刻の唄――ゼロ・クロニクル――

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刻の唄――ゼロ・クロニクル―― 第一部

第1章 惑星ファル地表拠点奪還戦 12

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「皆の者、大義である」
 傲岸さの響きがある、やや低めの声が大広間に響き渡った。ファラル城塞の中心に聳えるタワーの最上部、制御ルームを有する地上二百階にあるフロア奥の式典用の広間。その高くなった、背後の壁に王冠を掲げる賢者を描いた国章を豪華にあしらった国旗を飾った奥の座に、一際豪華な椅子が置かれていた。城塞を訪れた賓客の為のものだろうそれに、鮮やかな赤い髪を編み込み後ろで束ね、虹金こうきんをあしらった白地のロングコートを赤と黒のドレスの上に羽織り足下を膝上までのブーツで固めた乙女を過ぎたばかりだろう女性が座していた。

 モリスに伴われ隅にブレイズ共々控える零は、夜空を映し出したような瞳に興味を宿し他の者に届かぬほど度に小さく呟く。
「まさに、女傑……」
 そうであると知っているからではなく、ただ零にはそう映ったからの独言。

 ――ホントいい女だけれど、それだけじゃない。奥からひしひしと伝わるよ。この女は獰猛だって、ね。じゃなきゃ謀反を起こし皇帝位を奪うわけがない。それも欲望に塗れて権謀を巡らせる質じゃない。自分で欲しければ奪う、峻烈な意思と力をもった英傑。女帝ヴァージニア・ド・ダイアス・ボルニア。

 ボルニア帝国によく見られるガーリアの血筋を示す、紅玉のような赤い瞳。同様に赤く濡れたような艶やかな髪。妖艶でありながら凜々しく整った美貌。女性としては高身長の、官能美に満ちた全身。それらの造形はヴァージニアの人目に晒せぬ猛々しさを巧妙に秘し、けれども零の心を備えさせるような放っておけぬ気配は覆いきれていない。その帝位の威厳を収斂した偶像が一瞬の停止から再び動き出し、生命を宿した存在と刹那魅入られた零を心づかせた。

 赤い艶やかな石榴色ガーネツトの唇を開き、ヴァージニアは髪をやや鬱陶しそうに払う。
「がめつい貨物船の船長から買い取った、賓客を紹介させて貰おう」
 傍らへと、ヴァージニアは視線を送った。その先に居る自然に白髪を後ろへ流した、重ねてきた人生を物語るように深い皺を刻んだ顔が老獪で怜悧そうな印象の中背の老人が、静かに頷いた。

 やや疲れたようだが聞き取りやすい声で、老人は奥の入り口に控える気品のある銀色とアイボリーの戦闘礼装を纏った衛士の一団へ、青を基調とした衣装の上に羽織った群青のロングコートを揺らし振り向き命じる。
「謀反人を、陛下の御前へ」
 その挙動は高齢であるためややゆっくりしているが、年の割にピンとした背筋もあってしっかりとしたものだった。

 まだ学生だろう衛士たち――おそらくは将来を有望視されるインターンの若手が、正式な配属前皇帝の近傍で警固する親衛隊に任ぜられているのだろう――の内、隊長職にあると思われる男女が奥の扉に消え、再び現れたときにはあのオーガスアイランド号を騒がせたハイジャック犯の首領が、依然と同じ派手な格好で手に枷を填められ引き立てられ背を向ける形でヴァージニアの正面に立たされた。

 ずらりと左右に居並ぶ女帝軍の武官文官を前に青白い顔が一瞬たじろぐが、それでも意を決したように傲慢を纏い直す。
「予は、女帝を僭称する反逆者ダイアス大公ヴァージニアに弑逆された先帝アイロス陛下の遺児、オクタヴィアン・ド・ボルニアである」
 俄に居並ぶボルニア帝国の臣下たちが、ざわついた。

 その様子に、零は軽く瞑目する。
「奴め、人格はともかく、度胸だけは据わってるな」
「まーな。が、あの雌虎の前であの態度。空気読めないだけだろ」

 零の独り言に、隣のブレイズが頷き囁き返した。ブレイズもあの女帝に、零同様の感想を抱いている。尋常ではない技量を有するキャバリアーとして相手を図るブレイズの感覚は、零にとって信用できるものだった。脳裏からヴァージニアの記憶を引き出すが、何しろ零はボルニアの国民ではなかったし、皇位継承権を有する大公といっても大国ボルニアでは地方の一領主に過ぎず、次期皇帝候補として零の中では順位は低かった。自然、興味もそのほど度だったが、それでもその武勇は微かに響いていた。

 ヴァージニアのやや低い声が、鞭のように鳴る。
「ペラペラと、よく囀りおる。可愛げもない珍獣を、予は買い取った覚えはないぞ。身のほどをわきまえ、従順にしておれ」
「な、ぶ、無礼な! 予は、正当な皇位継承権者なるぞ。逆賊などに、媚びへつらう謂われはないわ。誰ぞ、ボルニア帝国に帝室に忠義ある者は、即刻この謀反人を捕らえよ! ならば、謀反の罪を許し予に仕えることを許そう」
「皇帝陛下の御前だぞ。控えろ、馬鹿者!」
「その暴言、斬られたい?」

 己を引き立ててきた若い男女の衛士の二人に――男が首を押さえ女が脚を払い――床に這いつくばらせられたオクタヴィアンは、顔を赤黒く紅潮させ喚き立てる。
「は、放さぬか。そちら、何をしておるのか、分かっておるのか。予は、ボルニアの、そちらの次期皇帝ぞ」

 壇上に置かれた豪華な椅子から眺めるヴァージニアは、小首を傾げ傍らの老人を見遣る。
「全く騒がしいな。して爺、この者の申しておることは本当か?」
「は。確かに調書どおり、この謀反人の母親が皇帝の子を身ごもったと主張する次期と、前皇帝の外遊の次期は一致しており、放蕩な先帝のこと可能性は皆無ではないかと。素性は今調べさせてはおりますが。確たる証拠を掴むことは難しいかと存じます。帝星に戻った折、先帝との生体遺伝鑑定をされるのがよろしいかと」

 青い瞳に思慮を浮かべ老人は慎重に言葉を紡ぎ、ヴァージニアは艶麗な美貌を軽く顰める。
「予としては是非とも本物であって欲しいがな。何せこやつは高いのだ」

 床に這いつくばるオクタビアンを一瞥し、ヴァージニアは憤然と言い放つ。
「全く、ふっかけおって。虹金ミドルロッド一本を、まんまと巻き上げられたわ。金のかかるこの戦時に」

 ヴァージニアの言葉と態度に、軽くほくそ笑み意地悪く零は隣のブレイズに顔を向けず語りかける。
「いい商売をしたな、あの船長。アダマンタイン創製用核鉱物運搬を十回ほどやっても、追いつくまい」
「ざっと、百億デナリオンか。ま、オクタヴィアンの話が本当なら、高いかって言われたら、微妙だけどな」
 咎める視線で零を見遣ったブレイズは、口調に憐れみを滲ませた。確かにオクタビアンが前皇帝の遺児であることが真実ならば、今の境遇は残酷だった。

 ブレイズが値を付けた虹金は、今から二十万年近く前それまで最も高価な金を越えた貴金属として作られた。その希少性から、通常の貨幣では扱いにくい金額を現金で取引しなければならない時のための通貨として用いられた。虹金製のスティックの時価が、そのまま金額となる通貨だ。ポケットに入れて持ち運べるほどのサイズだが、虹金自体が非常に高価でラージ、ミドル、スモールの三段階に分かれたスティックが、馬鹿げた金額になる。

 武官の列の女帝に最も近い最奥に立つ臙脂色を基調とし金糸と虹糸とで彩られた豪奢な戦闘礼装を纏った偉丈夫が進み出て、その男に零が嫌な気配を感じていると、ヴァージニアへ猛々しさを秘めた声で問う。
「して、人騒がせなこの先帝の落胤を名乗る慮外者をどうなされる?」
「人騒がせとは、何を! 予は帝国で行われようとしていた邪知暴虐なる父上たる前皇帝への謀反を阻まんと、故郷を発し立ち上がった勇士なるぞ! 着いてみれば皇帝弑逆、帝位簒奪と目も当てられぬ惨状。その高貴な義勇の士に対して、慮外者とは何ごとぞっ!」
「黙れ! 帝国を騒がす反乱を企てておいて、何が義勇の士だ! 己を己で高貴などと。前皇帝の落胤というが、証明できぬ身分など怪しいにもほどがあるっ!」

 激昂するオクタヴィアンを獅子の咆哮の如き声で一喝し周囲に獰猛な気配を撒き散らす武人に、ヴァージニアの傍らに立つ老人が誰でも耳を傾ける老獪さでもって宥める。
「ベルジュラック大公ジョルジュ殿、お気をお鎮めください。確かに素性は怪しゅうございますが、仮に本物だとしたら慮外者であろうとその理由にそれなりに正当性があり、最低限の礼儀を払うべきでございましょう」
「ブノア殿……お考えは分かり申したが、本物ならば尚更立場を分からせねばなりますまい。先帝は、その行状によって臣下の延いては国民の支持を失い、しい奉ったとしても致し方なし、皇帝の座から除くべしと断じられた人物。その落胤が、厚かましくも帝位をよこせと押しかけた。皇帝軍と戦ったヴァージニア陛下の元へ馳せ参じた第一・第二エクエスを始めとするキャバリアーの数で、自ずといかに力尽くでの退位を多数が望んだか知れましょう。その落胤が何をほざこうと、意味などないのだと分からせるべきだ」
 威風辺りを払う女帝たるヴァージニアにも負けぬほど豪奢な戦闘礼装を纏ったいかにも地位が高い偉丈夫だが、ブノアのいう老人を前にしてジョルジュは傲然とした態度を控えた。

 後ろへ流した短めの赤髪に縁取られた面は、貴人らしく整っているが厳めしく猛々しさが滲み出ていた。長身であり鍛え上げられた体躯は堂々とした立ち姿もあって、ジョルジュを実物以上に大きく見せていた。貴人としての優美さを打ち消す滲み出る暴力的な雰囲気が周囲を圧し、その場を支配されたような錯覚を覚えるほどの威圧感がある。見ただけで、力量がいかほどのものか推し量れるだろう。もしもジョルジュの前に徒人が立てば、或いは力量で見劣りするキャバリアーが立てば、睨まれただけで竦み上がってしまうに違いない。

 声を潜めブレイズが、傍らのモリスへ囁きかける。
「あの、おっかなそうなおっさんは誰なんです? 身なりは豪華だし、権勢が凄そうっていうか、偉そうだし。大公? ってあのブノアってご老人が言ってましたよね?」
「全く」

 軽く眉を顰め困った顔をしながらも、モリスの口調は面白がっている。
「君の言う、おっかなそうな御仁は、ジョルジュ・ド・ベルジュラック。ベルジュラック大公国の大公だ。知らないかも知れないが、ボルニア帝国において大公の地位にある者は、すべからく皇族でね。皇位継承権を有している。そして、権勢が凄そうで偉そうと言っていたが、まさしくその通り。大公であるだけでも我々には雲の上の存在だが、公は西方鎮守府将軍の地位にあり、西方鎮守府軍として麾下に第一エクエス・オキシデント三十万に第二エクエス・アンゲルス三百万と兵団群三千万を麾下に持つ上に、ベルジュラック大公国軍一千万を有する。キャバリアーとしては、ソルダ位階第一位神話級に認定されるこの世の化け物の一人。誰にも比肩しがたい権勢だし、偉い。ヴァージニア陛下が挙兵する以前は、ベルジュラック大公こそが次期皇帝と目されていたからね。ま、この国では決して睨まれないことだね」

 モリスの話にあの男がオーガスアイランド号でも話題になったベルジュラック大公の実物かとボルニア帝国に来る前から記憶にあるジョルジュのデータと照合し興味を覚えたが、零は先ほどから気になっていた人物を尋ねる。
「で、あのご老人は?」
「この国の宰相さ。わたしもこの目で見るのは初めてだが、まさに宿老」

 簡潔に零へ眉を上げ答えるとモリスは、己の記憶を探るように語り出す。
「ボルニア帝国の外位貴族であるベルジュラック大公国の公爵家に生まれ、ヴァージニア陛下のお父上の代から大公国の宰相として仕え、父大公の死でヴァージニア陛下が女大公となられると、既に老齢であったが引き継ぎ仕え陛下の大公国統治を支えた。挙兵にも、色々と手回しをしていたらしいよ。これは、伝え聞いた話だがね。こんな辺境でも、伝えてくれるお方がいてね。ま、今回の内乱でもう会えなくなってしまったが。陛下の挙兵に真っ先に呼応した近衛軍、その司令官は女帝陛下の友人でもあられたが、前皇帝に近しい軍勢が迅速に呼応したのもその根回しだろうね。中央キャバリアー連合協会から派遣された人材ということもあって、その近衛軍司令はボルニアの最精鋭、第一エクエス・オルデンからの信望も厚かった。前皇帝に問題があったのは確かだが、それがなければああも女帝陛下の味方は増えなかっただろうね」
「なるほど、ボルニアにとって念願の新皇帝誕生の立役者ってわけか。何つーか、勇猛そうな女帝陛下やベルジュラック大公と比べると、思慮深そうで俺なんかでもちゃんと話を聞いてもらえそうっていうか、俺がボルニアの臣下として抱いている大望も聞いてもらえそうっていうか」
 今後のボルニア帝国での栄達を考えてか端正な面を野心的にするブレイズは、藍色の瞳に興味を浮かべた。

 そんなブレイズに零は、生暖かい視線を注ぎ口調に揶揄を滲ませる。
「情けないな。確かに話は聞いて貰えるだろう。けど、老獪な分おまえが言う勇猛そうな二人の方が与しやすいかもな。おっと」
 大広間に集まった者たちがざわつき始めジョルジュの近くにいた老将から響いた咳払いに、零は表面上非の打ち所のない佇まいで押し黙った。

 白と青を基調とした豪華な戦闘礼装を纏った老将は一歩前へ出ると、ヴァージニアへと向き直る。
「陛下。このオクタヴィアンなる者は、将来の禍根。されど、前皇帝陛下の遺児であられる可能性があるならば、非礼があってはなりますまい。恐れ多くも、皇族であらせられます故」
「誠に仰るとおり。さすがは、ボルニア帝国第一エクエス・オルデンの総司令官マリウス殿。ボルニアにて長い戦歴を誇る宿将のご見識、聞くべきものがございます」

 宰相であるブノアが我が意を得たりという顔で満足げに頷き、ヴァージニアへ向き直る。
「如何でございましょう、女帝陛下。ここは、帝国切っての武人の意見を聞かれては?」
「爺がそのように申すのであれば、予もそれでよい。火種は見過ごせぬというだけで、予はその道化に興味はないのだ。処遇は、爺に任せる」
 一礼するブノアへジョルジュは何が言いたげだったが、マリウスに視線を送り押し黙った。

 衛士二人に引き立てられ喚きながら退出するオクラヴィアンを見送ると、ヴァージニアはそれまでやや険しかった美貌を明るくする。
「さて。つまらぬ話はこれまでじゃ。今回の国境惑星ファル駐留軍のファラル城塞奪還と亜空間航路封鎖解除の論功行賞に移ろう。爺」
「惑星ファル駐留軍司令モリス・ド・ドュポン殿、女帝陛下の御前へ」

 ヴァージニアの言葉にブノアが幾分声を張り応じ、名を呼ばれたモリスはそのまま向かわず零とブレイズを見遣る。
「最大の功労者二人を残して行くのは、どうにも居心地が悪い。一緒に行こう。どうせ、すぐ呼ばれる」
「呼ばれてもいないのに、大丈夫なんですか?」
「司令がいいと言ってるんだ。それにその通りだし、行こう。女帝陛下やお歴々に顔を覚えてもらえる機会チヤンスだろう。帝国で出世したいなら、主君の前へ行くくらいでビクビクするな」
 不安がるブレイズを零はやや不穏な瞳で脅すように急かし、モリスの後へついて行った。居並ぶ臣下の列を通り過ぎる零たちを、左右に並ぶ武官や文官に参戦した貴族たちは、好意、好奇、不審、不満様々な視線で無遠慮に舐めた。

 刺さる視線に緊張気味なややぎこちなく歩くブレイズは、小声で溢す。
「着替えてくればよかった」
「いかにも戦塵覚めやらぬ奪還直後の城塞に、この格好は合ってるじゃないか。俺たちの、頑張りが伝わるってものだ」

 さすがにこの場にいる者で戦闘服姿の者は誰も居らず他のキャバリアーは優美な戦闘礼装姿で、零とブレイズの紺色を基調とした強化繊維の布鎧クロスアーマーにプロテクターといった戦闘服姿は、洗練されていても気品がなく浮いてもいたし目立ちもした。ややおどおどしたブレイズと違い普段と変わらぬ隙のない一片氷心の挙動で歩く零は、ふと向けられる視線に――ソルダとしての勘が告げるその細やかなくせに強いそれに――強者の気配を感じそちらへ顔を向けた。深みのある赤い瞳と零の夜空の瞳が、一瞬絡み合った。豪華な戦闘礼装や軍服や衣装を纏うお歴々の臣下の列には不釣り合いな、簡素な紺色を基調とした戦闘礼装の美女だった。邂逅は一瞬で、すぐさま零は通り過ぎた。
 壇上の豪華な椅子に腰掛けた女帝の少し前まで赤い絨毯の上を進むと、モリスは跪き零とブレイズもそれに倣った。

 艶のあるヴァージニアのやや低めの声が、零の頭上から降り注ぐ。。
「面を上げよ。この場は、予への直答を許す」
 その言葉に従い、モリス、零、ブレイズは顔を上げ、だが、視線はやや下げ気味にしてじっと女帝を見るような無作法は避けた。

 ヴァージニアは零とブレイズへは一瞥もくれず、三人の真ん中にいるモリスだけに視線を向ける。
「モリスよ。此度の働き誠に見事であった。ファラル城塞喪失時、トルキア帝国軍の兵力はボーア・エクエス三軍団四千弱と兵団群。駐留軍では勝ち目がない。奪われるは必定。その後、ボーア三軍団が去ったといっても連隊は残り残留した兵団群も数で駐留軍に勝った。にも関わらす、数の不利は攻め手の不利の城塞攻略戦で見事奪還してのけた。その手腕、誠に見事である。ファラル城塞奪還には、攻略軍を進発させ半年は要するかと覚悟しておった。その間、惑星ファル周辺域経由の亜空間航路はトルキアとその同盟国以外使用できず、国境惑星を奪われた上戦の不利を招くところであった。卿には昇進して貰う。増援群と入れ替わり、国境惑星ファル駐留軍司令から中央軍の中級兵団群長に。その優れた才幹を、女帝軍に加わり予のために発揮して貰いたい。現在卿の指揮下にある残存兵団群を中核に据えすぐさま編成を行うが、中級兵団群長は本来大小の兵団からなるキャバリアー十万を率いる。が、当初は五万ほどで、兵団が集まり次第増員してゆく」
「この非才の身に余る栄誉。国境惑星ファル駐留軍司令でもわたくしにとっては分不相応と感じておりましたが、まさか中央軍の兵団群長に任ぜられるとは、いかに陛下のご寛恕に感謝してもしたりませぬ」
「非才の者が、残存兵団群二万で三万が守る城塞を落とせるものか。心にもない謙遜はいい。武人たる者、己の成した成果は誇るもの。卿も、予の前であることを憚って無欲を装ってもその例外ではあるまい。信賞必罰は、強国のよって立つところ。この内乱で更に卿の力を示せ」
 胸に手を当て慇懃に謝意を示すモリスを、ヴァージニアは一蹴するように自軍の陣列に加えた。その様子に先ほど女帝を見て抱いた感想を、零は確信へと変えた。

 ――なるほど、覇者の質か。実力を見せた者は、その場で自軍に組み入れていく。

 何となく捉えどころがないモリスがこのときばかりは畏まるかと零が見ていると、慇懃な態度のまま話題を変える。
「それにつきまして、この両名をヴァージニア陛下に紹介したく存じます。ファラル城塞奪還の、真の立役者でございます」
「ほう?」
「女帝陛下、その者たちの報告は、増援群へと上がってございます。この論功行賞で、名の上がる者たちにございます」
 汎用コミュニケーター・オルタナのARデスクトップで確認しているらしく空中を操作しながらブノアは、零とブレイズに視線を走らせヴァージニアへ告げた。

 女帝ヴァージニアの煌めく赤い瞳が、このとき初めて零とブレイズを捉えた。一旦、零からブレイズへと走った視線が再び戻り、零に固定された。が、やや視線を下へと向けていたので零のそれと絡み合うことはなかった。

 やや、嘆息気味に零は内心ぼやいた。よくあることなのだ。
 ――見てくれがよすぎるってのも、考え物だな。だから、俺には女は避けて通る鬼門なわけだし。あのブレイズが雌虎と評する女帝の関心を惹いたりしたら、じゃれるに飽きたら嬲られる。そして、それ以上に面倒なことになるだろう。何しろ、あちらは大国の君主。一方、俺はその仮とはいえ臣下。この後巡礼の旅に戻るため、俺はボルニア帝国軍を円満に去らなくちゃならないんだから。

 零に留まっていたヴァージニアの視線が外れ、美貌に面白そうな表情が浮かぶ。
「して、この者たちの戦果は? 素性も知りたい」
「は。デュポン殿の左側に控えております者は、キャバリアー・ブレイズ・リュトヴィッツ。昨日、惑星ファル駐留軍にて行われていたキャバリアーの募兵に応じた、遍歴の戦士にございます」

 そこで一度ブノアが言葉を切ると、ヴァージニアがやや低めの声に興を滲ませる。
「ふむ。元から、ボルニアの臣ではなかったか。募兵に応じ次の日に活躍とは、なかなか精力的なことよな」
「これもひとえに、女帝陛下が広く人材をお求めになった結果にございます。なればこそ、デュポン殿の元に今回のファラル城塞奪還に功を立てる者が現れた」
「その通りよ。内乱でボルニアの戦力は低下する。が、すぐさまキャバリアーは増やせん。ならば、即戦力となりそうな者を外から集めねばならぬ。ブレイズとやら、どうしてボルニアに仕えるつもりになった?」
「先ほど、女帝陛下のお許しは出ている。リュトヴィッツ殿、お答えせよ」

 ヴァージニアの言葉に躊躇いを装うブレイズをブノアが促し、全身がしゃちほこばるほどに力を込め低めだがよく通る声にブレイズは気合いを乗せる。
「理想の仕官先を探し、銀河各地を放浪しておりました。なかなか意に沿う仕官先がなく傭兵や用心棒などで糊口を凌ぎ武者修行に明け暮れ身をやつしていた折り、ボルニア帝国のキャバリアー募兵を知りこれは我が意を得たり、時機が到来したと馳せ参じた次第。精一杯、励ませていただく所存でございます」
「うむ。いい心がけだ。譜代外様関係なく予の統治のボルニアではのし上がることが出来る。して、ブレイズの戦功は?」
「深遠なるデュポン殿の策の一端を担いました。当初、リュトヴィッツ殿と次に論功行賞に名の上がる者の二人で、ファラル城塞からトルキア帝国兵団群三万とボーア・エクエス連隊を誘い出し引きつける囮のように動き次には意表を突きこれを突破し、追い縋る兵団群を別ルートから進軍していたデュポン殿率いる兵団群二万の侵攻ルートと重ね敵軍を味方兵団群に任せると、空になったファラル城塞へ潜入。城塞に残っていたボーア・エクエス連隊副官を討ち取りました。そして、ファラル城塞管制用汎用人工知能AGIの優先権コードを書き換え、亜空間航路封鎖を解きましてございます。他にも、持参したグラディアートとファントムでトルキア帝国兵団群突破時、ボーアのフォルネル三体と兵団群のセルビン十四体を撃破いたしましてございます」
 ブノアの戦功報告に、零は視線だけをモリスへと送った。

 ――なるほど、そうモリスは報告していたのか。深遠なる策、ね。ま、奴を騙してまんまとファラル城塞を奪還したんだ。構わないけど。元々、戦功が欲しいわけじゃないし。
 零の視線に気付いたモリスは、悪びれもせず片目を瞑って見せた。

 報告を聞いたヴァージニアは、声に帯びた興と共に面白そうにしていた美貌を俄に刮目するものへと変じさせる。
「ほう。まさしく、瓢箪に駒だな。ボーアのキャバリアーを倒すとは。人材を求めても、第一エクエス・クラスともなるとそこら辺を彷徨いている筈もなく、いずこかの国に仕えておる。それが、こうしてやって来てくれたのだからな。更なる功を上げれば、第一エクエス・オルデンへの叙任も十分にあり得ると思っておれ。既に、ボーアを倒しその実力は示しておるのだからな。此度の内乱で刃向かった貴族共の空いた所領も大分出たことだし、戦功次第で報償は様々、一つとは限らん」
「はっ、ありがたきお言葉! 過分なるご配慮、励みになりますっ!」

 感に堪えないといった様子でブレイズは深々と頭を下げ、満足そうにヴァージニアは頷き声を凜と鳴らす。
「キャバリアー三百を与える。兵団長として、デュポン指揮下へ入れ」
「はっ!」

 ありありと声に感激を滲ませるブレイズに頷いた後、やや困った様子になったブノアが歯切れ悪く口を開く。
「次なるデュポン殿の右に控えております者は、ソルダ・零・六合。同じく昨日、惑星ファル駐留軍にて行われていた募兵に応じた、えー、旅の巡礼者にございます」

 一旦ブノアが言葉を切り零へと向ける青い瞳に非難するようなものを宿し、それまで椅子に身を任せていたヴァージニアが身を乗り出し煌めく赤い瞳をピタリと零へと向ける。
「巡礼者だと? 零とやら相違ないか?」
「はい。旅の巡礼の途中、国境惑星ファルで足止めを食らい難儀しておりましたところ、募兵を知り道を切り開かんと馳せ参じました」

 答える零を観察するヴァージニアの紅の瞳は怪しさを帯び、それを見遣るブノアの口調は白々しい。
「まことよき見目の青年でございますな、陛下。かのリオン聖王国の貴公子、セントルマ一の色男エクス=バスティア・ド・リヨン殿とよき勝負かと」
「宮廷に出入り出来ればちやほやされたのだろうが、身分が低すぎだな。見た目で敵は勝たせてはくれんぞ。この世を儚む旅の巡礼者なぞ、戦士が集う戦場いくさばで役に立つものか」

 錆色の瞳で零を見下ろし暴力的な雰囲気を醸し出すジョルジュは軽蔑するように吐き捨て、ブノアはやや不機嫌に応じる。
「確かに、ベルジュラック大公の仰るとおり。男の見た目なぞ、戦場いくさばには関係なきもの。そのような者に目を奪われるは、世間を知らぬ女子供くらいかと」
「爺、この場は論功行賞。讃えられるべき者を、貶す場ではないぞ。爺らしくないな。零は、報償を受けるべきだからこそこの場にいるのであろう?」

 じろりとした目をヴァージニアに向けられ、ブノアは「さようでございますな」と惚け、零の戦功を述べ始める。
「リュトヴィッツ殿同様に六合殿はドュポン殿の策遂行の一端を担いました。ファラル城塞から敵をおびき寄せる役を追いそれを突破し、追撃するトルキア兵団群をデュポン殿率いる兵団群が引き受けている間に、リュトヴィッツ殿共々ファラル城塞へ潜入。城塞に残っていた部将を討ち取りました。そして、ファラル城塞を統括する汎用人工知能AGIの優先権コードをボルニア帝国惑星ファル駐留軍を最上位に変更し、亜空間航路封鎖を解きましてございます。他にも、トルキア帝国兵団群突破時、乗機として与えられたグラーブでボーアのフォルネル一機とセルビン七機を撃破してございます」
「信じられんな。グラーブだ? 二世代前の主力機ではないか。未だ動いている機体があるなど驚きだ。そんな廃棄寸前の骨董品で、フォルネルを撃破しただと。我がボルニア帝国の象徴たるインプリスやケルビムに遠く及ばぬとは言え、フォルネルはトルキア帝国が国力を傾け開発した一国の浮沈をかけたグラディアートだぞ」
 ヴァージニアが言葉を挟む前に荒々しい声で割って入りながら歩み寄るジョルジュに、零は麗貌を微動だにさせず何食わぬ顔を向けた。

 ――こいつ、さっきから何だ? やけに突っかかるじゃないか。

 その脅すような態度は零の中のソルダとして根本的な部分を刺激し、それは言葉となって現れてししまう。
「グラディアートやファントムの性能が、戦いの全てではないかと。ああ、公はわたくしめなどと違い、恵まれたお方。戦場での苦労をお知りにならぬ、と」
「俺は、争いの絶えぬ西方諸国との戦を一手に預かる西方鎮守府将軍だぞっ! その俺を戦を知らぬなまくら武将と申し、愚弄するかっ!」

 怒髪天を衝く様のジョルジュに、零はしまったと恐縮した振りをしへりくだる。
「とんでもございません。わたくしめは、ただ己の身の卑しさを申し上げたまで。どうして、尊き血筋と身分だけでなく武勇を鳴り響かせる公を、怒らせねばならぬのでしょう?」
「減らぬ口よな。粧屋めかしやごときに、下位とはいえ部将が務まるのか?」

 侮蔑を滲ませ零を睨めつけるジョルジュを、ヴァージニアがこれまで彼女が見せた態度には珍しくやや遠慮気味にそれでも女帝として窘める。
「そう言ってやるな、ベルジュラック大公。ファラル城塞攻略では、ファルに残ったボーア連隊百三十五名を束ねる部将を倒したのだ。その他にも、卿が言ったようにグラーブでボーアが駆るフォルネルを撃破している。ブレイズ同様キャバリアー三百を与える。兵団長として、デュポン指揮下へ入れ」
「恐れながら、聡明なるヴァージニア女帝陛下。わたくしは、巡礼の旅の途中。募兵に応じましたのは、亜空間航路封鎖を解くため。それが叶いましたので、このまま旅に戻らせていただきたく存じます」
 礼儀に適う丁寧な態度で、それでも報償としてだけでなく軍令として出された、皇帝であると同時に軍の頂点たる大元帥からの辞令を、零はきっぱり断り拒否した。

 目をすっと細めるヴァージニアの声には、剣呑な響きが混じる。
「ほう? 妾に仕えるのが嫌と申すか? ドュポンの出した募兵は妾が出したものと同義だ。帝国に仕える意思のある者が応じている筈だが。貴様、傭兵でも募ったと勘違いしておったのだな?」

 問うているのではない、従えと言っているのだ。急速にヴァージニアから膨れ上がる威圧めいた気配に、ソルダとしての零の勘は危険信号を発している。帝位を簒奪した英傑であるだけでなくあの女は戦士として危険だ、と。

 それでも零とてかつては数々の強敵と渡り合い培われた戦士としての胆力が、決して女帝と周囲の気に飲み込まれたりはさせない。
「女帝陛下のお心を煩わせたこと、お詫び申し上げます。そのような勘違いをしてはおりません。巡礼の旅のため、募兵に応じたのでございます。どうか報償は、金銭で頂きたく。路銀の足しにしとうございます」
「戯れ言はいい。神との戯れなどに耽る者が、ボーアの部将を倒せる筈があるまい? 予が気に入らなかったか? 有り体に申せ」
「零君、ここは常識的な対応を頼むよ」
「馬鹿正直に答えるんじゃねーぞ」

 熱を帯び鞭のように鳴るヴァージニアの不穏な声に、モリスとブレイズは零へ小声で忠告した。が、零は気にもとめもしなかった。女帝の不興以上に、ソルダとしての道は今の零にとって避けるべきものであったから。
「わたくしは、ソルダとしての生き方を既に捨てているのです。戦場の激しい感情は、わたくしの心を乱します」
「腐れ者の類いの青葉者か! 女帝陛下のお心遣いを無下にしおって! 無礼にもほどがろうに! 痴れ者が、帝国をおちょくっておるのか!」

 大喝するジョルジュは、腰に帯びた大剣の柄に手をかける。
「仕官を求め帝国軍に属しておきながら、小遣い稼ぎをして好きに出て行こうとは。帝国の誇りに泥を塗られたも同然。内乱中の帝国軍にあっては敵前逃亡ではないか! 今ここで、相応しい刑を執行してやろう」
 びりびりと全身を打ち付ける獰猛な殺気は、ジョルジュがモリスの言うとおりソルダ位階第一位神話級にあることを嫌というほど零に伝えた。第二位伝説級と並び、その強さは人の範疇を超えた人外。

 左手に握るボーアの部将から奪った太刀に意識が行きかけたが、零はどうにか堪える。
「幸い、今この瞬間は仮採用です。正式に属しているわけではありません」
「男娼の如き不抜けた物言い。戦士の栄誉に足を踏み入れておきながら怯懦なことだな」

 間合いを詰めてくるジョルジュに、答えつつ知らず零の双眸がすっと細まり声は剣呑なものとなる。
「何とも勇ましい物言い。力任せに敵を屠る猪武者の様が目に浮かぶようです」
「貴様!」
 怒号を響かせると同時、ジョルジュは手をかけた大剣の柄を捻り二つに分かれた鞘から抜き放つと零へと切っ先を向けた。

 夜空を映し出したような零の瞳が見開かれ、微かな驚きが口を衝いて漏れ出る。
「魔剣……」
 黒々とした血管のような赤い筋が細かく走る刀身を、零は子細に観察した。

 ――魔剣……アーバン・ブラストクラスか? 嫌な気配はあれか……。

 一言で魔剣と言ってもそれは大まかなカテゴリーであり、魔力等を発生させたり霊的存在と契約していたり、科学的に制御されているものまで多種多様だ。ジョルジュが持つそれに零の秘超理力スーパーフォースは強い魔力を感じており、ダマスカス鋼製の刀身に走った血管のような筋は幽子デヴァイス、科学的制御をするタイプだ。マジック・キャバリアーでなくとも扱うことが可能な、尤も多く見られる魔剣。零はそれを、都市破壊クラス――アーバン・ブラストと見積もった。一振りで軍勢をも薙ぎ払う、強力無比な武器。

 大剣がゆっくりと持ち上げられ、ジョルジュの口元が歪んだ。
「口の利き方を知らぬようだな、下郎。無礼は捨ておけぬぞ」
「おい、不味いぞ零。あれは、ヤバイ」
「公、お気をお鎮めください」

 ジョルジュが握る大剣に走る赤い筋が輝きを放ち駆動を始め振り上げられ、決死の形相をブレイズが零へと向け、顔を青ざめさせたモリスが取りなそうとしたそのとき、艶がありながら勇ましいメゾソプラノが響き渡る。
「誰も彼もが、公のような武人の心根を持っているわけではない。己の有り様と違うからと言って、許容できぬとは狭量でしょう」

 臣下の列から簡素な紺色をした戦闘礼装姿の女性が背後に秘超理力スーパーフォースの波紋を残し消えたかと思うと、零とジョルジュの間に立っていた。先ほど、ヴァージニアの元へ向かう途中零と目が合った美女だ。ショートヘアにした艶やかな髪に縁取られた美貌は、気が強そうで艶美だった。前髪の筋が幾分かかった瞳は、女帝同様ガーリアの血筋を示す深みのある赤。十分な女性的起伏を有する洗練された野性味がある全身が作り出す挙動は、雅やかさの中にそっと匂い立つ色香を感じさせた。

 頭一つ分低い位置にあるその女性を見下ろしながら、ジョルジュは一喝する。
「罪人の分際でしゃしゃり出るか、エレノア!」

 それでも振り上げた大剣をジョルジュが止めたままなのを見るや、素早くブレイズが零に這い寄り頭を押さえ強引に床に押しつける。
「すんません。こいつ馬鹿で、その上田舎育ちで口の利き方を知らなくて。どうか、ここは俺に免じてこの場を納めてはいただけませんか」

 そして床に押しつけた零の頭に自分の頭を近づけ、小声に怒気を含める。
「おい、おまえ何やってんだよ。俺は、おまえの連帯保証人だぞ。おまえがボルニアに雇われるため、俺が買って出てやったんだ。おまえが何かしでかせば、俺にまで累が及ぶ。テメー一人で馬鹿やって自滅すんのは、勝手だ。だが、俺に迷惑はかけんな」

 自分以上の力で押さえつけられ頭を上げられない零は横目でブレイズを睨み、苛立たしげなジョルジュの砲声が頭上から轟く。
「どうして、貴様になど免じなければならん! 引っ込んでおれ、道化っ!」
 どうにか上を覗き込んだ零の目に、虫けらを見るような視線でブレイズを睨み付けるジョルジュの傲然とした強面が飛び込んだ。

 ――このままでは、済まないか……けど、俺は巡礼の旅に戻らなければ。

 後悔にも似た思いが零に湧くが、このままボルニアに仕えてしまうわけにはいかないのだ。だから、己の立場を主張したのは間違いではない。ただ、今は戦時で、そういうときそういう場所は非日常のルールが支配し、その場に相応しい者の意見は肯定される。ジョルジュにしてみれば零の主張を通せば、今あるべき秩序が保てない。分かるが、褒賞を与えられる立場にあり、仮採用。多少のグレーさのある我が儘は、通ってもおかしくはなかった。

 この場をどう切り抜けるか目まぐるしく零は思考を巡らせていると、高い足音が響きそちらを振り向いたジョルジュが振り上げた大剣を下ろした。このままでは済まないと思われたが、全員が居住まいを正す。

 零が上体を起こしかけたとき、高圧さのあるやや低めの声が鳴り響く。
「世捨てた巡礼の旅など何が愉しい?」
 一際音高く靴音が響きブレイズに押さえつけられたままの零の視線の先に、黒色のブーツが映った。と、ふいにブレイズの拘束が解かれたかと思うと、零は顎を乱暴に掴まれ強引に顔を上げさせられた。

 反射的に鋭くなった零の夜空の双眸と、煌めく赤い双眸とがぶつかる。
「口の減らぬ奴よの。それに、何じゃその目は? 不遜なるぞ」
 零の眼前に、女帝ヴァージニアの艶麗な美貌があった。ヴァージニアは零の顎を掴む手にさらに力を込め己の顔を近づけ、品定めするかのように眺めた。咄嗟に零のソルダとしての矜持が自然に反応し屈辱的な感情を剥き出しにし、自ずと双眸が鋭さを通り越し反抗的なものとなった。

  それを見て、ヴァージニアは満足そうに言葉を継ぐ。
「予は、帝国軍の陣列に加われと言っておる。貴様の希望など聞いてはおらぬ。口答えは許さぬ。生きていたかろう、巡礼者。貴様は予の命に従うしかないのだ」

 一方的にそう言い放つとヴァージニアは乱暴に零から手を放し、ジョルジュがエレノアと呼んだ女キャヴァリアーへと向き直る。
「前皇帝と共に死んだおまえの父リザーランド伯の罪をこの戦で購い予に対する忠誠を証明するのだ、エレノア。そうすれば、近衛軍に戻ることができる。予と同様伝説及位階にある実力者を、失いたくはない。近衛軍司令も副司令のおまえが戻れば喜ぶ」
「は、ご配慮痛み入ります」

 直立した姿勢のエレノアはメゾソプラノを重く響かせ、ヴァージニアは一つ頷く。
「うむ。そちにもキャバリアー三百を与える。ブレイズ、零と共に兵団長として、デュポン指揮下へ入れ」
「勝手な! わたしは巡礼の旅の途中なのです」
 背を向け立ち去ろうとしたヴァージニアへ答えたのは、エレノアではなく零だった。

 振り向きヴァージニアは、冷たい視線と同様冷たい声を響かせる。
「弁えろ、巡礼者。予は命じたのだぞ」
「ですが――何するっ!」

 抗弁しようとする零の胸ぐらをブレイズは掴み、モリスは懇願するように、エレノアは威圧するように取り囲む。
「おい、黙れよ」
「頼むよ、零君」
「従え。これ以上は、わたしも庇い切れん」
 その様子を無感情な瞳で眺めたヴァージニアは、今度こそ立ち去った。
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