奥様はとても献身的

埴輪

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≪過去②≫

3 嫌いには理由があるんだよ

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 会社の新人であり、自身の後輩である星田は普段のぼんやりとした無表情が嘘のように明るく楽し気にグラスを傾ける。

「かんぱーい」
「……乾杯」

 文香の頼んだカクテルと星田のビールジョッキが勢いよくぶつかった。

「もぉ、すっごい喉が渇いてたんです~」

 目の前でごくごくと一気にジョッキの半分を飲み干す星田に文香は呆れた。
 そこそこ大きく、そこそこ人の少ない個人経営の居酒屋だ。
 居酒屋というよりもカジュアルなバーに近く、常連らしい星田は奥の席に通され、雰囲気に流されるがままに文香は釣られるようにカクテルを注文した。
 あれよあれよと酒が運ばれ、文香の前にビール、星田の前にカクテルが置かれたときは思わず苦笑いした。
 
「さっきの店員さん、新人っぽいですね。初めて見る顔でした」
「そうなんだ…… ここには、よく来るの?」
「結構来ますよ~ 五月蠅くないし、変な酔っ払いも少ないし、お酒の種類も多いし…… あと、滅多に顔出さないんですけど、ここの雇われ店長がめっちゃイケメンで……!」
「そ…… そう……」

 やたらとテンション高く絡んで来る星田に文香は戸惑った。
 聞いたことがあるようなないような、陽気な音楽が流れ、賑やかなのにどこか落ち着いた雰囲気、アルコールと料理の匂いが満ちた暖かな空間。
 目の前で華やかな化粧をした会社の後輩がにこにこと嬉しそうに語り掛けて来る。
 現実味が薄く、夢でも見ているのではないかと思った。

「香山先輩とプライベートでお酒が飲めるなんて思わなかったです。おかげでいい思い出になりました」
「思い出って、そんな大げさな……」

 星田は躊躇いもなく歓喜を表に出す。
 文香は何故星田がそこまで自分と飲むのが嬉しいのか分からず、照れと戸惑いでどういう反応をすればいいのか分からなかった。
 そんな風に好意を露にされるのは久しぶりだ。

「だってもう香山先輩とは会えないって思ってたから……」
「……え?」

 ぐびぐびと気づけばもうジョッキを空にした星田はメニューを眺めながらさらっと世間話のように零す。

「あ、私、もう会社辞めるんで」

 文香は危うく自分の手からグラスが落ちそうになった。
 
「……は?」
「連休になる前の日に、上司のデスクにこっそり退職届出しちゃいました。あのときはもうドキドキだったんですよ? 誰にもバレずに、こっそり」

 あっけらかんと笑う星田に文香の頬が引き攣る。
 自分がそれなりの時間と手間をかけて指導し、散々迷惑を掛けられて来た目の前の後輩、いや元後輩に眩暈がしそうだ。

「香山先輩には色々とお世話になったし、何かお礼したいな~なんて珍しく思ってたんですよ? でも今年はいつもより休み取ってるからどこか旅行にでも行くんじゃないかって噂を聞いて、連絡取りたかったのにずーっと我慢してたんです。偉いでしょ? ちゃんと香山先輩の都合も考えたんです」

 えっへんと偉そうに胸を張りながら店員を呼びつける星田に文香は未知の生き物を見たような、なんとも微妙な表情で凝視した。
 文香が料理は何でもいいという言葉を律儀に捉えた星田は呼びつけた店員に慣れたように好き勝手注文していく。

「あっ、このジャンボパンケーキとか初めて見ました! 美味しそう…… 先輩、サラダと一緒にこれもシェアしましょうよっ、ねっ!」

 キラキラと眩しい笑顔で見て来る星田に文香は頭が痛いとばかりに溜息が出そうになるのをぐっと堪えた。






 乾いた喉を潤すために文香はグラスをぐいっと呷り、意を決して能天気に笑う星田を見つめる。

「会社を、辞める理由って何? そんなに、嫌だった……? 仕事とか、人間関係とか……」

 私とか?

 その言葉はなんとかギリギリで文香は呑み込んだ。
 新人に苦手意識を持たれ、避けられているというのは自覚している。
 その中で一番の問題児だった星田の指導係を押し付けられた文香は元々性に合わないせいもあるが、一度星田を泣かしたことがあった。
 もしかしたら、自分のせいかもしれない。
 責任感が強く、またマイナス思考寄りな文香は潤したはずの喉がまた緊張で乾くのを実感した。
 もう既に悪酔いしそうだ。

「私の教え方が、下手とか、厳しすぎたとか…… 前、泣かしたこともあるし…… もしも、それが原因なら、」
「えっ? あれ、嘘泣きですよ?」

 これでも文香は引きずるタイプだ。
 星田を泣かしてしまい、上司に怒られ、飲みに連れられて慰められた日は本気で落ち込んだ。

「……は?」
「やっだなぁ、香山先輩ったら本気にしちゃって~」
「う、嘘って……」
「あのときはまだ香山先輩がどういう人かわかんなかったし~ なんか叱られそうな雰囲気で、めんどくさいなーって思って」
「め……」

 言葉を詰まらせる文香に星田はくすくすと笑う。
 文香を指差しながら可笑しそうに笑うので、思わずその指を折り曲げたくなった。

「だって、泣いたら許してくれたじゃないですか?」

 作戦大成功~と嬉しそうに一人で乾杯してぐいぐい新しいビールを飲み干していく星田に文香は項垂れた。
 怒りが湧く気も起きないほど、脱力したのだ。

(なにそれ…… あのとき悩んでたのに、馬鹿みたいじゃない……)

 テーブルに項垂れる文香に星田が首を傾げる。
 その仕草は会社でもよく見るものだ。
 文香が何か説明するたびに、一層わざとかと思う程大仰に首を傾げて文香の言っていることが分かりませんとアピールする星田に何度キレそうになったことか。
 分からないと言う前に、何度メモを取れと注意したことか。
 思い出すと、本気で落ち込む。
 一体、あの苦労の日々はなんだったのかと。
 新人を泣かせてしまったことに心底落ち込み、星田の顔を見るたびに罪悪感に襲われ、細心の注意を払って言葉をかけていたのに。

 思わず、口から重く長い溜息が零れる。

「……そっか、嘘泣きか。本気で泣いてたわけじゃないんだね」

 文香のそれは独自だった。
 星田に聞かせるためのものではなく、自分自身の素直な感情がそのままぽろっと零れただけだ。

「……なら、よかった」

 あのとき、文香の言葉で傷ついたわけではないのなら。
 悪いことはではないと思った。

 ふんわりと、それでいて控えめに、不器用に文香は微笑んだ。
 安堵に潤んだ目を細め、唇から微かに零れる小さな笑い声はすぐに消えてしまうほど儚い。

「……」

 真正面からじーっと見て来る視線に気づき、文香は顔を上げ、眉を顰めた。
 それも仕方がない。
 まるで睨むように、なんともげんなりとした顔で星田は文香を見ているのだ。
 先ほどまでの明るく、無礼なほど天真爛漫な笑顔が嘘のように。

「何?」

 私の顔、何かついてる?

「……私、前から思ってたんですけどぉー」

 口を尖らせ、心底嫌そうに文香の顔をじーっと凝視したまま、星田は口を開く。

「香山先輩って、ですよね」
「…………は?」



* *


「あざとい?」

 聞き慣れない言葉に、文香は少し酔いが回ったのか、上手く動かない頭を必死に稼働させる。
 あざといとはどういう意味だったのかと、無意識に指で唇をなぞり、小鳥のように首を傾げる文香の頬はやや赤く、目はとろんとしていた。

「ほらっ、だから、そういうとこ!」
「っ……!?」

 いきなり目の先に指を突きつけられ、文香はびくっと驚き身を震わせる。
 いかにもビビっていますという自分の動揺に文香は顔を赤くし、誤魔化すように失礼にも元会社の先輩を指差す星田に抗議した。

「も、もう、何よ…… いきなり、びっくりするじゃない……っ!」

 声が地味に震え、文香は更に恥ずかしくなったのか、いつもの癖で唇を噛み、情けない姿を見せたことに対する悔しさを見せた。
 そんな文香に星田はふわふわとした自分の髪を掻きむしる。

「だ・か・らっ、そーいうとこが…… ああっ、もうッ!」
「ほ、星田さん……?」

 今にもテーブルを叩きそうな様子の星田に文香は怯えながらも様子を伺う。

「先輩は、いちいち仕草とか行動が、なんだかもうあざといというか…… 分かります? 普段はツンツンとクールぶって、仕事はできるけど人間味のない上司が、実は天然で、隠れドジっ子で、人に見られないとこで一人落ち込んだり、こそこそと失敗した手作り弁当を食べてたり、かと思ったら嬉しそうにプチトマトをんー♡って言いながら幸せそうに食べてたり……!」
「……星田さん? よ、酔ってる……?」
「なんだかんだ厳しくした後に不器用にフォロー入れようとしたり……」

 おろおろとどうすればいいのか分からずに慌てる文香に星田は苦いものでも食べたような微妙な表情を向ける。

「……香山先輩は、あざといです。全部計算なら笑えるのに、全部無意識だから、もう逆に怖ろしいです…… むしろ同性としてうざい」
「う……!?」

 文香の顔が一気に青褪めた。
 場の雰囲気、星田の迫力に飲まれ、ついつい素で反応する文香はいつも以上に素直だ。
 堂々とウザいと言われたのは初めてだった。
 基本、陰口でしかウザいと言われたことはない。
 
 星田はまだ酔ってはいなかったが、着実に酒によっていつも以上にテンションが高く、遠慮がなかった。
 そして、文香は確かに酔っていた。

「ほ、星田さんは…… 私のことが、きらい?」

 素面なら決して言わない、ましてや散々苦労させられた元会社の後輩にこんな情けない面を見せるはずがないのだが、残念ながら今の文香は若干酔っている。
 どこか泣きそうになりながら縋るように星田を見つめる文香に、星田は少し頭が冷静になったのか。
 お冷を一口飲んでから首を振る。

「前は嫌いでしたけど、今は嫌いじゃないです」

 どこか含みを持たせる星田に文香の不安は消えない。
 酔っているからこそ、いつもよりも大胆に弱気な文香に星田は笑顔を浮かべる。
 
「だって先輩…… 美人であざとくて、いかにも男が喜びそうな属性満載なのに…… めちゃくちゃモテないじゃないですか」

 だから、もう嫌いじゃないですっと、ケラケラ陽気に笑う星田も、やはり少しだけ酔っていた。

「香山先輩って本当、可哀相なぐらい…… 色気がないというか、フェロモンが足りないというか……? なんか、残念ですよね~」

 途轍もなく失礼なことを言っている自覚もなく、星田は可愛らしく笑う。

「そりゃあ、初めは先輩のこと嫌いでしたよ? 厳しいとか、糞真面目なとことか抜きにして。女ってほら、先輩みたいなタイプが嫌いなんですよ。だから私も嫌いでした。こいつうぜぇーって感じで」



* * *


 星田は本気で文香が嫌いだった。
 初めて会ったときはすごい美人だなと思った。
 きっちりとした、どこか隙の無い化粧と常に冷静でクールぶった表情、それと地顔が派手というか、切れ長の目が妙に人に威圧感を与える。
 きつめの美人。
 クールビューティー。
 丸顔を髪型で隠している星田には到底なれないタイプの美人だ。
 しかも性格が顔のまんま冷徹。
 学生の頃からおちゃらけ、友達と遊び、男を転がすことを楽しんでいた星田と違い、いかにもストイックな文香は正直理解できない。
 怖くて厳しい美人の会社の先輩。
 それだけなら、まだいい。
 だが、文香はそんな禁欲的でクールな外面と違い、実は隠れ天然ではないかと気づいたとき、星田は戦慄をした。

 書類を抱え、きびきび歩いていたかと思えば何もないとこで転び、慌てて周囲を確認して悔しそうに顔を真っ赤にして散らばった書類をかき集める。
 
 そんな、絵に描いたような文香がドジったシーンを見たときから星田の中で文香は危険人物になった。

 女の多い職場だが、男がいないわけではない。
 適度に男の上司に取り入り、遊び用の彼氏でも見繕うとしていた星田は、そんな気が起きないほど文香を観察することに熱中した。

 見れば見るほど、ギャップがあるというか。
 強気な顔をして、実はこの人打たれ弱いなと知ったとき、またそれをプライドで隠して一人で背負い込む習性があることを知ったとき。

 はっきり言って星田は文香を嫌いになった。

 初めは面倒そうな、怖い先輩というだけで嫌いも好きもなく、そもそも無関心だったのだが。

 星田は文香が同性からそれとなく嫌われていることを知っている。
 たまに愚痴を聞くと、文香のお堅く融通の利かない性格、正論ばかりいう所がいい子ちゃんっぽくて嫌だという意見が大半だ。
 だが、星田は分かっていた。
 それは所詮ただの言い訳で、文香の何が嫌なのか、皆本当はよく分かっていないことを。
 星田は彼女達が無意識に文香を嫌う理由を知っていたが、わざわざそれを指摘するほど物好きではない。

 ようするに、皆星田と同じ気持ちなのだ。

 文香は、文香という女は。
 彼女はあざとい。
 
 顔やスタイル、無意識に出る女性らしい仕草。
 美人でクールな女が実は隠れドジっ子で、打たれ弱く隠れて落ち込む。
 これが計算なら素直に称賛できたが、文香は天然だ。
 男にモテそうな、そんなハイスペック要素を、控えめに、物凄く控えめながらぎゅうぎゅうに詰め込んだ、ぶっちゃけどこぞの攻略キャラのような女。
 この控えめ具合がこれまた絶妙なのだ。

 星田は女の本能として思った。

(うざ……)

 悪い人ではない。
 わざとではない。
 だからこそ、星田を含めた女達は文香にもやもやイライラする。

 誰だって嫌だろう。
 文香みたいに、無意識で男を誘惑してしまうような女は。

 だが。
 それはあくまで初期の星田から見た文香だ。

 星田はその後文香に気を許し、むしろこの人面白いなーと観察するようになった。
 理由はただ一つ。

 無意識にあざとい系女子でモテる要素満載の美人。
 それなのに、文香は壊滅的なまでに男にモテない。

 つまり星田の敵ではなかった。
 そけだけである。

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