白蛇伝

埴輪

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花嫁の回顧

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 気づけば季節が変わるぐらいの時が経った。
 花仙があまりにも白のことばかり考えるため、二人はいつの間にか寂れた小屋に共に住む様になっていた。
 あまりにも自然に、白は花仙の懐に忍び込んだ。
 白の好意の意味を不思議に思うこともなく、花仙は純粋に喜び受け入れていた。
 その尊い人でない存在を家族として受け入れたのだ。
 花仙は白が大好きだったから。
 白とする会話はとにかく新鮮で楽しく、その深い知識による物語や歴史を寝る前のお伽話として聞くのがどれだけ贅沢なことか。
 花仙は白との出会いを天に感謝し、そして白自身の優しさに崇拝染みた感情を抱いた。
 白とずっと一緒にいられるなら、なんでもできると本気で思うほどに。

 まだ幼く哀れな娘の心を奪った白はそんな花仙を愛し気に見つめ続けた。
 花仙の成長を日々見守っていたのだ。

 二人はまるで不釣り合いで不可思議で歪な家族として、短くもない間を共に過ごした。
 花仙が寝るとき以外、白は花仙の望むままに側に寄り添うのだ。
 掃除も洗濯も、白は興味津々で手伝おうとする。
 そんな恐れ多いことはできないと花仙が断ると、白は酷く哀し気な顔をして、無言で責めて来る。
 絶世の美女の憂い顔に花仙が勝てるはずもない。
 惨めなほどに古臭く襤褸雑巾のような衣を洗濯板で擦って更に布を傷めつけていく白の楽しそうな横顔に花仙は何も言えなかった。
 畑仕事などまったく似合わない白が真っ白な衣装で平然と畑に入ろうとする姿を見て花仙が慌てて止めたりしたこともある。
 見た目以上に力が強いらしい白が家の物を掃除と称して壊していくのも、花仙は責めなかった。
 夜寝るときに白が作った大きな風穴から吹き込んで来る夜風にあてられて風邪を引いても、花仙は白を迷惑に思うことなく、更にその存在を恋しがったほどである。
 こんなにも完璧な美しい人が一喜一憂して花仙の仕事を手伝おうとする姿が楽しいと思うほどだ。
 似合わない畑で白が水まきするだけで驚くほど葉が瑞々しくなり、壊れた家は後で気づいた白が慌てて直してくれた。
 風邪を引いた花仙を甲斐甲斐しく世話をして、蜜のたっぷり入った水果やお粥、怖いほど効果のある薬を与えてくれたのだ。
 自分はなんて果報者なのだと、花仙は亡くなった両親に申し訳ないと思いながらもその夢のように美しい人と共に過ごす奇妙な生活を愛した。

 白は花仙の仕事を毎回手伝おうとするが、唯一手出ししないのが料理である。
 果たして霞を食う仙女のような白が花仙の不味くもなければ美味くもない料理を食べても良いのかという疑問はあった。
 白はその見た目からして花の蜜や甘い果実のみを食すように見えたのだ。
 俗世の人間の料理は毒なのではないかと花仙は本気で心配した。
 そんな花仙の心配とは裏腹に白は花仙の手料理を好んだ。
 初めて持つらしい箸に悪戦苦闘する姿に思わず笑ってしまった花仙を怒ることなく少し拗ねたように唇を尖らせる姿はまだ幼い花仙の母性本能を刺激した。
 手ずから箸の持ち方を教えると白はすぐに覚えてしまい、花仙よりもずっと綺麗な箸使いを披露するようになり、一抹の寂しさを花仙が覚えたほどだ。
 白が食べやすいようにと魚の骨を取ったり、口に合わないらしい嫌いな物を除けたりと、それでも花仙は食事の席で白に尽くすのが習慣として続いた。
 自身が作った料理を美味しく食べてくれる人がいる。
 両親を突然失い、その後は一人で味が分からないまま、身体を動かすためだけに物を食べていた花仙は、よりその幸せを実感していた。
 花仙の作った料理を白は好奇心に満ちた幼い表情で一つ一つを観察し、そしてゆっくり味わうように噛んで呑み込む。
 その反応を楽しむように花仙はどんどん手の込んだ料理を作るようになり、今までの味気ない食事が嘘のようだ。
 同じ飯でもこんなにも味が違う。
 品数が増えたとか、贅沢な食糧を使っているとか、そんな単純な話ではない。
 白との食事の美味しさを味わうたびに花仙は幸福に感謝し、そしてもっと早くこの幸福に気づけば良かったと後悔した。
 両親と共に貧しい食事をしていた頃、母の手料理を当たり前のように食べていた頃に気づけば良かったと花仙は後悔で涙が止まらなくなったことがある。
 もっと、母の料理を味わうべきだったと、花仙は酷く後悔した。
 母の手料理の味が薄れていく自身の薄情さが哀しい。

 その日、両親の墓の前で初めて泣いた花仙の前に白は現れなかったが、代わりに墓の前には季節外れの満開の花束と果物、贅沢な酒が供えられた。
 現れた白は何も言わなかったが、花仙の摘む花以外にも両親の墓には山や村では手に入らないような贅沢なものがその後毎日のように供えられるようになる。






 白は珍しい山菜や獲物、都でしか手に入らないような珍品を手土産にすることが多い。
 花仙が寝るとき以外、基本的に白はいつも側にいる。
 白のおかげで花仙は夜に吠える怖ろしい山の獣に怯えることもなくなった。
 時折思い出したように白は山かどこかに消えるが、戻ると必ず何かを携えて来るのだ。
 当たり前のように花仙の家に帰り、共に過ごしていた。
 白の土産の大半が食糧なのは花仙が今まであまりにも貧しい暮らしをし、その年頃から見ても随分と小さく痩せ細っていたせいだ。
 ある意味では花仙は白のおかげで健やかに年相応に成長できたともいえる。

 律儀な花仙が少しでも白に恩返ししたいと言えば、白は優しく綺麗な笑みを浮かべながら花仙に言う。

「花仙がもっと肥えて、大きくなってくれれば嬉しいよ。それだけで十分だ」
「……それじゃあ、お礼にならないよ」

 拗ねたように口を尖らせる花仙に、白は甘い桃の香りを濃厚にしながら頭を撫で、長い指にその髪を絡ませる。
 白に汚いと思われたくない花仙はなるべく清潔にすることを心がけていた。
 そしてこの頃から白は毎晩寝る前の花仙の髪に香油を塗ることを習慣とし、おかげで花仙の髪は山の麓に住む孤児とは思えないほどの色艶があり、指通りが非常に良いのだ。

 髪を弄りながら、白の花仙を宥めるその仕草には親愛が満ちている。

「本当に、それだけで十分なんだよ」
「白は欲が無さ過ぎるよ。それじゃ、白が損をするだけじゃない」

 猫を愛でるような白の手つきの柔らかさに、花仙は目元を染めながらも納得が行かないと主張する。
 こうして反論し、意見を述べるようになるほど、二人の関係は密接になっていた。
 だからこそ余計に花仙ばかりが白からの厚意を受け取っている事実が悔しく寂しいのだ。
 そう思うこと自体が贅沢であることも重々承知である。
 そしてその根本にあるのは不安だ。
 何も返すことができない花仙に、いつか白が離れてしまうのではないかという不安である。

「……欲がない? 私が?」

 花仙の不満気な、それでいてどこか切なげな呟きに、白は目を丸くする。
 俯いた花仙はこの時の白の唇が歪んだことを知らない。
 何かに耐えようとしたり、気まずくなったり、困ったり、照れたりすると、花仙は俯くのだ。
 そしてすぐに顔を上げて強気な目で見返してくる。
 それがどれだけ白を困らせてしまうのか、花仙は知らないのだ。

 困った子だと思いながら、にやけそうになる顔を白は耐えた。

「……そこまで言うのなら、一つだけ、私の欲しいものをくれないか?」

 うっそりとまるで耳元で囁かれたような不思議な声に、花仙は勢いよく顔をあげる。
 訊いておきながら俗世とは縁遠い白に欲しいものがあるという事実に驚き、胸が高鳴った。

「わ、私に用意できるものなら何でもあげる! 教えてっ、何が欲しいの……!?」

 興奮し、目を輝かせる花仙に、白もまた目元を染めて微笑んだ。
 酷く、幸せそうな笑みを浮かべたまま、白は優しく囁く。

「……もうちょっと、花仙が大人になってから、教えてあげるよ」
「……それじゃあ遅いよっ!」

 花仙がこの時の白の意地悪な答えを知るのは、まだもう少し先のことである。

 この時の花仙はできるだけ白を繋ぎ留めようと必死だった。
 いつ、霞となって消え往くかも知れぬ白を。



* * 


 季節が何度か巡り。
 白の願い通りに花仙は痩せ細っていた貧相な身体が嘘のように健康的に肥え、その四肢も長く伸びやかなものへと成長した。
 時折村に報告や物質調達、畑仕事や季節事の行事を義理として花仙は手伝いに行く。
 村の女房達に声をかけ、料理の仕方などを積極的に訊いたりした。
 全ては白のためであり、なかなかに食欲が旺盛な白のために美味いものをたらふく食わせてやりたかったからだ。
 白のおかげで手に入った珍しい薬草や山菜を行商人や村人達と高値で取引することもできた。
 その金で生地を買ったり、今まで興味を示すこともなかった装飾品を手に取ってみたりと、その花仙の穏やかな姿は村人達を驚かせ、しばらくは噂になったほどだ。
 娯楽の少ない村の弊害であるが、結局生地とその他の食料しか買わなかった花仙にはどうでも良い話である。
 花仙が柔らかな表情で装飾品を眺めていたのはただ単に白に似合いそうだと思っていたからに過ぎないのだから。
 そんな花仙を装飾品や衣服に興味を持つようになったとと村人達が勘違いするのも無理はなかった。
 白の存在を村人達は知らないのだから。
 そして花仙は村娘達が嫉妬し、若い男達が見惚れるほど自覚のないまま綺麗になっていたのだ。
 白という謎めいた存在によって。

 いつの頃か、村に降りて来た花仙の艶やかな黒髪には白い象牙の簪が挿されるようになった。

 それは白が初めて花仙に贈った装飾品だ。
 花仙の肉体が女の証を露にした日に贈ったものである。

 花仙が一つの事実を知った日であり、白が花仙に欲しいものを初めて強請った日でもある。

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