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刻の唄――ゼロ・クロニクル―― 第一部

第三章 犠牲の軍隊後編 1

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 激しい彼らの生への葛藤が、わたしを突き動かす。久しく忘れていた感覚に、わたしは酷く戸惑った。
   
 ――――戦場の執行者の唄




 切り立った絶壁が開口部となった小径の出口に出た零は、薄赤い光線で紫がかった深い青空を見上げていた。陽光を反射し眩い輝きを第二の太陽のように放つ巨大構造物メガストラクチヤー――宇宙港が東の空から昇り始め、歪な円柱状と球形をした惑星フォトーの衛星である二つの月が中天付近にさしかかった。それから少し西へずれ夕刻でもないのに落日のように赤々とした不吉な輝きを放つ太陽は、さながら魔界への門だった。どこか非現実的で不安をかき立てる、光景。
 既にボルニア帝国兵団群のグラディアートは高高度になく、惑星フォトー上に占領時捕虜となった者以外でボルニア帝国軍は、少数の決死隊と囮兵団群の他はいなくなってしまった。敵地に取り残され兵力の回復は望めず、孤立無援で滅びの道しか残っていない。少し前まで生き残ることを考えていたことが、嘘みたいな現実だった。
 零の背後のあちこちから上がる憤りや怨嗟やさらにはすすり泣くような嗚咽が、魔物の吠え声のように絶壁の狭い壁に反響し響き渡った。
「ここまで生き延びたっていうのに、置き去りとはあんまりだ」
「わたしたちは、只忠誠を守っただけだというのに謀反人。どうあっても、ボルニアはわたしたちに死ねと言うの?」
「敵地の真っ只中で、どうしろって言うんだ!」
「狡猾なミラトのティグリスを気取ったコヨーテ共の、俺たちは格好の餌食だ。他国の隙につけ込んだ盗人がっ!」
「まだ、恋もしたこともないのにこんな……」
「ずっと追い立てられて、もういっそのこと楽にしてよっ!」
 絶望という名の合唱は、死地に慣れている筈の零の心を波立たせた。
 ――なまじ俺が、彼らを焚き付けてしまったから。一度燃えさかった感情が急激に冷やされれば、後に残るのは燃えかすのみ。この状況を覆せねば、彼らに再び前を向かせたところで無意味……。このままでは、本当に誰も生き残れない。あの琥珀色の騎士アンバーナイトが言うには俺は咎人で、ここに居る他の者も皆死ぬ定めの咎人。否……違うか。
 零は傍らのエレノアに視線を送り、女性のような中性的で静謐な面に残念そうな表情を浮かべた。
「済まない、な。巻き込んでしまって。俺を庇ったりしたばかりに」
「確かにわたしは零のとばっちりだが、ベルジュラック大公が横暴だった。とはいえ、零に問題があることは間違いないがな。今ボルニアは内乱の最中さなかだ。女帝ヴァージニア陛下は勿論のこと麾下の武将が居並ぶ武張ったあの場で零が臆病者のような物言いをするから、目をつけられたりしたんだ」
「仕方がないだろ。本当は、この内乱に首を突っ込むつもりなんてなかったんだから」
 このような状況でも自棄になるでもなくからかうように自分の問題点を皮肉るエレノアの剛毅な精神骨格に甘え、零は拗ねるように愚痴った。楽になったから。
 ――どうにもならないような窮地に追い込まれても、変わらないでくれるのはありがたい。
 戦女神の加護を受けた戦乙女とは正反対に狼狽える決死隊を横目に見ながら、零の奥底に常に潜む冷徹な部分が思考を開始した。それはとても原始的で、その挙動に見え隠れする雅やかさとは裏腹な本能的部分。
 ――この絶望的な戦場から、どう生き延びるか……そんなこと初めから決まっている。
 輪郭が見えてきたそれを具体的にしようと沈思に沈もうとしたとき、外骨格Eスケルトンスーツ独特のショックアブソーバーが効いた歩み寄る足音に零が顔を向けると同時音律のある声が響いた。
「零・六合。死出の案内人に個人的な興味なんてなかったけれど……ベルジュラック大公の前で戦いを嫌がっていた口先とは裏腹の実力。旅の巡礼者とかなんとか言っていたと記憶してるけど、ボルニアの内線に参加とかどういうつもり?」
 エレノアの他にも例外がまた一人いて出会ったときから零に接する口調に棘が付きまとうサブリナは、榛色の瞳に反抗的なものを浮かべた。反発する双眸を見返しつつ零は気怠げに、それでも声音は不愉快ではなかった。諦めが見えないから。
「どうもこうもない。よんどころのない事情って奴さ。トルキア帝国に拠点を占領された国境惑星ファルで足止めを喰らって、帝星エクス・ガイヤルドにある帝都のエクス・ガイヤ大聖堂で巡礼証明書コンポステーラを期限内に受けなくては巡礼者の資格を失効してしまうから、先に進もうと思ってさ。ちょうど、キャバリアーの募兵をしてたから」
「で、自力でどうにかしようとしたわけね」
 言葉を引き継ぐようにじと目を零へと向け、サブリナは呆れ顔で呆れた声だ。
 応えたのはエレノアで、艶美な美貌を不敵にした。
「ああ。どうにかした。零は同時に募兵に応じたブレイズと二人でファラル城塞を奪還した」
「まぁ。それは、凄い功績だわ。どうして新参の零が、部将を務めているのか疑問だったけれど、功績の結果というわけね」
 聞こえたらしいサブリナの後ろについてきたヴァレリーが青色の瞳を見開き、不敵な笑みをエレノアは苦笑へと変えた。
「ボルニア帝国に仕えたそうそう手柄を上げ、そのままならよかったんだけどな。零が余計なことを言った」
「何だか、目に浮かぶわね」
 端麗な面を怪しげにするサブリナに、エレノアが綺麗な眉を持ち上げた。
「謁見の折、女帝ヴァージニア陛下が激怒したのも無理はないな。陛下の言うようにボルニアの募兵は、傭兵を募ったわけではないのだ。なのに零は、自分の目的――亜空間航路封鎖さえ解けたら、報奨金をもらって辞めようとしたからな。ボルニア帝国も安く見られたものだ。ベルジュラック大公が、泥を塗られたと零を斬ろうとしたのも無理からぬことではあるな。やり過ぎだとは思うが」
 深みのある赤い瞳を怖くするエレノアに零が視線を逸らすと、ヴァレリーが先程とは打って変わって侮蔑の眼差しを向けてきた。
「大胆というか、不埒というか、仕事を舐めてるわね。無礼にも程があるわ。大国ボルニア帝国をなんだと思っているのか。隙のなさそうな見た目とは違って、だらしのない人だったのですね」
 凜々しさを通り越し冴え冴えとしたヴァレリーの声に零は、氷塊にでも触れたように全身がぎゅっと強ばった錯覚を覚えた。
 ――侯爵家元令嬢は、伊達じゃないな。蔑む目は、清楚さのある凜とした少女からは想像もつかぬほど辛辣そのもの。気性は素直そうなのに。
 でも、と。
 ――誰もが身の不幸を嘆く今、それだけ強気に振る舞えるなら頼り甲斐がある。
 口の端を軽く持ち上げた零を、ヴァレリーは声を押し殺し睨んだ。
「何が可笑しいのです?」
「お嬢様は、お気がお強いって感心してさ」
 からかう零にヴァレリーは、口の減らないと呟きそっぽを向いた。
 右手を腰に当てサブリナは、窘める響きを声に帯びさせ怪しからぬ者を見るような様子だ。
「ま、お嬢様の言う通りね。通行止めを解除したかったから募兵に応じた、ね。ボルニア帝国人からすれば、侮辱された気分だわ。で、どうするの?」
「死にたくはないかな」
 視線を巡らしガーライル基地で一際目立つタワーを眺めつつ、零は先程形になりかけた思案を一通り頭に巡らせた。
 ――この状況からの起死回生。無謀ではあっても、百パーセント無理ではない、か。
 そう思いつつも曖昧に応える零に、サブリナは怒りが滲んだ声を叩き付けた。
「何それ。ただの感想じゃない。わたしはこの危機を抜け出す手立てがないか聞いたのよ」
「ま、零だって個人的希望とやらを口にすることしか出来ないだろう。全く」
 ショートヘアにした艶やかな赤い髪をハンドアーマーを外した手で梳き上げ掌を額に当てると、エレノアは吐き捨てた。
「ベルジュラック大公め、普段は勇猛なくせに肝心なときに弱腰だ」
「今更だわ、リザーランド卿。だから、帝位に最も近い男と言われながら、ルベール大公が前皇帝に合わせて他国を招き入れる愚行を犯したとき、当時ダイアス大公ヴァージニア殿下に帝位を掻っ攫われた」
 サイドテールを揺らし首を傾げ応じるサブリナの苛烈で酷薄な批評に、あのジョルジュの強硬な態度もヴァージニアが即位し自分に向けられる批評も少なからず影響を及ぼしているのだろうとの思いがちらりと掠めたが、これまでの経緯でジョルジュへの負の感情が蓄積している零は擁護は口にせず気持ちを切り替えさせた。機に敏くなかったことは、確かでもあるし。
「今ここでベルジュラックを論ったところで、意味はないな。俺たちが生き残るには、やることは一つしかない。ベルジュラック大公が放棄したことを、俺たちがやるだけだ」
「この戦力で、基地を攻略するのか?」
「大言壮語は、感心しないわ。出来るとは思えない」
 零に対して友好的なエレノアもさすがに懐疑的に、零に対する評価が低下したヴァレリーは胡乱そうに否定的意見を口にするが、僅かでも勝ち筋を見出した零の言葉に淀みはない。
「敵のグラディアート群は、衛星軌道上の艦隊に戻り再びの敵襲に備えている。今が好機チヤンスだ」
「ま、確かにね。やるなら今だわ。どのみち、このままじゃわたしたちは全滅必至だもの」
 腕を組み思案していたサブリナは口調の端々に思慮を滲ませ、それでも、端麗な美貌に決意を浮かべた。
 サブリナ、エレノア、ヴァレリーの目を順々に見遣ると、零は振り向き決死隊へ声に気迫を乗せ呼びかけた。
「行こう。ぐずぐずしていられない。決死隊各位、憤ったり嘆いている暇はないぞ! 行軍を開始する。生き残るにはこれしかない」
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