君と地獄におちたい

埴輪

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終幕

4.内緒のはなし

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 見張りとして隠れていたのはリリーだった。
 初めての初夜のあと、動けないロゼを抱きあげてトイレに連れて行ってくれたのが彼女だ。
 それ以来、ロゼは侍女長以外のミュラー家の侍女達の間で一番よく話をするようになった。
 リリーはロゼの呼びかけに、本来ならばエアハルトの命令通り黙って白を切らなければならなかったが。
 どこかで頭の螺子が狂った彼女はロゼの助けを呼ぶ声に風のように素早くその場に姿を現したのだ。
 そしてロゼを楽々と抱え、ライナスの腹を蹴りつけて椅子ごと彼を後ろに倒す。
 ロゼが状況を判断する暇もないほどの早業で、彼女はこれ以上ロゼにライナスのいる空間の息を吸ってほしくなく、そのまま一度も使われたことのないロゼの寝室に繋がる続き扉を開けて、ロゼを寝台に寝かせた。
 きょとんと自分を見上げるロゼの愛らしさにうっとりしながらも、その額には青筋が浮かぶ。
 ロゼの方からライナスに倒れ込んだのだが、リリーの鍛えられた野生の目にはライナスがロゼを無理やり転ばして自身の胸に凭れさせたように見えた。
 ライナスが縛られてまったく身動きが取れないことなど、リリーの頭にはない。
 そもそもいくらロゼのお願でもあのライナスと表面だけでも二人きりの場を用意するエアハルトが信じられない。
 エアハルトのことは軍人として敬愛し、今も心酔している。
 だがそれとは別にライナスの口から聞いた生々しいエアハルトの性事情や幼くまだまだ成長途中のロゼの穢れなき肢体を乱暴に犯した行為を考えると、男というものはどうしようもない獣だという侮蔑の感情が芽生える。
 ライナスも含めて、エアハルトも下半身に罰が当たればいいのにという確実に不敬罪に問われるだろうことをリリーは考えていた。
 そんな差別的なことを考えてるリリーは寝台に寝かせたロゼの姿を髪の毛の先から足の先まで事細かく見分する。
 今朝浴室で見たロゼの白い肢体、エアハルトによって穢された裸や意識を失いながら頬を紅潮させて感じてしまう艶やかな姿を思い出してしまった彼女は今度は顔を赤くした。
 リリーのその赤い顔と、熱でもあるのかと思うほどのとろんとした眼差しに、ロゼは風邪でもひいたのかとその身を健気に案じる。
 ロゼもさすがにリリーが自分に不埒な感情を抱いていると瞬時に察することはできない。
 聡い彼女にとっては時間の問題だろうが。
 
「リリー…… 大丈夫? 熱でもあるの?」
「は、はいっ! 私はいつでもどこでも大丈夫、元気満々ですっ! 常に奥様を守るため、ここ最近は軍隊にいるとき以上に身体を鍛えておりますっ! お、奥様のため、ならばっ このリリー、火の中水の中、旦那様との命がけの決闘も恐れはしないでしょうっ!」
 
 やはり、熱でもあるのかしら。
 
 そんなロゼの心配を余所に、リリーは頭から湯気が出そうなほどに興奮していた。
 そもそもロゼを寝台に寝かせ、こうして側にいることが落ち着かない。
 このまま押し倒しても可笑しくない構図にリリーはいかんいかんと自身の不埒な妄想を鋼の精神で切り捨てる。
 鼻息を荒くし、なんとか興奮を抑えたリリーは、一応エアハルトのために弁解をした。
 エアハルトが妥協に妥協を重ねた苦悩の末にロゼとライナスの対面を許し、こっそり何かされないように見張りをつけた経緯を。
 あとでエアハルトにどやされて半殺しに遭ったとしてもリリーはロゼの呼びかけに答えないはずがなかった。
 むしろロゼの呼びかけが無くとも、あのままライナスとロゼの接触を許せず、そのまま飛び出していただろう。
 その際、うっかり誤って、無抵抗のライナスを殺したとしてもエアハルトも他の使用人達もきっと許してくれる。
 ロゼがリリーに呼びかけたからこそ、蹴り一つで我慢できたのだ。
 今頃、扉の向こう側でひっくり返り、頭を打ったライナスは死んでいるかもしれないが、あれは昔から悪運が強い。
 派手な音に見張りの兵達が入ってライナスを起こしている音が聞こえる。
 気絶しているだけだという声が聞こえたが、やはり運がいい。
 唯一の後悔は、ロゼの私室をもしかしたらライナスの血で汚したかもしれないことだ。
 後で消毒をし、床を剥がして新しいのに替えることを執事長に進言しよう。
 
 そんな、扉一枚を隔てた向こう側の騒ぎに気づいたロゼは、もうライナスとは話が出来ないのだと寂しく思った。
 ロゼがあれほど饒舌に、自分の価値観や考えを他人に話したのは初めてだ。
 エアハルトがもしもロゼがライナスに今までにない親近感を抱いていることを知れば、ライナスは惨い最期を迎えただろう。
 そしてロゼもまたエアハルトの悋気によって大層可哀相な目に遭ってしまうのは確実だ。
 それでも構わないとロゼは思っていたが、見張りが自分とここ最近親しいリリーだと知り、彼女の過剰なまでの忠誠心を聞いたことを幸運と捉えた。
 
 ライナスの命とエアハルトの精神の安定のためだ。
 もしもリリーが断るなら無理強いはしない。
 
「ねぇ、リリー」
「はっはいっ!」
 
 初めの頃の凛々しい姿とは違い、最近のリリーはロゼに対してどこかそわそわしている。
 なんだか可愛いなと微笑ましく思いながらロゼはそっとその頭を引き寄せる。
 ロゼの白い手に誘われて、リリーは掌に汗を掻きながら、彼女の顔に自身の顔を近づけた。
 もしや、これは口づけの催促なのかと馬鹿な夢を見るリリーを気にせず、ロゼは実に魅力的な蠱惑の笑みを浮かべる。
 ロゼからすれば自身の悪戯を侍女達に黙っててくれと言うときと同じ感覚だったが、興奮したリリーはそうと捉えなかった。
 実際に色気が出てしまったロゼはちょっとしたお茶目な表情ですら色っぽくなり、着実にエアハルトや屋敷の男の者達を誑かしていたが。
 最近では侍女達ですらうっとりしたり、ドキッとしてしまったりする。
 第二、第三のリリーの誕生は近い。
 
「お願いがあるの…… もちろん、断っても大丈夫なことよ」
「そんなっ 奥様のお願いを私が断るはずがありませんっ!」
 
 ロゼのためならばどんなことでもするだろう。
 
「ふふふ…… ありがとう、嬉しいわ。あのね、旦那様にご報告をするときに、私が転んでライナス様に抱き着いたり、少し親し気に耳元で囁いたことを、黙っててほしいの」
 
 じゃないとライナスの命が危ない。
 いくらライナスに嫌われても構わないとはいえ、ロゼ自身はライナスに好感を抱いているのだ。
 自分のせいでライナスが傷つけられるのは不本意である。
 まさかあの場で転んでしまうとは思わず、ちょっとだけ近づこうとしただけなのだ。
 ここの所エアハルトのせいで少し淫乱な気質が芽生えてきたが、ロゼはあくまで夫に貞節を誓う新妻である。
 あとはライナスがエアハルトに欲情し、恋情抱いていることを知っているため、ロゼの中では男という認識がなかったせいだ。
 もしも他の男であれば、二人で会うこと自体ありえないと拒んだだろう。
 
 不倫を夫に密告しないように侍女にお願する新妻のような展開だが、ロゼもお願い事をされたリリーもそういう認識は皆無である。
 リリーからすればライナスを処分するいい口実が失われるのだが、それと同時に不本意であれライナスと急接近してしまったロゼを独占欲の強いエアハルトが許すとは思えない。
 きっと、ライナスを抹殺した後で休暇を申請してロゼを三日三晩ぐらい仕置きと称して貪ることぐらいしそうだ。
 元エアハルトの部下であるリリーの判断は的確である。
 ライナスを処分したいという思いよりも、リリーはロゼの平穏を優先し、一瞬考えた末に実に頼もしく頷いた。
 
「ありがとう、リリー! こんなお願い、貴女に迷惑だとは分かっているけど……」
「奥様のためならば、リリーはどんな願い事も全力で叶えてみせます」
 
 間近で頬を紅潮させて、リリーを見上げて満面の笑みを浮かべるロゼの姿に、リリーはむらむらと欲が出てしまった。
 まだまだ修行が足りないと思いながらも、リリーはかつての狡猾で冷徹な軍人時代の敵の弱点を鋭く突いて望みの情報を仕入れて来た時の直感を信じ、少し躊躇いながら、己の欲求を口にした。
 
「その…… 無礼を承知で、お、お願い事があるのですが……」
「何? 私に出来ることなら、何でも言ってちょうだい」
 
 侍女にお願い事をされるなど滅多にない経験である。
 驚きながらわくわくとした面持ちで聞くロゼの姿に、意を決してリリーは自分の欲望を吐き出した。
 
 顔を真っ赤にして、小さな声でリリーはロゼにお願いした。
 
「あっ……あ、頭を………… な、撫でて、くださいっ」

  
 

 

 エアハルトはルナという存在に対して元々無関心であったが、今は少し違う。
 
 エアハルトがルナを使用人達に任せて娼館に送るよう命令したとき、ルナは絶望的な顔でエアハルトにしがみ付いた。
 
「やだっ、どうしてっ だって、だって……! あたしには、旦那様の、エアハルト様の赤ちゃんがいるんだよっ!?」
「黙れ」
 
 足元に縋り付くルナを蹴り飛ばさなかったのはそのまだ薄い胎に罪のない命が宿っているからだ。
 エアハルトの冷徹な命令に、ルナはぼろぼろと零れる涙が一瞬止まるほどの恐怖を味わった。
 エアハルトの醸し出す雰囲気は雰囲気と呼ぶのも烏滸がましいほどの威圧感があり、殺気を彼が放たなかったのは理性で抑制していたからに過ぎない。
 エアハルトはルナになんの興味も持っていなかった。
 ルナは代用品未満の、所詮は練習台でしかない。
 エアハルトからすればたかだか娼婦の分際でよくもふざけたことをしてくれたという蔑みが強かった。
 娼婦自体に嫌悪感もなければ軽蔑もないが、ルナには十分な報酬を与え、その後自分自身の身分を自由にできるほどの金と知識、教養も与えたのだ。
 それなのに契約違反どころか、エアハルトがもっとも慈しみ愛している妻の自尊心を傲慢にも傷つけようとした。
 これを裏切りと言わずなんという。
 ライナスがそもそもの原因だとしても、彼自身は長年苦しみながら自身を鍛え、並大抵ではできない覚悟と努力のもとでエアハルトに尽くしてきた実績がある。
 だがルナの場合は全てエアハルトが一方的にただの娼婦では到底与えられない貴族の娘並の環境と金と教養を与えた。
 いくら最初の出会いで店側が勘違いし、ルナを煽てる原因をエアハルト達が作ったとはいえ、結局そこに油を流して消えない火種を残したのはルナ自身である。
 エアハルトがルナの身体を好き勝手に扱う代価だとしても、それはどう見てもルナにとって都合が良すぎるものであり、周りもそれを知っているからこそルナを妬んだのだ。
 いや、ルナに向ける妬みのそもそもの原因はルナが自身に与えられる幸運を当たり前だとして受け取り、その後何の考えもなしに傲慢に振る舞ったからだろう。
 ルナが無知だからと言って全て許されるはずがない。
 ルナと同じ境遇の娘達が中心となって陰湿で計画的な嫌がらせが行われたのがその答えとも言える。
 人間というのは育ちや家柄だけで決まるものではない。
 そこには本人の変えられない気質というものがあり、ルナの場合はそれが少し傲慢で、他者の負の感情が理解できない点が彼女自身にとっての最悪のシナリオをつくることとなったのだ。
 エアハルトはルナが妊娠したと知らされたときも興味がなかった。
 彼が唯一不愉快だったのは娼館でルナに手切れ金を渡す際にありえない妄想を吐かれたことだ。
 
「いつまでもくだらない妄想を吐くな。その胎の父親はもう分かっているはずだ。これ以上腐った妄想を喚くのであれば、俺はもう容赦はしない」
 
 エアハルトは怒りを抑えながらルナの前髪を片手に掴む。
 その口から吐き気を催す悍ましい妄想が垂れる不愉快さに、出来ることならこのまま壁に投げ捨てて骨ごと潰してやりたいと思う。
 
「ひっ」
「いいか、売女? よく聞くんだ」
 
 ルナの恐怖と痛みに歪んだ顔に嗜虐的な感情すら湧かない。
 価値などないままであれば、エアハルトも放置していたものの。
 害悪になるなら容赦するつもりはない。
 唯一、ルナの虚言でロゼの心の内の叫びを聞くことができたのは幸運かもしれないが。
 だが、それとこれは別であり、エアハルトはロゼに対する愛を自覚した分、ルナの存在と行動が余計に許せないのだ。
 
 エアハルトはそのまま小柄なルナを持ち上げる。
 エアハルトの握力によってルナの前髪の何本か引き抜かれ、頭皮に鋭い痛みが集中し、ルナの口から嫌な悲鳴が洩れた。
 黒い軍服姿の長身の男に髪を掴まれて顔を上げさせられる小柄な少女。
 見る者が見れば恐怖で凍り付くような暴力的な光景に、側で待機する使用人達は顔色一つ変えない。
 ルナはエアハルトを知らない。
 彼は高い地位にいる軍人であり、有力貴族の御曹司であり、ルナに名前と居場所と財産、自尊心を与えてくれる神様のような人だとルナは思っている。
 それは間違っていないが、全てではない。
 エアハルトは平民が軽く名前を呼ぶことですら不敬罪で処罰され、彼が望めばその場で無実の民を殺めたとしても咎められないほどの地位と権力を持っている。
 そして、彼自身が殺人も虐殺も嫌悪しない、むしろそういった行為を好んで行い武功を立てて来た。
 もちろん、それは全て国が敵と認定した蛮族や敵国の人間、罪人に限るが。
 エアハルトは元々血の気が多く、今この場でルナを惨殺しても後悔も罪悪感も湧かない冷徹で残酷な男なのだ。
 
「その、鳩の糞が詰まった脳味噌でよく覚えておけ……」
「ぁあ゛ッ」
「今後、一切この屋敷に、俺と俺の妻に近づくな。万が一、そのふざけた妄想をこれからも垂れるようならば……」
 
 ルナの前髪を掴んだまま、恐るべき握力と力強さでエアハルトはその小柄な身体を待ちあげる。
 ルナの顔は痛みのあまり赤黒く変色し、口からは悲痛な呻きが漏れる。
 貧民街にいた頃も暴力に晒されたことがあった。
 だが、そのときは仲間の孤児達に助けられ、なんとか運よく切り抜けて来たのだ。
 混乱した頭で今までその存在を忘れていたことも忘れ、今は生きているのかも分からない孤児の仲間達に助けを求める。
 彼らの名前などとっくに忘れているというのに。
 
 エアハルトはそのまま触ることすら汚らわしいとばかりに近くにいた兵の胸元にルナを投げつける。
 子がいなければ、とっくに処分していたものを。
 運のいい女だと内心で吐き捨てる。
 
「お前が、その胎の餓鬼が俺の子だという妄想をまた垂れるようならば、その覚えの悪い舌を引き抜く」
 
 ちょうど、屋敷にはエアハルトの元部下で尋問のプロで死刑の確定している罪人を拷問の練習と称して舌を抜いて煮込み料理にしたがる侍女がいる。
 
「お前とその餓鬼が死なない程度に、余計な場所に出歩かないように四肢を砕くのもいいだろう。その目に俺の妻が映ることが今後ないように、瞼を縫い付けるのも一興。ついでに鼻も削げば、さすがのお前でも少しは懲りるだろう? なぁ、ルナ」
 
 ルナはがくがくと身体を震わせ、エアハルトのその穏やかともいえる恐ろしい語り掛けに耳を塞ぎたくとも出来なかった。
 嫌な臭いが鼻につき、気づけばルナは失禁していた。
 ルナを押し付けられた兵は嫌そうな顔をしながらも、ルナの身体をそのまま拘束する。
 
「最後に、一ついい事を教えてやろう」
 
 エアハルトはそれに構うことなく話を続けた。
 
「もしも、お前が本当に俺の子を孕んだとしたら…… 俺はその餓鬼共お前を殺す」
 
 ルナは、幸いにもエアハルトの無言の怒気に怯え、彼の語る内容を聞いても満足に頭が回らなかった。
 
「俺の子を孕むのは、孕んで生んでいいのは、ロゼだけだ」
 
 エアハルトはもう死ぬまでロゼ以外を抱くつもりはない。
 例え、何かの陰謀で他の女がエアハルトの子を宿したならば、エアハルトはなんの罪悪も抱かずにその母子共々処分するだろう。
 一切の慈悲もなく、そしてそれを一切ロゼに知らせずに。
 それがエアハルトの過激な愛情表現であり、妻への誠意の証であった。
 唾棄すべし考えだということに彼が気づいているかは分からないが。
 
 ある程度の釘を刺したエアハルトはもうルナになんの感情も興味も抱かない。
 そのままルナを連れて行けと屋敷の者に命じて、一度もルナの方を振り返ることなく去って行った。
 彼としてはもうこれ以上ルナに構っている暇はない。
 ロゼとライナスがどんな話をしているのか、気になって仕方がないのだ。
 ルナが例えショックの余り、また自殺を試みたとしても、むしろそれは好都合であり死ぬのなら勝手に死んでくれと思っている。
 ルナの子がどうなろうとエアハルトも本当はどうでもいいのだ。
 ただ、ロゼが罪のない子が死ぬのを嫌がっているから少しばかり気にかけているだけである。
 今のエアハルトのほとんどの思考はロゼに関することだ。
 それが愛に狂う男の愚かな思考であろうとも、エアハルトはもう元の自分には戻れない。
 ある意味ではロゼがそれを隠そうとしていたのは正解ともいえるが、今更遅いのだ。
 
 
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