毒殺された男

埴輪

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崩壊

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 それは、特別何もない日だった。
 大きな戦も小さな戦も、小競り合いすらない平穏な夜。
 珍しく国王がディエゴと国の予算やこれからの政策について語り合い、白熱した討論をした後のことだ。
 見れば外はもう暗く、つい時間を忘れて熱中してしまったことを国王は申し訳なさそうにディエゴに謝った。
 穏やかに微笑みながら謝る国王を軟弱だと馬鹿にする者は多い。
 だが、ディエゴは父である国王のことを嫌いではなかった。

 戦場で先頭に立って兵士を鼓舞し、敵兵を勇猛果敢に倒して略奪する。
 それが今だ多くの臣下や民達が望む国王の理想像だ。
 もしもメリッサの父が生きていれば、現国王は違っていただろうとも言われている。
 そんな話が簡単にディエゴの耳に入るぐらいには今の国王は周囲から侮られているのだ。
 あまり記憶にはないディエゴの実母である故王妃もまた温和で争い事をなるべく避けたがるディエゴの父を見下していた。
 記憶の中の母はよくディエゴに父のようにはなるなと叱り、ディエゴの教育係達もそれとなく弱腰の国王を反面教師にするように教えていた。 
 真面目で民を第一に考え、昔のように戦争だけで国を維持することは不可能だと度々臣下や国民に訴える国王を軟弱だと切り捨てる人々をディエゴは嫌っている。
 実際に侵略国家とも戦争国家とも揶揄される今の国の文化や価値観、制度をディエゴも内心では苦々しく思っていた。
 皮肉なことに、自国での評価がさほど良くない国王だが、いくつか交流を持つ他国からの評価は非常に良い。
 そしてそのいくつかの貿易や新たな同盟を組んだ国は全て国王主導で行われ成功させたものだ。
 武力ではなく、あくまで外交の力で。
 それがどれだけ難しく、また重要なことか、国民どころか重臣達すらよく理解していないのだ。
 そして一番に国王の側に仕え、外交の難しさを知っている文官達でさえも、この国の古くからの価値観に縛られ、己達の武力の無さを卑下し、表立って国王の手柄を示そうとしない。
 ディエゴは年を経るにつれ、この国の歪んだ自尊心と排他的な考えに危機感を抱くようになった。
 そして自然とディエゴは父である国王の政治手腕や、その視野の広さに尊敬と敬意を抱くようになったのだ。
 それを当人に伝えたことはない。
 ディエゴは周りに敵しかいない国王を内心で慕い、少しでも早くその手足として働き、もっと先を見据えた政策をしたいと思っていた。
 そのためにはディエゴがまず多くの味方や信奉者を得なければならず、父に対する思いとは裏腹に率先して戦争を仕掛けることに賛成し、その先頭に立って命を懸けて勝利を捧げることを選んだ。
 ディエゴは自身に特別な才があり、またこの国にとって理想の王ともいえる存在であることを自覚していた。
 またディエゴ自身も代々受け継がれる王家の血のせいか、根からの戦好きであり、戦うことを好んでいる。
 それと同時にディエゴは誰に言われるわけでもなく気づいていた。
 強い兵士は確かに重要だが、それだけでは国として不十分だと。
 そう考えるだけの理性と頭脳をディエゴは持っていたのだ。

 父の政策と自身の理想。
 それにどうにか折り合いをつけ、そしていつか父に対する人々の不名誉な評価を変えてみせることを密かに夢見ていた。
 それは婚約者となったメリッサしか知らない、ディエゴの不器用な父親への愛情表現だった。
 肝心の父である国王ですら、ディエゴは故王妃のように自身を見下し、その退位を望んでいると思っているほどだ。
 現実的に国王を唯一純粋に好いて慕っているのは、姪であるメリッサのみだ。
 疲れた表情ばかり見せる国王もメリッサの前だとよく笑う。
 そんなすれ違う親子の姿を幼いメリッサは歯がゆく思い、何度もディエゴに正直な気持ちを国王に打ち明けることを願った。
 照れと意地、そして反国王派の者に自身の思いが知られることを危惧したディエゴは毎回その願いを拒否していたため、結局国王はディエゴが自身を慕っていたことを最期まで知ることはなかった。
 ディエゴもまた、最期までそれを語ることはなかった。



*


 国王と別れた後、メリッサとの思い出が強い寝室でディエゴは一人寂しく葡萄酒を開けていた。
 婚約してからメリッサと寝室を共にすることはなくなり、想像する以上の喪失感と人恋しさに、ディエゴは何度か顔が良く、それなりに豊満な肉体を持つ侍女や女官を抱いた。
 欲を吐き出すだけの行為は余計に空しくなったが、一瞬だけメリッサの喪失を忘れることはできた。
 もちろん、ディエゴは避妊をし、念のために王家に代々伝わる避妊薬も相手の女に呑ませている。
 メリッサはこの事を知らない。

 亡き王妃は嫉妬深く、自尊心が高い女だった。
 国王が王妃以外の女を抱くことを拒絶し、妾すら許さなかったため、今の後宮は酷く寂しい様相となっている。
 だが、いずれはそこに王妃となるメリッサが入る。
 そのため、国王とディエゴは後宮を改築し、庭に新たな木々や花を植え、全体的な模様替えをした。
 そして今から未来の王妃を世話するための女官や侍女を募らせ、それを教育する者を探している。
 ディエゴはメリッサが成人したら妻として娶る。
 形だけの婚姻を先にすませ、その間に妾や側室を迎えることをディエゴは何度も勧められた。
 だが、ディエゴはメリッサとの子が欲しかった。
 メリッサとの子を確実に後継者にしたかったのだ。
 他の女を作り、そこで子が出来てしまえば必ずそれを担ぐ者が現れる。
 ディエゴがメリッサの子以外を後継と認めなくとも、周りはそうもいかない。
 ならば初めから作らなければ良いのだとディエゴは判断した。
 正妃のみを後宮に住まわせていた現国王という前例もある。
 子を産めるかということが何よりも重要視される王家の人々はある一定の時期に医師達から様々な検査をされる。
 ディエゴは精通をしたときで、メリッサは初潮が来たときだ。
 絶対とは言えないが、その検査でディエゴもメリッサも健康であり子作りに関しては問題ないだろうというお墨付きをもらった。
 もしもそれでどちらかに欠陥があれば、医師達は責任をとられて処刑されるため、嘘をつかれたということもない。
 だが、何事にも例外はあり、何人かの臣下はそれを危惧していた。
 もしも二人のどちらかが子が産めない身体だった場合、もう王家の正当な血筋をひく後継が生まれないということになる。
 メリッサが原因であれば、ディエゴが側室を孕ませれば良い。
 だが、もしもディエゴが種無しの場合、正妃であるメリッサを他の男に抱かせることはできないだろう。
 ディエゴは精通したその年から何度も精液を検査させられて来た。
 その可能性は絶対にないと、医師達は命をかけても良いと堂々と宣言しているため、心配はないと言えたが。

 生殖能力にも、若さ的にも問題のない二人だが、ディエゴは無理してメリッサを抱こうとは思っていない。
 従妹として見ていた期間が長すぎて、親愛とは別の肉欲は正直まだ持っていなかった。
 そして今のメリッサは肉体的に幼く、妊娠が母体に多大な危険を催す歳だ。
 あと数年、ディエゴは果実が実るのを待つようにメリッサの成長を見守るつもりだ。
 その間に男として当然の性欲を吐き出すために女を抱く。
 嫉妬深いメリッサに気づかれないよう、慎重に。
 いずれ大人になったメリッサを抱くことを望みながら、それを想像することができない自分にディエゴは甘い戸惑いを覚えていた。



* *


 月の光が灯り代わりになるほど空気が澄み切った夜だ。
 メリッサはもう寝たのだろうかと考えてしまう自分に苦笑いしながら、国王が依然贈ってくれた年代ものだという希少な葡萄酒を注ぐ。
 事前に葡萄酒もグラスも部屋に用意されていたため、ディエゴは初めて嗅ぐ酒の香りを楽しんだ。
 酒を嗜む程度のディエゴと違い、意外と酒豪な国王は様々な銘柄の葡萄酒を貯蔵している。
 これもその一種であり、寝酒にと贈られた。
 いつか、メリッサと父の三人で酒を呑み語ることを夢見ながら、ディエゴは穏やかな表情でグラスを呷った。
 ディエゴは昔から最初の一杯を一気に煽る癖がある。
 その方が宴に参加する兵士達から見栄えよく見え、喜ばれることを知っているからだ。
 酒好きで、香りや味をじっくり楽しむ国王とは違う。
 
 喉を鳴らして、グラスに少し多めに注いでしまった葡萄酒を全て飲み干す。
 不思議な味わいに、さすがは父が選んだだけのものはあるとディエゴは感心した。
 だが正直自分の舌には合わないと思った。
 酒に詳しくなく、酔えればなんでも良いと思うディエゴだが、その葡萄酒は芳しい香りとは別に舌や喉にへばりつくような独特の味をしていた。
 そして、その不快な味は徐々に痺れに代わり、ディエゴの舌と喉を刺激する。

 舌に一瞬の痺れを感じたとき、ディエゴはすぐに立ち上がり吐き出そうと喉の奥に指を突っ込んだ。

 毒を盛られたと、気づいたのだ。

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