奥様はとても献身的

埴輪

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≪現在②≫

2 アパートの一室

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 さくらとの住まいはそこそこの広さのアパートだ。
 三年前、文香が優と離婚した後に借りた部屋である。
 なんだかんだありながらそのままずるずるとこの部屋に住んでいる。
 空き家が多く、近所付き合いがなく、大家が干渉して来ない、あとはそれほど古くなく、部屋が広い割に家賃が物凄く安かったからだ。
 後に心霊現象が起こるという曰くつきの部屋だと知るのだが、ホラー物が苦手なはずの文香はあまり気にしなかった。
 
 なんせ、自分の夫がそもそも人外なのだ。
 
 たまにさくらが誰もいない部屋の一角でふむふむと誰かに相槌を打つのを見ても平気になった。
 文香のスルースキルが上達したからだろう。
 神経質で潔癖なところがある文香もさくらに出会ってから随分と大らかというか、大雑把になった。

 昔のふみちゃんは病んでたからね。

 というさくらの意見には同意しづらいが、他人から見てそう見えるということは、そういうことなのだろうと思うようにしている。

「ごめんね。疲れてたのに、付き合って貰っちゃって」

 すっきりとした表情のさくらが文香に微笑む。
 わざわざ先回りして鍵を開けながら、さくらは玄関で改めて文香を出迎えた。

「おかえり、ふみちゃん」

 子供っぽいかもしれない。
 だが、さくらのそういう文香が好きで好きで堪らないというような明るい声や仕草に、文香は何度も癒され救われたのだ。

「ただいま、さくら」

 自分の頬が緩むのが分かった。
 心なしか、服がだぼつき始めたさくらに文香は早く食事をすませてあげようと思った。
 そんな文香に先回りして、幾分幼くなったさくらが愛らしく首を傾げる。
 ずるっとシャツがずり落ち、鎖骨が露になった。

「お風呂にする? ご飯にする? それとも……」
「……」

 台詞の途中で照れたように頬を両手で隠し、きゃーっと一人で盛り上がるさくら少年に文香はとりあえず急いで玄関の扉を閉めた。
 だぼだぼになった服がずり落ち、その美少年姿がより一層背徳的な雰囲気を醸し出す。
 そんなさくらが潤んだ目で頬を上気させているのだ。
 誰かにこんな場面を見られたら、どう思われる。
 さくらが状態になってから幾度も文香の頭に過ぎる「犯罪」という二文字が、今激しく警鐘を鳴らしている。
 
「それとも、に、する……?」

 うっとりと頬を桜色に染め、飴玉みたいに目を潤ませるさくら。

「……」

 これはダメだ。
 いや、そう思いながらも文香は何度も何度も良心の呵責に堪えながらさくらのあれやそれに付き合って来た。
 だが、それでも元来真面目で清廉潔白とまではいかないが社会的一般的な常識や倫理感を持つ文香は毎回自分の中の何かをすり減らしていた。

 文香の頭の中で、今までの彼女ならほとんど思いもつかなかった言葉がパレードで踊っている。

 美少年、ショタコン、密室、ペドフィリア、児童ポルノ、性犯罪者……

 さくらがわざと拙い口調で文香で遊んでいることを知りながらも、見た目はどう見たって愛らしく儚く美しい人形のような美少年だ。
 きらりと光るピアスが不釣り合いなようで、それがまた似合っている。
 どこまで文香の理性を揺らせば気がすむのだろうか。

「……食事って、どっちの?」

 辛うじて出た声の擦れ具合が、なんだか居た堪れない。
 とりあえず着ているものがもうほとんど服の意味を為していないさくらに羽織っていたカーディガンをかける。
 文香の匂いがすると言って無邪気にだぼだぼな女物のカーディガンの袖を鼻に当てる姿は無邪気の一言につきる。

「ぼく、今日ふみちゃんの好きなトマトの砂糖がけ作ったよ!」

 だぼだぼな袖をぶんぶん振って偉いでしょう!とアピールするさくらはやはり精神年齢がだいぶ下がっている。
 以前の彼はどちらかというとプライドの高い血統書つきの猫を思わせた。
 甘さと皮肉を絶妙にブレンドした、ちょっと(?)サディスティックなさくらがなんだか懐かしい。
 どちらがいいとかではなかった。
 どちらも良いのだが、どちらも文香の心を揺さぶりすぎるのが問題なのだ。
 逆に言えば頭を撫でて欲しいとばかりにぐいぐい額を文香の膝に擦りつける子猫なさくらが成長すればあんな鞭が似合いそうな男になるのかと思うと、時の残酷さを痛感する。
 さくらは文香に優しい。
 出会った当初は腹の立つ男だったが、夫婦となったときには既に文香にあまあまになっていた。
 派手な見た目と違い、文香にだけはまめまめしい男なのだ。
 
「ありがとう、包丁使って大丈夫だった? 指とか、切らなかった?」
「えへへへ。大丈夫だよ。でも、もっといっぱい撫でて」

 それが今ではこんな甘えたになって。

(癒されるけど……)

 さくらの形の良い頭をなでなでしながら、文香は次に来るであろう爆弾に身構えた。
 既に何度も食らっていながら、慣れることがない。
 たぶん、慣れてはいけない。

「どうする? お風呂にする? 僕のトマト食べる? それとも、…… 食べちゃう?」
 
 色々ツッコミたいが、文香は真剣に悩んだ。
 眉間に皺を寄せて苦悩し、うんうん唸る文香をさくらはにこにこ見守った。

(ほーんと、ふみちゃんって可愛いんだから)

 こんなことで真剣に悩む文香が可愛くてもっと意地悪したくて堪らないさくらの本心を文香はまだ知らない。
 すっかりさくらの見た目に騙されている。
 なんだかんだ言って中身が変わるわけではないのだから。

 出会ったときからそうだが、文香は気難しいようで、案外ちょろい。






 水で洗ったとはいえ、一度精液をかけられた顔をそのままにするのは嫌だった。
 文香は風呂にお湯が溜まって行くのを見ながら、脱衣場で疲れたように服を脱ごうとして……手が止まった。

「どうしたの? 脱がないの?」

 こてんと首を傾げる裸のさくらに文香は眩暈がしそうだった。

「……さくらも入るの?」
「うん。だって、下がべとべとなんだもん」

 そう言ってほらっとさっき見たのと同じとは思えないほどピュアな色をした性器を見せられ、文香は勢いよく目を逸らした。
 毛もなく、薄ピンク色の皮に包まれたそれに、文香は改めて彼らのその神秘的な生態を実感した。

「……ふみちゃんは、いやなの?」
「う……」
「ぼく、ふみちゃんとおふろにはいりたいよぉ……」 

 うるうると今にも泣きそうな目で上目遣いにじっと見つめられる。
 両手で性器を握ったままというのが、更に文香の心にダメージを食らわせた。
 文香は子供が好きだ。
 だが、ショタの気はない。
 無害なペドはギリギリ許せるが、有害なペドは死ぬか逮捕されろと思う人間だった。
 だからこそ勝手に自己嫌悪の渦に呑み込まれていた。
 さくらの本当の姿を思い出せと、必死に自分の視界にフィルターをかけようとしても、どう見ても目の前のさくらは麗しい美少年だ。
 しかも裸で頬を紅潮させ、性器を握りしめている。
 傍から見たら完全アウトではないか。

「そんな…… い、いやじゃ、ないよ?」

 それでもここで涙目のさくらを拒絶することができなかった。
 本来のさくらなら、もっと強く出れたのに。
 むしろ罵倒ぐらいはできたのに。

 文香はつくづく惚れた男に、いや愛くるしい今のさくらに弱かった。
 まさか、自分には倒錯的な性的趣向があるのかと密かに悩むほどに。

「よかった……!」

 文香から言質をとったさくらはくふくふと笑う。

「今の僕だと、ちゃんと洗えないからね。ふみちゃんなら優しく丁寧に、大事に洗ってくれるでしょう? 僕の、……」
「…………」
「皮が被ってて、引っ張ると痛いんだ…… ふみちゃん、上手に洗ってね」
「……善処、する」
「やったぁ~」

 わーいと喜ぶさくらは見た目は完全な天使だ。
 だが、中身は小悪魔である。
 そして小悪魔以前にさくらは淫魔(仮)であるのだが。

 文香にはもうなんでも良かった。
 さくらがなんであれ、こうやって心身共に振り回されているのだから。
 そして、自分は好きで振り回されているのだから、考えても始まらない。

 それでも風呂に入る前にどっと疲れてその場で膝が崩れる文香に、さくらはにこにこと近づき、服を脱がして行く。
 器用な手が文香のブラウスのボタンを外していく。

「……」

 絶対、洗えると思ったが、藪蛇になるのが目に見えているので文香は黙ってされるがままだ。

「今日のふみちゃんはとっても美味しそう」

 鼻歌を歌いながら、さくらは無邪気な目で文香をうっとりと見つめる。

「ねぇ…… 僕、もう我慢ができないから」

 幼げな姿とは不釣り合いな妖艶な笑みを浮かべ、さくらは文香の首筋に唇を寄せた。
 さくらの雰囲気に自分が呑み込まれていくのを感じた。

「お風呂場で、もう食べてもいい?」
 
 問いかけというにはあまりにも傲慢な口調だった。
 蠱惑的な赤い瞳が、文香を誘惑する。



* *


 志穂は夫がまだ帰って来ていない部屋で、心を震わせていた。
 ずっと、会いたいと、声が聴きたいと望んでいた彼女の運命の人。
 漸く、そんな彼に会うことができた。
 
「優、くん……」

 その名を呼ぶだけで心が熱くなり、じんわりと下半身が疼く。
 誰よりも優しい、志穂の運命の人。

「可哀相な、優君」

 三年前のあのとき、二人が出会ったときから。
 いや、初めて結ばれたあの夜から。

 優は分かっていたはずだ。
 志穂こそが、彼の運命の相手であることを。
 それが、不幸な行き違いで、優も志穂も別の人と先に出会ってしまった。
 優しい優は、自分の妻を斬り捨てることができなかった。
 別れた後も、それが罪とばかりに独りで苦しみ、志穂に会おうともしなかった。
 
「でも、もう大丈夫」

 優はまだ知らないだけなのだ。
 彼が想い、罪悪感を抱いている女がもう既に他の幸せを手にし、薄情にも優を裏切っていることを。
 更には、優に復讐しようとしていることを。

「私が、貴方を助けてあげる」

 志穂は優が好きだ。
 今でも女として、彼を愛し、狂おしいぐらいに恋している。
 それでも必死にこの三年間、志穂は耐えて来た。

 優しい優の目を覚ますために。
 彼に、もうなんの憂いもなく志穂を抱いてもらうために。

 今の夫は悪い人ではない。
 それでも、志穂の運命は今の夫、恭一ではないのだ。
 誰にもきっとこの感覚は理解されない。
 志穂と優。
 身体を交わし、愛し合った二人にしか分からないのだから。

「もうすぐよ、もうすぐ……」

 もうすぐ、貴方を解放してあげるからね。
 優君。


 そう言って志穂は幸せそうに眠った。
 が、彼女の子守歌となった。 

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