、無礼であろう。紫輝の第四皇女といえば世にその名を轟かせし菊花の君。紫輝の太祖の正妃の生まれ変わりだという』
『それはどういう…………』
『知らぬのか? 太祖の正妃は金色の髪をした菊花の化身、天仙女だったという。飛仙でもあった菊花の君が地上を散策中、太祖にみそめられたことに端を発するらしい』
『ほぅ? それで?』
『詳細までは存ぜぬが、菊花の君を得る者は世界を征する、という文言は有名だ。その生まれ変わりだとされるの姫は代々菊花の君と称されるという』
『へぇ』
風鈴と伎玉は十数人ほどの子息に囲まれ、この時までは和やかに談笑していたという。
だが見るからに無作法な、顔中に出来物のある青年がそれをぶち壊した。
『深窓の姫君だ!? ただの厄介払いに憬麟におしつけられただけだろうが』
『!?』
一気に険悪な空気が漂いはじめる。
喩え心の奥底で思っていても、それを態度や口に出さないのが大人であり、またそれが外交というものである。
それをぶち壊してしまったのだから主催者である皇子からすれば面目丸つぶれであり、いい赤っ恥をかかされたといえよう。
『紫輝の方が格上の大国だからって憬麟は侮られすぎじゃ…………』
『そこまでだ』
底ごもりした美声が響きわたった。
『そやつをただちにつまみ出せ!』
『!?』
一同が一瞬にして凍りついた。
あの穏やかで優雅な皇子が声を荒げたのだから。
『な、何も間違ったことは……』
そう言って男はその場にくずおれる。
煌禿の表情はいつもの穏やかなものの、明らかに立腹し、男を見下げた様子は卑しいものでも見るよう。
『聞こえぬのか? それとも皇太子である我が命に従えぬというのか?』
「!?」
麗凜は怒りにまかせ気づけば椅子を蹴倒していた。
歓迎されているとはさすがに楽観視していたわけではない。
だがここまで蔑まれなければならないほどの覚えもない。
「部下にそれなりの重鎮の子息をと指示したぼくが悪い。今にして思えば人となりの礼節をおもんじる者を招くべきだった。すまないことをした」
「…………」
きっと数多の皇女たちが通ってきた道だ。
見ず知らずの他国へ単身嫁がされ、どこの馬の骨ともつかないような扱いを受け、それをどうにか和らげ土地に馴染もうと死ぬまで心血をそそいできたはずだ。
それは男たちには理解しがたい大変な苦労だったろう。今さらながら自らのおかれた状況をおもいしらされた。
もし、自分の娘がそうした苦労のもとにある状況下にあつたとしたらどう思うだろう。
それが兄妹、大切な人がそうした仕打ちにあっていたら?
以前から女の苦労はすべて偏見にあると感じていた。
人は卑下し、差別し、偏見でもって人を格付けしたがるからだ。
女というだけで教養もなく侮蔑の対象としたがるけいこうにあるのは、すべての原因が社会形態が男社会に傾倒し、か弱い女性を弱者として見下していることに起因すると。
だとしたらーーーー
何と戦えばいいのだろう。
偏見? それとも差別? 或いは社会?
そこまでは書架は教えてくれなかった。
だったら誰に尋ねればその答えを教えてくれるのだろう。
引きこもって他人を拒絶してきた天罰なのか。人との正しいつきあい方、向き合いかたを知らない。学んでこなかった怠惰な自分への罰にしては酷すぎる。
「…………」
主人をなじられた風鈴と伎玉はどう思っただろう。
本来それらの罵倒は麗凜にむけられてしかるべき。
可哀想なことをした、二人に顔向けできない。
「どうした? 大丈夫?」
スッと長い指がのびる。
「……ゃ」
麗凜はそれをかわすように身をひるがえした。
「気を……悪くさせてしまったね、ごめん。でもこれだけは信じて欲しい。君が好きなんだ。だから僕までも拒絶しないでほしい」
頼む、そう懇願した唇は苦しげにきつく結ばれた。
真摯な眸は訴えかけるように切なげにうるむ。
きっとこの皇子が悪いわけではない。いや、麗凜に許しを乞う必要もまったくない。にもかかわらず無礼者のかわりに、普通なら卑しい立場の他国の侍女風情にここまで謝ってくれる。
けれど、どんなに優しい声音も、気遣ってくれる仕草も、どれもこれも建前上のものにしか見えなくなっていた。
「……ごめんなさい、気分がっ」
席をたとうとした瞬間。
「こんな所で何をしておる!?」
不意に手首をつかまれた。
「…………王様?」
強引に手をひかれ、振り返ると、いすくめるような強い眼差しがいつしか憤怒の形相へとかわる。そのただならぬ煌禿との親密さに殷禿は怒りを隠そうともしない。
「痛っ……」
手首が握りつぶされそうだ。やわい肉にごつい指がくいこんでいる。
「陛下? なぜこのような所に?」
煌禿は訳もわからぬ様子で立ち上がり礼をとる。
「この者が痛がっております。手をお離しください」
「…………」
だが殷禿は煌禿にはかまわず麗凜をみおろす。
「余との約束があるにもかかわらず、どうしてこのような場所におる!?」
詰問されるような厳しい口調。殷禿のこのような姿を目にしたのは初めてだ。物言う目が烈火のごとく怒りでふるえている。
「王様のお約束よりずっと前からの先約にございます」
「なに!?」
「王様とは、王宮と殿に参るようにというこだけで、時間も正確にはお約束しておりません」
「!?」
怒り狂う眸に迷いが生じた。首をかしげる。
「だったとしても優先順位というものがあろう」
「ですから私は先約を優先いたしましたが、それが何か?」
いつもの物言いが災いしてか再びぎゅと力がこめられる。
痛みにたえかね、もろに顔に苦痛ですとあらわれる。
「こやつめっ、余に反論するとは!」
「兄上、いえ、陛下。わたしからもお詫びいたします。ですからどうか手を離してやってください」
割って入るが激昂する殷禿は耳をかそうともしなかった。
「えぇーぃ。うるさいっ! 口答えばかりするな!! つべこべ言わずに着いてこい」
「でも!?」
強引に手首をひかれ、乱暴に歩き出す。
「ぉ、王様!? ま、待ってください、お待ちを。皇子様……」
振り返り、煌禿を一瞥する。
冷静になってみれば、皇子に落ち度があったとしても丁寧に詫びてくれた。だから気にしないでくれとの一言だけでもちゃんと伝えたい。
「王様!」
手を振り払おうとするが殷禿はびくともしなかった。
「ならぬ!! 行くぞ!」
「……ぁ……」
強引に手をひかれ、四阿をあとにした。
§
「いいのですか、あのまま行かせても?」
皇子付きの内官が側によって耳打つ。
気だるげに腰をおろした煌禿は、茶杯を取り、手の内で転がす。
「仕方がなかろう。だが今だけだ。そぅ、今だけ」
ぎゅと力をこめるとそれは、パリン、と音をたてて木っ端微塵に粉砕された。
元の砂にもどされた茶杯は皇子の手からさらさらと飛び立つ。
砂塵となり残された手のひらには傷ひとつない。
「たまたま運のよかっただけの人間などしょせん王の器ではない」
そう冷たく吐き捨てられた言葉は春雷によってかきけされた。
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