奥様はとても献身的

埴輪

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≪現在②≫

15 一方、その頃 裏

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 優は気づけばあまり来たことのない道を歩いていた。
 何も考えられず、ただ文香に会いたいと願う彼は気づけば随分と人通りの多い場所に出ている。
 立ち並ぶビルに見覚えがないわけではないが、馴染みは薄い。
 
 何故、こんなところに来てしまったのかとぼうっとする頭の片隅で思った。

 何かに引っ張られるように、優の足は動く。
 そこに優の意思があったかは分からないが、不思議な力に導かれている気がした。

 どこかのデパートに入った優は少し人込みが途切れたレストラン階に出た。
 昼食をとるには遅い時間だ。
 洋食屋や中華屋、蕎麦に饂飩にラーメン、イタリアンと様々な料理の匂いで満ちたそこはこんな時間でもそれなりの人がいて、優は思わず鼻を抑える。
 今の優にとってはただ気持ち悪い匂いでしかない。

 気持ち悪くて仕方がなかった。
 何がそこまで優を嫌悪させるのか、優自身分からないまま。

 ふらふらと、意味もなく視線を彷徨わせる優の足取りは重い。
 
(何やってんだ、俺……)

 こんなとこでこんなことをしている場合ではない。
 文香に、会いたい。
 何でもいいから、会って話がしたい。
 温もりを感じたかった。
 確かめたかった。

(確かめる? 一体何を、確かめるんだ?)

 考える力すら湧いてこない。
 それなのに、どうして自分はここにいるのだろうと、優を除けていく人の波を眺めながら思う。
 休日ということもあり、家族連れが多い。
 優と同い年ぐらいの夫婦が小さな子供を連れている場面を見かけるたびに自分の中の何かが削られていくような気がした。

(……悪いこと、したな)

 通り過ぎた店の中から子供の泣き声がした。
 志穂の娘の泣き顔が脳裏に蘇る。

(あんな小さな子を怖がらせるなんて……)

 志穂の子に罪はないと分かっている。
 そもそもの罪は優と志穂にあるのだから。

 優の手から志穂が子供を奪ったとき、心底安堵した。
 これで傷つけなくてすむと喜ぶ自分に気づいたとき、優は愕然とした。
 怖ろしいことを当たり前のように考えた自分が信じられず、それが今も優を追い詰めている。

 霞がかった意識が少しずつ正気に戻る。
 戻るたびに、優の中で強い罪悪感や絶望が呻き出す。
 優が泣かした女の子の泣き声が耳から離れない。
 あのときの志穂が優に向けた視線に、その目に映る自分に自己嫌悪でどうにかなりそうだった。

(俺は、もう……)

 その思考は途中で止まった。

 気づけば俯く優の視界に小さな足が見える。
 顔を上げた優の視界に色がつく。

「あっ……」

 呆然と目を見開く優に、その少年は魅力的に微笑んだ。
 
 あのときの子だ。
 あの日、文香と一緒に帰った男の子。
 何故、ここに?
 
「っ、君……」

 反射的に手を伸ばす優に少年は踵を返して走り去ってしまう。
 唖然としながらも、優は急いで後を追いかけた。
 道行く人を持ち前の反射神経で除けながら、見失わないように優は必死だ。
 
(あの子は誰だ? 文香のなんだ? どうしてここにいる? あの子がいるということは……)

 近くに、文香がいるのか?

 そんな優の疑問はあっさり解消された。
 

!」


 少年の衝撃的な一言と共に。

「え」
「ママっ、助けて! 変なおじさんに追いかけられてるのっ」
「え、ちょ、さくら……?」

 トイレから出て来たらしい文香に少年がぎゅっと腰に抱き着き、怯えたように優を見る。
 ハンカチで手を拭く途中だった文香が呆然と少年を見つめ、次いで優にびっくりし、また少年に視線を向ける。

 はっきり言って優の方がずっと驚いている。
 驚くどころか、目の前がぐらっと揺れ、足元の床がガラガラ崩れ落ちていくような、そんな衝撃を抱いた。
 それだけ、謎の少年の発言は優にとっては地雷だった。
 たった今、吹き飛ばされたと言っていい。
 心が木端微塵になったのを優は実感している。

「なんで…… 優がここに……?」
「……文香、こそ」

 顔を青褪めさせる文香に優は表面上は冷静だった。
 笑顔すら浮かんでいる。

「……その子は、誰なんだ?」

 優の当然の質問に文香の顔が硬直し、冷や汗をかいているのが分かった。
 後ろめたいことがあるのか、ただ優に知られたくないのか。
 唇をぎゅっと噛んでいる。
 笑みを張り付かせたまま、優の目だけは文香を逃がさないとばかりに、縋り付くように離れない。

「さっき、ママって呼ばれてたけど…… 連れ子?」

 さすがに文香の子だとは思っていない。
 どう考えても年齢が合わない。
 だが、少年は間違いなく「ママ」と呼んだ。
 子供受けの悪い文香に非常に良く懐いているのが分かる。
 文香の細い腰に腕を絡ませ、小さな恋人のように密着していた。
 
 随分と慣れている。
 それだけ付き合いが長いということか。

 目を細めて更に笑みを深める優に、文香は随分と長い間黙っていた。
 いや、それは優の感覚だ。
 実際にはそんなに時間は流れていない。

「っ、そ、そう…… この子は、再婚した夫の子、よ……」

 何故かひどく言いづらそうな文香に、優はやはりそうかと苦々しい気持ちが腹の底から沸き上がった。
 分かっている。
 それがただの醜い嫉妬だと。

「そうか…… 結構、大きいんだな」

 優の頭にあの日公園で文香を抱きしめる若い男の姿が過った。
 今更ながら、あの端整な男と目の前の少年はそっくり、いや瓜二つだ。
 やはりそうなのかと自分の推測が当たったことに喜ぶ気になんてならない。
 むしろ、あの若い男にこんな大きな息子がいるということに優の心は荒れた。
 
 男の派手な美貌や、目の前の子供の存在。
 一体、いくつのときの子なのか。
 そもそも少年の実母はどうしているのか。

 嫉妬を抜きにしてもろくでもないイメージしか湧かない。

「ママぁ~ ねぇ~ この不審なおじさんは誰?」
「って、こら、何を言って……!」

 そんな優の気持ちなど知らず、少年が可愛く首を傾げて堂々と優を指差す。
 文香が咎めるようにその手を下し、今にも拳骨を落しそうに形相で拳を握りしめている。
 失礼なことを言うなと震える声で叱りつける文香に優は取りなすように笑った。

「あ、いや…… 俺が急にその子を追いかけたから…… 驚かせてごめんな?」
 
 その場にしゃがみ、少年に目線を合わせようとするとさっと逸らされる。
 小さく舌打ちが聞こえた気がしたが、見た目と違い男の子だ。
 これぐらい凶暴な方が元気があっていいのかもしれない。


「おじさん、ママの不倫相手?」


 だが、その次の悪意がたっぷり詰まったような無邪気な台詞に優は凍り付いた。
 文香も同じように凍り付き、そして急いで少年の腕を引っ張って行く。

 二人は数秒もしない内に戻って来た。

「うう…… ふみちゃんママったらひどいよぅ…… 僕のもちもち頬っぺたが取れちゃったらどうするの? こぶとり爺さんじゃないんだよ?」
「黙って」

 若干涙目になりながら赤くなった両頬を摩る少年と平静を装ったいつもの文香。

「気にしなくていいから。今日はデパートに用があって。ついでにここでお昼を食べようと思ったの」
「そ、そうか……」

 少年の発言に心臓が一瞬止まり、今は飛び出しそうなほど暴走している。
 それを宥めながら優は自分がどんな態度をとればいいのか分からなかった。
 
「ママ~♡ 僕早くチョコレートパフェが食べたいよ~」
 
 うるうるうるうると潤んだ眼差しで文香を見上げ、甘える少年に優の笑顔が引き攣る。
 同じく文香も引き攣っていた。
 
「仲が…… 随分といいんだな」
「人見知り、しない子だから……」

 なんとも白々しい会話が流れた。

 
 そして、気づけば優は文香達と遅い昼食をとることになった。

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