奥様はとても献身的

埴輪

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≪過去②≫

31 君ってなんなのさ 後

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 テレビを見ながら、文香が用意したプチトマトをなんとなくぷちぷち摘まみつつ、さくらは何てことないように話を続ける。

「でも、寝具は必要だろう?」

 ぷちっと口の中のトマトを潰しながら、さくらが意味あり気に文香に流し目を寄越す。
 その視線に、文香の胸が高鳴る。
 意味深なさくらの言葉に、どこかそわそわと落ち着きがなくなってしまう。

 けど、次の一言で文香の気持ちは沈んだ。

「この後、食事に行くから」
「……」

 さくらはあのレストランで食事を摂りに行かなければならない。
 初めから分かっていたことだ。
 もう少ししたら、迎えが来るのだろうか。
 一緒に住んで、文香を世話すると言ったが、一体どこまで本気なのか。
 日中もここに居てくれるのか、毎回夜になったら食事しに家を出るのか。

 文香と、夜までは一緒にいてくれないのか。

 普段は考えないようにしていたが、週末にさくらは文香で遊ぶ。
 しかし、それ以外の夜はあのレストランで見目麗しい男女に囲まれて、文香にしたような厭らしいことをして愉しんでいるのだ。
 さくらからすれば当たり前で、当然で、必要な行為だと分かっている。

 けど、

「何、その顔」

 さくらが寝転んだまま下から文香を見上げる。
 精悍で妖艶な美貌。
 それなのに、その仕草はときどき幼い。

「また、不細工な顔してる」

 ぐいっといつものように頬を引っ張られ、文香は暗い思考に沈みそうだった自分を恥じた。


 文香は分からなかった。
 さくらに依存している自覚はあっても、時折感じるこのもやもやが何なのか。
 ちょっと真面目に考えようとすれば、きっとすぐに分かってしまう類の、単純な感情だと分かっている。

 だからこそ、考えないようにしていた。

 どこか沈んだ気持ちを抱えながらも、文香は規則正しく、いつもと同じように深い眠りについた。



* * * *


 食事が終わり、さくらはアパートに戻って来た。
 合鍵を奪ったので堂々と玄関から入る。
 ふと、窓から侵入するのもなんだか淫魔っぽくていいかもと思った。

(絶対に驚くな)

 悲鳴を上げる文香を想像するだけで心が躍る。
 だが、そんな上機嫌なさくらの顔が寝ている文香を見て歪む。

「はぁ……」

 思わず、溜息が零れた。
 畳の上で毛布をかけたまま直に寝ている文香の貧乏臭いスタイルに文句を言いたい。

「……雰囲気出ないんだよね」

 思わず出た愚痴は若干呆れていた。
 最近寒くなり、毛布だけでは風邪を引くから寝るときは学生時代のジャージを上下に着ていると文香が言ったとき、さくらは危うくキレそうになった。
 さくらからすればだぼだぼのジャージは邪道である。
 
「ん……」
「…………本当に着てるし」

 毛布をばさっと捲り、本当にジャージを着ている文香に舌打ちしそうになったが、なんとか堪えた。

「……無防備だな」

 さくらはあまりにも無防備過ぎる文香に呆れながら顔を近づけてじっと観察する。
 夢を見ているのだろう。
 睫毛が微かに揺れるのを、灯りも何もついていない中でもさくらにはっきりと見えていた。

 爛々と光るさくらの琥珀の瞳。
 暗闇など関係ない。
 むしろ、闇が深ければ深いほど、さくらには居心地がいいのだから。

 腹は満ちた。
 けど、文香を見ていると疼いてしまう。

「君は、一体なんなんだろう」

 文香の現状をさくらは文香以上によく把握している。
 その特異体質も、境遇も、取り巻く環境も。
 知れば知るほど面白く、面倒臭く、興味が尽きない。

「君は…… 僕の餌にならない。君よりも美しく、僕好みの美味しくて色っぽい女はたくさんいるからね」

 その身体を弄り、快楽を覚えさせる。
 少しずつ文香の精気、フェロモンが出て来るようになった。
 しかし、きっと文香がいくら色っぽく、淫らになっても、さくらの餌にはなれない。
 そういう体質だと言ってしまえばそれまでだ。
 文香の場合は、色々特殊・・ではあるが。

「……本当、変な女」

 さくらにとってこの世は同胞と餌。
 その二つしかない。
 好き嫌いの激しいさくらは美しい人間を好む。
 無垢で、清廉で、可憐。
 それが快楽に歪み、堕ちていくのを見るのが好きだ。
 これは嗜好の話になる。

 食欲と性欲。
 さくらにはそれらを定義、分けて考えることができない。
 だって、淫魔にとって生きることは当たり前に食べることで、食べることは当たり前に人間とセックスすることなのだ。
 さくらは少しばかり特殊だが、個性で収まる範囲内である。
 
 淫魔というのは非常に稀有な存在で、個性と自我、プライドと自己愛が強い。
 ようするに独善的で、根からのナルシストなのだ。
 そのため、これぞ淫魔と定義できないほど多種多様で、人の性癖、フェチの数だけ色んな淫魔がいるというのが兄弟の自論である。

 とにかく、さくらにとって人間は老若男女問わず、この世に存在したその瞬間から餌だと認識した。
 刷り込み、本能として理解している。
 人は所詮さくらの食欲と性欲、根本的な欲望を煽り、血肉となる糧でしかないと。
 
 しかし、文香はその餌に当てはまらない。
 彼女は餌になれないほど精気が少なく、無味無臭と言っていい。
 さくらが仕込まないかぎり、なんの匂いもしない。
 
「君は餌じゃない」 

 確認するように、さくらはもう一度呟く。

「けど、僕の同胞でもない」 

 さくらの世界には同胞と餌の二つしかない。
 同胞とは、つまり同じ淫魔のことだ。
 さくらは一度だけ女の淫魔に会ったことがある。
 
 不思議なものだ。
 人を誘惑するために、それ相応の容姿で淫魔は生まれて来る。
 その同胞の女も見た目だけなら、大層さくら好み。

 それなのに、性的に接触すれば拒否反応が出る。

 それは、を防ぐための淫魔の本能らしい。
 互いに夢中になって快楽に溺れてしまえば、必ず下位の精気は上位に吸い取られ、気づけば抱いていた同胞が枯れて消え、食った方の淫魔の寿命が延びるという。
 よっぽど、理性があり、意図して精気を分け与える目的がなければ、どちらかが食われてしまうのだ。
 さくらに餌を分け与え、精気を注いでくれた鳴海はさくらよりもずっと高位の存在である。

 淫魔の最大の禁忌は共喰い、だ。
 自然の摂理として、その悪魔の血は互いの血を拒絶する。
 
 淫魔は同胞に対してよっぽどのことが無い限り性欲も殺意も芽生えない。
 だが、兄弟、姉妹になることはできる。

 ある意味では不思議な関係とも、習性ともいえた。

「僕の餌でも、同胞でもない……」

 そして、さくらは困惑している。

 文香は同胞でも餌でもない。 
 けど、欲情する。
 泣かせて喘がせて、淫らに、もっとさくら好みにして永遠と快楽に酔わせてやりたい。

「餌でもないくせに……」

 文香を見ていると餌とは違う感情と欲が芽生える。
 だが、同胞に向けるものとも違う。
 
「なら、君は僕のなんなんだ……?」

 さくらの世界は、同胞と餌。
 その二つでしか分けられず、その二つだけで当たり前のように構成されていた。
 そこに、突如振って来たのが文香である。

 弱くて、意地っ張りで、生意気な女。
 さくらの矜持を傷つけ、自ら命を捨てる愚かな女だ。
 
 あんなにも醜く、全てをさくらに吐き出したくせに。
 あっさりとさくらを置いて逃げようとした。
 
 さくらを見もせずに。

「……ムカつく」

 ムカつく。
 ムカつく、腹が立つ。

 こんなにもさくらを振り回しといて。
 まだ、他に・・囚われている文香が憎い。
 
 いつまでも、さくらの中で未知の存在として居座り、今もその正体を教えてくれない文香に心底腹が立つ。
 
「今に、見てろよ…… いつか絶対に仕返ししてやるから」 

 さくらに依存させて、惚れさせて。
 最後にとことん痛めつけて、捨ててやる。

 そんなことを誓いながら、さくらの手つきは柔らかい。
 寝ている文香の額を撫でるさくらの指は、まるで哀れな子を慈しんでいるようだ。

 悪夢に魘される文香を瞬き一つせず、じっと見下す。
 
「……まぁ、いいよ」

 息苦しそうに呻く文香を見て、さくらは舌なめずりした。
 その瞳は赤い。


「今は、許してあげる」


 文香のダサいジャージの襟を引っ張りながら、さくらは傲慢に笑った。



* * * * *


 いつの間にか文香は魘されることもなく、さくらの気配に起こされたのか、ぼんやりと目を開ける。

「ん、」

 寝ぼけていた文香は、本当に無意識に下手を打った。

「ゅ、ぅ……?」

 擦れた声に、さくらの笑みが消える。

「……本当、いい度胸してるよ」

 また・・、間違えたね。
 と、低く艶やかな毒を耳に流し込まれた文香は、一気に目が覚めた。

「さ、さくら……?」

 さくらは乱暴に文香の前髪を掴む。


「ちょうどいい。君のせいで、なんだか食べ足りなくてね」


 さくらの赤い唇から覗く舌が、蛇のように蠢いた。

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