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純潔
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しおりを挟む突然のことにきょとんとするメリッサの頬や白い衣装に血が飛ぶ。
事態を理解する前に、メリッサは強い力でカイルに引っ張られ、背中に隠された。
カイルの背中に回る直前に見たのは崩れ落ちる国王と、それを見下すディエゴだ。
反射的にメリッサはディエゴが国王を殺したのだと悟った。
そしてそれは正しく、ディエゴの右手には彼の愛用の長剣が握られ、国王を背後から貫いたその剣には真新しい血がついていた。
その血と脂を払いながら、突然の凶行で静まり返った場でディエゴは何か暗号のような言葉を叫んだ。
鋭く、冷たい声を合図に大広間の扉は乱暴に開けられ、叩き割られた窓からも無数の武器を持った兵士が侵入して来た。
怒号と悲鳴が響き渡った。
カイルは己の武器を取ろうとして今は丸腰であることに舌打ちした。
どんな祝いのときでも主役以外の兵士は基本的に帯剣する。
それが戦争国家とも揶揄されるこの国の常識であり、ディエゴがいつものように愛用の長剣を携えて来たことも、何度か癖のようにその柄を撫でていたことも、周囲の誰もが気にしなかった。
そしてディエゴの様子を伺い、その合図を待っていた者達の違和感にも気づけなかったのだ。
一騎当千と謳われる臣下達の中にもディエゴに加担する者がいるらしく、ディエゴが音も殺意もなく国王に近づき、そしてあまりにも素早く自然な身のこなしで剣を抜いたことに気づいたときにはもう遅かった。
背後から決して弱くはない国王の心臓を一突きしたディエゴの技量の高さは称賛に価する。
躊躇いも興奮もない、実に見事な技だ。
そして大勢の見たことのない兵士達が大広間に飛び込み、ディエゴの協力者以外を惨殺していく。
明らかに体格が良く、優秀な戦士だと分かる派手な衣装の男達を避け、卑怯にも侵入して来た兵士達は丸腰の使用人や文官、女達を狙って攻撃する。
それを守ろうとする臣下達だが、誰が味方で誰が敵か分からない中で同じ技量を持つ裏切り者達に背後から容赦なく襲われる。
流れ込んで来た兵士達は臣下達に紛れている味方を攻撃しないようにあえて戦士の出で立ちをする者達を避けているようだ。
そんなことを考えている間にも、カイルは近衛隊長である義父から逃げるよう指示され、そして武器として剣を一本渡された。
守るべき主君をむざむざ目の前で殺された義父の目には悲しみと怖ろしいほどの怒りが宿り、謀反の首謀者であろう王太子を殺気の籠った視線で睨みつける。
義父との繋がりで知り合った近衛隊の友人達に護衛されながら、カイルはメリッサを担いで大広場から脱走した。
近衛というだけあり、カイルとメリッサを護衛する兵士達は次々と敵を斬り捨てて行く。
カイルに担ぎ上げられたメリッサは、今だ国王の死体の前で立っているディエゴを呆然と見ていた。
ディエゴもまた、ずっとメリッサだけを見ていた。
その日、初めて二人の視線は絡み合った。
*
怒りに滾る男達と女達の泣き叫びを耳にしながらもメリッサはどこか現実実が湧かず戸惑いの方が強かった。
顔や名前、何度も言葉を交わした臣下や使用人達の死体が城のあちこちに転がっている。
その死体を踏み、蹴りつけながら次から次へと敵兵が侵入して来る。
狂乱は城以外にも及んでいた。
酒やご馳走に毒を盛られた関所の兵達も皆殺され、無防備に踊り笑う民達は見たことのないような他国の者が多数紛れていることに気づかなかった。
異国の者らしき何人かに絡んでみれば、王女殿下の結婚というお祝いのためにわざわざ隣国からやって来たと嘯く。
国王の急すぎる結婚の催しに、少数の同盟国の賓客を招待することもできなかった。
戦争と裏切りの歴史を持つこの国はもともと閉鎖的であり、隣国で軍事顧問として上手くやっているディエゴがそもそも異例なのだ。
そしてディエゴが隣国でも慕われ、今日のこの祝いの日に多くの隣国の兵を連れて来たことに疑問を持つ輩はいなかった。
敵はそもそも内部にもいた。
現国王に不満を持っているのか、それともディエゴを慕いすぎているためなのか。
国を守る要のはずの兵士達の中に無数の裏切り者が紛れているという事実にカイルは大きな失望と怒りを覚えた。
だが、そんなことを考えている間にも目立ちすぎる純白の衣装を着た本日の主役を狙う野獣達が襲ってくる。
友人として心の底から祝福してくれた近衛隊の騎士達の数は少しずつ減っていく。
いくら彼らの一人一人の能力が高くとも、多勢に無勢の状況では勝ち目はない。
皆、死ぬことを前提にして、どうしたら死の間際まで王女とその夫を守れるかと考えて最善の行動をしていた。
足を斬られ、もう立てなくなった者は串刺しにされながらも一人でも多くの敵兵に食らいつき、その喉笛を噛み千切りながら死に、もう戦えないと判断した一人は自分の腹を突き刺してそのまま背後の敵兵をも地獄に引きずりこむ。
命がけだった。
彼らは命がけでメリッサ達のために戦った。
国王を守れなかった自分達を罰するように。
カイルに抱えられながら、メリッサは死に逝く自国の騎士達の最期を食い入るように見つめた。
そしてメリッサ達を逃がすため、必死に敵の兵士達を足止めしようとする武器も持っていない文官や馴染みの侍女達の姿を見て、恐るべき記憶力で殺された彼らの名前を頭に刻みつけた。
この城はメリッサの家だ。
そこに仕える人々の名前をメリッサが全て暗記していることを知っている者は少ない。
城の防壁の向こう、民が暮らす都から無数の煙があがり、これは内乱でも謀反でもなく、戦争だとメリッサは思った。
戦争を仕掛けて来たのは隣国であろう。
そしてそれの指揮を執っているのはこの国の王太子であるディエゴだ。
何故、自分の国をこんな風に滅茶苦茶にできるのか分からなかった。
メリッサを恨むのなら分かる。
だが、いずれこの国の全てを手にするディエゴがわざわざ反逆に手を染める理由が分からず混乱する。
そして何故、ディエゴは実父の国王を殺したのか。
ディエゴが内心では国王を慕っていたことをメリッサは知っていた。
何が目的でこんなことをするのか分からない。
ディエゴは多くの臣下や民達に慕われ、支持され、隣国の者ですら虜にしているのに。
唯一、ディエゴを狂気に走らせる理由を思い出したメリッサだが、そんなことが果たして理由になるのかと自問する。
確かにショックであろうが、国王はそれについて対策はあるとメリッサに言っていた。
だからこそ分からない。
一体どんな理由があれば、こんな無差別に自分達に仕えて来た城の者達を殺せるのか。
あんなに痛そうに呻く皆を見て、どうして止めようとしないのか。
この悪夢を招いたのはやはりメリッサなのか、それともあの毒のことなのか。
あるいはその両方か。
メリッサには何も分からなかった。
こんな地獄をつくったディエゴを正当化できる理由など思いつくはずもなかった。
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