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刻の唄――ゼロ・クロニクル―― 第一部

第三章 犠牲の軍隊後編 27

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 荒涼とした大地に灼熱した赤銅の赫々たる塊が沈み、鬩いでいた昼夜の争いに終止符が打たれ夜の帳がガーライル基地に訪れた。基地北側に広がる広大な宇宙港には、大小の恒星戦闘艦が犇めいていた。ベルジュラック大公ジョルジュ麾下の大公軍百万は衛星軌道上に止まり、降下したのはベルジュラック大公旗艦重戦艦オンフィーアと西方鎮守府軍オクシデント・エクエス一万が分乗する軍団旗艦ブルトン級重戦艦十。他は、主力兵団群の二千弱の艦艇群だ。
 現在、中央タワーには惑星フォトー臨時統括司令部が設置され、ジョルジュ以下主立った者が集まり戦勝会が開かれていた。勝ち戦。当然、タワーに招かれぬ将兵たちでも行われる。宇宙港の一角ではヒューマノイドを従えた自律調理ロボットがずらりと並ぶ人間の給仕とヒューマノイドが混在したサーブエリアが、あちこちに設置され祝勝会が開かれていた。
 今作戦の立役者である零やエレノアにブレイズやマーキュリーはタワーに招かれることはなく、ドュポン兵団群の者たちが纏まる隅に戦闘服に着替えた決死隊の者たちと一緒に参加していた。懲罰部隊である決死隊は、本来祝賀などに参加できぬ身分の者たちだったが、モリスの好意で参加が認められていた。定められた死から逃れた安堵から、隊の者たちにほっと人心地のついた表情が浮かぶ。
 アダマンタイン創世核鉱物重要産出惑星である為、トルキア帝国・ミラト王国連合軍に占拠されミラト王国軍が防衛に当たっていた惑星フォトーは、現在ボルニア帝国軍によって奪還された。惑星とその宙域に、最早ミラト王国軍の姿はなかった。ガーライル基地のAIマザー を取り戻し殲滅の光弾アニヒレート 砲台が無力化された段階で、ミラト王国軍は早急に撤退を開始した。いっそ、劇的なほど速やかに。陽動兵団群との戦闘を、被害を無視し強引に切り上げて。
 子羊肉を贅沢に使ったラムチョップを上手そうに頬張るブレイズが一瞬顔を顰めた様子に、同じ折りたたみ式の簡易ベンチに座るワイン片手のエレノアが心配げに尋ねる。
「傷の具合はどうだ、ブレイズ?」
「重傷って程でもなかったんで、治療は受けましたんで平気っすよ」
「マーキュリーに降下した自分の母船に連れられて行っちまって、祝勝会が始まる直前何でもなさそうな顔してやって来たからブレイズが怪我してたこと忘れてたよ」
「ひでーな。オマエ、それが強敵と共に戦った戦友に対する態度か?」
「ストレールとも戦ってたから、大したことなかったって分かってたからな」
 ブレイズの抗議を請け合おうとしない零に、珍しくマーキュリーは閑雅な美貌を厳しくし窘める。
「零。ブレイズの名誉のために言うけれど、ストレール連隊と戦っていい状態ではなかったのよ。止めたけど、無理して戦場に出た。お陰であわやという状況で、わたしも慌てて出撃するところだった」
「悪かったよ。何だか、ブレイズってなかなか死ななそうだから、つい、な」
 己の軽薄な謝罪についじゃねーよと毒づくブレイズの文句を聞き流していた零の耳に、密やかなサブリナの呟きが流れ込む。
「本当に、生き残れたのね。何だか今でも信じられないわ」
「そうね。よくもまぁあの戦力で、敵の勢力下にある惑星上で防衛システムをダウンさせられたわ。まともに当たれば呆気なく磨り潰されてしまうというのに」
 呟きを拾ったヴァレリーも何かを噛みしめるように凜々しさと清楚さが同居した美貌をひっそりとさせ、零たちの隣の簡易ベンチに並んで座るサブリナを見遣る青色ブルー の瞳を愛おしげにした。
 懲罰部隊に身を落とした彼女らにとって、今命があることがどれほど貴重であることか。二人の様子を眺める零、エレノア、ブレイズ、マーキュリーにやりきれない空気が流れる。決死隊に与えられる生死をかけた捨て駒は、三度。一度は今回乗り越えても、未だ二度の試練が残されている。零たちにとって所詮人ごとで、憐憫を抱くことしか出来ず決してそのような身の上になりたいとは思わない。少なくとも、自分はそうだと零は思う。
 ――今でも俺は、こんな場所からは逃げ出したい。この惑星フォトーの戦いで、過去の亡霊琥珀色の騎士アンバーナイト マーク・ステラートと出くわし、あの悪夢が蘇る。俺は旅の巡礼者となって、逃げた筈だった。けど、逃げ切れなかった。どんな偶然が、奴が居るボルニアの内戦なんかに俺を取り込んだんだか。けど捕まったままでいるものか。せっかく拾った命なんだ。内戦が終えたら、剣なんて捨てて柵も何もかも捨てて生きてやる。
 けど、と。
 ――こいつらも、生きたいって気持ちだけは俺と同じか……。
 同じ簡易ベンチに並んで座るエレノア、ブレイズ、マーキュリーが憐憫以上の情を面に滲ます中、同様の気持ちを抱けない零はそこから外れていく。きっと、三人は零のように暗い情念に支配されてはいないから。全てを切り捨てて生きたい、とは。己を滅ぼす敵を持たぬ表の住人である三人は、悪夢から逃れ続けたいとは決して思わないから。だから、決死隊にはどこかしら共感めいたものを抱ける。
 ふっ、と。
 ――その悪夢は、決して終わらない。悪夢が己が命を喰らい尽くすまで、決して。死ななければ、解放されない。
 刹那、麗貌に零は笑みが浮かんだことを意識した。救いがないな、と我ながら思う。
 彷徨った心の迷路から響いたエレノアの声に、零は道筋が閃いたように抜け出す。
「初め零がベルジュラック大公がしくじった策を、自分達だけでやろうと言い出したとき、正気を疑った」
「ベルジュラック大公率いる第一エクエス・オクシデント一万を擁する二百万の兵力で達成できなかった作戦を、まさかわたしたち決死隊と残存を予想された囮兵団群三千程度で行おうとするだなんて、大胆を通り越し無謀」
 エレノアに応じ同調するヴァレリーは、ぬけぬけと提案した零を傲慢だと怪しからぬ様子だった。
 そんなヴァレリーの様子にサブリナは、ちょっと可笑しそうだ。
「けど、成功した。最初、零の話を聞いたとき、どうせ駄目なら何もやらないよりは増しだって思った。どうせわたしたちの末路は変わらないんだから。成功する筈はないだろうって。けど、細かく話を聞く内に、機械兵マキナミレス ユニット群でストレールを拘束するなんて正気かって思うこともあったけど、その内可能なんじゃないかって思うようになってた。正直、敵を騙すはったりや奸計だらけで、まともじゃないけど」
「全くです。一万体のグラディアートをすぐばれるような手ででっち上げるとか。それで、敵の動向をコントロールしたり」
 少し離れたところからウェーブのかかった金髪をロングにした女性が話に加わり、一度言葉を切るとくすりと可笑しそうに笑み続ける。
「案外、上手くいくものですね。やってしまえば、できるものです」
 釣られるように、小グループで纏まり歓談していた他の決死隊の者達から声が上がる。
「もう駄目だと思っておったが、なかなか儂もしぶといと見える」
「あのような手が、まさか上手くいくとは。未だに、信じられん。たまたまだったとしても、よくぞ我らを率いてくれた」
「いやいや、執行官殿の遠謀では、あれは必勝の策だったに違いない」
 キャバリアーではないらしい三人組、白髪の老人や不摂生な身体をした中年男性や官僚のような壮年の男性は、皆に聞こえるよう酒の肴にでもする様子だった。
 如何にも勝ち戦の酒の場に相応しい話に他の者も応じ始め、俄に決死隊が纏まる一角が賑やいだ。三度の死の試練を与えられた罪人と謂えども、何しろこの勝ち戦の祝いの席を作り出した功労者達。酒も入り喜び祝うは必定。再び捨て駒として死の試練があるとしても、今だけは憂さを忘れる権利はあった。
 酒を勧めに、執行官や執行官補佐が居る部昇格が座す簡易ベンチにビールやワインを満たしたピッチャー片手に決死隊の者達がやって来て杯を交わしていく。
琥珀色の騎士アンバーナイト と剣を交えた、英雄の二人に」
「いやはや、リュトヴィッツ殿の武勇には恐れ入りました。猛るストレール大隊を一人で食い止められるのですから」
「いやー、それほどでも。最後、危なかったですし」
「リザーランド卿は、やはりボルニアを代表する強者つわもの の一人。タートゥロード流奥義ラメントで敵を一掃した様は、さながら戦女神の如し」
「勇者の剣と名高いタートゥロード流。銀河の中原セントルマ地方で盛んな流派とはいえ、奥義を使える者はほんの一握り。習得出来れば、伝説級、神話級と認定されるほどの技であるので、当然と言えば当然。間近で見ることができ、光栄でした」
「そう褒められると、照れるな。だが、ありがたく受け取ろう」
「流石は、ルブラン家のフリーデリケ。ストレール相手に獅子奮迅の活躍。虹位階に認定されこれからというとき、残念なことだ」
「否定は、出来ません。わたしも残念に思っていますから。けど、ヴァレリーお嬢様も居るのに死ぬ気はありません」
 人が代わる代わる部昇格の席へやって来る間、あちこちで祝杯の声が上がる。
「乾杯、我らが刑執行官零殿に」
「乾杯、意気地のないことを言う刑執行官殿に」
 理由をつけて祝杯を挙げる様子とその理由に零が麗貌を顰めていると、茶色の髪を後ろで纏めた銀髪の女の子を連れた若い女性が零の前へと立つ。
「ちゃんと、食べていますか。先程から見ていましたが、お食事に手が伸びていないようですが」
「今朝のメイドか。生き残ったとは、運がいいな」
 最初誰だか分からなかったが、声で今朝助けたメイドだと零は気づいた。外骨格Eスケルトン スーツから決死隊の黒を基調とした戦闘服に着替えた彼女は、綺麗な顔立ちをした女性的起伏が十全な艶麗な容姿の持ち主だった。
 メイドは、落ち着いたしっかりした声で軽く笑む。
「ええ。おかげさまで。わたしもシャルロットお嬢様も、こうして生きております。ネリー・バイエと申します。こちらは――」
 ネリーというメイドが振り向くと、銀髪の女の子は一礼し澄んだ声を鳴らす。
「シャルロット・カルパンティエです。ネリーを助けて頂き、わたし達決死隊を引っ張ってくれて、ありがとう」
 緊張しているのか固い表情と声音のシャルロットに、零は麗貌を柔らかくする。
「いや。シャルロットが、ネリーが今朝言っていた付き従った主家の令嬢か?」
「はい。カルパンティエ公爵家三女、ネリーお嬢様です」
「大分、若いな。気休めは言えないけど、無理はしないことだ。生き残ることだけに、集中するんだ」
「お言葉ですが、零様。今日のような幸運が、また掴めるものでしょうか? この決死隊を零様が率いてくださらなかったら、わたし達は今こうしてここにはおりません」
「ネリー、詮無きことを言っては駄目よ。零殿も困るだけだわ」
 咎める目をシャルロットに向けられ、ネリーは一つ頭を下げる。
「申し訳ありません、シャルロットお嬢様」
 ネリーとシャルロットは、零のグラスにワインを注ぎ戻っていった。
 胸元の十字架に、零は手をやった。
 ――零・六合。ここは、オマエの居場所じゃない。気にするな。
 次の試練で決死隊は命を落とすであろうことを、ネリーの言葉で思い至ってしまった零は自分に言い聞かせた。
 断罪を待つ咎人が集う一角は、箍が外れたような笑い声があちこちで響き打ち上がり、それは一時の運命の忘却。今夜だけはという思いが、この場に満ちていた。周囲のドュポン兵団群に属する他の兵団の者たちは、盛り上がってはいたが明らかに何かが間違えば狂気へと変じてしまう熱気とは違っていた。だからといって問題は、何もなかった。何しろ、武装解除させられた決死隊は無力であるから。だから、壁のようなものができるだけで周囲が干渉してくることはなかったし、決死隊の者達も己の死期を殊更早める気はなかった。
 へべれけに酔う者達が現れて、何度か零も絡まれる羽目になる。
「あんたに付いていけば、俺達は生き延びられる。そうだろうっ!」
「「「「「「「「「「おう」」」」」」」」」」
 幾つもの唱和が、重なった。
 先程宴の雰囲気を整えた三人の内中年男が、零の首に腕を回し隣に腰を下ろすとウィーとくだを巻き出す。
「リザーランド卿は、己の兵団がありながら一時的に執行官補佐の割を食っただけ。リュトヴィッツ殿は、元々我らには関係ない」
「その点、零殿は兵団を取り上げられ率いる兵を持っておられぬ」
「決死隊がこの先二度の試練に生き延びるには、零殿が我らを率い死を約束された戦場をあの機略で潜り抜けるより他にない」
 中年男の仲間のような老人と官僚風の男もやって来て零の前に腰を下ろし、零の首に回す腕に力を込め中年男は顔を近づけ酒臭い息を吐き出す。
「このまま、ウィー、我らの元に居残って、くれ、ヒック」
 零との間に割り込まれたブレイズは、流石に中年男の腕を引き剥がしにかかる。
「命知らず、だな。もうその辺にしとけって。まだ、俺もこいつとは短い付き合いだが、穏やかだとか、優しいとか、無縁の奴だぜ。ほら見ろ、さっきから仏頂面で押し黙ってるだろ」
「誰が、仏頂面だ」
 男の腕から解放された零はブレイズを睨み、反対側に座るエレノアが艶のあるメゾソプラノをやや威圧的にする。
「酒の席とはいえ、少々度が過ぎているようだ」
「答えられぬことで絡むのは、場をしらけさせるものです」
 ブレイズの隣に座るマーキュリーが、エレノアの後を継いだ。
 零達の簡易ベンチから離れた場所で、女の声が上がる。
「酒の上の戯れ言さ。うんなもん、いちいち真に受けるなって。ただ、そうだったらってだけさ」
 ストロベリーブロンドをショートカットにしたしなやかな全身の若い女が、挑むような眼差しを向けていた。
 他の者達からも同意の声が上がり、静まりかけた喧噪が取り戻される。
「ああ、そうだ。だったら、命を拾えるかもって思う」
「酔夢って奴さ」
「それくらい、構わないでしょう。零・六合なら、わたし達は生き延びられる」
「我らの指揮を執りたくないという、臆病な執行官殿に」
「さ、酒の上の戯れ言だ」
 老人が空になった零のカップになみなみとワインを注ぎ、嫌そうな顔をする零の元にそれまで少数でグループを作っていた決死隊の者達がやってきて次々と声をかけていく。
 と、中年男がどいた場所にサブリナがするりと入り込み、零の肩に手を置く。
「あなたも、何か言いなさいよ。付き合い悪いわね。黙って飲んでるだけじゃないの」
「酔ってるのか、サブリナ」
 間近に顔を寄せてくるサブリナの端麗な美貌は薄らと上気しており榛色の瞳はどこか座っていて、どことなく怪しかった。サブリナは、ずいと零に身体を密着させ気炎を吐く。
「悪い。こんな日に、酔わない方がどうかしてるのよ。それにしても、大した人気じゃない。執行官殿。こんなに認められるなんて、大したものね」
「認めているのが決死隊でなかったとしても、大して嬉しくないかな」
「まーた、あなたはキャバリアーの道を捨てて巡礼の旅に戻りたい、だなんて考えてるの?」
「当然だろう」
「ね、わたし零に感謝してるのよ。惑星に取り残されたとき、零が当たり前に行動を起こしたから。まさか、残存兵力だけで殲滅の光弾アニヒレート 砲台を黙らせられるだなんて思ってもみなかった」
 手を零の頬に当て強引に顔を向けさせると、サブリナは正面から見詰めてくる。
「けど、乗り気だったじゃないか。囮兵団群の兵団長にもそう言ってたし」
「あなたの話をちゃんと聞いたから。やれるんじゃないかって思ったから。お陰で、ヴァレリーお嬢様が生き延びることが出来た。だから――」
 据わっていた榛色の双眸が潤んだと零が思った瞬間、サブリナはローズピンク色の唇を零のそれに押し当てた。
 悲鳴のような声が、隣の簡易ベンチから上がる。
「サブリナ、あなた何をっ!」
「全く、どさくさに紛れて」
 ヴァレリーが茶色ブラウン の瞳を見開き清楚な美貌に呆気にとられた表情を浮かべ、エレノアが深みのある赤い瞳を怖くし表情を消し去った艶美な美貌から却って抑えた怒がを滲み出ていた。
 はっとなった表情でサブリナは慌てて零から身体を離し、美貌を羞恥に染める。
「わたしは、何てことを……」
 やって来たヴァレリーが、全くサブリナはと指を立て小言をまくし立て始めた。
 唇に残る熱い吐息に生命を感じてしまった零は、決死隊の面々を眺めた。皆、今を懸命に愉しんでいた。不思議と悪い感じはしなかった。既に西の空に月は没し、入れ替わるように東の空から第一の月が昇り始めた。戦勝の酒宴はいつ果てるともなく続いた。
 ――彼らが生き残ったことが、正直嬉しい。こんな気持ちになるなんて、思わなかった。俺は、己の境遇を彼らに重ねてしまったのか……。
 隣の簡易ベンチでは、連れ戻されたサブリナへのヴァレリーの小言がまだ続いているようだった。
 そんな彼らを見て、ふと勝手に言葉が零の口を衝く。
「見捨てられない、か。嫌とは思わないんだ……」
「どうした?」
 聞き咎め怪訝な表情を向けてくるエレノアに、零は曖昧に笑む。
「何でもない」
 久しぶりに晴れた心でそう誤魔化した零は、次の瞬間己を思い出す。
 ――けど、用心するんだ。零・六合。この感覚は危険で、わたしはまた過ちを犯してしまうかも知れない。見捨てられないって思うなら、それもいい。けど、ソルダの道を捨てねばならないことは、忘れるな。それは、きっと破滅をもたらす。]
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