奥様はとても献身的

埴輪

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≪過去②≫

31 君ってなんなのさ 前

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 相変わらず部屋は段ボールだらけ。
 家具も食材も揃わず、以前ではありえないコンビニ飯が中心の生活。
 選ぶのが本当に苦痛で、いつしかそれは栄養食品に代わり、胃が縮んだせいか三食が一食で終わる日が多くなった。
 
 一月ぐらいそんな生活を続けた文香はそんなに見た目が変わったのだろうかとしげしげと鏡に映る自分を見た。

「狭い」

 手鏡に映るさくらに文香はびくっと肩を震わせる。
 この男はとても派手で目立つくせに、時々気配がまったくわからなくなるのだ。

 文香が借りたアパートの部屋をくるっと検分し、さくらは一言だけそう呟いた。
 古ぼけた、よく言えば古き良き昔風の畳みや障子、押し入れなどがある一室にいるさくらは違和感の塊だ。
 長身で見た目以上に体格の良いさくらからすれば狭いと思うのも仕方がない。

「まぁ、しばらく我慢してあげるよ」

 物珍しそうに畳の匂いをすんすん嗅ぎ、文香が慌てて用意した座布団の上に腰を下ろす。
 文香はどうすればいいのか分からなかった。
 そもそも、今のこの状況が理解不能である。

「茶」

 何故か踏ん反り返って文香にお茶を要求するさくらに文香は仕方なくお茶の用意をしに行った。
 狭いため、台所で薬缶に水を入れる文香はさくらからは丸見えだ。

「まったく、気が利かないな~」

 と、腹の立つことを言いながら、初めの憮然とした雰囲気が消え失せている。
 文香は不思議に思った。
 何故かお茶の用意をする文香を見て、さくらが急に上機嫌になったことを。

(そもそも、なんでこんなことに……)

 何故、さくらと一緒に住むことになってしまったのか。
 薬缶がぴゅーっと鳴くまで、文香は延々と考え続けた。






 だが、案ずるよりも産むがやすしと言うように不安と困惑しかなかったさくらとの同居はそこそこ悪くないスタートを切ったと文香は思っている。

 日中一人でいるとただただ時間が過ぎるのを待ち、時折ぐるぐると近所を回ってはぼーとし、息が白くなるほど寒い日でも気づけばぼけーと防寒具もつけずにベンチで時間を潰す。
 堕落とはいえないが、無気力過ぎる日常を文香は送っていた。
 テレビは、一応買った。
 中古で、その昔初めて優と同棲していたときに買った小型のものだ。
 家にいるときは以前の節電に括っていたのが嘘のようにひたすらテレビを流し、なんの感慨もなくその雑音を聞いて時間が過ぎるのを待つ。
 週末が近づくと少しずつ、さくらに会わなければと目的を思い出してもそもそと食事を摂ったり、肌を磨いたりするのだが。

「汚い」

 段ボールだらけで片付けられていない部屋を見回して、さくらは嫌そうに顔を顰める。
 もしかしたら部屋が極端に狭く感じるのはこの荷物のせいかもしれない。

「物が散らかってるくせに、何もないじゃないか」

 ぶつくさ文句を言うさくらに、文香は急激にだらしのない部屋が恥ずかしくなった。
 安っぽい茶葉使ってるねというさくらの嫌味に、すくっと立ち上がる。

「……片付ける」

 突然立ち上がった文香にきょとんと首を傾げるさくらに構わず、文香は唐突に湧いて来た使命感に燃えていた。

「テレビでも見てて」

 と、一言だけさくらに言い残し、文香は財布だけを掴んで風のように玄関を出て行った。
 突然の文香の行動に困惑するさくらを置き去りにし。

 しばらくすると、もうだいぶ肌寒くなった外から帰って来た文香は額に汗をかき、随分と買い込んで来たらしい大きな袋をどんっと床に置く。
 はみ出している木の棒みたいなのを見て、これは一体なんだろうと手に取るさくら。
 ただの箒である。
 極々一般的な掃除用具だ。
 すぐにさくらの興味は失せた。

 それよりも、目の前でてきぱきてきぱきという擬音が聞こえてきそうなほど俊敏で無駄が一切ない動きで部屋全体の埃や塵をかき集め、拭き掃除をし、段ボールの中を整理し、片付ける文香にさくらはぽかーんと間抜けな顔で眺めていた。
 何がどう作用したのかは分からないが、文香はどうもさくらの言葉に触発された、あるいは発破をかけられたらしく、猛烈な勢いで今までだらだらと片付けることを放棄していた部屋を綺麗にしていく。

 終わった頃には、外はもう暗くなっていた。

 途中で飽きたさくらがテレビをつけたり、畳の上に窮屈そうに寝転がり、長い足でわざと文香を引っかけたり、衣類をせっせと整理する文香を見てごろごろっと転がって行ってばさーっと綺麗に畳み積み上げられた服の山を崩したりと。
 好き勝手やっていた。

 はっきり言って、他のことに夢中になる文香が面白くなかったのだ。 
 不満気に座布団を枕にして不貞腐れるさくらはやはりこの部屋に似合わない。
 違和感しかなかったが、さっきよりも広々とした部屋の中で足を伸ばせるようになったさくらを見た文香はひどく満足していた。
 こんなに爽やかな汗をかいたのはいつぶりだろう。

 寝転んでいるさくらに近づき、その顔を覗き込む。

「奴隷のくせに…… 僕を放置するなんて……」
「ごめん……」

 ぼそっと不穏に呟くさくらに文香は困ったように眉を下げた。
 けど、つい口角が緩む。

「でも、ありがとう。さくらのおかげで、漸く部屋が片付いたわ」

 ふふっと、ちょっと照れたように微笑み、文香は夕飯はどうしようと立ち上がって冷蔵庫を覗きに行った。

「………………」

 ぼふっ。
 背後でさくらが座布団に顔を埋めたことにも気づかず。



* *


 そもそもさくらは人間と同じ食事を摂れるのだろうか。

「僕はチョコレートパフェ以外食べないよ」
「……え、そういう特性なの?」

 さくらは文香にとって未知の存在だ。
 スーパーでも風景から浮きまくり、それでいて誰にも注目されないさくらの違和感にはもうだいぶ慣れた。
 
「別に他も食べれるけど。僕は人間の食べ物はチョコレートパフェしか食べないって決めてるから」
「それって、偏食……」

 さくらの食べたいものを聞こうと思っていた文香は当てが外れたと溜息を零す。
 作れるかは別にして、毎回何を食べればいいのか悩みに悩んでいる身としてはリクエストされた方が楽だ。

「偏食も何も。僕の肉体はもう完成されている。人間の食べ物は僕の糧にならない。人間の食事は所詮暇つぶしだ」

 そう言って肩を竦めるさくらに文香は困った。

「……ファミレス、行く?」
「君の好きなものを作ればいいだろう?」

 さくらを気遣う文香を一蹴する。

「僕は君のその肌荒れや胸がちっちゃくなったのを改善するために同棲・・してあげてるんだから。普段から君の食生活をちゃんとチェックしなきゃ」

 得意気に腕を組むさくらに、文香は本気で困った。
 ちらっと、この間スーパーで大量に買い込んだ栄養食品が陳列された棚を見る。
 さくらの偏食をとやかく言える立場ではない。

「ほら、なんでもいいからさっさと好きなものを買いなよ」

 物珍しそうにスーパーを見回しながらさくらが一向に動かない文香を急かす。
 たぶん、早く店内を見て回りたいのだろう。

「…………好きな物って言われても」

 それが分からないから困っているのに。

「はぁ? 何か、あるだろう。君の好物」
「好物……」
「よく、食べてる物とか食べてた物とか」

 よく食べてた物。
 記憶の海を泳ぎ、文香はどうしても優の好物ばかり浮かぶ自分にげんなりした。
 いつもならばここで泳ぐのを止める。
 疲れる上、そのまま溺れかけるからだ。

 けど、今は目の前に堂々と立つさくらがいる。

「早く」

 文香を急かすさくらに、文香は優との記憶よりももっと深い、深海に潜った。
 優に出会う前の文香は何が好きだったのか。
 店内を見回し、ここが野菜売り場だということに今更気づいた。

 目に鮮やかに突き刺さる赤に、ふらふらと引き寄せられる。

「……トマト?」

 しげしげとトマトを手に取って見てる文香にさくらが今度は怪訝な顔で近づく。
 キラキラと初めてさくらの前で純粋に目を輝かせる文香に、さくらは胡散臭そうに顔を顰めた。

「君の好物って、それ?」
「……うん」

 なんだか照れくさそうに小さく頷く文香に、さくらはため息を零す。

「それただの素材だろ」
「……別にいいでしょう」
 
 そういえば昔、優にも同じことを言われた。
 優の場合は慌てて、俺も好きだよとフォローして来たが。
 さくらは端っから文香を小馬鹿にしている。

 けど、文香に怒りは湧かなかった。
 優に言われたときはショックだったが、さくらの場合はそもそも価値観や存在が違い過ぎる。
 お互い理解できないのが当たり前という前提があった。
 食文化が違うどころの話ではない。
 肉食と草食並の壁があるのだ。

「そんなこと言ったら、苺が好きな人、メロンが好きな人だって、皆素材が好きなんじゃない」

 でも、分かっていてもつい反論したくなる。
 あまりにもさくらが意地悪に言うからだ。

「苺やメロンはデザートだから別だと思うけど」

 むっとする文香が面白いのか、さくらが揶揄って来る。
 さくらもただ意地悪したいだけで、文香が何を好きでも構わなかった。

「トマトもデザートになれるし、おかずにもなるし…… 主食にだってなれる万能食材よ」

 馬鹿にするなと、文香は山になったトマトを手に取り、真剣に吟味する。
 久しぶりに買い物で即決できた。



* * *


 アイスコーナーにあったチョコレートパフェ風アイスを買ってもらったさくらは文香が目の前でもりもりとひたすらトマトを食べているのを異様だなと思った。
 小さな折り畳み式のテーブルを引っ張り出し、さくらは狭い狭いと文句を言いながら目の前でカットしたトマトに砂糖をかけて食べる文香を眺める。
 雑だなと思いながらも、嬉しそうに何か食べている文香を見るのは初めてで揶揄う言葉も出ない。
 テレビは流されていたが、さくらはただ文香を観察していた。
 こんな風にリラックスした文香は珍しい。
 だからついついじーっと見てしまうのだと内心で言い訳をした。


 食器を片付けた後、文香は布団を敷こうとして、そもそも布団も何もないことに気づいて青褪めた。
 いつか買わなきゃ買わなきゃと思いながら、だらだらと無気力に流し続け、凍死しないために先にストーブを買うべきかとぼんやりと考えたり、もう枕と毛布だけでいいかもしれないと半ば諦めていたのだ。
 むしろ凍死しても別に後悔はしない。
 ただ風邪を引いたら迷惑だろうなと、そっちを心配していた。

「は? 寝具がない?」
「ごめんなさい…… これで、今日は我慢してもらえる?」

 段ボールも全て片付け、後で掃除機を買おうと思いつつ畳の埃も掃いた。
 以前よりもずっと広々とした部屋の真ん中に恐る恐ると愛用している毛布と枕を整える。

「……どうぞ」

 そんな文香にさくらは大きくため息を吐き出す。 
 厭味ったらしく、長々と。

「本当、気が利かないんだから。そもそも、君今までそれで寝てたわけ?」
「……まぁ、特に支障もなく、意外とぐっすり寝れるので」
「君って鏡とか見ないの?」
「……」

 さくらはきっと文香の目の下にある隈のことを言っているのだろう。
 毎回コンシーラーでそこだけは念入りに隠していたつもりだったが、さくらにはお見通しである。
 たぶん、肉体的にいつも目覚めがだるく、体調が優れないのは環境のせいだ。
 なんだかんだ決まった時間にうとうとするようになり、気づけば寝ているのだから、以前よりも睡眠は取れている。
 むしろ睡眠だけは規則正しい。
 でも疲れは取れない。
 さくらと会った後だけ、文香はスッキリとするのだ。

 これも、精神的なものなのかもしれない。

 文香は自分がさくらに依存しかけていることに気づいていた。

「そもそも、僕って特に睡眠とか必要ないんだけど」
「え、そうなの?」

 初めて知ったことに驚く文香にさくらは適当に頷く。

「……まぁ、

 ぼそっと、さくらはあえて文香に聞かれないように呟いた。

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