奥様はとても献身的

埴輪

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≪過去①≫

11 彼女の全てに欲情した

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 電話口で志穂はただ優に助けを求めた。
 混乱し、恐怖に怯えたような弱弱しい志穂の声。
 必死に慰めながら、居場所を聞き出そうとする優に志穂は今にも途切れそうな声でぼそぼそと会社から二駅離れた場所に建っているシティホテルの部屋番号を告げた。
 場所が場所なだけに優は一瞬躊躇ったが、電話向こうですすり泣く志穂を見捨てることなどできなかった。
 志穂の泣き声を聞いてしまえば頭に血が昇ったように冷静ではいられなくなる。
 
(ごめん、文香……)

 志穂に会えばどうなるのか。
 二人で、しかもホテルで会う危険性に優は目を瞑った。
 これは人助けだと。
 志穂の声はあまりにも緊迫しており、とても無視できないのだと必死に言い訳をする。
 それなのに、文香へ送った伝言に志穂のことは何一つ書かれていない。
 初めて優は意思を持って文香に嘘をついた。
 同僚と飲みに行き、帰りは遅くなるとメッセージを送った後、優は電車の座席に座り込みただただ文香からの返事を待った。
 今朝の体調の悪そうな優を見ていた文香は当然のように心配した。
 飲み会など大丈夫なのか、帰って早めに休んだ方がいいという、いかにも文香らしい文面を優はひどく居た堪れない気持ちで読んだ。
 大丈夫だよ、心配しないで、と返す優の指は罪の意識で震えていた。

 それでも優は、志穂を見捨てることができなかった。
 文香に嘘をついてまで。

 優は結局このとき志穂を選んだ。
 ただ、それだけのことだ。






 ホテルの一室。
 扉の向こうに志穂がいる。
 緊張と逸る気持ちを必死に宥め、優はノックした。

「志穂」

 内からロックが解除されるのを、優はじっと見つめていた。

「優君……」

 扉の隙間から覗く、青白い顔色の志穂。
 ホテルの扉がひどく重そうだと、優はそんな場違いな感想を抱いた。

「……来て、くれたの?」
「ああ…… 志穂が、俺に助けを求めたから」
「っ……」

 昨日の今日で志穂はだいぶやつれたように見えた。
 艶のある髪が乱れ、そのほっそりとした輪郭に影を作っている。
 今にも消えてしまいそうな、どこか虚ろな瞳が優を前に少しずつ生気が戻って行く。
 ぽろっと一滴、志穂の白い頬に涙が伝った。
 
「うれしい…… やっぱり、優君は、私のヒーローなんだね」
「志穂……」
「……入って」

 あまりにも嬉しそうな志穂の笑みに、優は咄嗟にその涙を拭ってやりたいと思った。
 だが、手を伸ばす優を避けるように志穂は扉から離れる。
 優は慌てて扉が閉まる前に部屋に入った。

 それなりに高級なホテルだ。
 だが、今は部屋の内装を気にしている余裕はない。
 ふらふらと、今にも倒れそうな志穂を追いかける優の目に真っ先に移ったのは二つの立派なベッドだ。

 生々しい存在感に優の息が止まる。

「優君も、座ろ?」

 志穂がベッドのスプリングを愉しむかのように、シーツの上に腰かけた。
 優の席を確保するためにスカートが捲れるのも構わず志穂はベッドの上を移動する。
 初めて見る私服姿の志穂。
 清楚なワンピースが志穂にはよく似合っていた。
 化粧もせず、すっぴんのせいか、より一層幼げで淡い存在に見える。
 靴は既に脱いであり、白い素足を無防備に見せつけて来る志穂に優は目を逸らした。

「……何が、あったんだ?」

 優は志穂の無邪気ともいえるペースに巻き込まれる自分を情けなく思いながらも、優にわざわざ電話して助けを求めた真意について尋ねた。

「…………優君以外にね、私を助けてくれる人がいなかったの」

 ぼそっと志穂は俯きながら淡々と紡ぐ。
 絶望が滲むような、悲愴な声だ。

「迷惑だって、分かってる…… でも、私には誰もいないの…… お友達も、家族も、頼りになる人は、信頼できる人は誰もいない…… 優君以外、いなかったの」
「志穂……」
「…………主人に、ね」

 両手で顔を覆いながら、ベッドの上に座り込む志穂。
 私服だからこそ余計華奢に見える志穂の肩が小刻みに震え、嗚咽が漏れる。
 給湯室で泣く志穂の姿と重なった。
 優は鞄を放り投げるようにして、志穂に近づく。
 ベッドのすぐ近くで跪くように、下から志穂の様子を伺う。
 志穂の顔は手で隠され、見えなかった。
 だが、その左手にあるはずの指輪がないことに優はこのとき漸く気づいた。

「……愛人が、いるの」

 ゆっくりと顔を上げた志穂は涙も見せず、諦めたように静かに笑っていた。

「主人は、私じゃない他の女の人を愛しているの。昨日、その人を紹介されたわ」

 衝撃的ともいえる告白に、優は瞬きすることもできず志穂を凝視した。
 
「……あの人が、初めから私に興味がないって…… 妻として見ていないって分かってた…… でも、まさか…… 自宅に堂々と愛人を連れて帰るなんて、思わなかった……」
「そんな……」
「……所詮、親同士が無理矢理決めた愛のない結婚。でも、主人に尽くそうと、ずっと努力をしてきたのに…… 全部、無駄だったの。愛されていないって分かっていたけど、諦められなくて…… 私は…… 私は、ただ、あいされたかった、だけなのに……っ」

 儚げな笑みを浮かべながら、今にも泣きそうな志穂は、泣かなかった。
 辛い胸の内を曝け出しながら、志穂はあくまで気丈に振る舞おうとしているように優には見えた。

「……離婚は、世間体が悪いからしないって言うのよ? なのに、自宅は愛人と暮らすから、私に出て行けって言うの。勝手に部屋を借りて、生活費は振り込むから、好きにやれって…… でも、絶対に主人の名前だけは傷つけるなって……」
「……志穂、分かった。もう、いい」
「私、家政婦としても役に立たないみたい…… お料理もね、主人に喜んで貰おうと一生懸命頑張ったのよ? でも、一度も食べてくれなかった。目の前で、何度も捨てられて、それでも一口だけでも食べてもらおうって作っていたら…… ふふふ、金の無駄だって怒鳴られちゃった」
「もういい、止めてくれ、志穂……!」

 優は志穂の肩を掴み、痛々しい笑みを浮かべながら語る志穂を止めようとした。
 あまりにも憐れな志穂をこれ以上見ていられなかった。
 
「……昨日、出ていけって言われても、一晩寝ずに寝室の前でぼうっと座り込んでいたの…… 自分でも、なんでそんなことをしたのか、分からない。きっと、意地になってたのね……」

 ゆらゆら志穂の瞳を宝石のように輝かせる涙の膜。
 美しい光景と裏腹に、志穂の口から紡がれる話はあまりにも残酷だった。

「そう、したらね? 聴こえて来るの…… 寝室から…… 主人と、その女の人の、こえが、ふたりが、愛し合っている、音が……っ ずっと、ずっと……! 一晩中……!」

 最後に志穂は耐え切れないとばかりに泣き叫んだ。
 硝子を引っ掻いたような、そんな絶叫に優は堪らず志穂を抱き締めた。

「志穂! もう、いい。もう、何も言うな……!」

 優は今にも壊れてしまいそうな志穂を無理矢理抱きしめ、冷たい身体を温めた。
 志穂もまた優が命綱とばかりに必死に縋り付く。

「もう、大丈夫だから…… ここには誰も、志穂を傷つける奴はいない。俺がついている……」
「ひっ、く…… ふっ、ぁ、ゆ、う、くんっ…… ゆ、うくん……っ、わ、わたし、つらいっ、むねが、い、いたくて……っ でも、だれ、にもっ…… ふぅっ、いっいえな、くて……!」

 どこか薄着の志穂の様子がおかしいと思っていた。
 どうやら着の身着のまま家から飛び出したらしい志穂に、優は彼女が如何に追い詰められたのかを実感した。
 慰めるように志穂の背中を撫でながら、優は徐々に腕の中で温かくなる志穂に安堵しながら、少しずつ顔も知らない志穂の夫への怒りが湧いた。
 きっと志穂への特別な想いがなくとも、優は志穂の夫を酷い男だと断定し軽蔑しただろう。

(今は、とにかく志穂を慰めることに集中しよう……)

 あまりにも憐れな志穂の現状に優の思考は完全に志穂一色となった。
 今の優の中には欠片も文香はいない。
 仕方がなかった。
 優の目の前にはただでさえ可憐で儚げな、おまけに淡い恋心を抱いた志穂が非常に心許ない姿で震えているのだ。
 夫の仕打ちに嘆き、今にも自殺でもしてしまいそうな危うい志穂に全てを持って行かれるのは当たり前だった。

 そして。

「わ、たし…… 女としての、魅力がまったくない、んだって……」

 少しずつ落ち着いて来た志穂の様子に優が安心していると、志穂は無防備なワンピース姿で優に身体を摺り寄せ始めた。
 堪らないのは優の方だ。
 ただでさえ、今の志穂は薄着だ。
 控えめな胸がスーツ越しに優の胸板に押し付けられ、真っ白い太ももが露になっているのだから。
 一瞬でも気が緩めば、優はきっと自分のどうしようもない衝動に負けてしまう。

「っ、志穂っ」

 肩を掴み、志穂を放そうとする優に志穂はいつもようにどこか遠くを見るような、夢見る眼差しを向ける。

「主人がね、そう言ったの…… 優君も、そう思う……? 私に、女としての魅力がないって……」
「何を言って……」
「……優君だって、私を…… 抱いてくれなかったじゃない……っ」

 愛らしい眦を下げ、志穂は傷ついたと言わんばかりに大粒の涙を溜めて、真っ赤になった鼻をすする。
 子供のような仕草に反し、血色が良くなった唇から飛び出る台詞は凶器となって優に襲い掛かった。

「……ねぇ、私にはそんなに魅力がない?」

 ゆっくりと優の腕を解き、志穂はベッドの中央に移動する。

「私は、ただ誰かに必要とされたかった…… だって、どこにも私の居場所がないから……」 

 白いスーツの波で泳ぐ志穂から優は目を逸らすことができなかった。
 強い引力で優は志穂に釘づけだ。
 そして、優の見ている前で。
 優に背中を向けたまま、志穂は震えながらワンピースの肩紐を外す。
 志穂の白い肌が淡く色づいてるのを、部屋の薄ぼんやりとした照明が照らしていた。

「寂しくて、虚しくて…… 働いてみようと思っても、やっぱり駄目だった…… どこでも私は独りぼっちで、皆に嫌われてる…… でもね、優君だけは、違った」

 ゆっくりと、志穂の背中が露になる。
 息を荒くし、全身を昂らせる優の目の前で、志穂は緩慢な動作で振り向く。
 ぎゅっと、両腕を交差させて胸を隠しながら。
 今更ながら、下着もつけていない志穂に優は驚いた。
 寒さではない緊張で、志穂の身体は小刻みに震えていた。
 志穂の背後には大きな窓がある。
 そこから見える夜空と高層ビルの光がより志穂を幻想的に見せていた。

「……優君だけが、私を救ってくれる。貴方だけが、私の全てなの」

 強烈な飢えと渇きに、優は喘ぐように志穂の名を呟く。

「……さむいの、ずっと、死にそうなぐらい、心が寒いの」

 志穂は微笑んでいた。
 恥ずかし気に頬を染めながら、それでも慈しむように、まるで優の全てを受け入れるように、ゆっくりと両手を差し出した。
 優を欲しているのは志穂の方なのに、まるで優に自分を与えるような志穂の行動に違和感はなかった。

 優の眼前に、沁み一つない、ミルクのような志穂の胸が露になる。
 掌ですっぽり包み込めそうな控えめな胸と、寒さで震えるピンクの突起に優は唾を呑み込んだ。
 ゆっくり、優は志穂に近づく。
 靴のままベッドに上がる優に、志穂は恥じらうように瞼を伏せて横になった。
 二人の男女の重みで軋むベッドの音がやけに遠くに聞こえる。

 優は操られたように、まるで自然な行動のように、志穂を押し倒した。

(綺麗だ……)

 志穂がとても美しく、穢れの無い生き物に見えた。
 早く抱きしめなければ悪戯な妖精のように消えてしまいそうで。
 でも乱暴にしたら繊細は志穂はきっと壊れてしまう。

(欲しい、志穂が欲しくて、堪らない……)

 いや、そんなことはどうでも良かった。
 優は自分でも気づかない内に、ゆらゆらと目の奥の炎を揺らす。
 志穂が上目遣いで優を見つめる。

「……優君が一番愛しているのは、私じゃないって分かってる」

 志穂の言葉に、優の心臓が一瞬止まった。
 そう、止まったのだ。
 だが、今の優はたった一瞬の咎めで止まることができないほど、志穂だけを見ていた。
 初めてと言ってもいい、完全なる欲情に優はもう止まれなかった。
 
「それでも、構わない…… 一番、じゃなくていい、二番目に愛してくれれば…… 優君のになれれば、いいから……っ」

 感極まったように泣き出す志穂に優は何も答えない。
 今の優はただ集中していた。
 どうやって、志穂の全てを、彼女の全てを味わおうかと。 
 志穂の健気なまでの優への愛。
 それを傲慢に全身で味わっていた。

「……私を、優君のものにして」

 全てを優に捧げると誓う志穂はとても神聖な存在に見えた。
 そんな健気な志穂に、優は自然と口角を上げた。
 うっとりと、愛しくて堪らないとばかりに、かつてない情欲で滾った下半身を曝しながら、優は舌なめずりする。
 
 そして、欲望と本能のまま志穂の全てを貪ったのだ。



* *


ギッ、ギギッッギシッ

 ベッドのスプリングが壊れそうなほど激しく。

「ぁんんっ! ふわっ、んっあんんっ……! ひぃっ! ひゃあぁんんっっ!?」

パンパンバンバンバンッッ

 肉と肉が粘膜で滑り、ぶつかり合う音。
 男女の生々しいセックスが、ホテルの一室で繰り広げられていた。

「はぁっ、はっ、はっ……」

 汗が目に沁みることすら気にならないほど優は志穂の全てを堪能する。
 泣いて懇願する志穂を、何度も何度も絶頂させ、彼女を快楽で狂わせる優は初めて本当の自分を曝け出したような気がした。

「ゆぅっくんっ、んぐっ、んんんっっ お、ひぃ……っ」

ずぶっ、ずず……っんぐっ、じゅぷっ……!

 志穂もまた稚拙な手と口で必死に優に奉仕した。
 健気な志穂が愛しかった。
 ベッドが軋み、甲高く甘い志穂の嬌声が部屋中に響く。
 文香以外の女を初めて抱いた優は、頭の片隅で女はこんなにも喘ぐものなのかと驚いた。
 恥ずかしがり屋の文香は喘ぎ声を聞かせないように必死に耐える女だった。
 また、経験不足の優の性交は上手くない。
 だから優は一度も文香をちゃんと気持ち良くしたことがなかった。
 自分のセックスの仕方が良くないのかと今までは思っていたが。
 志穂を前にすればその考えは誤りなのかもしれないと思った。

 演技でもなんでもなく、志穂は普段の清楚な彼女が嘘のように淫らに喘いだ。

「っぁ…… ふわっ、あううぅッッ、あんんっ! あんっあんっあぁんッッッ……!」
「っ、はぁっ、し、ほ……っ」

 初めて生で聞く女の快楽に狂う嬌声に、潮を吹きながら激しく痙攣する下半身に、涙と涎塗れの顔で下品なまでに優のペニスを求める厭らしさに、優は溺れた。

「い、いいッッ、い、あっ、ふ、もう、だ、ひゃめぇっっ! いくっ、いひゃっううううッッッ♡」

 ぞくぞくするような、例えようのない支配欲。
 志穂が喘げば喘ぐほど、ベッドが壊れそうなほど揺れれば揺れるほど、粘液でどろどろに全身が汚れ、シーツに水たまりができ、叩きつけられた尻が真っ赤に熟れるのを見れば見るほど、優はもっと志穂が欲しくなる。

「ゆぅ、くんっっ、もぉ、と……! あんっ、んんっ、もっ、ひょぅっ あん、あいしてぇっっ♡」
 
 かつてない満足感、充実感。
 これこそが本当の幸せなのだと。
 文香とのセックスでは味わったことのない至福。
 衝動に似たそれに突き動かされながら、優は一晩中志穂を抱いた。

 いや、犯して、全てを食い尽くしたのだ。

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