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≪過去②≫
29 僕、潔癖なんだ
しおりを挟む冷たい指先が恭一の胸元に忍び込む。
反射的にその手を掴むめば近くで息を呑む音が聞こえた。
「……なんのつもりだ」
眠りの浅い恭一は人の気配に敏感だ。
眼鏡を外しているせいで視界は不明瞭だが、ぽっきり折れてしまいそうな華奢な手の持ち主が誰かぐらい分かる。
「志穂」
溜息を零したくなったが、恭一は自制した。
あからさまに嫌そうな態度を取れば、志穂はまた朝方まで一睡もせずに廊下で泣く。
そして翌日には熱を出して寝込むということがここ最近頻繁に繰り返されている。
情緒不安定な妻に使用人はおろおろしているようだが、恭一は冷めた目でしか妻を見れなかった。
眼鏡をかけた恭一の視界に志穂が映る。
「……寒くて」
元々華奢だったが、ここ二ヵ月ぐらいの間に志穂はまた一段と細くなっていた。
何を食べても満足に喉を通らず、食事を用意する家政婦などは随分と気を病んでいる。
何も知らない使用人達は志穂がやつれているのをストレスだと解釈していた。
若くしてこの家に嫁ぎ、右も左も分からない。
頼りになるはずの夫は新婚早々長期の出張で海外に飛び、その間は一人寂しくマンションに住まわされていた。
お嬢様育ちで気が弱く、いかにも繊細な志穂にとって辛い日々が長く続きすぎたのだ。
人の好い使用人達はそう思っている。
「それで俺に抱いて欲しいとでも言うつもりか?」
夫である恭一だけは内心で志穂のことを軽蔑していた。
「生憎とそんな気は起きん。寒いのなら暖房でもつけろ」
無感情に冷たく言い捨てる自分の夫に、志穂は暗闇でも分かるぐらいに目を潤ませていた。
暗闇だからこそ、志穂の涙は宝石のように輝いている。
「……まだ、私を赦してくれないのね」
儚げに俯く志穂に恭一の心はまったく揺れなかった。
寒いと言うには、随分と薄着をしている志穂を冷たく見据える。
「君に嘆く資格などないだろう」
くだらないとばかりに、恭一はベッドから降りた。
律儀に夫婦の寝室で寝ているが、志穂が恭一を誘おうとするときは黙って別室に移動している。
例え志穂を軽蔑していても、扇情的な恰好ですり寄られてしまえば理性が危うくなってしまう。
いちいちそれで冷水のシャワーを浴びに行くのもうんざりだ。
「もう寝ろ」
項垂れ、肩を震わす妻を振り向くことなく、恭一は寝室を出て行った。
パタンと、静かに扉が閉まる。
「……」
恭一の足音が遠ざかって行くのを志穂はじっと聴いていた。
その目からはらりと涙が流れる。
無言で溢れる涙を指で掬い、志穂はゆっくりと耐えていた嗚咽を洩らした。
しかし、俯くその顔には一切の感情がない。
志穂は考えていた。
どうしたら、夫である恭一をその気にさせることができるのか。
ずっと、愛する人の温もりを失ったあの日から。
絶望したあの瞬間から志穂は考えていた。
どうしたら。
どうすれば。
手に入れることができるのか。
凍える身体を抱き締めながら、志穂は肉体の奥底で疼く熱を持て余した。
無意識に、自分の首を撫でる。
*
さくらが文香の耳元でくすっと笑う。
吐息が当たる度に、文香はぴくぴくと身を震わせた。
少し、敏感すぎるほどに。
「…………あの、これは?」
文香は目隠しをされていた。
光が一切見えず、本能的な暗闇への恐怖に冷や汗が止まらない。
「君はまず感度を良くしなきゃね。頑固すぎるから、もう身体に覚えさせるのが一番手っ取り早い」
「だ、だから、一体何をしようと…… きゃっ!?」
視界を遮られたせいで視覚以外の感覚が鋭くなっている。
思わず口から飛び出た悲鳴に、さくらがぽつっと感想を零す。
「そういう声も出るんだね」
「なっ、だって…… 急に……」
子供みたいな自分の悲鳴に文香の顔は真っ赤になった。
吐息のかかる距離からも分かるように、さくらは文香の上に覆いかぶさっている状況だ。
上から冷たい粘液をゆっくりかけられる。
裸の文香に。
胸に垂らされた粘液に文香は懸命に悲鳴を耐えた。
「ああ、冷たい? もう少ししたら、熱くなるよ」
さくらの掌が、文香の肌に粘液を塗り込むように撫でる。
「ふっ……」
臍のところをまず最初にさくらは撫でた。
さくらの手の温度が移ったのか、確かにじんわりと熱くなってくる。
けど、くすぐったさと羞恥で混乱する文香はちっとも有難いと思わなかった。
「一回イク感覚を覚えたから…… 前よりは敏感になってるはずだ」
どこか愉し気なさくらの声に文香は泣きそうになる。
初めて、自慰をした。
それも、人前で。
*
思い出すだけで、羞恥と自己嫌悪に暴れ出したくなる。
人前で、初めて自慰をし、怖いぐらいの快楽に泣いた後。
文香はいつの間にか泣き疲れて眠ってしまったらしい。
あんなことをした後に、しかもあんな恰好で寝てしまっ自分が信じられなかった。
目覚めると身体は綺麗に清められ、下着もなく今度こそ全裸になっていた。
時間の感覚もなくなり、文香は半ばパニックになりながら、寝かされていた例のベッドの上のシーツを剥ぎ取り、本能のままに逃げ出そうとした。
あっさり、さくらに捕まってしまったが。
「まさか、逃げようとしたのか?」
不機嫌そうに、若干口調まで変わったさくらの問いに文香は首がもげそうなほど勢いよく否定した。
あそこでいつものように意地を張って肯定してしまったら取り返しのつかないことになると思ったからだ。
何よりもパニックが落ち着き、改めて冷静になると元から律儀で生真面目すぎる文香はさくらとの約束、もとい契約を思い出した。
「君はもう僕の所有物だ。僕には決して逆らうな。逃げようとしたらそれ相応の罰があると思え」
当然のようにそう念を押して来るさくらに不思議と嫌悪感と反抗心が湧かなかったのは、結局最終的に文香自身がさくらの手を取ったからだ。
「僕から逃げたとして、君に行くところなんてあるの?」
さくらの言う通りだ。
そもそも今の文香には「帰る場所」がない。
既に部屋は借りて、引っ越しも済ませている。
家賃も前払いし、後は勝手に引き下ろされるだろう。
しばらく帰らなくても誰も困らない。
痛いところを突かれたと思いながら、文香はこのとき妙に納得した。
何故、あのときさくらの手を取ったのか。
それは、もう文香に居場所がなかったからだ。
命を一度投げ出そうとした自分が今更居場所がないと、何もやりたいことが分からないと、この先の未来になんの興味もないと。
それを嘆くのは滑稽だったし、あのときはまだ深く考えていなかった。
そんな文香を助け、恩を返せと言って来たさくら。
例え望んだことではなくとも、文香はさくらに命を救われた。
けど、その救われた命をどうすれば良いのか分からなかった。
だから、目の前で差し出されたさくらの手が、とても眩しく輝いているように見えて。
つい、手に取ってしまったのだ。
その選択を後悔するには文香は真っ直ぐすぎた。
例え、どれだけ恥ずかしいことをされても。
プライドも全部ズタズタにされて悔しい思いをしても。
「やっぱり君は色気が足りない」
あのときの選択だけは、後悔しないだろう。
「人妻のくせに経験も知識も浅い。おまけに頭も固い。もっと柔軟に色事を愉しむべきだ」
「……」
「でも君、物覚えはいいみたいだから。……面倒だけど、物凄く面倒で、まったく不本意なことだけど…… 僕が直々に仕込んであげるよ」
「…………」
「君を調教して、僕好みの最高に淫乱な雌豚にしてあげる」
……後悔は、しないはずだ。
* *
さくらは本当に文香に遠慮がなかった。
そして、芸術に等しい恵まれすぎた外見を裏切って趣味趣向が厭らしくねちっこい。
「ほら、熱くなって来ただろう?」
視界が見えないせいか。
愉しそうなさくらの台詞に、お札を燃やす成金みたいだなと文香はちょっとだけ現実逃避した。
そんなことを考える余裕があったのは初めの一瞬だけだ。
さくらが文香の肌を撫でる。
「はぁっ……」
さくらの言う通り敏感になったのか。
ただ擽ったいはずなのに、唇から零れる声は妙に甘ったるい。
「声は抑えるな」
突然、異物が口の中に入って来る。
驚き、吐き出そうとした文香はそれがさくらの指であることに気づいた。
粘液をたっぷりと塗った指が文香の口の中を蹂躙する。
「ふっ、んんっ……!」
さくらの指についた粘液は甘く、蜂蜜の味がした。
「害はないよ。ただの媚薬みたいなものだから」
媚薬。
まったく縁のない単語に驚く暇もなかった。
遠慮なく入って来る指のせいで、呑み込み切れなかった唾液が溢れる。
「……そのまま、しゃぶって」
促された通りに、文香はおずおずと甘い指に舌を這わせ、はむはむと唇で食みながら不器用に吸った。
ちゅっ、ちゅっと、まだミルクしか飲めない子猫のように。
「んっ…… ふぅ、」
歯を立てないように懸命に舌を絡ませる文香。
そのまま、さくらの片手が文香の臍から離れ、胸に触れる。
「ふっ、ん、んんっ……!?」
きゅっと、乳首を摘まれ、危うく指を噛むところだった。
「噛んだらお仕置きだから」
非情すぎるさくらの言葉に、目隠しされた文香の目からじんわりと涙が滲む。
さくらの指が意地悪く文香の口内を弄り、もう片手がじんじんと熱を持った乳首を嬲る。
粘液が熱を持ち、それとは別にただ遊んでいるように見えるさくらの指は文香の隠れた性感帯を刺激していった。
文香の知らない、文香の身体を暴いていく。
さくらの指が文香の上顎を撫で、舌の側面を擽る。
不快な刺激のはずだ。
それなのに、飴のように与えられる甘い粘液とさくらの繊細な指使いのせいで徐々に不快と快感の境界線が薄れ、曖昧になっていく。
ぴくぴくと身体が震え、嗚咽と嬌声が漏れそうになるのに、さくらの指のせいでまともな音にならない。
声を抑えるなと言いながら、さくらは苦しそうに善がる文香が大層気に入ったようだ。
数少ない性感帯の一つである乳首がさくらの巧みな愛撫に勃起し、硬くなるのが分かった。
ぴんっと爪で弾かれ、声にならない悲鳴と羞恥に文香は悶え、身を捩った。
そんな文香に、さくらが愉快そうに笑う。
清々しいほど、鬼畜である。
「腰、揺れてるね」
ぬるっと文香の口から指を引き抜き、腰を撫でる。
「ふっ、ぁ……」
ぴくぴくと痙攣する身体。
粘液がまるで別の生き物のように這っているような、不思議な感覚。
さくらに触れられたところが熱くて、触れられなかったところが疼く。
もぞもぞと太ももを擦り合わせる文香にさくらが笑う。
もちろん文香には見えていない。
ただ、さくらの低く擦れた吐息に触れた気がして、ぞくぞくした。
片足を持ち上げられ、露になった陰部に粘液を塗り込まれる。
「は、ぁん、んっ」
ちゅく、ちゅっ
さくらの掌で温められた粘液が中に入って来る。
長く、女の文香とは造りの違う指がそっとクリトリスの周りを撫で、わざらしく焦らす。
「っ、んっ!」
さくらの言う媚薬のせいか、それともさくら自身の手技のせいか。
充血したクリトリスはさくらが軽く触れるだけで思わず逃げだしたくなるほどの鋭い刺激を感じた。
「ほら、ここ、分かる?」
「はっ ん……っ! ぁ、あんっ……っ」
「こんなにぴくぴくして…… 真っ赤に熟れて」
さくらが文香の真っ赤になったクリトリスを指で押し潰そうと力を籠める。
指紋の模様すら分かるほど、そこは敏感になっていた。
「苛めて欲しいって、望んでる」
「ひゃっ、ぁっ……っ!?」
爪を立てられたのだと気づいたときにはもう遅く、文香は怖いほどの刺激と目隠しされているがゆえの恐怖と不安に怯え、無意識に目の前のさくらに抱き着いた。
熱くて、痛いほど強い快感に頭の中で火花が散る。
「は、はっ…… は、ぁ……」
もしかして、今のでイってしまったのだろうか。
経験の浅い文香にはその境目が分からない。
ただ、初心な身体は痛みに近い刺激を紛らわそうと、特に下腹部の奥の奥に燻る刺激を誤魔化すように太ももを擦り合わせる。
そうすると必然的にさくらの手を挟むことになり、文香の腰の揺れははたっと止まった。
「……誘ってるの?」
「ち、ちが……っ」
耳元でくすくすと笑われ、文香はもう、どうしたらいいのか分からなかった。
慌てて身を離そうと、さくらの肩に回していた手を放そうとする。
けど、今度はさくらが文香の腰を撫でながら、その身体を抱き起こした。
真っ暗の中、突然の浮遊感。
ぎゅっと落とされないようにさくらの首にしがみつく文香。
粘液でべたべたの胸がさくらのシャツで擦れ、鼻にかかった吐息が漏れ出る。
文香はさくらに抱きかかえられ、俗にいう正面座位の姿勢になっていた。
粘液と愛液でぬるぬるに濡れた陰部にさくらの硬く昂ったそれがパンツ越しに触れる。
ドキッとしている間に、文香は膝立ちにされ、さくらの下半身の熱と離された。
それにほっとしたような、そうでもないように、なんだか妙な感覚に心がざわつく。
「ああ、こんなに濡れてる……」
愉し気で、意地悪そうなさくらの声。
耳元で息を吹きかけられ、息を呑む間にさくらは文香の陰部に手を伸ばす。
「っぁ、」
「ほら、手…… 回して」
さくらの指が濡れて解けた膣の入り口を撫で、肉を割り開くように侵入して来る。
文香はさくらの囁きにこくこく頷きながら、そのまま膝が崩れないようにさくらの首に腕を回して縋り付いた。
健気に震える膝、腰。
そんな文香にさくらが薄っすらと笑う。
文香から漂う控えめで、どこか爽やかで。
さらっと喉を潤す甘露のような精気は正直さくらの舌に、味覚にとても合っていた。
腹は決して満たされないが。
赤く熟れた唇から漏れる喘ぎ声。
胸の大きい女はあまり好みではないが、この柔らかさは悪くない。
くちゅっくちゅっっ
何よりも、この濡れ具合といい、従順な態度といい。
文香は調教しがいのある女だ。
「あんっ、あ、ひぃ……っ」
全身を、特に下半身は可哀相なほどに震えている。
懸命にさくらの愛撫を受け入れようと、文香は悲鳴を噛み殺し、涙をぽろぽろ零す。
ぎゅうぎゅうにさくらにしがみつく文香に、何故かぞくぞくしてしまうさくらだった。
ぐちぐちゅちゅくちゅっ、
さくらの愛撫。
淫魔の手技はただの人であり、人一倍艶事に疎かった文香にはきつい。
すぐに陥落し、果てるのは当たり前だ。
そうでなければむしろ困る。
こんなにもさくらは興奮し、文香を誘い込もうと、垂らし込もうとフェロモンを溢れさせているのだから。
さくらの耳元で文香の切なく、甘い嬌声が響く。
(いい、拾い物をした……かも?)
このときになって漸くさくらは少し素直に自分の気持ちを認めた。
絶頂するときに、文香の唇から零れる切ない嬌声が堪らなく心地良い。
生意気な女がこうも素直に、淫らに善がる姿は例えようもなくさくらの自尊心を刺激し、慰撫する。
息も絶え絶えにさくらに身を委ねる文香を抱きかかえ、さくらは名残惜し気に文香の中から指を引き抜く。
文香の膣が、その肉壁がさくらの指を銜えようと蠢き、物足りないと叫ぶ。
しかし、文香はもう半分気絶しているような状態だ。
さくらもこれから食事をしなければならない。
壊れてしまったら終わりだと、さくらは自重した。
まだ、文香で遊び足りていない。
目的も、達成していないのだから。
目隠ししながら、か細く息をする文香をじっと眺め、さくらは文香の淫液で濡れた指をねっとりと舐めた。
(ああ、さすがにこれは濃い)
もしもここにさくらをよく知る兄弟がいれば驚いただろう。
興奮し、爛々と赤く目を光らせながら文香の愛液を丹念に舐めとるさくらは、まだそんな自分の異常な行動に気づいていなかった。
さくらは好き嫌いが激しく潔癖な今時の淫魔だ。
人の体液、淫液を直接摂取するのも、粘膜と粘膜を擦り合わせて直接性交するのも、さくらは嫌悪していた。
褒美にフェラさせるぐらいならまだギリギリ許すことが出来る。
さくらは童貞だ。
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