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刻の唄――ゼロ・クロニクル―― 第一部

第四章 星降る夜 3

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 コト、ガチャン――
 斜向かいにある二人掛けの丸テーブルへウェイトレスというより給仕の娘が次から次へと水の入ったコップを並べていく様子を、ルナ=マリーははらはら眺めていた。既にテーブルの上はコップで一杯で、今し方ぎっしり接したコップを押しのけ強引に置いたのだ。反対側のコップは、反動で今にも落ちそうだ。だが、給仕の娘はそれで止めようとはせず、後はコップの上に並べていくしかなかった。
 声をかけようかルナ=マリーが迷っていると、隣席の繋ぎを着た若い職人の男が先んじる。
「おーい、また店のヒューマノイドが水の入ったコップばかり持ってきてるよ。今に、コップが落ちて水浸しだよ!」
「またかい。クラウドの管理会社に連絡しないと。全く、シャンパングラスを積み上げるのが得意ですとかなんとか言ってたけど、うちはパーティー会場じゃないんだよ。洒落っ気のないコップを重ねてどうするってのさっ! こら、スーファ。お待ち!」
 席へ料理を運び終えた顔に皺のある恐らくこの店の店主の奥さんだろうエプロン姿のおばさんが、奥から水を盆に載せ持ってきたTシャツとジーンズの上にエプロンを着けた若い娘の給仕の腕を掴み止めた。若い娘は水運びの作業に戻ろうとするが、おばさんの手が振り解けそうになると作業を中断する挙動を繰り返した。
 やや前屈みに正面のヘザーへ顔を近づけたルナ=マリーは、見知らぬ者たちに囲まれたときの癖で周囲に聞かれるのを憚り声を潜める。
「見ただけでは、ヒューマノイドか分かりませんね」
「よっぽど豪華か、よっぽど貧相な店でなければ、店員はヒューマノイドが相場ですよ。ま、この東洋ふうの店は家族でやりくりしててもおかしくない雰囲気の店ですから、娘さんだとしても不思議はありませんし、秘超理力スーパーフォース無しでは確信は確かに持てません。ま、わたしは魔力ですけど」
 答えるヘザーの声を掻き消すように、先程の若い職人の「どう?」という問いにがなるようにお上さんが周囲の喧噪に負けじと声を張り上げた。
「言うことは聞くね、ま怪しい挙動で抵抗はするけど。こちらに危害を加える前に、我慢してる。全く。何度もクレーム入れるものだから、迷惑がられちまって嫌だよ。やっぱり安物のクラウド型じゃなくて、ネットワークなしでも動ける奴を使わなきゃ駄目なのかねー」
「下手に安手の自律制御型を買って仕事についてこられなくても、アップデートは難しいよ。クラウド型なら管理会社がそれなりに対応してくれれば、だましだまし使えるけど。鍛冶の仕事でロボが足りなくて安手の自律型を入れたら全然駄目でさ。自律型っていってもあのサイズじゃ特化型AIANIだし、汎用なんて高価すぎて一工房が入れられる代物じゃないし、融通が利かなくて。返品しようとしたら納入した業者がとんずらしてて、メーカーもどこにあるのか分からないような怪しいところで親方泣き見てた。ホントはリノ小惑星帯大型武器工廠群は半国営の鍛冶屋だから、内戦中じゃなきゃ申請さえすればちゃんとしたものが納入されるんだけど」
 お上さんは若い娘のヒューマノイドの首筋を探りながら、溜息を漏らす。
「じゃー、スーファをこのまま使うしかないのかね」
 ヒューマノイドは微かな電子音を立て項垂れだれ、次に力を取り戻したときにはそれまであった人間的表情は掻き消えこの場に不釣り合いの固い直立姿勢となった。お上さんが、「ハンガーに戻りな」と命じると、人間ならば手に持った盆の水の入ったコップを気にするところだが、くるりと無遠慮に後ろへ回りその間盆は微妙な傾斜で遠心力とのバランスを取り、水滴一滴溢すことなく堅苦しい歩調で戻って行った。
 若い男の正面に座る中年の男が、嫌らしい笑みを浮かべる。
「別に機械じゃなくたっていいだろう? 人を入れればいいじゃねーか。ここは、旦那とお上さんで切り盛りしてて、看板娘がいないしな。息子は、工房は違うが俺たちと同じ武器職人だし。スーファじゃ、やっぱつまんねーわなな」
「若い暇持て余してる奥さんか若い学生さんなんかを雇いたくても、なかなか来てくれないからねー。収入がなきゃ、ボルニア帝国民がもらえる最低生活保証金が増えるからね。そりゃ安い時給って言っても、収入で減る保証金の額よりは上だけど。少額のために、うちなんかにはなかなかねー。それに、うちは忙しいから長続きしないし。文句も言わない、ヒューマノイドが楽かねー」
 お上さんの言葉に中年男は、がっかりしたように不平を並べる。
「サービス悪ーな。飯を食いに来る楽しみがねーじゃねーか」
「何言ってんだい。うちは飯屋だよ。そこに飯食いに来て、その肝心の飯が楽しみじゃないってのかい?」
「そうは言ってねーだろ。機嫌直せよ、お上さん。ここの料理、うめーし。お、そうだ。隣の嬢ちゃん、どうだい? この店で働いて見ちゃ。器量はいいし、この店の給仕にはもってこいだ」
「ふぁ、はい~?」
 スープに入った馬鹿でかい餃子を嗜みのある箸で摘まみお行儀良く上品に食していたフードを降ろし素顔を晒していたルナ=マリーは、突然隣席の男から話を振られ最初自分に話しかけられていると分からずまごつく。
「わ、わたしがですか? ……給仕を……はい?」
 男の言葉を咀嚼すると、最初にルナ=マリーに浮かんだのは怒りだった。
 ――アークビショップたるわたしが、どこの誰とも知れぬ者たちに食事を供するのがお似合い? いいえ、いけません。ルナ=マリー。どのような職にあろうと、宇宙の律動の前ではわたしたちなど取るに足らぬ存在。第一、アークビショップより給仕を下に見てしまうなど、わたしもまだまだです。
 数瞬恥じ入るとルナ=マリーはにこやかな笑みを面に貼り付け、中年男へ顔を向ける。
「魅力的なお話ですが何分旅の途中でして、一所に留まるわけにはいかないのです」
「駄目だよ、若い子にちょっかい出しちゃ。それに、この二人は見たところキャバリアー様じゃないか。若い方の方は、見習いみたいだけど。店員なんて言ったら、失礼だよ。二人とも、こんな店にはもったいないような品ていうか威厳があるし器量良しだし」
 透かさずお上さんはルナ=マリーとの間に入り、中年男はその指摘に言葉だけではなく一瞬ぎょっとなった顔をする。
「おっと、おっかねー剣を見落としてたぜ。悪かったな、二人とも」
「いいえ」
「構いませんよ。旅の行きずりの会話は、楽しみですから」
 中年男が気のいい謝罪を口にすると、ルナ=マリーは丁寧にヘザーは如何にも慣れた風に応じた。
 ルナ=マリーとヘザーが久しぶりの船外での食事処に選んだ店は、メインストリートから外れたやや古びた店舗が並ぶ雑多で猥雑さを感じさせる小径沿い。昼時ということもあり人の出入りが多い繁盛していると分かる、古い割に小綺麗な東洋風の店だ。
 中華風の店内は、ガヤガヤと活気で騒がしい。赤い柱が等間隔で並び、大勢を捌くためだろうカウンターの他は、二人掛けの席が狭い間隔で並びやや窮屈さがあった。壁には護符か何かだろう、七道教のアークビショップたるルナ=マリーには見慣れぬ札が貼られていた。民芸品があちこちに飾られ、誰も居なかろうと何とも賑やかな店内だ。赤い枠で縁取られた丸窓の中には、内と外二枚の透過素材に挟まれ段ごとにずれた格子が填め込まれそこに湯飲みやら人形やらの様々なオブジェが並び、その細やかさがルナ=マリーの目を引いた。
 丸テーブルの真ん中に置かれた大皿に載った馬鹿でかいフライドキチンを切り分けつつ、ヘザーは満足気な響きを声音の独特の韻に滲ませる。
「ふむ。やはりこの店は、当たりでしたね。このパリパリに揚げられた雞排ジーパイは絶品です。八種のディップソースも凝っている」
「飯物も美味しいですよ。ドーンというのでしょう」
「丼です。マリーが頼んだのは、ジーロー飯というやつですね。元は屋台料理だとか。わたしの頼んだルーロー飯もなかなか」
「このスープに入った餃子。味が染みこんでいて、美味しいです」
「惜しげもなく、特大のをごろごろ入れてますからね。これだけで、足りてしまいそうだ。ふふ、これぞ旅の醍醐味。このような店だから、味わえる味」
「そうですね。それに、ここにはリノ小惑星帯大型武器工廠群の武器職人達が食事に来ているようですから、生の市井の様子が分かって勉強になります。その場に触れて見なければ、分からないことは多いですから」
「マリーは、真面目ね。別にいいのですよ。素直に愉しんで。旅の目的は遺跡で起きている異変に関する調査。息を抜けるときには、抜いておくべきです」
「そうなのかも知れませんが、わたしにも立場というものがあるので」
「今ここに居るのは、旅の戦士ヘザー・ナイトリーの従騎士エクスワイアマリーです。立場では、聖導教まで噛んでいるらしい異変の正体を探る目的は果たせませんよ。現状、マリーには護衛は居ても目的を共にする味方は居ないのですから。巡礼者として七道教の庇護を受ける零が居れば、別かも知れませんが」
「分かってはいるのですが何分こういう性格で、たまに堅苦しいって言われてしまって」
 少し俯くと、気分を変えるようにルナ=マリーは声音を明るくする。
「そう言えば、零さんはどうしていますかね。ボルニア帝国に仕えたくないと、散々ごねていましたが」
「あの様子では、今も変わってはいないでしょ。ですが、戦の最中の女帝軍に放り込んでおけば問題はないでしょう。腕は、確かなようで」
「困ったものですね。巡礼の旅を体のいい逃避先だと考えていて、神に対し敬虔な思いもなく巡礼の旅を行うことを、信徒として間違っているなどと全く考えていないのですから。それでも、宇宙の律動は遍く等しく誰にでも注がれます。神への想いから信徒となる方だけではありません。様々な理由で七道に縋る方は居ます。投げ込み寺的にも。何かから逃れる為にも。それは、それで構わないのです。七道に縋ることで、その方はいずれ苦悩から解放されるのですから。それが、宇宙の律動の導きなのです」
 ローブに隠れた胸の十字架へそっと手をやり、ルナ=マリーは常に忘れてはならないと心に留めている想いを噛みしめた。この先何が待ち受けようとこの想いは消してはならない、と。
 デザートの豆花トウファまで綺麗に平らげてあと少し休んだら店を出ようと、ルナ=マリーとヘザーの間に取り留めのない会話が流れる。
「最後の甘味も、素朴な味で美味しかったですね」
「ええ。大衆向けの店とはいえ、工夫を凝らした味付けと新鮮で惜しげない食材。いいところ見つけたましたね。これは、今夜も期待できそうです。さて、次は何の店を探そうがしら」
「食べ歩きではないのです。次は、人が憩いで集まる場所を見てみたいですね。小惑星内の市街スペースですので、住人がどうしているのか興味があります」
 と、そのとき汎用コミュニケーター・オルタナに着信があった。ARデスクトップには、古代の電話を模した明滅するアイコンの隣にオーガスアイランド号船長のハンスの名前。
「どうも、猊下。恒星貨物船オーガスアイランド号の予定が決まりました。言いにくいのですが、一月ほどリノ小惑星帯大型武器工廠群に足止めです」
「それは、困ります。わたしには、行くべきところがあります。今、どこに居ます? これから会って、話し合いましょう」
 寛いでいたルナ=マリーの思考と心がさっと切り替わり、心なし伸びやかな声にアークビショップとしての厳格さが滲んだ。
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