奥様はとても献身的

埴輪

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≪現在③≫

7 前

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 かつて、文香と優が使っていた寝室はあの頃とまったく変わらない。
 ベッドもシーツも、カーテンや家具の位置まで。
 
 全て文香の記憶の通りだ。

「……」

 記憶の通りだからこそ、身体が自然と強張る。
 呼吸が一瞬止まったのは、きっとこの寝室の中の空気があまりにも以前と同じで、まるで時間が止まったような、あの夜、あの朝に起きた出来事がまるでつい昨日のことのように文香を乱そうとしているからだ。

「大丈夫? ふみちゃん」

 文香の手を引っ張ってくれるさくらの存在が無ければ、きっと文香は顔を上げることができなかった。
 ひりひりと肌を焦がすような視線を向ける優に顔を合わせようと思わなかっただろう。

「大丈夫か? 文香」

 不安と心配の色を滲ませ、座っていたベッドから立ち上がり、こちらに手を伸ばそうとする優に文香はつい顔を逸らす。
 逸らした瞬間に見えた優は力なく笑っていた。
 文香の態度に傷ついたように見えたのはきっと錯覚ではない。
 ぎゅっとさくらの手を握りしめ、その背中に無意識に隠れようとする文香を見た優はきっととても傷ついただろう。
 文香は優の気持ちを察していた。
 
 悪いとは思わない。
 二人はもう別れたのだから。
 それでも後ろめたさだけは消えて無くならない。
 傷ついた優に罪悪感が湧く。
 そんなものはもうとっくに捨てたと思っていた。
 捨てなくてはならないと思っていたのに。
 不健康な姿につい心配する自分がいる。
 力ない笑顔に不安を覚える自分がいる。
 利用されていると知らず、知った後も事情を聞かずに文香を必死に求める優に、その危うい姿に、文香は最後まで冷静ではいられなかった。
 それでも文香は自分がどれだけ最低なことをしているのか自覚した上で優の精と愛を絞り、夫であるさくらに分け与え続けた。
 後悔はしていない。
 
 優に抱かれるたびに文香は自分の中で密かにくすぶり続けた感情を柔らかく消していく。
 どんなに激しく、優しく優に抱かれ、その未練がましい愛を感じても、自分の心はもう昔のようにときめかない。
 ただただその終わった愛がどこか悲しく、寂しく、優を哀れんでいる。
 酷い女だ。
 
 優に抱かれるたびに、文香は自分がいかにさくらを愛しているのかを確認し、さくらに対する愛がまた深まって行く気がした。
 文香は結局最初から最後まで優を利用している。
 本当に、酷い女だ。

「ごめんな…… 俺が我儘を言ったから」

 そんな女の企みを知ったというのに、どうして優は微笑んでいられるのだろう。

「どうしても、最期に文香をここで抱きたかったんだ」

 再会してから、優の笑顔はどこか危うく、痛々しいものばかりだ。
 まるで笑うことをずっと忘れていたような、不器用な笑みばかり見て来た。
 文香の知る優はとても自然に朗らかに笑う。
 眩しいぐらいに輝いて、清涼な空気すら感じる爽やかな笑顔を持つ男だ。
 だからこそ再会した当初に見た優の陰のある笑顔は文香に違和感を与えたし、そこで初めて文香は三年分の空白を実感した。
 この三年間で文香が劇的に変わった様に、優とて変わる。
 身に染みて分かっているはずなのに。

「文香……」

 今更、どうして。
 そんな、心穏やかな笑みで文香を見つめるのだろう。

「ごめん」
「……」
「愛してるんだ」
 
 文香にとって忌まわしい記憶しか残っていない寝室。
 ベッド近くで、気づけば文香はさくらと優に挟まれ、満足に身動きもできない檻に閉じ込められていた。
 本能的に沸き上がる危機感に、伺うようにさくらを見上げる。

「そんな不安そうな顔しないでよ」

 見上げたさくらは文香の腰を緩く、しっかりと拘束する。
 繋がっていた手が離れたのが寂しくて、腰に回るさくらの手に文香は無意識に縋る様に手を置いた。
 指輪はない。
 そこまで厚顔無恥にはなれなかった。

 さくらはそんな文香を底意地の悪い笑顔を浮かべながら見下す。

「もっと、いじめたくなるだろう?」

 近づいて来るさくらの顔に咄嗟に目を瞑り、唇に当たる感触につい力が緩む。

「んっ……」

 キスされている。
 優の見ている前で、さくらにキスされているという事実に、文香は未だどうしていいのか分からなかった。
 かつて、文香と優が使っていた寝室はあの頃とまったく変わらない。
 ベッドもシーツも、カーテンや家具の位置まで。
 しかし、優の視線を感じながらさくらの唇を受け入れる文香は、唐突に一つだけ変わったことを思い出す。

「はっ……」

 息を乱し、さくらの唇から解放された文香は涙目のまま、無意識に視線をベッドに、その脇のサイドテーブルに向ける。

(写真……)

 眩しいほどの若さと希望、愛情に満ちた文香と優の写真。

 青空を背景に純白の衣装に身を包んだ二人の笑顔はどこにもない。
 さくらの舌を受け入れながら、文香はそんなことに気づく自分がとても不道徳に思えた。
 今更、そんなことを思うのは。

「文香」

 優が、いるからだ。

「は…… はぁ、」

 ちゅっと、さくらの唇が離れていく。
 カーテンが閉められた寝室にそのリップ音はやたらと大きく響いた。

「文香……」 

 優の声は不自然なほど穏やかに、熱っぽく文香の耳を撫でる。

「……苦しいのか?」

 目元を朱色に染める文香。
 睫毛が微かに揺れるのをじっと見つめ、指でその涙を柔らかく拭った。
 今度は、優が文香の顔を固定する。
 じっと、見つめて来る優の視線から文香は目を逸らした。
 不安気な、文香を心配するような視線。
 その中に混じるどこか不穏な色と隠し切れない程度に上擦った声。
 例え視線から逃げることができても、その掌の熱からは逃げられない。
 欲情に染まった声もまたしつこく文香を追いかける。
 見ないで欲しかった。
 後ろめたさや羞恥、その他色々混ざった複雑な心。
 けど、きっと文香が最も拒絶したいのは、背中に感じるさくらの熱だ。
 
 さくらが見ている。
 優に欲情される自分をさくらが見ている。
 そのことが、とても嫌だった。
 
 文香の唇を堪能したさくらは舌なめずりしながら文香を背後から拘束し、にやにやと揶揄うように笑う。

「苦しいんじゃなくて感じてるんだよ」

 さくらの口調は相変わらず意地悪で、そのくせ甘い。
 
「ね? ふみちゃんは僕とのキスが大好きだもんね? 今のキスでもう、」
「っ……」

 さくらの手が文香の腰を撫でる。

「ほら…… 濡れてる」

 這う様になんの色気もないジーンズ越しに陰部に触れるさくらに、文香は今度こそ顔を真っ赤にした。
 唇を噛みしめながら、さくらの言う通りじんわりと濡れたショーツに文香は太ももを擦り合わせる。

「可愛いだろう? 僕の奥さんは」

 文香はこの息詰まるような緊張感に呼吸が止まりにそうになった。
 きっと、気のせいではない。
 今、この寝室に流れるピリピリとするような、それでいて泥のように重く沈みゆくような空気は。

「……知ってるよ」

 静かなはずの、二人の男の熱も。

「お前に言われなくても、な」

 だから、その間に挟まれる文香が一番苦しい。
 文香はこれが夢ではないかと未だ疑っていた。
 だって、こんなこと想像もしていなかった。
 さくらのためならどんなことも、どんな辱めも受け入れようと覚悟していた。

「文香」

 それでも文香はまだまだ甘かったのだ。

「……ごめんな」

 優の謝罪の真意を知る余裕もなく、文香は優に顎を固定される。
 そして、頬を優に撫でられながら、さくらの見ている前で優にキスされた。
 まるで上書きしようとするかのように。
 
 そんなの、もう手遅れだと知りながら。






 優にキスされ、そしてさくらにまたキスされる。
 二人共容赦なく文香の口の中を暴き、舌が痺れるほど、唇がふやけそうになるほど激しく、時折優しく文香をとろとろにさせていく。
 息する間もない。

「ぁ、」

 腰がくだけそうな文香をさくらと優が支え、気づけばベッドの上に移動していた。  
 布団で寝ることに慣れた文香は懐かしいベッドの軋みに、ぼうっとしていた意識が少しだけ浮上する。
 冷たいシーツが頬の火照りを冷まし、文香は寝室に漂うさくらの甘いフェロモンの匂いを嗅いだ。
 そして、それとは別に理性を失いかけた文香の本能が一瞬だけ嗅ぎ取った懐かしい匂いに気づく。

(優の、匂いがする……)

 当たり前だ。
 ここはかつての夫婦の寝室で、今は優一人が使っているのだから。
 文香は一瞬だけ嗅いだ元夫の匂いをベッドに染み込んだものだと思った。
 その匂いはすぐにさくらの甘い匂いに掻き消される。
 文香が寝転がっている二人用のベッドに体格の良い男二人が乗り込むと途端にスプリングが重く軋み、狭くなる。
 それでも新婚当初に奮発して購入したベッドは文香達をなんなく受け入れた。

「ふみちゃん」

 文香の髪をさくらが撫でる。
 その手は熱く、項や首筋に触れる度に思わず肩が震えるほどだ。

「怖がらなくていいよ」

 さくらの声が文香を愛撫する。
 ずるい声だ。
 
「僕が傍にいるから」

 文香がその声に弱いことを。
 さくらに弱い事を知っているくせに。

「顔、上げてごらん」

 まだ、混乱しているのに。
 優の存在と、今この場に三人でいること自体に強い抵抗感があるのに。

「もっと、可愛い顔をいっぱい見せて」

 こつんと、さくらの額が当たる。
 間近に見える潤んだ琥珀の瞳。

「……ばか」

 さくらに安心してしまう。
 全てを委ねたくなってしまう。
 もう、これは刷り込みだ。
 けど、嫌じゃない。
 嫌なはずがない。

 無言でさくらの首に腕を回す。
 それが文香の答えだ。

「相変わらず素直じゃないなぁ」
  
 文香は分かっていた。
 本気で拒絶し、嫌がる意思を見せればさくらはきっとそれ以上のことをしない。
 文香が本当に怖がることをさくらはしない。
 強張っていた文香の顔が少しだけ緩む。
 さくらの匂いと体温に包まれる。
 それだけで十分文香は幸せだ。
 さくらに愛されていると、その深い色の瞳に見つめられるだけで。
 なんでも許せてしまう。

 優のことすら、一瞬忘れてしまうほど。

 目を瞑ってさくらを受け入れる文香。
 その文香をさくらは愛し気に見つめ、ちらっと横目でこちらを見ている男に視線をやる 

「君も、そう思うだろう?」
「……」

 文香はこのときの優の表情を、優とさくらの表情を知らない。
 文香が自分からさくらに抱き着き、キスを強請る様を黙って見ていたときの優の顔を、そしてそれを優越感たっぷりに嗤うさくらを。
 仕方がない。
 歯を食いしばる音は、ベッドのスプリングに掻き消されたのだから。


 
* *


 どろどろに溶かされる。

「っぁ、」

 服を脱ごうとする文香をさくらは制止し、自らの手で恭しく脱がして行った。
 幼稚園児のお着換えをするようにシャツを脱ぐときに「ほら、ばんざーいして」「そうそう、上手だね~」と揶揄うさくらは本当に愉しそうだ。
 けど、きっと愉しいのはさくらだけである。
 さくらがチビさくら化していたときに度々文香がこのように甘やかし、可愛がったことを根に持っているのだ。
 あのときは精神も幼く、普段の意地悪で無駄に色気を振りまくさくらが嘘のように素直で純粋(?)で、可愛らしく文香に懐いていた。

 今では片手で器用に文香のブラジャーを外し、わざと焦らすように息を呑みながらじっと見て来る優に胸の谷間を見せつけている。
 それこそ我が物顔で。

「ふみちゃんはそいつとするとき、何からどうやって始めてるの? そいつの精気絞るために、いっぱい頑張ったんだろう?」
「……それ、は」

 さくらの言葉に唇を噛みしめる文香。

「ねぇ? 教えてよ」

 わざとらしい質問だ。
 何故ならさくらは全てを見ているし聞いている。
 知っているのだ。

 二人の住むアパートで文香と優がセックスしたとき、さくらはその全てを見ていた。
 文香の中に射精する男。
 その男の夢で見た色んな文香。

「僕が教えた通りに色々そいつに奉仕したんだろう? 特に、口での奉仕は随分練習したから……」

 さくらの指が赤くなった文香の唇をなぞる。
 感情が高ぶると、それを抑制するために文香はよく唇を噛む。
 その悪い癖を咎めながら、さくらの視線はいやらしく優の方を向く。

「君も、さぞ気持ち良かっただろうね」

 そこに含まれたほんの僅かな余裕の無い感情に、同じく目を向けた優は気づいていた。

「君にとっては夢みたいなもんだろう?」
「……そう、だな」

 文香の知らないところで、二人の視線が噛みつくようにぶつかり合うのは一体何度目だろう。

「本当に、夢みたいだった」

 本当に、夢だったら。
 あのまま醒めずにいたかったと、優は思う。

 けど、今は現実逃避する暇などない。
 過去に囚われる余裕などない。

 そんな暇があるのなら、優はもっと今の文香を脳裏に焼き付けたいと思う。

「ぁ、」

 さくらの妖しい手つきに吐息を甘くさせる文香に優は興奮していた。
 その衝動を拳を握って耐えようとしても無駄だ。
 頬を染め、視線を逸らしながら必死に胸の上で踊るさくらの手に堪えている文香はとてもいじらしく、色っぽい。

 三年前の文香は一度もこんな艶めいた表情を、声を出さなかった。
 全ては優のせいだ。
 きっと、セックスのときの文香はどこか違和感を抱いていたはずだ。
 どんなに熱く昂っても、間違って食い殺さないように力を温存し、セーブしていた優のセックスはきっと退屈だっただろう。
 それでも優はただ大切に大事に文香を抱きたいと思っていた。
 派手で溺れるようなセックスでなくとも、想いが通じ合う二人なら保健教科書にも載りそうな健全なセックスでも十分だと思えた。
 
 十分だと、思っていた。

「ぁ、さ、くら…… んっ、」

 ぴくぴくと身体を震わせ、真っ白い文香の胸が他の男の手で弄られる。
 薄い色の乳首がさくらの口に吸われる。
 赤い舌先はまるで別の生き物のように器用に動いて文香の乳首を舐り、ときに歯を立てる。
 痛々しい文香の悲鳴が上がると、反射的に優の腰が浮く。
 制止しようと伸ばした手は、途中で止まる。
 
 自身の下半身に優は気づいた。

 

* * *


「君の元旦那がもう我慢できないってさ」

 優の骨ばった手が文香のジーンズを脱がそうとしている。
 目を瞑っても金属が擦れる音、ジーンズの布地が滑る音、そして優の息遣いが耳につく。

「いつもと逆だね」

 意味あり気なさくらの台詞に一瞬だけ優の手が止まり、文香の心臓が跳ねた。

「ほら、お尻上げないと」
「……」

 本当に、さくらは愉しそうだ。

 愉しそうなのに、どこか冷たくて、やけに身体が熱い。
 さくらの気持ちが分からないのなんて文香にとっては日常茶飯事だ。
 それでも今このときほどさくらの気持ちを知りたいと思ったことはないかもしれない。

 けど、まだ文香に勇気はなかった。
 後ろから文香を拘束するさくらが、文香の足を開かせ、優に見せつけるさくらが、一体どんな目で文香達を見ているのか。

「ゃ……」

 さくらの表情を見ないまま、文香は背後のさくらの胸に顔を埋めた。
 さくらが怖いのか、汗ばんだ手で文香の太ももを掴む優が怖いのか。
 今の状況に、ショーツを濡らす自分を見たくないのか。

 優の唾を呑み込む音に足が震える。

 さくらと優はまだシャツを開けただけなのに、文香だけが裸同然の姿でいる。
 恥ずかしい。
 文香だけが感じて、股を濡らしている。
 自分がとてもはしたない女に思えた。

「ほら…… もう染みができてる」
「っ……」

 そんな文香をさくらは更に追い詰めようとする。
 さくらの指が文香のショーツ越しに曝け出された陰部を辿る。
 その指先がただ撫でるだけの感触でもう文香の腰が揺れ、自身の肉壁が、襞が震えながらさくらの指を求めようとしているのが分かった。

「ははは。可愛い。もう、こんなぴくぴくして……」

 ぐにっと、指の腹が文香の敏感なところを押し潰す。

「ふぁ……っ」

 慌てて口を塞ぐ文香をさくらは咎めなかった。
 
「いっぱい、可愛がってあげるから」

 ただ、とても丁寧な動作で、容赦なく文香の両手首を掴んで口から放す。
 両手を開かされた文香は裸の胸に注がれる優の視線を嫌でも感じた。
 腕はさくらが、足は優が閉じないように拘束している。
 二人とも力はまったく入れていない。
 文香が痛がらないように配慮しているのだ。

 文香が本気で嫌がられば、きっとさくらも優も手を放す。

 それがとても狡いと、文香は思う。

 結局、最後は文香に選ばせるところが。
 逃げ道を用意するところが、本当に狡くて、意地悪だ。

 底意地の悪い揶揄いに怒る余裕などない。
 今の状況を文香は諦めて受け入れることにした。
 これが最後の仕上げだと言うのなら。
 文香はただいつものように、優とセックスするだけ。

(さくらに見られてるだけ…… 以前と変わらないわ)

 だから、何も気にすることはない。
 さくらの視線も、優の視線も。
 その中に含まれる感情を文香は必死に無視した。
 さくらの見ている前で、文香は上半身裸のまま、優の股間に顔を埋める。
 震える白い肩。
 部屋は妙に熱くて、額に汗すら浮かぶのに。
 
「文香」

 必死に平静を装いながら文香は優のそれを手に取ろうとした。
 どこか苦し気な優の声に、文香の肩の震えが一瞬止まる。
 優の股間はパンツ越しにも分かるほど盛り上がっていた。
 震えるその手の上に優の手が覆いかぶさる。
 ぎゅっと、強く、丁寧に握り込まれる自分の手を、優の血管が浮き出た手を文香はどこか呆けたように見ていた。

「……俺は、文香の嫌がることはしたくない」

 未だ、優の顔は見れない。
 けど、記憶の中にいる優が困ったように笑う幻影を文香は見た。
 そして、優しく慈しむように文香を見つめる。
 そんな、幻覚を。
 記憶が蘇る。 

「けど…… ごめんな」

 擦れた優の声が、文香の耳にかかる。

「最後だから…… これが、最期なんだ」

 気づけば文香は無理矢理顔を上げさせられ、優の顔と正面からぶつかった。
 荒々しく、余裕のない優の手つきに驚く文香に、優は笑っている。

「ごめん、俺……」

 真っ直ぐ、文香を射るように見つめて来る瞳。
 その瞳に映る熱情に、文香は一瞬赤い炎の幻影を見た。

「これから文香の嫌がること、いっぱいする」

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