奥様はとても献身的

埴輪

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≪現在②≫

19 トゥルーエンドにはまだ遠く

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 志穂は大きな子供だと恭一は認識している。
 初めて見合いの席で会った志穂はまだ未成年だった。
 恭一に怯え、緊張で何も喋れず涙を浮かべる志穂は歳よりもずっと幼く、哀れに思ったほどだ。 
 初め恭一は形だけの見合いとして若すぎる志穂を妻にしようとは思っていなかった。
 父の顔を立てたくないという意思と若過ぎる志穂にはまだ未来があると思ったのだ。

 二人だけの席で、恭一はそのことを伝えた。
 あまりにも志穂が暗い顔でいるため、恭一なりに元気づけようとしたのだ。
 それだけ哀しみを滲ませる志穂はすぐにでも消えてしまいそうなほど儚く、人の同情心を煽る。

 だが、志穂は恭一との結婚を望んでいた。

 もしも恭一との結婚が成立しなければ、志穂は役立たずだと継母に罵られてしまう。
 後妻の子である跡取り息子が既にいるため、実家に居場所がないのだと志穂は恭一に震える声で訴えた。

 志穂の母は既に亡くなっていた。
 絆されただけだと言われたら、きっとそれまでだ。
 志穂の家庭事情を知り、その境遇に同情し、自分を重ね合わせなかったのかと聞かれれば否定できない。

 恭一は幼い子供のように涙をぽろぽろと溢れさせる志穂を守ってやりたいと思った。
 そのときの恭一はまだ若かった。

 志穂という娘を、いや女を。
 何一つ、いなかった。






 三年ぶりに聞いた香山優の声。
 特に優個人に対する感想はない。
 だが、彼と志穂が約束を破って会ったことについては苛立ちに似た思いを抱いている。
 そして、その苛立ちを決して見せないのが恭一という男だ。
 恭一はいつもそうやってプライドという鎧で自分を守っている。

「一体志穂に何の用だ。こんな時間にかけてくるなんて非常識だと思わないのか?」

 桜の昨晩の眠りは浅く、何度も起きては怯えるように泣き出した。
 一晩中慰めていた志穂は今はぐっすり寝ている。
 何度も鳴る着信に気づかないほどよく寝ていた。
 このままでは桜が起きてしまうと、恭一はスマホを手に取り、表示された名前に嫌悪を露にしたが、仕方なく出ることにした。
 そのまま電源を切っても良かったが、結局数秒考えた末に電話に出ることにした。
 早朝にも関わらず、随分と煩い第一声だと嗤いながら。

 まさか恭一が出るとは思わなかったのか、向こうが動揺しているのが分かる。
 奇妙な沈黙がしばらく続き、これ以上は時間の無駄かと通話を切ろうかと思った。

「用がないなら切るぞ」
『っ、待ってくれ……!』

 余裕のない優の声に、恭一は眉間に皺を寄せる。
 はっきり言えば恭一は優が嫌いだ。
 何故、こんな責任感も誠実さもない優男に文香は惚れたのかと辛辣な思いすら抱いている。
 
『聞きたいことがあるんだっ、頼むから、切らないでくれ……』

 おまけに、礼儀も弁えていないときた。
 会社での評価が高いと聞いたが、よっぽど周りが無能なだけなのではないかと疑う程度には恭一の優に対する評価は低い。
 むしろマイナスだ。

「聞きたいこと? 君に、そんな資格があるとでも思っているのか?」

 優と志穂が会ったこと。
 それを知っていることを恭一はあえて言わなかった。
 だが、どこか皮肉気な恭一の声に、鈍くはない優は何か勘づいたらしい。
 躊躇った後に、心底申し訳なさそうに謝罪の言葉が紡がれる。
 何に対しての謝罪かと聞けば、優は初めの威勢が嘘のように弱弱しく昨日志穂と会ったことを、約束を破ったことを改めて謝罪した。

「気にすることはない。大して期待はしていなかった」

 それは嫌味ではなく恭一の本心だ。

「君の謝罪はもう聞き飽きている。それで? 君は何が目的で志穂に電話をしたんだ?」
『…………』

 まただんまりかと、うんざりする恭一に、優は意を決して言葉を紡ぐ。
 
『……文香のことが、知りたくて』
「……何?」

 恭一の声色が変わる。
 それに気づかないまま、優はここぞとばかりに恭一に言葉の嵐を浴びせた。
 優の勘が、恭一が何か知っていると告げている。

「……待て、それで君はどうして志穂に聞こうとしているんだ?」

 恭一は文香が優に会いに行ったことを知っている。
 だが、その頻度も目的も知らなかった。
 知るべきではないとあえて調査しなかったからだ。
 未だ、恭一は志穂の外出に制限をかけているが、桜が産まれたことによってそれが緩み出したことを自覚している。
 そして、その隙をついて志穂が優に会いに行ったことも。
 二人がどんな会話をしたのか知らないが、後に改めてホテルの従業員の話を調べると初めは随分と穏やかで、その様子は親子のようだったという証言を得ている。
 だが、そこから急に雲行きが怪しくなり、桜が突然泣き叫ぶと優は無言で立ち去ったという。
 その後志穂が腰を抜かしたように座り込んだと聞けば、きっと志穂にとって良くない結末になったのだろうと推測できた。
 
 恭一の中で優は志穂と、そして文香と線が繋がっている。
 だが、志穂と文香が繋がっていることは、初耳だった。
 志穂の優に対する執着は知っているつもりだ。
 だが、志穂の文香に対する感情を、恭一は見誤っている。

 それは誤算だった。

 恭一はどうしても身内に対して詰めが甘い。
 
 優に覚られないように、恭一は平静を装う。
 だが、志穂が優と文香と昨日だけではなく一度外で会ったことを告げられ、予想はしたが苦々しい思いが募った。
 ファミレスで文香と会ったとき、そんなことは一言も言われていない。
 それが、恭一にはショックだった。

「君と彼女はもう離婚しているのだろう? なら、潔く彼女のことは諦めたらどうだ?」

 自然と優を批難する台詞が出て来る。
 だが、恭一のその言葉を聞いた優は電話越しでも分かるほど雰囲気が変わった。

『……諦める? 俺が、文香のことを?』

 怒りを必死に抑え込んだような低い声色に恭一は苛立つ。
 志穂のことを管理し切れなかった自分自身への苛立ちも含まれていた。

「そうだ。いい加減、彼女のことは忘れろ。もう、君達は別々の人生を歩んでいるんだ。現実を見ろ」
『……それを、あんたが言うのか?』
「……何?」

 焦り、必死になっていた優の声が冷たく恭一の鼓膜を揺らす。

『あんたこそ、一体どういう頭をしてんだ? なぁ、自分の娘に、俺と文香の娘の名前をつけて、恥ずかしくないのか? プライドもないのかよ!?』

 耳をつんざくような怒声。
 それに混ざる哀しみと怒り、憎しみに恭一は動揺し、一瞬頭が真っ白になった。
 恭一らしくない失態だ。
 優の言葉に強い衝撃を受け、頭が未だ追いついていない。
 意味を把握するのに、随分と時間がかかった。
 その合間にも優の獣の呻きのような呪詛が恭一を縛り付ける。

「……どういうことだ? 娘の、俺の娘の名前が……? 志穂は、君になんと言った?」

 優も冷静ではなかった。
 もしも双方とも冷静であれば、きっとその温度の違い、話の違和感にすぐに気づいただろう。

『志穂は…… 自分の子の名前は《優香》だと、そう俺に言った』

 恭一は今ほど自分の頭の回転の良さを恨んだことはない。
 混乱が収まり、自然と冷静さを取り戻してしまう自分を憎んだ。

 ゆうか。
 音を聞いただけで恭一はすぐに字を当てた。
 優の激昂具合を見れば、それはきっと「優香」となるのだろう。

 なるほど、優と文香の娘の名前と言われれば、しっくり来る。
 だが、恭一は優香など知らない。

 恭一の娘は桜だ。

 今すぐにでも反論したかったが、恭一は鉄の意思で自分の感情を制御した。
 志穂と優が決裂した全貌が見えて来た。
 それを知ってどうするのだと思いながらも、恭一はどうしても聞かずにはいられなかった。
 志穂は、優になんと言った。

「他に…… 何を聞いた?」

 彼女は自分の娘をなんと説明したのだ?

「君は、俺の娘の…… 他にどんなことを聞いた?」
『……それを言ったら、文香のことを教えてくれるのか? あんた、何か知ってるんだろう?』
「…………」

 どうやらここに来て優の評価を改めなくてはならない。
 彼は、こんなにも勘の鋭い男だったのかと、舌打ちしたくなる。

 恭一は葛藤した。

 優の切羽詰まり様を見れば、文香が彼から逃げたと察せられる。
 そして当の優は文香との連絡の手段がないらしい。
 まったく信用されていないくせに、それでも文香を求めようとする優はまるでプライドのないハイエナのように思える。
 いや、自力で狩りをするハイエナと比べること自体失礼だ。
 文香の情報という餌を、肉片一つ見逃さず、食い漁ろうとしている。

 そんな飢えた獣に文香の情報を渡していいはずがない。
 悩んだ末に、恭一は優を突き放した。

「残念だが、俺は彼女のことは何一つ知らない」

 沈黙が、重く二人の男の間に落ちた。

『…………』

 なんとなくだが、優は恭一の嘘を見破っているのだと思う。
 それは恭一の妄想かもしれない。

『……俺の子』

 ぽつんっと、先ほどの荒々しさなど幻だったのではないかと錯覚してしまいそうなほど、小さな声が聞こえる。
 恭一には理解できなかったが、何を思ったのか優はを語った。

 悪魔か天使か。
 嫌がらせか同情か。
 優は葛藤の末、文香の安全を取った恭一に、毒薬を流し込む。

 果たしてそれは人の好い優の悪意なのか、善意なのか。
 顔が見れない恭一には判断できなかった。
 する余裕もない。

『あの子は俺の子だと、そう言われたよ』

 優の語った内容は恭一にとってあまりにも残酷だった。

『罪滅ぼしとして、文香の代わりに俺の子を産んだそうだ。だから、名前は優香』

 まるで機械のように無機質な優の声が恭一の脳みそを揺さぶる。

『……そんなわけないって思ったよ。年齢を聞いて、確かにとは最初は思った。でも、そんなのありえない。俺には分かる。俺の、本能があの子は違うと訴えている』
「……本能だと?」

 優の根拠のない自信に呆れながらも、恭一は否定することができなかった。
 今回ばかりは優の本能、勘は当たっているのだから。

「……それに、あんたなら、あの時期にできた子のDNA鑑定をするはずだ。もしも違ってたら…… きっとあんたは許さないだろ?』
「…………待て」

 吐き気がしそうな眩暈に堪えながら、恭一は優の言葉に引っかかった。

「……年齢だと?」

 おかしい。
 名前だけではなく、何かが引っかかる。
 優の言っている内容では、計算が合わない。

『二歳だろ? ご丁寧にあの子が自分で教えてくれたよ。逆算したら…… ちょうど、あの時だ』
「……娘が、自分からそう言ったのか?」

 恭一は自分の声が震えなかったことが奇跡だと思った。

『ああ。俺に指を突きつけて、自分で言ったよ』

 優は恭一の混乱を、衝撃を知らないはずだ。
 だが、何故だろう。
 ただの被害妄想なのか。
 まるで恭一が苦しんでいるのが分かっているかのように、その言葉の端々に悪意と喜悦が滲んでいる気がした。

 恭一の手から、志穂のスマホが落ちていく。
 
 優の通話は切れた。
 だが、彼が残した真実はあまりにも残酷だ。

 乾いた笑いが、恭一のかさついた唇から零れる。
 桜が起きないように、恭一は奥歯を噛んで、自分の愚かさに耐えた。



* *


 車の中で恭一は電話をかけた。
 すぐに付き合いの長い有能な秘書と繋がる。
 
「ああ、俺だ。頼みたいことがある」

 恭一は窓の外を流れる風景を眺めながら、いつものように指示を出した。

「仕事ではなく、プライベートな話だ。ああ、そうだ」

 窓に映る恭一の顔は冷静そのものだ。
 眉一つ、動かさずに恭一の口が機械的に動く。

「いや、駄目だ。プライベートだ。顧問ではなく…… 俺の家の息がかかっているのも論外だ。……君の知っている中から選んでくれ。なるべく、専門分野に特化した者を…… ああ、変わり者で構わない。骨のある者なら、それに越したことはないからな。報酬に糸目をつけない。時間も、労力もだ」

 いつもとは毛色の違う恭一の指示に秘書は戸惑っているようだ。
 だが、付き合いが長く、余計な詮索をしない有能な者、信頼できる者と考えるとその数は必然的に絞られる。

 それに、あくまでこれは備えだ。

 まだ、全てを決断したわけではない。

『心当たりはありますが…… 専門分野とは、一体どのような……?』

 秘書の当然の質問に恭一は笑った。
 こちらを気にしている運転手が微かに動揺している。
 それだけ、恭一の笑顔は珍しく貴重なのだ。

 窓の外を見る恭一の視界にはまったく別のものが映っている。
 それは、恭一にしか見えない。

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