奥様はとても献身的

埴輪

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≪現在①≫

12 白昼夢

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 今回はスーパーの前での待ち合わせだ。
 あまりにも早く到着して、いかにも張り切っている姿を見せるのは恥ずかしい。
 情けない姿など数えきれないほど文香に見られた気もするが、それでも少しずつ挽回して行きたいと前向きに思う程度には優のテンションは上がっている。

 優はうずうずそわそわする気持ちを抑えて約束の時間十分前に着くようにした。
 家族連れなどで賑わうスーパーの入口。
 季節特有の色鮮やかな人込みの中でも優は一瞬で文香を見つけることができた。
 涼しそうな群青色のブラウスに、風で時折ふんわり揺れるフレアスカート。
 文香が首を傾げたとき、イヤリングの影がそっと揺れた。

 内向きの腕時計を覗く文香の仕草を見て、優の足が自然と早くなる。

「文香!」

 どこか上擦ったような声を恥ずかしがるよりも前に、待ち人に気づいたときの文香の小さな笑みに、優は日差しよりも強く心臓が焼かれるのを感じた。

「ごめん、待ったよな?」
「ううん。さっき着いたところ。ちょっと早く来過ぎちゃったみたい」

 定番のやりとりに優の体感温度が上昇する。
 決して暑さのせいではない。
 文香の眩しい笑顔に、優の顔に熱が集まる。
 顔が赤い優に、暑さにやられたのかと文香は思った。

「今日は暑いね。早く中に入ろ?」

 文香に促され、二人は慣れ親しんだスーパーの中へ入って行った。
 文香が入り口近くの籠を取り、優が自然な動作でショッピングカートを持って来る。

「ん、ありがとう」

 文香もまた違和感を感じることもなく、当たり前のように中に籠を置いた。

「よし。まず、お米と他三日分ぐらいの食材買っちゃおう」

 バッグの中から店のチラシを取り出す文香に優は嬉しそうに頷く。

「今日は卵の特売があるの。おひとり様一パック。牛乳も何気に安いし、チーズやバター、ヨーグルトもお買い得だって!」
「俺、乳製品好きだよ」
「なら、いっぱい食べなさい」

 目をキラキラさせてチラシを見る文香に、つい優の顔がにやけてしまう。
 出来ればこのまま手を繋ぎたいと、そわそわし出す左手をなんとか誤魔化しながら、優は足取り軽い文香の後ろを付いて行く。
 歩く度にちらちら誘うスカートの裾や、そこから見える白い脹脛と細い足首につい視線が行ってしまうのは、男としての本能である。

(幸せだな……)

 しみじみとこの奇跡のような時間を味わう優の心境など知らず、文香は生き生きと店内を見回って行った。






 極端な節約をするつもりはないが、それでも一応の予算は決めてある。
 でも今日は寂しい冷蔵庫の中を埋めるためにも、大量に購入する予定だ。
 少しずつ力が戻って来た優という男手もいるため、思い切ってお米や瓶・ペットボトル類、お徳用の野菜などを中心に買おうと文香は計画している。
 当のスーパーでは週末限定で買いだめする客向けに色んなものが常よりも安く設定されているのだ。
 今まではこの雰囲気に流されないようにその日その日に決めた献立の材料分しか買わなかった。
 お米もカレーのときに購入した1.5kgサイズのものだけで、米びつの中身も危うくなっている。
 基本、食材が余ったり腐ったりしないように文香は二人分の材料しか買わないし持って行かなかった。
 ここ最近の優は見た目にも内面的にも精力さが増し、自炊したいという前向きな発言などを考慮してそろそろ食糧庫の中身を本格的に充実させてもいいと思ったのだ。
 ちなみに食材費は二人で交互に出している。
 この場合は割り勘だろうと文香は思っているが、当の優は自腹のつもりだ。
 地味なすれ違いに二人はまだ気づいていない。

 ガヤガヤと混雑する人の波をすいすいと抜けていく文香と違い、カートを押しながら付いて行く優は人に当たらないように気を付けるのに苦労した。
 既にカートの下には米20kgが堂々と鎮座している。
 生鮮食品は後回しにし、特に献立は決めずにその場の直感で文香は食材を選んでいる。
 もちろん今回は優の自炊、お弁当作りという目的があるため律儀に相談していたりするのだが、肝心の優がうんうん、いいね、いいよ、としか返さないのだ。
 流すような相槌ではなく、しっかりと文香の目を見て満面の笑みで頷くものだから、籠の中の食材がどんどん増えていく。
 調子に乗って買い過ぎてしまうかもしれないと、文香だけが危機感を抱いた。

「……真面目に考えてる?」 
「文香に全部任せるよ」

 へらへらと答える優に文香の眉間がぴくっと動いたが、その後は半ば意地のように優にいちいち相談した。
 それでも優は楽しそうに相槌を打つものだから、文香はもう諦めることにした。

 保存食も粗方確保し、今度は冷凍コーナーに足を向ける。

「あ、アイス」

 冷凍食品を見ようとケースを覗いたはずなのに、文香の目に真っ先に飛び込んだのは多種多様なフレーバーのアイスだ。
 つい、ファミリー向けの業務用アイクリームに目が留まる。
 昔夫婦で買い物するとき、ちょっとでも文香が目を離すと優は自分の好きなものばかり値段も何も気にせず籠に入れていた。
 会計のときに漸く気づいてぎょっとすることも多かったなと文香は思い出す。
 会計前に気づくこともある。
 そういうときは大抵この業務用アイスクリームなのだ。
 いきなり重みが増した籠に驚いて中を見ると高確率でこのアイスと目が合う。

 懐かしさについ手が伸びてしまう。

「これ、よく買ってたよね」
「……ああ、懐かしいな」

 正確にいえば優が勝手に籠に入れていたのだが。
 ほとんど一人で平らげる優を文香はいつも呆れながら見ていた。
 なんだかんだ言って、にこにこと強請って来る優についつい絆されてしまう文香もいけないのだが。

「小さめの奴も出たんだ……」

 優が自身の殻に閉じ籠っていた間にも当たり前のように時は移ろい、全てが変わっていく。
 気づいていないだけで、こんなにたくさんの新商品が出ていたのかと、優はアイスケースの中を覗きながらどこか他人事のように思った。

「どれにする?」

 隣りに並ぶ文香が何気なく優が手に取ったアイスに視線を向ける。
 距離の近さと、その自然な態度に優は目尻を下げた。

「……買っていいのか?」
「当たり前でしょ。夏なんだから」

 期待を含んだ優の視線に、文香はくすくすと笑った。
 幸せすぎて、眩暈がしそうだ。



* *


 アイスは会計前に籠に入れようと、二人は目当ての冷凍食品を物色することにした。

「やっぱりお弁当といえば冷凍食品よね。簡単だし、品数増えるし、保冷剤代わりになるし」

 どうやら冷凍食品も今日はセールをしているらしく、文香が喜々としてケースの中を覗き込む。
 軽い人だかりが出来ており、カートを押す優はその場から引き下がるような形で一歩離れた。

「あ、すいません」
「いいえ、こちらこそ」

 軽く腕にぶつかって来た主婦らしき客にぺこぺこ頭を下げながら、優は人の流れがどんどん集中しているのを感じて文香に声をかける。

「文香! ちょっと混んで来たから後ろの方にいるよ」
「うん、わかった」

 真剣な眼差しで二社の唐揚げらしき冷凍ものを見比べる文香を優は少し離れたところからじっと見つめた。
 きっと後でまた優にどれがいいのとか、本当にこれ買っちゃっていいのとか聞いて来るのだ。
 全部文香に任せるというのに、変に律儀というか頑固である。

(そういうとこは…… 変わってないな)

 昔と変わらないところを見つけては、ほっとしている自分がいる。
 まるで三年分の空白などないかのように二人で買い物している現状への違和感さえも霞んで消えてしまうほど優は幸せを実感していた。
 穏やかな休日。
 冷房が効いているはずの店内も人々の熱気に押されるように今の時間はムシムシしている。
 休日のスーパーなんて、いつぶりだろう。
 月に一、二度様子を見に来る家族のおかげで一か月買い物せずとも無気力に過ごすこともできた。
 文香との思い出が濃すぎる近所には必要以上に出歩かないようにしていたせいもある。

(懐かしいな……)

 見知らぬ新商品もあれば、いつの間にか消えてしまった商品もある。
 店員もだいぶ変わったはずだ。
 それなのに、店自体の雰囲気は昔のままのような気がする。
 ガヤガヤと騒がしい空気も、その中に混じって真剣な顔で買い物する文香も。
 何一つ、あの頃と変わっていないのではないか。
 本当は今までのが全部長い夢で、今も二人は夫婦として平穏に暮らしているのではないかと錯覚しそうになる。

(馬鹿だよな……)

 そんなこと、ありえないのに。
 優が一番よく知っているはずなのに。



* * *


 ふと、鏡張りになった壁が目に入る。
 大勢の人々の中に文香と、じっと立っている優が映っていた。

(……俺達、どういう関係ふうに見られてるんだろう)

 他人から見たら、優と文香はやはり恋人や夫婦に見えるのだろうか。
 友人というには近すぎて、家族というにはどこかぎこちない。
 付き合いたてか、新婚に見えているのかもしれない。
 嬉しいけどちょっと複雑だ。
 少なくとも一度離婚した間柄だとすぐに思いつく者はいないだろうと、優は自嘲を零す。

 鏡に映る苦々しい笑みを浮かべた自分。
 せっかくの週末なのだ。
 後ろ向きなことではなく、文香との貴重な時間をもっとちゃんと味わおうと優は再び文香に視線を向けようとして、凍り付いた。

(え)

 声に、出さなかったのは本当に奇跡だ。

 鏡に映る優の顔は強張り、目が限界まで見開いていた。
 信じられないと、その目が優に語り掛ける。
 亡霊を見てしまったような、ぞわっとするような悪寒が一気に全身を駆け抜けた。

 鏡越しに、視線が交じり合う。
 驚愕で見開いた優の視界に、の潤んだ瞳が強烈に突き刺さる。
 一瞬で、誰か分かった。
 他人の空似だと思う間もなく、ただ一瞬視界に入っただけで優の頭の中は彼女の存在に支配された。

 垂れ下がった眉も、子犬のように潤んだ瞳も、さくらんぼのように可憐に色づく唇も、陶器のような白い肌も、腰まである綺麗な髪も。

「優、君」

 人々の喧騒の中に落とされたガラス細工のような繊細な声も。
 消えそうな儚げな雰囲気に反して、彼女の全てが鮮やかに、強烈に。

「……志穂」

 優にその存在を誇示している。

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