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≪現在②≫
9 ファミレスで逢引?
しおりを挟む約束の時間が近づき、文香は家を出ようと準備をしていた。
「……」
背後から恨めしく見て来るさくらを無視して。
「いい加減、機嫌を直してよ」
「……ふんっ」
つーんとそっぽをむくさくらに文香は心底困ったようにため息を零した。
今朝からずっとこの調子だ。
「ちょっと会って、ちょっと世間話して、すぐに帰って来るから」
「……ふみちゃんの浮気者」
だんだんと面倒くさくなってきたと言わんばかりの文香の冷たい態度にさくらはぼそっと呟く。
膝を抱えながら恨めし気にこちらを睨むさくらに文香は呆れてようやっと振り返った。
「浮気って……」
何を大げさな、と続けようとした言葉は途中で途切れた。
「酷いよ! 僕という者がありながら、白昼堂々、余所の男と逢引するなんて……!」
突然立ち上がり、涙目で叫ぶさくらにぎょっとする。
「ちょっ、大きな声で誤解されるようなこと言わないでよ!?」
「むっ、うぐっ」
急いでその口を手で塞げば、ぱしぱしと抗議された。
さくらならば簡単に振り解くことができるのだが、そこはやはり文香に暴力は振るえないと、だいぶ力を抑えている。
五月蠅くしないことを条件に手を放せば、さくらは上目遣いで文香を睨む。
「浮気は浮気だよ! 夫の僕が浮気だって思った時点でそれは浮気なの!」
「しーっ、だから静かにしてってば……っ」
そんなこんなでギリギリまでさくらとの攻防は続いた。
せっかく余裕をもって準備していたのに、気づけばもうすぐ約束の時間だ。
「こうなったら……」
また以前のようにさくらを甘やかして、焦って妙な約束をしてしまわないように文香は最終手段をとることにした。
数分後。
「ふ、ふみちゃんの…… 鬼! 悪魔! 人でなし!」
「どっちかというと悪魔で人でなしなのはあんたの方でしょ……」
慣れない身体で万が一文香に怪我をさせないようにさくらが過剰すぎるほど力をセーブすることを知っていた文香はそれを逆手にとってタオルを繋げたお手軽ロープでその細い手首を絞りつけた。
ついでに足も。
うっかりと文香の優しい笑みと甘い言葉に騙され、ころっと機嫌を直して言われるがままに両手両足を差し出したさくらの落ち度である。
幼くなった身体と精神で散々文香を弄んださくらは今日この時ほど自分の身を後悔したことはない。
飴をあげると言われて知らないおじさんについて行く幼子並の精神状態に引っ張られた自分が憎いと思った。
「幼気な美少年を縛り付けて…… そこまでして逢引したいの? そんなにあの男がいいの? 僕を見捨てて行くほど!?」
怒っているのか悲しんでいるのか、半べそになりながら激しく抗議するさくらの口を文香は心を鬼にしてハンカチでできた猿轡を噛ませた。
「ふっ、ふぅ…… っ」
薔薇色の頬をした美少年が艶やかな黒髪を乱し、拘束されて涙目で睨んで来る図というのはなんとも言葉に表し辛い。
出かける前から胃腸がぐるぐるしてきた。
最近の文香は特に腸関係が繊細になっている。
これ以上臓器系を荒らさないでくれと願いながら、文香は慈しむような笑みを浮かべて芋虫のように暴れるさくらの頭を撫でる。
そうすると途端に大人しくなるのだから、可愛いものだ。
さくらが本気を出せば、例えば文香が出て行けばすぐに拘束具を引き千切るだろうと想像できた。
文香も馬鹿ではない。
ちゃんと対策を考えてある。
文香の、最終兵器を。
「もしもし、お義兄さん? 朝からすみません。やっぱり、今日はお願いしてもいいですか? ……はい、ありがとうございます。本当に、いつもご迷惑をおかけして…… いえ、本当に有難いです! はい。はい…… ありがとうございます! では、さくらのことよろしくお願いしますね…… はい、お土産…… あ、今、メモします、ちょっと待っててください」
*
色々とあったが無事文香は待ち合わせ場所に遅刻せずに来ることができた。
少し汗をかいてしまった額を拭きながら、文香は店に入る前に一呼吸整えた。
(それにしても……)
わざわざ文香の交通の便を考えてここを選んだのだろうが。
(近所のファミレスって……)
頭の中にぽやっと浮かぶ恭一の怜悧な眼差しを思い出す。
堅苦しいスーツと高級腕時計があそこまで似合う男も珍しい。
(……似合わないわね)
恭一ほどファミリーレストランが似合わない男はいないのではないだろうか。
元のさくらも浮くが、あれは最終的にどこにでも溶け込む特殊体だ。
比べるのも失礼だろう。
「いらっしゃいませ~」
ちりちりんとドアを開けて入ると同時に店員に出迎えられた。
まだ混む前なのだろう、明るい店内の客の数はそう多くない。
「お一人様ですか?」
「いえ、待ち合わせを…… あ、あそこです」
少し店内を見回しただけで文香は待ち合わせの男を見つけた。
(やっぱり、違和感しかない)
ファミレスという風景から一人だけ浮いている男とすぐに目が合った。
軽く会釈すれば、向こうも返して来る。
本当に奇妙な間柄だ。
「はい、あちらは禁煙席となっております~」
間延びした店員の声に軽く頷く。
続けて入って来た客にまた同じように挨拶する店員の声を背にしながら、文香は涼し気な顔で恭一の方へ歩いて行った。
「いらっしゃいませ~ 何名様ですか?」
「二人だ」
緊張しているのか、すぐ後ろのやりとりも耳に入らなかった。
店内のBGMが耳を素通りしていくような感じだ。
「お久しぶりです、渡辺さん」
「ああ、昨年以来だな。どうぞ、かけてくれ」
渡辺恭一。
一年ぶりのその姿は記憶と違わない。
文香の想像通りファミレスでは浮くほどスマートにスーツを着こなし、高級品を自然に身につけている。
紅茶を優雅に飲む姿も変わらない。
果たしてファミレスの紅茶が口に合うのか分からないが。
「急にすまなかったな。こちらの都合で、どうしても今日ぐらいしか空いている時間がなくてね」
嫌味を感じることすら難しいほど。
相変わらず淡々とした物言いに文香は愛想笑いを浮かべる気力もなかった。
そもそも愛想を売るような相手でもない。
「お忙しいのなら、わざわざ会いに来なくても良かったのに」
「君にとっては迷惑なことだと百も承知だ。これはただの自己満足だよ。俺自身のな」
文香の冷たい反応に動揺することもなく、恭一は紅茶を飲む。
紅茶を飲む恭一の姿を見ながら、ゆっくりと文香は対面の席に腰かける。
「……っ」
「どうかしたのか?」
一瞬、何かに堪えるように唇を噛んだ文香を恭一は見逃さなかった。
基本、身内以外に関しては目敏い男だ。
眼鏡のレンズが怜悧に光った気がして、文香はなんでもないと誤魔化すので精いっぱいだった。
「……先日、ちょっと脚立から落ちまして」
「病院へは?」
「……行きました」
「そうか。不調のときに誘って申し訳なかった」
一つ嘘をつくとどんどん嘘が増えるというが、本当にその通りだと文香は内心で冷や汗をかいた。
清廉潔白とはとても言えないが、それでも真面目に生きて来た方だと自負している。
情けない理由で情けない嘘をつく自分を、恭一は淡々と気遣う。
たぶん、悪い男ではない。
過去を振り返れば恭一は分かりづらくも文香を気遣うことが何度かあった。
煙草が嫌いだという文香のために我慢したり、あのときだって嫌がらせで珈琲を出したのに恭一は美味いと言って飲み干した。
実はそれが恭一なりの嫌がらせの可能性もあるが、さすがにないだろう。
そんな回りくどいことをする男ではない。
今までは冷静な気持ちで見ることができなかった相手だが、今の文香にはさくらがいる。
味方など一人もなく、周り全てが敵で。
恭一もまたその一人として敵対視していたのは、きっと文香に余裕がなかったせいだ。
本当に恨むべきは他なのに、結局一番当たりやすい恭一に怒りをぶつけようとしていたのかもしれない。
感謝はしていないが、それでもあのときの恭一の言動は客観的に見ればそれほど悪いものではないと文香は思っている。
強引で自分本位な部分ばかりが目立っていたが、ファミレスで文香を待つ恭一を見て当時の敵意や憎悪を保つのは難しい。
「とりあえず、メニューを見たらどうだ?」
「はぁ……」
ポップな字体とカラフルで鮮明な写真が踊るメニュー表を渡される。
パラパラと捲り、もうすぐお昼になるせいか客が途切れることなく入って来るのをなんとなく確認した。
まさかここで昼食をとるのだろうかと一瞬考え、ついさくらの昼食はどうしようかと思考が傾く自分がいる。
もはや母親だ。
(お義兄さんがいらっしゃるから大丈夫よね)
さくらとてあの形でも中身は大人なのだ。
今までそんなさくらの外見に惑わされ、甘やかして来たが、さすがの文香も連日に渡る屈辱的なあれやこれにちょっと怒っている。
(やめよ…… 飲食店であれを思い出すのはやめよ……)
ただでさえ弱い胃腸が、ぐるぐる言い出しそうだ。
気持ちを切り換えようと目の前でじっと表情を変えることなく黙々と紅茶を飲む恭一に視線を向ける。
「おすすめとか、ありますか?」
「そうだな。とりあえず、飲み物は紅茶以外にした方がいい」
「……そうですか」
やっぱり口に合わなかったんだなと思った。
ファミレスに来るのなんて久しぶりだ。
いつ以来だろうと思い出し、思わず顔が険しくなる。
「どうかしたのか?」
「いいえ、なんでもないです……」
本日二回目になる恭一の伺うような視線に文香はメニューで顔を隠して誤魔化した。
もしかしたら恭一達は似た者夫婦なのかもしれないと思ったからだ。
文香が最後にファミレスに行ったのは三年前だ。
思い出したくない記憶が蘇り、胃に重石が詰まったような居心地の悪さを感じる。
(なんで忘れてたんだろ……)
あのとき、文香は志穂といた。
今と同じように、あるいは今以上に場違いだと思いながら文香は志穂の無垢な少女のような目に圧倒されたのだ。
思い出すだけで負の感情に引っ張られる。
志穂とまさかの再会を果たし、そして今恭一と会っている。
優との今までの接触も合わさって、文香はなるべく過去に引き摺られないようにしようとしていた。
特にそれは難しいことではなかった。
今の文香にはさくらがいるし、さくらのことを思ったら過去のいざこざなど気にかけている暇がなかったのだ。
それでも、一度思い出してしまった憎悪を自然に消すのはなかなか難しい。
ファミレスで志穂と対面したときの文香は無様としか言いようがなかった。
悔しさが滲み出そうになるのを誤魔化そうと文香はメニュー表を捲り、最後のデザートの一覧を見て手が止まった。
堂々と載るチョコレートパフェの写真に思わず声が漏れそうになる。
(そうだ……)
ファミレスで志穂と会ったときのことを思い出したのに、文香はすっかりその後のことを忘れていた。
(あのとき…… さくらがいたんだ)
何故忘れていたのかと自分自身に呆れてしまう。
思わず苦笑いする文香を恭一は冷静な目で観察していた。
文香は恭一の視線にも気づかず、ただ当時のことを思い出していた。
今度はゆっくりと繊細に。
(あのときのさくらには…… 随分と腹が立ったな)
志穂の記憶が、さくらの思い出で塗りつぶされるのが分かった。
さくらが甘いもの好きだと知ったのはそのときだ。
* *
ファミレスから浮きまくっている男と女。
それでも他人にそれほど関心のない周囲の人間は二人を注視することなく和気藹々と料理を楽しんでいた。
「さて、何を頼もうか」
野太く快活な声がとある席から上がる。
だが周りでそれを気にする者はいなかった。
「僕、チョコレートパフェ」
違和感たっぷりの男女のテーブルから少し離れた席。
時折視界を通って行く人々に舌打ちしながらじっと文香達を凝視する美少年とわくわくとメニューを凝視する色黒のマッチョ。
ファミレスから浮いているといえばこの二人もそうだろう。
「おいおい。俺は文香さんからお前のことをよろしく頼まれたんだぞ? 成長期なんだから、肉も野菜もしっかり摂りなさい。チョコレートパフェはデザートだ」
「放っておいてくれよ、兄弟。僕の心は今とってもブルーなんだ」
ねっとりとした暗い目で文香達を見つめる美少年さくらは今にも歯ぎしりしそうな険しい表情を浮かべている。
「くっそ…… 会話が聞こえない……」
「だからと言ってここで省エネを解くなよ? せっかくそこまで力が戻ったんだ。もったいないことはするな。後で文香さんに怒られるぞ」
「でも、気になるよ! ……ああっ、二人で一緒にメニュー見始めてる! やっぱり浮気だっ」
「違う違う。あれは男の方が《このドリンクバーとか良さそうじゃないか?》と言って、文香さんが《え、渡辺さんってドリンクバー知ってるんですか?》とびっくりしているだけだ。だから、落ち着け」
文香のもとへ駆け出そうとするさくらをがっしりと掴む半分だけの兄。
「なら兄弟が盗み聞きしてよ。ふみちゃんとあの男が何を喋っているのか、逐一僕に報告して」
さくらに吠えられた半分だけの兄、略して半兄こと鳴海は仕方がないなと思いつつ、半分だけの弟であるさくらに頷いた。
ぱっと顔を輝かせて席に座り直すさくらはやはり精神年齢がだいぶ下がっている気がするし、昔からこんな感じだったような気もする。
(とりあえずさくらにはお子様ランチだな。うん、旗は俺がもらおう)
睨みつけるように文香達を凝視するさくらをちらっと見て鳴海は呼び出しベルを押した。
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