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後悔
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しおりを挟むディエゴは隣国の王女を愛していた。
王女もまた一度は拒絶されたディエゴをその後も全身全霊で慕い、愛していた。
隣国に逃げるように、そして復讐のために全てを利用しようとしていたディエゴにとって王女の愛情は諸刃の剣に等しかった。
王女の愛を利用して隣国での権力を完全なものとする利点はあったが、一歩間違えれば女王や臣下達と敵対することになるかもしれない。
そして、当時のディエゴは酷い人間不信にかかり、尻の軽い女や娼婦を手当たり次第に抱き潰していた。
王女がディエゴを慕っているのは有名で、またディエゴの女遊びの激しさもこの時有名であった。
そんな不誠実な男に大事な王女を嫁がせるはずもなく、またディエゴもこのときは半ば復讐に憑りつかれ理性を失っていた。
王女の夫となって国を乗っ取るという計画に強い嫌悪感を抱き、実行しようとしなかった。
だが、細く華奢な王女はその儚い風情とは裏腹に何度もディエゴに恋文を送り、その愛を欲し、一途に恋い焦がれていた。
数年の月日が流れても王女は見合いを断り続け、その婚期を逃して女王や臣下達に責められてもディエゴ以外の妻になりたくないと主張した。
そんな王女に先に折れたのは女王達であり、ディエゴにもう一度王女と見合いをするよう頼んだ。
この時のディエゴは激しい女遊びも落ち着き、軍事面では類まれな才と実力を発揮し、隣国の軍隊を大胆に改革し、そして蛮族や敵国との戦争に次々と勝利して多くの信奉者を得ていた。
英雄とすら謳われるようになってディエゴは無視することが出来ないほどの権力を隣国でも発揮していた。
ディエゴと王女の結婚が成立することを、女王達は真剣に望むようになっていたのだ。
そして、ディエゴは王女が長年ずっと心変わりすることなくディエゴを慕い、誠実に愛していたことに戸惑いながらも、その好意を利用した。
王女の年齢は嫁ぎ遅れと呼ばれるほどのものであり、焦りやディエゴの愛を確実なものにしたいという思いが強かったのか、清純な見た目に反して王女は積極的にディエゴと肉体関係を結ぶことを求めた。
その頃のディエゴは復讐や恨みのみを糧にして生きている状態であったが、王女の真剣な思いに無自覚に過去の自分を重ね同情し、王女に現実を見せることで拒もうとした。
ディエゴは王女の目の前で眼帯を外し、自身のトラウマともなっている醜く痛々しい傷跡を王女に見せた。
例え王女がディエゴの傷を見て拒絶しても、既に心を無惨に殺されたディエゴは何も感じないと分かっていた。
眼帯を外したディエゴを見て目を見開く王女を恨むことも怒ることもなかった。
これで王女もディエゴを嫌悪し、去って行くだろうと思われた。
だが、王女はディエゴの予想を裏切り、その傷跡ごとディエゴを受け入れたいと言った。
ディエゴの全てを受け入れて、愛したいと可憐な肢体を跪かせ、涙を流して懇願する王女の愛をディエゴは信じられない思いで見つめた。
ディエゴが心底欲していた言葉を王女は全て口にしていた。
かつてディエゴが愛した少女の口から言って欲しかった言葉。
どんな姿になってもディエゴを愛しているという王女の言葉に、ディエゴは初めて王女に対して愛おしさを感じた。
そして王女は言葉の通り、復讐のために様々な工作を行うディエゴを助け、それを支え続けた。
王女と秘密裏の婚約を結び、閨を共にするようになってから、ディエゴは優しく王女に接するようになった。
ディエゴの欲しかった愛をくれる王女が愛しかった。
だが、愛する人を再び手に入れたディエゴの心は今だ壊れたままで、王女と結ばれても安息の日々は訪れなかった。
自分を裏切った者全てに復讐をして、全てを手にしない限り、ディエゴは常に悪夢と傷跡に魘され、幸せになれないと思った。
ディエゴの歪みと復讐心を知りながら、それでも慕っているという者は大勢いた。
そんな人々に囲まれながらも、ディエゴの心は常に国王と婚約者であったメリッサにあった。
特にメリッサに対する深く歪んだ感情はもはや恨みなのか憎悪なのか愛憎なのか分からないほどぐちゃぐちゃであり、ディエゴ自身本当にメリッサに求めているのがなんなのか分からないほどだ。
それを追及することは王女に対する裏切りのように思い、ディエゴは運命の日までその感情に蓋をすることにした。
毎晩王女を優しく抱いた傍らで常に記憶の中の幼いメリッサを頭の中で辱めている事実を考えれば、自ずと答えは分かったはずだ。
ディエゴは自分を受け止め、愛を捧げ、正式な妻となった王女、王妃に尽くそうと思っていた。
だが、それとはまったく別の感情と理論でもってディエゴは地下の神殿にメリッサを監禁し、その存在を一部の者以外にしか知られないように手配した。
メリッサを担ぎ上げる者が出ないように、という建前でメリッサは辺境の砦に軟禁していると公表していた。
ディエゴとメリッサの関係を知る古くからの臣下の何人かはその公表に疑心を抱いていたが、逆らえば唯一の王女であるメリッサの命が危ないと彼らは黙ってディエゴに従った。
メリッサがカイルや城の者達の命を代償にディエゴの奴隷になり、当のカイルや城の者達はどこかで捉えられているメリッサの安全のためにディエゴに従う。
面白いぐらいに事は上手くいっていた。
ディエゴが半ば無理やり即位してから今だ逆らい抵抗を続ける勢力の一掃や法の改正など、多忙を極めていた。
なるべく夜は王妃のいる後宮を訪れるが、日に日にその頻度は少なくなり、どうしても気を遣う必要もないメリッサのもとへ溜まった欲を吐き出しに行ってしまう。
あくまでメリッサは娼婦と同じ、またはディエゴの欲を吐き出すだけの一種の便所のようなものだとディエゴは言う。
もちろん、それはメリッサに向けての辱めの最中のことだ。
それが本心かどうか、ディエゴにすら分からなかった。
そうした中での王妃の懐妊だった。
大柄なディエゴと小柄で華奢な王妃の体格差は大きい。
ディエゴはなるべく優しく慎重に王妃を愛していた。
閨でもたっぷり愛撫して、痛みをなるべく感じないように配慮するため、どうしても時間の取れるときでないと抱けない。
なるべく効率よく、医者の見立てで王妃が妊娠しやすい日を選んで抱いた。
王妃の懐妊は当たり前のことであり、むしろ隣国にいた頃から身体の関係があった二人には遅すぎる妊娠といえた。
即位し、国もだいぶ安定した状況の中での王妃の懐妊に、周囲は祝福した。
泣いて喜ぶ王妃を抱きしめながら、ディエゴもまた自分の子供が出来たことに戸惑いながらも喜んだ。
その戸惑いを感じるたびに、脳裏にメリッサの姿が過った。
度々思い浮かぶメリッサの姿。
妊娠した王妃はディエゴの欲を発散させるために自分から手や口で奉仕する。
拒むディエゴに構わず、彼女には似合わないほど強引に王妃はどこで覚えたのか懸命に拙い仕草でディエゴの欲望を扱いた。
妊娠で情緒不安定になっている王妃を宥めながら、ディエゴは好きにさせた。
王妃に奉仕されるたびに、ディエゴはメリッサのことを考えてしまう。
王妃の毎晩の健気な奉仕は逆にディエゴの欲求不満を加速させた。
こういうときこそ、メリッサが役に立つ。
執務中でもディエゴの側にいないと不安になってしまう王妃の隙をついて、ディエゴは何日かぶりに神殿へ向かった。
*
ディエゴが神殿に来ることを知らされた使用人達は慌てて香を焚くなどの準備をして出迎えた。
メリッサに変わりはないかといつものように聞くディエゴに使用人はおずおずと答えた。
ディエゴが王妃の懐妊を告げたあの日以来、メリッサはほとんど食事を摂らず、よく吐いていると。
片目に剣呑が宿り、不穏な雰囲気を発するディエゴに使用人は慌てて弁解する。
何度も食事を工夫して出したが、どうやらメリッサはディエゴが長く間を空けて来ないことがショックで、ディエゴがまた神殿に来ればすぐに治るはずだと言う。
全て使用人の憶測に過ぎないが、ディエゴは足早に地下の通路を駆けた。
裸のため、メリッサがいかに痩せたのかよく分かる。
髪や肌の艶はなく、ずっと寝ていないのか目は淀み、隈がはっきりと出来ていた。
唇も乾燥して、細い首は今にも折れそうであり、鎖骨と肋骨が浮き出ているように見える。
鎖を引きずる手足も細い。
久しぶりに見るディエゴの姿を捉えたとき、メリッサは思わず下を向いて視線を逸らした。
まともにディエゴを見ることができない。
ディエゴは逆にメリッサの姿を確認すると、しばらく衝撃を受けたようにその姿を凝視し、食事の最中だったのか湯気が出ている粥の入った皿を奪い、メリッサの口元に皿を差し出す。
「食え」
乱暴に一言だけ告げるディエゴに戸惑い、これも新しい嫌がらせかと、意を決して皿の中に顔を突っ込み粥を一口食べた。
唖然としながら、ディエゴはすぐに今度は匙を取って苛立ったようにメリッサの口元に差し出す。
別に犬のように皿を舐めさせたいのではない。
ディエゴは舌を火傷するメリッサに気づき、まだ熱い粥を冷まして小鳥の餌やりのようにメリッサに食べさせた。
お互いに何をやっているのか途中で分からなくなりながらも、昔はよくこうして互いに病気のときに食べさせ合いをしたことを思い出し、胸を爪で引っかけられたような擽ったさを感じた。
何故、食事を摂らなかったのかと厳しい顔でディエゴはメリッサに問う。
欲求不満でメリッサを乱暴に抱こうと思っていたのに、ディエゴは目の前で二杯目の粥を食べるよう命じたメリッサを監視している。
痩せてしまってもメリッサの裸はやはり眩しく、何日も会っていないせいか余計に欲情してしまう。
シーツを羽織らせられたメリッサはディエゴのいつにない対応に戸惑い、そしてその変化は王妃の懐妊のせいだろうと当たりをつけ、余計に口が重くなる。
それでもディエゴの答えを無視するわけにはいかない。
今更ながら環境の変化で身体が戸惑っているのだと無難に告げる。
実際にメリッサがストレスと日光を浴びない環境のせいで体調がずっと良くないのは事実だ。
体内時計も狂い、精神的にも肉体的にも痛めつけられて来たのだ。
今までも何度か食事を吐いて来たため、信憑性はあると思った。
だが、ディエゴの追究の目は険しいままであり、メリッサは仕方なく俯いて呟く。
「その証拠に、ずっとあの日から月の物も来ていません」
羞恥と別に、今出すにはもっとも不出来な台詞にメリッサは力なくディエゴに微笑んだ。
あまりにも哀しそうな笑みに、ディエゴはそれ以上何も言えなかった。
メリッサの月の物が遅れていることに気づいたときは、ディエゴは心底喜び口の堅い医者を手配させた。
だが、ディエゴの期待は外れ、ストレスが原因だと言われた。
ディエゴはメリッサが孕んだと期待したのだ。
そのときの喜びと落胆を思い出し、ディエゴは思わずメリッサの腹の部分、子宮のある辺りを凝視した。
本来ならば、ディエゴの子が宿るはずだった場所だ。
メリッサがディエゴを拒まなければ、あるいは国王がディエゴを暗殺しようとしなければ、幸せは今も続いていた。
何度ディエゴはそれを夢想したことか。
メリッサもまた同じ様にそれを考えていた。
「……お前が、俺を拒まなければ、今頃俺の子を宿していたのはお前だったはずだ」
皮肉でもなく、淡々と呟くディエゴに、メリッサは傷ついたように顔を歪ませる。
目頭が熱くなるのを耐えた。
メリッサには泣くことができない理由がありすぎた。
お互いが何を思っているのか分からないまま、二人は静かに言葉を交わした。
ディエゴが隣国に旅立った日から、漸く二人は激情と複雑な思いを押し殺して話をするこができた。
歪な関係となったまま、ディエゴは穏やかともいえる口調でメリッサに語り掛ける。
ディエゴが今穏やかでいられるのは、もうすぐこの世に彼の血肉を分けた分身が生まれるからだろう。
「後悔しているか? 俺を、裏切ったことを」
静かなディエゴの言葉を、メリッサは受け止める。
様々な感情を秘めたまま。
「はい」
ディエゴは身を乗り出してメリッサを膝に抱えた。
一瞬、その足首の鎖を見て、そしてシーツに身を包まれたままのメリッサをじっと見つめる。
「……償いたいか?」
「……償えるのですか?」
はぐらかすような返答に、例えようのない葛藤が滲んでいた。
ディエゴに償うことができるのなら償いたい。
だが、過去は戻らないのだ。
メリッサの過ちもディエゴの過ちも、あまりに酷く残酷過ぎた。
許されるはずもない。
片目を揺らすディエゴが憐れで、憎い。
そして、あのとき一瞬で殺された国王が羨ましかった。
こんな辛い現実から逃れ、彼は幸せの中で死ねた。
もしかしたらディエゴが国王を即死させたのは最後の愛情表現だったのかもしれない。
全ての元凶ともいえる国王の掌の温かさは今でも忘れられない。
ディエゴを拒むメリッサを優しく慰めたあの時の国王は一体何を思っていたのか。
何を思って、こんな傷を自分の息子に背負わせたのかと、メリッサは無意識にディエゴの眼帯に触れていた。
メリッサが傷が隠された部分を触るのは初めてであり、ディエゴは身体を硬直させ、メリッサの様子を凝視した。
撫でるようにディエゴの革の眼帯に触れる。
爛れた傷跡は右目を中心に広範囲に渡った。
眼帯では覆い切れない変色した皮膚を指先で癒すように撫でる。
あの時も同じ様にディエゴは包帯をしていた。
傷跡をメリッサはちゃんと見たことはない。
なのに、メリッサは一体あのとき何に怯え、何に恐怖し、何が突然冷めてしまったのだろうか。
良くも悪くも、あの時のメリッサは本能に忠実な子供だった。
もう、今更の話だが。
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