毒殺された男

埴輪

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崩壊

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 毒を盛られたと気づいたディエゴはすぐさまにそれを吐き出した。
 急いで医師を呼び、水を持ってくるように使用人を呼ぼうとしたとき、ディエゴは側らに置いてある長剣の鞘を抜いた。

「っ……!」

 舌と喉、そして食道から胃にかけて強烈な不快感を、そして全身から毒の効能らしき熱を感じながら、ディエゴは殺気を消して扉を乱暴に蹴り開けて来た黒装束の男達を睨みつける。
 男達は全員で五人。
 忍ぶにも隠れるにも目立ちすぎる人数だ。
 ディエゴが直前まで気づかないぐらいの気配の無さ、訓練された暗殺者であることが察せられる。
 もしもディエゴが毒を飲んでいなければすぐに気づいただろう。

 人払いされたディエゴの自室の前には見張りの者がいた。
 喉の苦痛を耐えながら見張りの者を呼ぶディエゴだが、それに答えたのは暈しの入った短剣を持つ暗殺者であろう男だった。
 多くの戦士と戦い、人間の肉体の構造を知るディエゴは侵入して来た者達の体格を見て男だと判断したのだ。
 ディエゴは即効性の毒による高熱と口腔内と内臓にかけての激痛に耐えながら、反射的に無言で襲って来た男の手首を片手でねじ伏せ、目だけが見えている状態の男の驚愕の視線に構うことなく、持っていた長剣でその腹を裂いた。
 致命傷は与えない。
 一人でも多く生かして尋問するつもりである。
 よく訓練されているのだろう。
 悲鳴を上げもせずに呻き声のみ漏らした男を邪魔とばかりに蹴りつけ、残りの男を睨む。
 葡萄酒の入った瓶を立ちすくむ男達に投げつける。
 当たり前のように硝子の瓶は壁にぶつかって割れた。
 忌まわしい匂いが辺りに漂い、その砕け散る音にも見張りの者が来ないことに、ディエゴは冷静な頭の一部でこれが酷く計画的な襲撃だと知る。
 ディエゴの寝室は自室と一つ扉で繋がっている。
 灯りのある廊下では彼らの姿は目立つはずだ。
 誰か手引きしたのか、それとも元からこの城に紛れていたのか。
 そして自室の前にいるはずの見張りや廊下を巡回する兵達や近くの部屋で待機する使用人。
 彼らがこの音に気づかないはずがなく、もう既に殺されたのか、それとも裏切ったのか。
 どちらにしろ、グラスかそれとも葡萄酒本体に毒が入っていたとすれば、犯人も限定されるだろう。
 だが今はそれについて推察する余裕はない。
 手慣れたような暗殺者がいくら襲って来ようともディエゴにはそれらを蹴散らすだけの技能と能力がある。
 ディエゴが最も懸念すべきは、正体の分からない身の内を蝕む毒だ。
 幼き頃から毒殺の危険から身を守るために、様々な毒の匂いを嗅ぎ、含んで来た。
 多少の毒ならばディエゴには効かない。
 だからこそ、忌々しかった。
 ディエゴの知識と勘が、自分が呷った毒が今までとはまったく違う別種類のものだと告げている。
 今までディエゴが警戒していた死に至る猛毒とは違う。
 身体を麻痺させるにしては緩く、苦痛を与えるにはまだ中途半端に思えた。
 一体、自分は何を呷ったのだ。

 ディエゴはどんどん体内の熱が上がり、頭が高熱に支配される異常事態を唇を噛んで耐えた。
 足元で呻く男を怒りのまま再度蹴りつけ、こちらの様子を油断なく伺う男達に襲い掛かる。
 何者かと、問うことも出来ないほどの痛みが喉と内臓を焼く。
 それでもディエゴの動きは神がかり的に素早く、怖ろしいほどまでに冷静だ。
 毒を呷った身とは思えない俊敏な動きに、ついていけなかった一人が斬り殺される。
 倒れた男の方を振り向くことなく、内心で生かすつもりだったのにその余裕が既にない自分にディエゴは舌打ちをする。
 荒々しい獣のような息が漏れる。
 ここはまるで戦場のようだと苦しみに耐えて獰猛に笑うディエゴの姿は酷く怖ろしく、命を懸けて襲撃して来た男達はその身を震わさないように耐えた。
 ディエゴの殺意に漲った視線には激しい怒りがあった。
 どこの誰が黒幕かは知らないが、舐めたことをしてくれる。

「鼠共が……」

 舌と喉の焼け付く痛みの中で漏れた低くしゃがれた呻きは地獄からの悪鬼さながらの恐ろしさがあった。
 ディエゴは自身の命を狙うだけでなく、卑劣な手段を使う男達を憎み、軽蔑していた。
 そしてあまりにも幸せが長く続き過ぎて油断してしまった自身を恥じた。

 恐ろしいまでのディエゴの威圧感と殺気に、息を呑む暗殺者達は、覚悟を決めて懐から暈しの入った短剣と袋を取り出す。
 爆薬かと警戒するディエゴは体勢を整えようとした。
 だが、その瞬間に全てを吐き出したはずの胃から強烈な痛みと内部が何か破裂するような耐えられない苦しみを感じて、せり上げる胃液を止めることができず、その場で吐いてしまった。
 毒の真価が漸く発揮され始めたことに気づいた暗殺者達はその機会を見逃さず、一瞬の目くばせの後にふらふらになりながらもなんとか中腰で立っているディエゴに走り寄り、鋭い短剣を突きつける。
 それを長剣で止め、内部から燃えるような強烈な熱を我慢しながらディエゴは懐に忍ばせていた護身用の短剣を襲い掛かって来た暗殺者の一人の脇腹に刺した。
 そのまま短剣を引いて、脇腹を裂くディエゴ。
 ディエゴに腹を裂かれ、その激痛に耐えながら、暗殺者はもう一方の手に持っていた袋の中のものを投げつけた。
 間近にあった、ディエゴの顔に。

 痛みと苦しみで霞む視界の中、崩れる男と目の前を舞う白い粉をディエゴは見た。
 そして、その粉を反射的に避けようと横に転がるディエゴの動きは普段の俊敏さからはほど遠く、粉は彼の右顔面と上半身にかかってしまった。
 匂いのしないその粉が肌に触れた一瞬後、ディエゴは喉の痛みも忘れて獣のような悲鳴を上げた。

 今までの毒による肉体の痛みを軽く凌駕する、想像を絶する激しい痛みがディエゴを襲ったのだ。
 粉がかかった顔や服から煙が出て、寝室には人の肉が焦げる強烈な悪臭が広まった。
 拷問のような痛みに、堪らずディエゴは右手に持っていた剣を手放してしまった。
 左目で右手を見れば同じように煙が上がり、皮膚を焦がしているのが分かる。
 これは一体何だと考える間もなく、剣を落としたディエゴを残りの無傷の暗殺者達は見逃さなかった。
 彼らはディエゴに近づくことで反撃されることを予想し、少し距離を保ったまま、手に持っていた袋の中身をぶちまけた。
 彼らが持っていたもの。
 それはディエゴに今までにない苦痛を与えた粉だ。
 気づいたディエゴは力を振り絞って、目の前の床に倒れていた暗殺者を盾にした。
 まさかこの状態で人一人の男を片腕で持ちあげられるとは思わず、袋の中身をぶちまけた男も、腹を裂かれ、そして盾にされた男も驚愕に目を見開いた。
 ディエゴに盾にされ、そして仲間によってその全身に粉を浴びた男はこの世のものとは思えない悲鳴を上げた。
 だが、体格の良いディエゴを隠すには盾とした男は小さすぎた。
 ディエゴは無事な左半身を中心に庇い、はみ出た右半身はそのまま粉を浴びてしまった。
 そして怒りと憎しみと精神力のみでそのまま左手で落とした剣を拾い、粉を浴びて狂ったように全身をかぐ暗殺者を蹴りつける。
 仲間を痛めつけてしまった残りの二人は動揺したのか、それとも痛みで狂った仲間が何も見えない状態で暴れたからか、反射的に動くことができなかった。
 それを、見逃すディエゴではない。
 内からも外からも想像を絶する痛みがディエゴを襲い、燃えるような熱に犯される。
 だがここで卑劣な暗殺者の手で死ぬつもりはない。
 王太子の自分が毒を呷り襲撃をされて殺される。
 こんな惨めで嗤える死はない。
 歴史に記され、後世の人々に語り継がれるなど耐えられない。
 自身の誇りのために、そして生きてメリッサと父親と再び笑い合うために。
 ディエゴはここで死ぬわけにはいかなかった。

 まさか満身創痍な状態でディエゴがそのまま斬りつけて来るとは思わなかった暗殺者達はその油断のせいで命を落とした。
 ディエゴが毒を呷った時点で、その身は高熱に蝕まれ、身動きなど出来ないはずだった。
 そして万が一のために渡された粉もまた、趣味の悪い猛毒であり、拷問用として密かに作られたものだ。
 少量でも服の上から皮膚は焼け爛れ、相当な苦痛が生まれる。
 あれだけの量を浴びれば痛みのあまりに心臓が止まるか、耐えられずに自害する者がほとんどだ。
 満身創痍、ほぼ死人のようなディエゴが途轍もない精神力のみで斬りかかってくるとは、誰も思わなかったのである。

 予想は全て外れ、逆に殺された暗殺者の一人は確かにディエゴこそがこの国の王に相応しいと死の間際に思った。
 だからこそ、彼は暗殺者にあるまじき思いを最期に抱いて死んだ。

 目的を達してしまったことを、男は後悔したのだ。

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