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≪過去①≫
3 思い出すと君はいつも夕日の中にいた
しおりを挟む学生結婚なんて、親から見れば不安しかない(はず)。
だが、優以上に優の両親は張り切っていた。
人付き合いが得意な割に場に流されやすく、優しすぎて無用なトラブルに巻き込まれがちな息子には気が強くしっかり者の姉さん女房(同年齢)が必要だと考えていたからだ。
特に優の母はノリに乗っていた。
娘が欲しかったという優の母は文香を構い倒し、息子の優よりもずっと文香を可愛がっていたからだ。
優には強く出れる文香も、さすがの彼氏の両親相手にはタジタジで、少し可哀相だなと思いながらも優は微笑ましい気持ちで見守っていた。
文香が本心では優の母に構われることを喜んでいるのを知っていたからだ。
賑やかな優の実家にいるときの文香はどこか落ち着きがなく、そしてはにかむ様な笑みを浮かべることが多い。
悪意は兎も角人の好意に敏感な優は文香が家族に飢えていることを覚った。
物欲もなく、我儘も言わない文香が優と別れるとき、優の両親に見送られるとき、少しだけ寂しそうな顔を見せる。
その顔が堪らなくて、優は何が何でも文香と結婚しようと思った。
勢いというのは大事だ。
「結婚しよう」
「…………あと、五、六年経っても気持ちが変わらないならいいよ」
「今すぐがいい」
「まって…… ねぇ、お願いだから冷静になって……っ!」
案外押せばなんとかなることを知っている優は両親や二人の間柄を知る友人知人に(無理矢理)協力してもらいながら必死に文香を口説いた。
大学という新しい世界で自分以外の者と親しくなっていく文香に優自身が寂しい思いを抱いていたせいもある。
「結婚ってそんな簡単なことじゃないんだよ? そんな大事なことを…… この歳で勢いで結婚するなんて…… いつか、後悔すると、思う」
いつになく弱弱しい文香の主張を聞きながら、優はそんなことありえないと思った。
文香は案外心配性なのだ。
「後悔なんて、絶対にしないよ。だって、俺ら愛し合ってるじゃん」
「あ、愛って……」
ぽっと顔を赤くする文香の両手を握りしめながら、優はキラキラ眩しい目を向けた。
二人の未来を何一つ疑わない澄んだ目だ。
「愛し合ってる俺らが結婚して、家族になるんだ。幸せにしかならないよ」
根拠など一つもないのに、優は自信満々にそう言い切った。
それは若さゆえの希望なのか傲慢なのか。
優の笑顔は文香には眩し過ぎた。
そして、とても好ましく思えた。
「……ばか」
それこそ、一生を共に歩みたいという本音がつい零れてしまうぐらいには。
ということで二人はひとまず婚約した。
なんやかんやで文香は優を受け入れたのだ。
そうと決まると優の行動は早かった。
今まで文香には教わってばかりいた優はここぞとばかりにネットや雑誌で調べたという結婚に関するあれやそれ、結婚資金やら新婚生活やらその他の一般常識的な法律知識を披露した。
そして堂々と愛読書となった雑誌を大学でも広げて読む優の姿があっちこっちで見られるようになった。
「香山? 何読んでんだよ」
「ゼ〇シィ」
「香山く~ん、この間はありが……って、な、何……? それ?」
「〇クシィだけど?」
「誰か結婚すんの?」
「うん。俺がする(予定)」
というやりとりを当たり前のように文香は目撃した。
「優…… ちょっと来て」
「どうした? ……あ! なぁ、文香、今時の引き出物ってやっぱカタログが多いんだってさ! 友達に色々アンケート取ったけど、実際に貰うならやっぱカタログがいいっていう結果が、」
「お願い、静かにして」
文香が無言で優を物陰に引きずり込み、その頭を叩いたのは仕方のないことだった。
「結婚ってやっぱ金がかかるんだな~ あっ、でも俺、この間路地裏で変なオッサンに時給〇万のバイト紹介されたから、それでなんとか……」
「本気で言ってるなら引っ叩くよ?」
とりあえず何をするにもお金が必要だと怪しいアルバイトを始めようとする優を止めるときも文香は無言でその軽い頭を叩いて止めた。
なんだかんだもっと計画的に事を進めたいと主張していた文香もあの手この手の優の誘惑に釣られ、結局二人は卒業を待たずに在学中に結婚したのだった。
学生結婚という現実は甘くなかった。
それでも二人は幸せだった。
双方とも就職先が決まった初めの頃までは少し狭いアパートを借りて暮らした。
新婚ほやほやでもこのときの二人はまだ学生であった。
指輪は別にして、小さな披露宴もほとんどは優の両親からの借金だ。
その後の本格的な新居も全て周りの大人達からの援助で成り立っている。
優も文香も頭が上がらなかった。
ひとまず結婚したという事実さえあれば良いと思っていた文香などは意外なほどの周囲からの祝福に戸惑いながらも喜んだ。
甘えていると自覚しながら、就職してから二人は毎月細々と借金の返済をし、週に一度は心配する親に電話をした。
そんな二人の新婚生活は計画性のない始まりとは裏腹に順調そのものだった。
*
今だ着慣れないスーツ姿をお互い見合う。
ほぼ同じ時間に出社する二人は玄関先で靴を履きながら今日の予定や帰宅時間を確認し合うのが習慣となっていた。
「今日の夕飯は何がいい?」
「…………カレー」
「ん、わかった」
どこか嬉しそうに笑う文香に優は自分の選択が間違っていなかったことに安心した。
以前夕食のリクエストにハンバーグと答えたときの文香の青褪めた顔を思い出す。
帰宅すれば案の定半泣きになりながら黒焦げ生焼けのハンバーグの塊を前に項垂れていた。
急いで買って来たらしいレシピ本や普段は几帳面なまでに綺麗に磨いている台所が心なしかぼろぼろになっていた。
変な所で不器用さを発揮しながらもコツコツ型の文香は時間をかけて上達していくタイプだ。
だが、学生の頃は勉強と貯蓄及び資金調達のためにアルバイトに勤しみ、現在は新卒として会社で悪戦苦闘している文香はなかなか暇を見つけて料理の腕を磨くことができなかった。
そして壊滅的なまでに料理のセンスがなかった。
優の実家に行く度に母親から料理を教わったり、料理番組を録画したりネットで調べたりレシピ本を買ったりと努力しているのを知っている分一層哀れである。
良くも悪くも文香は一つのことにしか集中できない。
忙しいながらもすぐに要領を得て時間を作り、周囲の手助けも多く人に頼ることを知っている夫の優とは対照的だ。
ほいほいと人の頼みや相談事に乗る優の方が損していると文香は言うが、結果的にそれで交友関係を広めれば良いことだと優本人は思っていた。
「先週もカレーだったけど、飽きないの?」
「うん。俺カレー大好きだから」
「それなら、いいけど……」
ご飯新しく炊かなきゃとぶつぶつ呟く文香の横顔を見ながら優はこっそり安堵のため息を零した。
「あ、待って」
玄関から出ようとする優の袖を文香が引っ張る。
「ネクタイ曲がってる……」
文香の手が少し不器用そうに優のネクタイをいじる。
シャンプーの匂いがふわっと優の鼻腔を擽り、なんだか落ち着かない。
「新人なんだから、身だしなみには気を付けてよ」
「ん、ありがとう」
ぱっと顔が離れていくのが寂しくて、優は無言で顔を近づけた。
文香の頬が赤くなる。
「……今日は、してくれないのか?」
「…………ばか」
ぎゅっと目を瞑って文香が勢いよく優の顔に近づく。
いつものように、ちゅっという愛らしいリップ音が聞こえるはずだった。
「ふっ……!」
「う……」
代わりに歯と歯が当たる小気味よい音が玄関に響いた。
文香の勢いが良すぎたのが原因である。
唇を抑えながら、二人はしばらく玄関で痛みに悶絶した。
そんな感じで、控えめに言っても二人の新婚生活はラブラブだった。
文香は自分の料理の腕がなかなか上達しないことに焦り落ち込んでいたが、優はほとんど気にしていなかった。
共働きをする上で家事は二人で分担しようと決めていた。
掃除が苦手な優からすれば文香の整理整頓好きな性格は尊敬に値する。
趣味が多く、物が多い優の部屋をいつも綺麗に片付けてくれる文香には頭が上がらない。
他人が見ればただのガラクタでも文香は毎回必ず優に必要か不要かと聞いてから処分する。
母親には毎回容赦なく物を捨てられていた優はそれだけでも感動した。
文香は無趣味である。
休日に友人と遊ぶこともなく、生真面目に節約本やレシピ本を見て勉強している。
そんな文香を優は密かに心配していた。
優なりに文香をリフレッシュさせようと、二人で近所のスーパーに行ったり、買って来た食材で男の創作料理を作ったり、遠出で美味しいものを食べたり、海や山でアウトドアを楽しんだりした。
遊ぶ余裕などないと初めは渋っていた文香も、優の気持ちが嬉しいらしく最後は必ず笑顔になった。
* *
「本当に優っていつも楽しそうだよね」
レンタカーの助手席で文香は静かに言葉を紡いだ。
聞きようによっては嫌味になりそうな話だったが、夕日に照らされた文香の横顔は穏やかで、言葉の端々に憧憬が滲んでいた。
「文香は楽しくないのかよ」
だが、そのときの優は遊び疲れ、眠気に堪えながら運転していたせいで隣りの妻の些細な変化を察することができなかった。
夫婦となり、新しい生活や初めての仕事に四苦八苦しながらもこうして二人でドライブする。
文句なく充実した生活を送っていると思っていた優からすると文香のその発言はあまりにも唐突で彼女らしくないと思えた。
「俺が楽しそうに見えるのは、いい奥さんがいるからだろうな~」
「なに、それ……」
くすくすと笑う文香に優はもっと揶揄いたくなった。
「楽しくて、幸せなのも、全部、俺の奥さんのおかげだよ。結婚して良かったなって毎日思ってる」
その言葉に嘘はなかった。
優は本当に文香と結婚できて、今こうして二人で生活している毎日が楽しくて幸せだった。
「……私も、毎日楽しいよ」
窓を開け、風が車内に流れた。
文香が窓の外を見ながら、囁くように言った。
「優といてから、ずっと幸せ」
幻聴ではないかと思うほど、そのときの文香の声は小さいものだった。
夕日に照らされながら、二人で家に帰る。
お互い恥ずかしくなったのか、顔を赤くしながらもしばらく車内は無言のままだった。
優も文香も、互いが愛しくて堪らなかった。
その後の別れなど、一片も想像できないほど今の二人は幸せだった。
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