奥様はとても献身的

埴輪

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≪過去②≫

25 勘違いしないで、これはただの気まぐれだ 中

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 二人の男の影が揺れていた。

「はぁ…… まったく、俺はこういう細かい作業は苦手なんだがな」

 蝋燭の灯りの下で浅黒く日焼けした男は軽く愚痴りながらポキポキと首を回す。
 外の嵐はもう治まっていたが、未だ雨雲からはぽつぽつとしつこく雨が垂れていた。
 時計を確認していないどころか、そもそも丸一日以上はこうして慣れない作業に集中している。
 荒れた天気のおかげで土日の部活動が休みになって良かったと、そんな真面目なことを現役教師である男、鳴海は思った。

 そもそも今のご時世にこれほどの呪術を使う日が再び来るとは思わなかったと鳴海は内心で思う。
 時折瞼に垂れる汗を拭く鳴海の顔は愚痴じみた言葉とは裏腹に険しい。
 神経どころか細胞の一つ一つを元に戻すのは豪快な性格の鳴海には不向きだ。 
 だが、これも全ては可愛い弟のため。
 なんだかんだ時間をかけて丁寧に丹念に修復作業をしていく鳴海は外見に似合わず、やはり器用なのだろう。
 年の功ともいう。

 そんな鳴海をさくらはじっと見ていた。

 もうさくらに出来ることはほとんどない。
 ソファーに座り、天蓋付きのベッドの脇でひたすら細かい修復作業をする兄弟を見るほかにやることがないのだ。
 その隣りにはシンプルな通勤鞄が置かれている。
 中身は丸いテーブルの上にぶちまけられ、蝋燭に照らされていた。

 濡れたファイルやポーチ、財布にスマホ。
 財布の中は持ち主が言った通り現金が三万と少し入っていた。
 几帳面に整理された財布の中には保険証やカード、顔写真付きの運転免許証がある。
 免許証に写る女の顔は堅苦しく、どこか不機嫌そうだ。

「……」

 その写真を、さくらは擽る様に指で何度か撫でる。
 予想通りすぎる無愛想な写真や細々と書かれた情報をさくらは何度も繰り返し読み取り、記憶の箱に仕舞い込んだ。

「よし。修復は終わったぞ」

 爽やかに汗を拭きながら、鳴海がさくらに笑顔を向ける。
 いい仕事をしたと言わんばかりの満面の笑みだ。
 
「助かったよ、兄弟」

 ゲームに飽きてトランプを捨てるように、もう用はないカードをさくらはテーブルの上に放り投げる。
 
 蝋燭のみ灯された暗い「レストラン」。
 キングサイズの天蓋付きのベッドの上には真っ白い人形が寝かされていた。

「ああ、さすが兄弟だ」

 形のみ修復されたそれは正しく「人形」だった。
 じっと、その全身を観察する。
 服の上からでもさくらはある程度の体型を見抜くことができたが、こうして女の裸を見たのは初めてだ。
 
「完璧」

 それでもさくらには完璧に修復されたことが分かる。
 
「まったく、ギリギリだったんだぞ? 本当ならとっくに壊れていたものを元に戻すのは骨が折れる。俺の性に合わん」
「はは。疲れている兄弟には悪いけど、なかなか興味深い光景だったよ」

 破れた肉袋をよくここまで修復できるものだと、頼んだ張本人であるさくらは感心する。
 さくらがここまで持って来た心臓と、その他全て。
 原型などまったくなかったあれらを思い出せば、目の前のこの美しい人形はまさに奇跡だ。
 
「俺よりも、この子自身が頑張ったからな」

 鳴海はどこか誇らしげに人形の胸の辺りを見つめる。
 心臓を核にし、血や肉片、骨の欠片、毛髪などがゆっくりと群がる様はまるでケーキに集る蟻の集団のようだ。
 ケーキである心臓はそれでもとくとくと弱弱しく鼓動を続けていた。
 ずっと心臓それを見守っていた鳴海はだんだんといじらしく見えて来たらしい。

「しかし、急に呼び出されたと思ったら、まさか生の人の心臓を突き出されるとは思わなかった。細胞から修復しろなんて…… 最初は冗談かと思ったぞ?」

 丸一日似たような体勢で集中していた鳴海はポキポキと骨を鳴らす。

「だが、久しぶりに魔力使うとこれはこれで献血した後みたいに爽快な気分になるな!」

 やはりなんでも溜め込むのは良くないとうんうん頷く鳴海を余所に、さくらはベッドに寝かされている人形の顔を覗き込んでいた。

「……」

 ちょんちょんと髪の毛を引っ張る。

「……ふーん」

 頬を撫でると当たり前だがひんやりしていた。
 触り心地はあまり良くない。
 近くで見るときめ細やかな肌だと分かるが、少し内側から荒れているような手触りだ。
 ここまで完璧に修復できる鳴海が凄いだけなのかもしれない。
 顎に出来たニキビなども元の通りだ。

「……ふーん?」

 生意気なことばかり言っていた唇を摘まむ。
 年の割に弾力がある。
 ついでに両頬を摘まんで引っ張ると、意外なほどよく伸びた。

「ふっ…… ブス」

 間抜け面に思わずさくらは吹き出す。

「……何してるんだ?」
「ん?」

 いつの間にか背後に立っていた鳴海がなんとも微妙な顔で見ていることにも気づかず、さくらは顔を弄る手を止めない。

「なんか、ムカつく顔ばっか見てたから」

 しばらく顔を弄繰り回して満足したのか、さくらはどこか上機嫌に頷いた。

「死に顔は悪くないね」

 顔を歪ませているところばかり見ていたせいか、力が抜けて瞼を閉じている表情が特別新鮮なものに思える。
 長い睫毛が陰を落とす目元など。
 性格やさくらの趣味は別として、見た目は悪くない。

「死に顔ではなく寝顔だろ。誰でも無防備に寝ている姿は可愛いもんだ」

 鳴海は手近にあった真っ白いシーツを無防備な肉体にかけてやる。
 ぐちゃぐちゃな時ならまだしも、今の状態で裸体を晒されるのは嫌だろう。

「まだこんなに若いのに…… 可哀相にな」

 何故、あんなえぐい状態になっていたのかと聞いた鳴海は自分が修復した人形に心底同情していた。

 今は苦しみなど微塵もなく、綺麗に整った人形の顔。
 この顔が潰れていたのだと思うとより一層残酷に思えた。

「可哀相っていう玉じゃないけどね」

 隣りのさくらがどこか不服そうに鼻を鳴らす。
 鳴海はそんなさくらの行動や心情があまり読めなかった。
 血まみれでとくとくと弱弱しく動く「生きた心臓」を差し出されたときは驚いたが。
 もっと驚くべきなのは別のことかもしれないと、今更ながらに鳴海は思った。
 潔癖でプライドが高く、好き嫌いの激しいさくらがわざわざ人間の女一人、それも限りなく死体に近い物体を拾い集めただけでもありえないことだが、更に鳴海に修復を頼むなど、もはや異常である。

「今は息していないんだから、やっぱり死に顔だよ」

 人形の鼻を摘まみながら、ごく普通に答えるさくら。
 わざわざ修復させるほど大事なのかと思えば、その扱いは粗野で乱暴ですらある。
 鳴海としてはもう少し丁寧に扱って欲しいと思ってしまう。
 せっかく丸一日かけて修復したのだ。

「息はしていないが生きてはいるぞ。さすがに俺とて死人を生き返らせることはできない」

 逆を言えば限りなく死人に近いもの、人間というよりも潰れたトマトに近いものでも、まだ現世にしがみ付いているものがあればどうにでもなる。
 心臓が微かでも動いている限り、その魂を引き留めることができる。
 極論をいえば肉体が壊れても、本質である魂が捕まえられる範囲でうろちょろしていれば修復することもできるのだ。
 あくまで理論上の話であり、いくら鳴海でもそんなレアなケースに当たったことはないし、聞いたこともない。
 今の状況も相当レアではあるが。

 さくらが文字通り欠片も残さず拾い、核の部分である心臓を生かし続けたからこそ完璧に肉体を元に戻すことができた。
 壊れた硝子細工が自分の意思で元の形に戻るように、鳴海は細かな肉体の欠片全てに魔力を注いだのだ。
 後は逆再生の要領で勝手に戻って行く。
 修復というよりも、再生に近い。
 
「さて、肉体はもう大丈夫だ」

 鳴海の手で再生された肉体はもう完璧だ。

「後は魂と精神だな」

 概念に近い存在である彼らにとっては、むしろ魂や精神という目に見えないものの方がずっと重要である。
 それはもちろん、元は人であった目の前の人形も同じだ。
 入れ物だけ元に戻っても、中身が無ければずっと人形のままである。
 肉体の再生よりも鳴海は逃げようとする魂を捕まえていることに手を焼いていた。

「魂と肉体が揃えば必然的に精神も目が覚める」

 肉体と魂と精神。
 どれか一つでも欠ければ「蘇生」は完成しない。
 肉体は修復されても、それでは意味がないのだ。

「だが、彼女の魂は拒絶している。それが一番の問題だ」

 鳴海は難しい顔で腕を組み、頭を悩ませた。

「……この期に及んで、本当にしぶとい女だ」

 さくらが苦々しく顔を顰める。
 ここまで頑張って肉体を再生したのに、肝心の肉体の持ち主が元に戻る事を、俗に言えば生き返ることを拒んでいるのだ。
 舌打ちしてしまうのも仕方がないだろう。

 しかし、こんな風にあからさまに負の感情を表に出すさくらはとても珍しい。
 鳴海の目には奇妙に映った。
 
「……難しいが、無理矢理魂を呼び戻すしかないな」
「魂を呼び戻す?」

 なんだか色々とさくらには聞きたいことがあるが、今は目の前のことを優先するべきだと鳴海は気持ちを切り換える。
 さくらがここまで執着しているのだから、兄としてはなんとかしてやりたいと思う。
 あまり好ましいとは言えない方法でも、ついつい弟のために使いたくなる。

「どうやって?」

 素直に首を傾げて聞いて来るさくらは見た目よりもずっと幼い。
 鳴海からすればまだよちよち歩きの赤子のような存在だ。

「魂を屈服させるしかないだろう」

 鳴海はあっけらかんとそう口にした。

「ようするに、俺達の眷属にしてしまえばいい。そうすればどんな命令にも逆らえなくなる」

 とは言っても、鳴海からすればあまり良い方法とはいえなかった。
 無理矢理力づくで誰かを従わせるのは鳴海の性格に合わない。
 何よりも、そんなことをすれば魂に傷がつき、必ず歪みが生じてしまう。
 そうなると必然的に精神が引っ張られ、人格に支障が出る。

 肉体も中身もあくまで同じだ。
 しかし、人の最も繊細で柔らかい魂に鳴海達のような者が干渉すれば、たちまち染められてしまう。
 精神は曲がり、人格が変わり、魂が染められる。
 しかし、肉体だけはそのままだ。

「卵みたいなものだ。生卵が茹で卵になっても殻はそのままだが、中は違う。だが、それでもその卵は卵で、別の卵になったわけではないだろう? しかし、もう二度と卵かけごはんにはなれず、ゆで卵としてサラダの彩りになるしかない」
「……ようするに、見た目は元通りでも、人間じゃいられなくなるってことなんだろう?」
「まぁ、簡単に言えばそうなるな」
「……相変わらず兄弟の例えって分かりづらいよ」
「そうか?」

 再生した肉体に戻る事を拒絶する魂。
 それを掴み、強制的に肉体に戻す。
 そうすると人間には戻れなくなる。
 鳴海達の影響が強すぎるからだ。

 だが、そうでもしないと「蘇生」は完成しない。

「健全な魂は健全な肉体と精神に宿る。魂と精神が人でなくなれば、肉体もまたその内自然に作り変えられるだろう」

 肉体が生きていても魂がいつまでも戻らなければ、最後には全て・・消滅する。

「彼女を元に戻したいのなら、俺達の眷属にするしかない」

 鳴海はさくらの顔を覗き込む。
 決めるのはさくらだ。

「人間として死なせるか、それとも俺達と同じ…… 淫魔としての生を与えてやるのか。決めるのはお前だ」

 いつものように温かな声で鳴海はさくらに選択を迫る。
 その目は、赤く静かに揺れていた。

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