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手紙
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しおりを挟む皮膚が焼かれる痛みと松明自体が強い力でメリッサの顔を殴ったため、その場に倒れるほかなかった。
絶叫が喉から迸る。
痛みを痛みと思うよりも、とにかく熱かった。
熱くて熱くて、メリッサはただ叫ぶしかなかったが、それでも頭の一部は不思議と冷静であり、松明がそのまま石畳の上に落ちたことに安堵した。
メリッサよりもディエゴの動きの方が速かった。
近くに水はなく、ディエゴは髪に炎が燃え移ったメリッサの頭全体を手では叩き、急いでマントを脱ぎ棄てメリッサの肌を焼く炎を消そうと必死だった。
呻きながら、メリッサは火傷がどこまで広がったのか把握できなかった。
初めて感じる皮膚を焼く痛みと肉が焦げる痛みの前では冷静に判断することはできなかった。
ただただ痛くて苦しくて熱くて、地獄のようだった。
皮膚と髪が燃える匂いが牢獄に充満し、そこは正に生き地獄だった。
必死にメリッサの名を呼んでいるのがディエゴの声か、カイルの声なのかも分からない。
判別などできない。
メリッサが庇いたかったのがカイルなのか、それともディエゴだったのかも分からない。
暴れるメリッサを押さえつけ、必死に炎を消そうとするディエゴの恐怖と悲痛に満ちた表情を最後にメリッサは漸く意識を失うことができた。
信じられないほどの痛みと肌を焼く未知の熱から今度こそ逃れることができることにメリッサは安堵した。
*
メリッサは右目の視力を失った。
運悪く、振り下ろされた松明はメリッサの右目を直撃し、炎というよりもそのときの殴打で目に強い損傷を受けたのだ。
眼球が潰れ、そして炎によって右顔面を中心に大火傷を負った。
炎はメリッサの長く美しい黒髪を燃やし、女の罪人にするように短く切るしかなかった。
首にも火傷を負い、声帯にも影響が出たかもしれないが、まだ目覚めないメリッサでは確かめる術はない。
肩や腕、そして炎を消そうとしたメリッサの両手にも火傷は残った。
今のメリッサの姿を見て、これがあの美しく健康的だった王女だとすぐに分かる者はいないだろう。
かつてないほどの焦燥に駆られたディエゴはなりふり構わず人を呼び、医者を呼びつけた。
その騒動はなんとか一部の者に留まったが、噂は広まった。
特に前国王に仕え、メリッサを古くから知る城の者に不審感を与えることになった。
王女メリッサはこの城に監禁され、ディエゴによって拷問にかけられたと。
かつての裏切りの復讐として、あえてメリッサの美しい顔を傷つけたという噂だ。
限りなく事実に近い噂を確かめようとする者もいたが、生死を彷徨いながら苦しむメリッサの側からディエゴは片時も離れなかった。
かつての自分のように身体中に包帯を巻かれ、ひたすら痛みに呻き、苦しみ、悪夢で魘されるメリッサをディエゴは手を握り、寝食を忘れ見守っていた。
国が安定しない中で国王が火傷で重症を負った謎の女の側から離れないことに困り果てる者が続出した。
王妃でしか今の国王は説得できないと皆が思い、程なくして地下の神殿に王妃が涙を浮かべて国王に会いに来た。
容態が急変しないがきり、ディエゴは神殿から人を追い払っていたディエゴだが、神殿を守る兵士や使用人達も王妃を通さないことはできなかったのだ。
憔悴し、虚ろな目でメリッサを見守るディエゴはまるで別人のように生気がなく、メリッサよりも早くに死んでしまうのではないかと危ぶまれるほどだ。
それに胸を痛めながらも、王妃はそっとディエゴの側に寄った。
声をかけるつもりであった。
何か、ディエゴを慰めるための言葉や仕草を、王妃はもう考えて来たのだが、今目の前で椅子に腰かけながら、ひたすら寝台で呻く女を見つめているディエゴには誰をも寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。
今にも壊れそうなディエゴの排他的な姿は王妃の想像を軽く超えていたのだ。
ディエゴは王妃の気配を悟り、一言だけで要件を聞いた。
ディエゴの命令を無視して王妃がこの神殿に入ったことに対する怒りはなかった。
メリッサの存在そのものが王妃への裏切りであり、どれくらいの日数が経過したのかも分からないほどディエゴは職務を放棄し、ひたすらメリッサの側にいた。
無責任なディエゴが王妃を責めれるはずがない。
王妃は決して自分の方を振り向くことなく、まるで一瞬でも目を離すと消えて無くなってしまうことを恐れるように一身に寝台に眠るメリッサを凝視するディエゴを見つめた。
王妃はディエゴに何を言いたかったのか全て忘れてしまうほど、その姿にショックを受けた。
ディエゴの感情のない王妃への冷たい言葉やまったく振り向くことのない無関心な態度、そして見たこともない恐怖と焦燥に満ちた表情で他の女を見つめている姿。
全て初めて見るものだ。
王妃が今は少し落ち着いたのか、静かに眠る夫の従妹であり、元婚約者だったという王女を一瞥する。
思わず眉を顰めたくなるような痛々しい姿に王妃が何を思ったのかは分からない。
ただ、自分を無視するディエゴに思わず呟いた。
「……その方を、愛しているのですか?」
呟いた後にこんな場面でなんて愚かな質問をしたのだと王妃は悔いた。
「……分からない」
ディエゴは喉から絞り出すように答える。
本当に、もうディエゴは分からなかった。
あの牢獄で見たメリッサのカイルへの愛情は紛れもない本物で、カイルの出生や醜い顔を見てもメリッサの愛は変わらず、その身を持って庇った。
ディエゴの時はそうではなかった。
その事を考えるとどうしようもない嫉妬で目の前で痛々しい姿で眠るメリッサをそのまま殺してやろうかと残酷な意思が目覚める。
息をするのも苦しい、その包帯の巻かれた首に何度も手を伸ばそうとした。
だが、苦しむメリッサの姿を見ると、どうしても躊躇われ、結局メリッサを殺すことができない。
むしろメリッサが痛みで苦しみ、助けを求めるように手を伸ばすと何も考えられずにその手を握り、その回復を祈るように口づける自分がいる。
ずっと守ってきたメリッサをディエゴは不可抗力とはいえ、酷く痛めつけた。
そのことに途方もない罪悪感を抱く自分もいるのだ。
ここまで自分を苦しめ、最後には結局裏切ったメリッサを許せない気持ちとそれでもメリッサが大事で生きて再び元の関係に戻りたいという気持ちが日々ディエゴの中で鬩ぎ合っている。
ディエゴよりも、ひたすらメリッサを見つめるその姿を見ている周りの方が彼の心の内を理解していた。
それは王妃も同じである。
だが、王妃はそのことを言わない。
誰が見てもメリッサを見つめるディエゴの目の奥の懇願と愛しさを秘めた切ない視線の意味を、王妃は最後まで教えなかった。
「陛下…… どうか、これだけは覚えてください」
王妃はゆっくりディエゴに近づき、一瞬だけメリッサの顔に視線を移した。
そしてディエゴの側に跪き、潤んだ目で見つめる。
片手で、自身の腹を撫でながら。
「陛下のお気持ちがどこに向かおうと、私は永遠に貴方様を愛しております。死ぬまでお傍を離れません。ずっと、陛下だけの妻として、仕えていく所存です」
「…………」
ディエゴはまだ王妃を見ようとはしない。
しかし、その肩が震えているのは分かった。
王妃は長年ディエゴを慕い、彼が何を求め、何を欲しているのかを知っている。
「私は、陛下を裏切ったりしませんわ。ずっと、陛下をお慕いしています。お腹の中の、陛下と私の子と一緒に」
その言葉に、ディエゴは漸く跪く王妃を見た。
片目から静かな涙を流し、王妃を見つめる。
隣国の民の特徴である、輝くような金髪と青い瞳。
美しい王妃もまた涙を流していた。
その健気な姿と、王妃のまだ薄い腹を見つめ、漸くディエゴはメリッサの手を放した。
意識のないメリッサの側でディエゴは王妃の華奢な身体を優しく抱きしめ、その愛に報いるように口づけた。
二人の愛の囁きは意識のないメリッサにも届いていた。
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