君と地獄におちたい《番外編》

埴輪

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慰問

公爵家の団欒

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 将軍は副官に連れられて開会式の準備のために仕方なく息子夫婦の側から離れて行った。
 やっと少し落ち着けると安堵する人々を裏切るかのように、今度は幼く甲高い少年の声が聞こえた。

「ロゼ―――ッ!!!」
「カミラ……!?」

 珍しくも驚き、声をあげるロゼに向かって小さな影が息を切らせて突進して来る。
 護衛の軍人や屋敷の使用人が迂闊に動けなかったのは、少年の分かりやすく豪奢な貴族服と、その背後を追いかけるようにしてやって来る一団を目にしたからだろう。
 少し国内の貴族事情に詳しい者であれば顔を真っ赤にして健気に走って来る少年がゲーアハルト公爵家当主の孫であり、ロゼの甥だとすぐに察せられる。
 遅れて走って来る公爵家の現当主と次期当主の汗にまみれた必死な形相が何よりも少年の身分を物語っている。
 愛する叔母と引き離され、毎日泣いて喚いて会いたいと繰り返していた少年カミラは漸く会えた叔母に目に大粒の涙を耐えて突進し、その腰元に抱き着こうとした。
 ある意味では感動的ともいえるロゼとカミラの再会を邪魔できる者はいなかった。

 ただ一人、エアハルトを除いて。

 ロゼの親族全員を把握しているエアハルトが公爵家の直系でもあるカミラを知らないはずがないのだが、何食わぬ顔でまだ幼く発展途上のカミラの襟首を掴み、ロゼとの接触を邪魔した。
 猫の子を扱うような乱暴な仕草に驚き目を丸くするカミラとロゼの表情は似ているため、姉弟のようにも見える。
 すぐそばに大好きな叔母がいるのに抱き着けないことに気づいたカミラは必死な形相で目に涙を溜めながら手足をばたつかせる。
 地面から足が浮いている状態で少しでも前へ進もうと努力する様は幼くも整った愛らしい顔立ちも合わさって人々の庇護欲を煽ったが、エアハルトにはまったく通じない。
 そして肝心のロゼは困ったように今にも泣きそうなカミラの目元にハンカチを当てる。
 昔だったらすぐにでも泣き喚いていたあの甥っ子が今は泣くのを我慢することを覚えている。
 自分が嫁いでからそんなに日は経っていないのに、随分と成長した。
 やはりロゼのように甘やかしてしまう身内が常に側にいるのは良くなかったのかもしれないと一抹の寂しさと後悔を抱きながらロゼは優しく微笑んだ。
 夫にすら見せたことのない、甥のカミラにだけ見せる穏やかで包み込むような母性溢れる笑みである。

「いけない子ね、カミラ。私のことは叔母様とお呼びしなさいといつも言っているのに」

 ちょんっとカミラの真っ赤になった鼻をつつく懐かしい仕草にカミラはとうとう我慢できずに大声で泣き喚いた。
 大人げない怖ろしい大人に捕まっていることなどまったく関係なしに暴れて自分の欲望のままにロゼに抱き着こうとするその精神にライナスは末恐ろしいものを感じた。
 ロゼの慈愛に満ちた表情に嫉妬するエアハルトの不穏な気配に固まる周囲の役立たずな大人とはまったく違う。
 そんな将来性溢れるカミラを追いかけて来たらしい一団の懐かしい顔ぶれに顔を輝かせるロゼとは裏腹にエアハルトが内心で盛大な舌打ちをしていることを気配だけで付き合いの長いライナスとその他の部下達は悟った。
 仮にもエアハルトの義父と義兄となるゲーアハルト公爵家の男子達へと向けるには聊か不穏であったが、当の公爵家の当主親子はそんなことに構うことなく目に入れてもまったく痛くもないほど溺愛している娘、または妹のロゼの姿に感激し、周囲の人々に既視感を抱かせながらロゼに突撃する。
 さすがに格が上の公爵家当主達に無礼なことはできないと一瞬だけ身構えたエアハルトはぐっと耐えた。
 エアハルトの背後から今までずっと空気のように徹していた侍女長と無駄に鍛えている屋敷の侍女達が目を光らせているのもあったが。
 ちなみに純粋にロゼの身の周りの世話をしている日傘や化粧道具などを持っている元公爵家の侍女達はかつての主人とロゼの家族の感動の再会に最初から目元を潤ませていた。
 恥も外聞もなく、ロゼに頬を摺り寄せようとする父君と兄君、そしてその間に割って入ろうとあの手この手を使う甥のカミラ様。
 これぞゲーアハルト公爵家の日常風景である。
 公爵夫人もいれば完璧だ。

 煌びやかな貴族の正装姿の父と兄に抱き着かれながら、ロゼははにかみながらも嬉しそうにその愛情に答える。
 頬と頬を摺り寄せたり、抱きしめ返したりと忙しいロゼを凝視するエアハルト。
 今だカミラを掴む手は弱まらず、むしろ悪化している。
 なんとか頃合いを見計らって公爵家の和気藹々とした雰囲気を壊そうとエアハルトは実にさり気なくロゼの腰に手を回し、ぽいっとカミラを適当に放り投げた。
 酷い扱いに怒る前にロゼに突進しようとするカミラを侍女達が取りなす。
 カミラの気持ちも気性も知っているが、今のエアハルトを刺激するのは良くないと屋敷の使用人なら身に染みて知っているのだ。
 内心でカミラに謝りながらしばらく見ない間に少し体格が良くなったような気がする元公爵家の侍女達の防波堤にカミラは目を白黒させた。
 そんな忠実な侍女達に報いるためか、エアハルトはさっさと儀礼的な挨拶をその場にしてロゼを連れ去ろうと画策した。

 が、いざエアハルトが挨拶をすると公爵家の当主達は文官とは思えない鋭い眼差しをエアハルトに浴びせた。
 結婚してから幾日も経ったというのに公爵家に挨拶しにも来ない、また新居に招待しようともしないエアハルトに男達は並ならぬ殺意を抱いていたのだ。
 手紙でどれだけロゼに催促し、懇願しても当のロゼはエアハルトの気持ちを最優先にし、エアハルトへの愛と幸せな日々について綴り、やんわりと実父と実兄の訪問などを拒絶して来る。
 潔いほどにロゼは自分はもう公爵家の者ではなくミュラー侯爵家に嫁いだ身だということを強調していた。
 理解のある公爵夫人と違い、男達は荒れた。
 反抗期すらなかったロゼの変わり様に現実を認めたがらない公爵家の男達の姿は哀れとしか言いようがない。
 職権乱用して国王に直訴しようかと血迷ったことを仕出かそうとしていた時に、今回の慰問の式典に参加するということをロゼの手紙で知った。
 ゲーアハルト公爵家の直系全員で参加するという近年稀にみる豪勢さの理由を知る者は多い。
 それだけロゼが家族に溺愛されていることは有名であり、ロゼが新婚生活で離れてしまった社交界では連日公爵家のよどんだ空気やロゼとエアハルトというなんとも夫婦生活が想像できない組み合わせに人々は噂し合っていた。
 軍部の悪い噂が少しずつ社交界に広がっていた時期であり、ロゼとエアハルトの若夫婦はある意味では今回の慰問式典の目玉ともいえる。
 そんな外野の噂を知らないロゼは少し困ったように夫を睨みつける父と兄を見ていた。
 カミラのことも気になるが、子守りが上手な侍女達に任せれば良いだろうと案外酷いことを考えていたが、悪気は一切ない。
 今のロゼはエアハルトを中心に世界が回っているが、それとは別に家族に対する愛情も途方もなく大きい。
 珍しくもおろおろと困ったように視線を彷徨わせるロゼの余裕のない姿に、ライナスは意外な面持ちで見ていた。
 あのロゼならば言葉巧みにその場を丸め込めるだろうと思っていたのだ。
 むしろのらりくらりと当たり障りなく嫌味を言って来る公爵家の男達と対等に渡り合うエアハルトの方が意外である。
 エアハルトが生粋の名門貴族の御曹司であることをすっかり忘れていた。
 社交辞令も慇懃無礼な態度も、エアハルトは息を吸うように吐き出せる。
 普段はほとんど使う必要もないのだが、一応は大事な妻の身内を敵にしないようにするだけの気配りはあり、妻を悲しませないように我慢するだけの気概はあるのだ。
 一応は。

 そんな不毛なエアハルトと公爵家の火花は遅れてやって来た公爵夫人の登場で鎮火した。

「あらあら。大人げないわね」

 それがどちらに向けられた台詞かは分からないが、ちゃっかりロゼを連れて式典会場に向かう公爵夫人の優雅な仕草に遅れを取ってしまった男達は言い争いもそこそこに慌てて麗しい母娘の後を追う。
 久しぶりに会った娘の色気の増した肉体や雰囲気に意味深な笑みをエアハルトに向け、公爵夫人は恋人のようにロゼの腕に腕を絡ませてゆったりと歩を進める。
 母との外出では良くこうしてべったりと腕を組んで歩いたとロゼは懐かしく思いながら、甘えるようにすり寄った。
 公爵家で唯一結婚後のロゼとお茶会をした夫人の余裕の勝利である。

「ロゼったら…… しばらく会わない内にまた一段と艶を増して…… 旦那様に可愛がられているからかしら?」

 そっとロゼの耳元に囁くと、ロゼは薔薇が咲いたように頬を染める。

「やだ、母上ったら……」

 子供っぽく母に甘えるロゼの素直な姿は実に可憐である。
 いつの間にか随分と豪華な付き添いが伴われた一団に注目していた人々はその可憐な人妻の恥じらう様に見惚れていた。
 その筆頭ともいえるエアハルトは新鮮なロゼの姿に心ときめかせながらも複雑である。
 いつか、ロゼもああして自分に全てを委ねて甘えてくれるだろうかという期待を持ちながら、公爵夫人にまで嫉妬する自分の心の狭さを自覚していた。
 だが、元から自分の欲に忠実なエアハルトはくすぶり続ける欲望の証に誓っていた。

 ロゼは言った。
 慰問の式典まで禁欲して欲しいと。

 今日がその式典当日である。
 つまりは、もう禁欲しなくとも良いということだ。

 エアハルトが不埒な欲望を抱いていると知ればロゼの家族はもうその場で全私兵を投入してロゼを公爵家に連れ帰っただろうが。
 残念ながらエアハルトの不埒な思いを知る者はその場にいなかった。



* 


 いつの間にかちゃっかり祖母と叔母の間に挟まれている幼いカミラは満面の笑みでひたすらロゼに話しかけている。
 エアハルトがいくら望もうとも公爵夫人の前で幼いカミラに無体はできない。
 長年の知識と経験と勘でエアハルトはロゼとの安泰な夫婦生活を送る上で公爵夫人には逆らわないことが無難であると認識していた。
 カミラを羨ましそうに見つめる公爵当主とその息子は政治的な面で敵になれば怖ろしいが、家庭間のことに関してはさほど重要視することもない。
 もちろん家族に対して並ならぬ愛情を持つロゼには言えないが、聡いロゼはエアハルトのそこら辺の心情を察している。
 大事な肉親と愛する夫との狭間に悩む姿に公爵夫人は意外な思いで見ていた。
 全てを愛そうとする究極の博愛主義であるロゼには少しばかり人間関係で苦労をした方が良い。
 類稀な魅了の才覚を持つ愛娘は周囲に愛され、またそれ以上に周囲の人々を分け隔てもなく愛して来た。
 少し前のロゼならば父や兄を宥め、夫も上手く取りなしてその場を収めていたはずだ。
 どんなに苦労しても、その苦労を厭わない献身さで険悪な両者に差別なく愛想を振りまき、その関係の修繕を計っただろう。
 どちらに味方をするべきか悩むはずがない。
 どちらの敵にもならず、尽くすのがロゼという少女だ。
 人妻となったことで何か心境に変化があったのか、母親である夫人が目を見張るほど、ロゼは肉親と夫の狭間で困り、悩んでいる。

 甥のカミラに手を引っ張られながらも、ちらりと不安そうにエアハルトを伺う様子が酷く印象に残った。
 いつの間にか当然のようにロゼの隣りでエスコートしているエアハルトの無表情に、何かが通じ合ったのかほっとしたようにロゼは興奮しているカミラを宥め始める。
 そしてそれを複雑そうに、それでいて愛し気に見つめるエアハルトの甘く切ない表情に、公爵夫人は扇子で間抜けな自身の表情を隠した。

 ロゼとの最後のお茶会の後で二人の若夫婦に一体何が起こり、変化したのかは分からない。
 屋敷にいる侍女達からの文では非常に仲がよろしいとしか書かれていなかったが。
 果たして、ロゼのこの変化は吉と出るか凶と出るか。

 嵐が過ぎ去った後に芽吹くのが何か、まだ誰にも分からない。

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