上 下
54 / 125
3章 同性愛と崩壊する心

11 母が歩いた道

しおりを挟む
 様々な想いが胸を駆け巡る中、夜明け前のこんな早くから私の目の前ではマイヤーさんがせっせとお洗濯をしてくれています。

 何のために沸かしているのかとずっと不思議に思っていたお湯を桶の中に入れて、それと倍以上の水を桶の中に入れながら何やら温度調節をしている様子のマイヤーさん。右手を桶の中に入れて軽く中の液体を躍らせると、

「よし。頃合いですね」

 そう言いながら、麻袋の中から取り出した白い粉を桶の中に入れて軽くかき混ぜるとお母様のドレスを桶の中の液体に優しく浸し、ときおり泳がせるように混ぜました。

「これでよしっと。後は待つだけですね」

「えっ? これだけでいいんですか? もっとゴシゴシ擦らないと汚れが取れないんじゃあ……」

「ーーーーふふっ。このドレスはシルクで作られていますから、ゴシゴシ擦ると生地が傷んでしまいます。こうやってつけ置きしてから、優しく優しく濯いでお洗濯するのが一番生地が喜ぶんですよ」

「そうなんですね……」

 知りませんでした。ゴシゴシ擦ると生地が傷んでしまうだなんて初耳です。だとしたら、先ほどマイヤーさんに出会えたのはかなりの幸運と言えますね。

 私一人で洗い場まで来ていたら、間違いなく力任せに洗って大切なドレスをボロボロにしていたに違いありませんから。

 あの暗闇の中、一人で辿り着けたかどうかも怪しいものですが。

「さっき入れた粉は何ですか? いつもの洗剤とは違うようですが……」

「あれは、汚れがよく落ちる漂白剤のようなものですね。天然由来のもので肌にも優しい魔法の粉みたいなものです」

「そんなものがあるんですね。私の知らないことばかりです」

「こういったものは私達が使用するものですから、お嬢様は知らなくて当然です」

 マイヤーさんは優しい笑みを浮かべてそう言います。

 私は知らなくて当然、ですか。

 お母様も知らなかったのでしょうか。

 いえ、お母様は何でも知っていましたからきっとお洗濯の方法も道具も知っていた筈です。

「あの……マイヤーさん」

「はい?」

「私に教えていただけます? お洗濯の仕方」

「お嬢様に?」

 マイヤーさんは驚いた様子でそう言うと、右手で口元を押さえて笑います。

 そして、

「やはり親子なんですね。まさかお二人から同じお願いをされるだなんて、思ってもみませんでした」

「えっ?」

「今から二十年ほど前の事でしょうか、旦那様と御結婚なされこのお屋敷に来たばかりの頃のルクス様にも同じ事をお願いされたんですよ。いつか生まれてくるであろう自分の子供に教えてあげたいからって」

「お母様が⁉︎」

「ええ。奥様は厳格な御両親の元で質の良い教育をみっちりと施されて育ったそうです。なので私達、使用人がやるような料理やお洗濯といった仕事は体験した事がほとんどないんです。今までもこれからもそれらの仕事は全部私達、使用人がやりますからね。なのに、奥様はなぜか未来の我が子にそれらを教えてあげたいとおっしゃったんです」

「それは……なぜでしょう?」

「なぜでしょうね……正解は私にも分かりません」

「立派な貴婦人になるために、必要な事だった……とかでしょうか?」

「ーーーーいいえ。奥様はすでに誰が見ても、例え王族の方々がご覧になられたとしても素晴らしいと口にするほどのご立派な貴婦人であられました」

「では……いったい……」

「そうですね……私もこのお屋敷で働く前は別のお屋敷で働いていたんですが、普通なら厳しい教育を終えて立派な貴婦人となったのならそこで終わってしまうんです。もちろんお勉強はずっと続けていくのでしょうが、それは今の状態であり続けるためのものであって今までやってきた教育とは全く違うもののように思うのです。現状を維持するための間に合わせのようなもの、と言えば分かりやすいでしょうか……」

「何となく分かります。目標を達成した事に満足してその場に留まり続けてしまうみたいな事ですよね?」

「そうですね。別にそれが悪いとは思いませんし今までのご苦労を考えれば、まずはゆっくりとお休み下さいと私は思うのですが奥様は違いました。どんどん新たな事を学んで、どんどん成長しようとなされるんです」

「…………」

「最初はなぜそこまで頑張るのかが私には理解が出来ませんでした。しかしそんなお姿を間近でいると私としても負けられないと言うか、勝手に奥様の事をライバル視して自分に割り当てられた仕事以外の事もこなすようになっていました。そしてある日、私は気付いたんです。ああそうか、奥様は貴婦人ではない別の何かになろうとしているんだって……今はその準備中なんだって……」

「別の……何か……?」

「ーーーーはい。奥様はきっと、母親になるための準備をなされていたんです」







しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

お姉様のお下がりはもう結構です。

ぽんぽこ@書籍発売中!!
恋愛
侯爵令嬢であるシャーロットには、双子の姉がいた。 慎ましやかなシャーロットとは違い、姉のアンジェリカは気に入ったモノは手に入れないと気が済まない強欲な性格の持ち主。気に入った男は家に囲い込み、毎日のように遊び呆けていた。 「王子と婚約したし、飼っていた男たちはもう要らないわ。だからシャーロットに譲ってあげる」 ある日シャーロットは、姉が屋敷で囲っていた四人の男たちを預かることになってしまう。 幼い頃から姉のお下がりをばかり受け取っていたシャーロットも、今回ばかりは怒りをあらわにする。 「お姉様、これはあんまりです!」 「これからわたくしは殿下の妻になるのよ? お古相手に構ってなんかいられないわよ」 ただでさえ今の侯爵家は経営難で家計は火の車。当主である父は姉を溺愛していて話を聞かず、シャーロットの味方になってくれる人間はいない。 しかも譲られた男たちの中にはシャーロットが一目惚れした人物もいて……。 「お前には従うが、心まで許すつもりはない」 しかしその人物であるリオンは家族を人質に取られ、侯爵家の一員であるシャーロットに激しい嫌悪感を示す。 だが姉とは正反対に真面目な彼女の生き方を見て、リオンの態度は次第に軟化していき……? 表紙:ノーコピーライトガール様より

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

七年間の婚約は今日で終わりを迎えます

hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

伯爵令嬢が婚約破棄され、兄の騎士団長が激怒した。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

処理中です...