並列世界大戦――陽炎記――

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並列世界大戦――陽炎記――

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 降り注ぐ陽光に煌めく街並み。永く忘れていた、豊富な情報量に満ちた世界。 


――アデライト・ラーゲルクヴィスト著・並列世界大戦回顧録「陽炎記」より抜粋――




 コケティッシュなロリータメイドが、一人夕刻の南方軍基地内の廊下を歩いていた。普段このボディを置いてあるブリーフィングルームで接続したアデライトは、室内に誰もおらず一人ぽつねんとし、帰還を果たした喜びを仲間と分かち合う期待を裏切られたようで淋しかった。小隊員の姿を探し、一人こうして基地内を彷徨っているのだが、はかばかしい成果は得られない。寧々の姿を見かけ話しかければ、このような返事が返ってくる。

「寧々、救援に来てくれてありがとう。小隊のみんなが部屋にいなかったから、探してたの。ちゃんとお礼を言いたいと思って」
「やあ、アデライト。無事で何よりだ。済まないが、今はちょっと忙しいんだ」

 やや素っ気ない態度で答えると寧々は手をひらひらと振り、呼び止める間もなく去って行った。大抵寧々は自分に好意的であるので、アデライトとしては肩すかしを食らったような気分だ。淋しかった。次の錦はと言えば。

「錦、今日はありがとう。救難信号を拾ってくれて。じゃなきゃ、こうしてここに戻ってくることはできなかった。少しの間しかまだここにはいないけど、愛着が湧き始めていたから。自分の居場所に戻ってこれたって思えて、ホッとするわ」
「アデライトちゃんから、声をかけてくれるなんて嬉しいな。うーん、もっとお話したいんだけど、残念。今ちょっと、立て込んでてさ」

 と、この通り。思念体でありコミュニケーションに使用するボディはいくら魅力的でも、生命体ではない自分にやたら下心に満ちた態度で接してくる常日頃胡散臭く感じている錦とはいえ、素気なくされればそれなりに傷つく。次に声をかけた玲一はと言えば、出くわしたときまずそうな表情を鋭さのある面に浮かべ、引き返そうとしたくらいだった。それを小走りして捕まえて、強引にアデライトは声をかける。

「どうして、逃げるの? わたしは、玲一にお礼を言いたいだけなのに」
「い、いや。用事を思い出してさ」
「玲一も? 寧々や錦も忙しいって、ちゃんと話をできないんだもの」

 腕を年少の少女と思えぬ力で掴み不満をぶつけるアデライトに、玲一は顔を引き攣らせる。

「嘘じゃない。ちょうど、引き返すところだったんだ」
「わたしの顔を見て、思い出したの?」
「タイミングが悪かったんだ。アデライトの顔を見た途端、思い出したんだ」

 誤魔化しているように見える玲一を解放すると、アデライトの心は沈んでいった。次に捕まえたのは、廊下でぶつかった秘書ふうのヒューマノイドに謝っている芽生。

「ちょっと、どうしてレガトゥスからすぐ離れて行ってしまったの? 破損してるし一晩基地に戻らなかったのにすぐチェックを始めないなんて、おかしいじゃない? 修理ロボに任せきり。お礼を言う暇もなかったわ」
「ア、アデライトさん。そ、その、ご、ごめんなさい。その通りなんですけど、えと、その、あはは。仕事が山積みになっちゃってまして」

 怖い剣幕で迫るアデライトに、芽生は笑って誤魔化し逃げた。アデライトに、孤独感が生まれた。残る第三小隊員は悠希だが、なかなか出くわせず現在に至り基地内を探し回っているのだ。孤独を忘れようとするように、アデライトの中で不満が募っていく。

 ――わたしは、寧々の命を昨日救ったのよ。少しくらい、みんなわたしに親しみを見せてくれたっていいんじゃない? ――

 次第に募るアデライトの不満は、自身の制御を離れ増していく。

 ――なんて希薄な人間関係なのかしら。わたしだけじゃない。悠希にしたって遭難して、生還を果たしたっていうのに、小隊のみんなはバラバラ――

 どちらかと言えば理想主義者であるアデライトは、皆の薄情さを看過できない。

 ――あ、そうだ。寧々には、まだ昨日のお礼言ってもらえてない――

 そう考えたとき、自分は一体何ものなのだろうとアデライトは心が荒涼とした。ヒューマノイドボディで接しても、その感覚はセンサを通したもので、例え抱き合ったとしても数値ではない暖かさを感じ取ることが、電脳空間サイバースペースにいない自分にはできない。己が生命体でないのだということを、まざまざとアデライトは思い知らされる。

 ヒューマノイドボディをブリーフィングルームに帰らせたアデライトは、接続を切りレガトゥスの中で思考の海に沈んだ。と、そのとき。下に人がやって来たことを、センサが捉えた。それは、悠希たちだった。折りたたみ式のテーブルやら、何やら荷物を一杯抱えて。





 テーブルの上に、サンドウィッチ、ブルスケッタ、ガーリックトースト、テリーヌ、ダンドリーキチンなどずらりと料理が並ぶ。レガトゥスの下には、コケティッシュなロリータメイドボディに接続したアデライト、悠希、寧々、錦、玲一、芽生がそのテーブルを囲んでいた。無機質な機械兵マキナミレス格納庫内の奥にある、より生命的感覚が希薄する研究室におよそ似つかわしくない人間的な場がそこにだけ出現し、整然さをアンバランスに壊していた。
 この場において奇異な一角はわいわい和やかで、先程まで孤独だったアデライトの心を溶かしていく。人の温もりを、センサの数値でしか感じることができぬアデライトだが――超伝導量子回路が作り出す演算、或いは錯覚だったとしても――心は確かに感じている。用意が整ったことを確認すると、小隊のムードメーカーたる錦がパーティーの開始を宣言する。

「うんじゃ、入埜第三小隊員が全員無事でよかったね、を始めるからな。企画立案は、第三小隊宴会部長の俺、五寧錦でーす。アデライトちゃんと寧々ちゃんの無事を祝って。あ、ついでに入埜も。企画立案させていただき――」

 おちゃらけた挨拶の途中で悠希に頭の後ろを小突かれ、言葉を錦は途切れさせた。勢いよく振り向き、悠希に錦が抗議の眼差しを向ける。

「何すんだ、入埜! 話の途中で」
「ついでにって、何さ。僕だって昨日から遭難して、さっきやっと戻ってきたんだ。どうでも良さそうに言われれば、傷つく」
「ヤローが、何女々しいこと言ってやがんだ。ついでだろうと何だろうと、一応主賓に加えてやってるだろうが」
「ふふ。こんなの、何年ぶりかしら。学生だったわたしは、電脳世界サイバーワールドへアップロードされてすぐに適性選別で軍からスカウトされて、年相応の人間関係とは無縁だった。現実世界リアルワールドのわたしの故郷、要塞都市ストックホルムで親しい友人や家族で集まって、こんなふうにバーベキューとかしたことが、とても懐かしいわ」

 くすくす笑いながらアデライトは、ノスタルジーを感じつつ視線を第三小隊の皆やテーブルの上を走らせた。苦笑をやや中性的で端正な面に浮かべ、悠希が肩を竦める。

「ごめん、アデライト。みんなを捜し回ってたみたいで。直前まで、このパーティーのことは内緒にしておきたかったんだ。昨日のことは、小隊のみんなアデライトに感謝してる。その気持ちを伝えたくてさ。って、僕はアデライトと一緒に基地に帰還したから、このことは聞かされて知ったんだけどさ」

 ぽりぽりと鼻の頭を掻くと、悠希は続ける。

「ま、今は戦時中。それに、緑も少ない日本エリアの中心都市、要塞都市東京でアデライトが思い描くようなパーティーは無理だと思うけど。でも、今日は、今日だけは、せめてもの僕たちへのご褒美。戦いの中に身を置くって特殊なことなのに、僕はそれを当然のように受け入れすぎてしまったって、今だけは思える許しが欲しい。小隊長、失格だけど」
「……悠希……悠希は、必死に戦ってきたのよね。自分から全てを奪い去った敵を、許すことができなくて。でも、それは悠希にとって必要なことでもあるわ。戦争は、互いを飲み込もうとする。抵抗しなければ、自分を失うわ」
「ありがとう、アデライト。そう言ってもらえるだけで、助かるよ」

 言葉を選ぶアデライトに、穏やかに悠希が応じた。こんないっときを得られたことが、アデライトは俄に信じられなかった。昨夜、悠希はアデライトを認めた。全てを許したわけではないけれど、確かにアデライトといった存在を。今は、それだけでいいとアデライトは、この場に身を委ねた。いつか、自分の想いを、十字架を負った自分には決して叶えることが許されない夢を、悠希に託したいと思いながら。柄にもなく、錦がはにかむように口を開く。

「入埜から、そんな言葉を聞く日が来るとはな。俺は戦いの中に身を置くとことを、それほど深刻に考えたことはなかったな。学生時代からバンドをやってて、都市からの支給金だけじゃ資金繰りが苦しくなって、借金して。軍人になれば、支給金の他に給料がもらえる。今後とも夢を追ってくための、手段って考えてただけだった。何つーか、入埜もアデライトちゃんも真面目だよな。なんか、申し訳なく思えてくるぜ。この前は悪かったな。二人に突っかかって」
「五寧が不真面目すぎるだけだ。ま、この前のあれは五寧ばかりが悪いわけじゃないからな」

 艶っぽいメゾソプラノをしかつめらしくする寧々に、目が合った悠希は肩を竦めた。錦が謝ってくれたことで、アデライトは寧々の言うとおり自分も悪いと思いながらも、それを都合よく棚に上げ許すことができた。寧々は向き直ると、アデライトに真摯な眼差しを向けてくる。

「ありがとう、アデライト。あたしの命を救ってくれて」

 染みてくるような感謝の言葉に、超伝導量子回の演算がじんわりとし、それが心であるようにアデライトに滲んだ。温かい、と。頷くと寧々は、眉目に哲学的な雰囲気を宿す。

「とはえい、あたしだって悠希やアデライトほど深刻だったわけじゃないかな。あたしは、利己的な理由でこの戦いに参加した。進歩した世界っていうのが、息苦しくってさ。あたしって存在が、無意味になるみたいで。だから、自分の存在価値を証明したくて今ここにいる」

 切なげな笑みを浮かべる寧々は、どこか達観しているようにアデライトは感じた。どうして一五歳の少女が抱き得るものなのか分からないアデライトは、一体それがどこから来たものなのか疑問だった。小鳥のさえずりのようなソプラノが、インプラント量子通信で響く。

〈全く、寧々はいつもそう。難しく考えすぎなんだって。もっと単純に考えた方がいいよ〉
〈ミオは、もう少し物事を難しく考えた方が、良さそうですね〉
 お気軽なミオを、コノカが窘めた。鼻を鳴らし玲一が、皆を小馬鹿にしたように見渡す。
「何だ。アデライト以外、人類の未来なんて考えてもいないんだな。俺は、起きている危機が見過ごせなくて、軍人になった」
「上等な動機をお持ちなことで」
「別に、上等ってわけじゃない。世界が危機だ。幸い俺は、馬鹿でものろまでもなかった。そんな俺自身を、役立てたいって思っただけだ。現実世界リアルワールド電脳世界サイバーワールド。二つの世界の争いは、人類の未来を確実に左右するものだからな」

 ぼそりと嫌みを口にする錦を軽く流し己の持論を展開する玲一を、アデライトはいかにも野心的な彼らしいとくすりと笑った。それぞれの思いを聞けて、愉しいと。「あのー」と前置きし芽生が、おずおずと話し出す。
「申し訳ないです、皆さん。わたしは、戦争に参加してる自覚ないんです。それは、実際に戦っていないからかも知れませんが。わたしは、自分の研究の延長線として、サカキロボティクスに雇われここにいます。研究にしか興味ないんです」

 一旦言葉を切ると、地味だが整った面に幾分熱を帯びさせ芽生は口調を改める。

「でも、それって間違いなのかも知れないって、少しだけ思いました。アデライトさんは凄い覚悟で現実世界リアルワールドに亡命してきて、隊長さんも残酷な過去を持ちながら有り様を模索し始めたように見えます。無事帰還してくれてありがとう、アデライトさん。隊長さんも。実戦指揮をアデライトさんが執ることになって、ホッとしてます。隊長さんには、このまえキツい言い方をしてしまったって、反省してます。あのときは、感情的になってしまって」
「いえ。僕の方こそ、隊長として無責任だったって思ってます。実戦指揮はアデライトが執るのが一番だって、昨日で実感しました。僕は、学ばせてもらうことにします」

 悠希と芽生の間に何かあったのだろうかとアデライトが首を傾げていると、どこかしら誇らしげに芽生が皆を見回す。

「新型機アイギスの戦闘データを元に、パルスキャノンが有効と判断しました。ハンドガンタイプの物を、至急用意しています。それで、少しでも有利に戦いを運んでもらいたいのです」
「ハンドガンタイプのパルスキャノン?」

 新兵装に興味を抱き問い直すアデライトに、芽生は自信ありげに頷く。

「ええ。今、サカキロボティクスで制作中です。助け合う皆さんを見ていて、わたしも力になりたいって思ったんです。本社で強硬にごり押ししてしまいました」

 銀のフレームの眼鏡越しの色彩が薄い瞳を柔らかくし、芽生は悠希を見遣る。

「隊長さん、これがわたしなりの歩み寄りです。自分の研究が一番大事ですけど」
「……久留美川博士……確かに新型とやりあったとき、パルスキャノンは効果的でした。支援型以外の機械兵マキナミレスも使用できれば、戦術の幅も広がります」

 心を衝かれたように目を見開くと悠希は、一旦瞑目し再び開くと新兵装を検討しだした。綺麗なおとがいに人差し指の甲を宛がい、寧々が思案顔をする。

「確かに。使えるのは確かだから、数があればそれなりに使えるだろうな」
「面白いことを考えましたね。しかもすぐに用意してもらえるとは。さすが、久留美川特別技術顧問と言ったところですか」
「寧々ちゃん、さ・す・が・才色兼備のできる女!」

 玲一、錦も賛同の声を上げた。アデライトも、芽生の提案からいくつかの戦術パターンを組み立ててみて、役立つものと判断できた。思い出したように、錦が朗らかに音頭を取る。

「さ、堅苦しい話はここまで。愉しくパーティーしようぜ」

 その一言で皆はテーブルの上の料理に手を伸ばし、歓談を始めた。食べることができないアデライトも、その雰囲気を十分に愉しんだ。

 ――昔に戻ったみたい。肉体を持っていたときの、わたしに――

 会話に参加しながら、アデライトは懐かしい感覚を味わった。パーティーは優に三時間は続き、そろそろ場の雰囲気が落ち着き始めた頃、アデライトは前からの願いを口にする。

「悠希、お願いがあるんだけど。いいかしら」
「何? 僕にお願いって?」

 突然の言葉にきょとんとした様子の悠希は、首を傾げアデライトを見詰めた。意を決してアデライトは、心の内を口にした。叶えてもらうのは、この人物以外に存在しない。

「悠希、要塞都市東京の街を案内して欲しいの。わたしは、この目で戻ってきたこの世界を見てみたい」


----------------------------------------------


 窓の外を闇が覆うどこか凜と空気が澄んだ室内は、この部屋の主に似つかわしく心地よい静けさに満ちていた。奥にある重厚なマホガニーの机に連隊長の園香が端座し入室した悠希の姿を認めると、絹のように滑らかで涼やかな声が音楽的に響く。

「どうした? 入埜小隊長。帰還したとき話はしたと思ったが、またこうしてその日の内に来るだなんて。わたしと話をしたくて、悠希は堪らないらしい」
「茶化さないでください。お願いがあって来たんです」

 愉しげにからかってくる園香に、悠希はじとっとした視線を注いだ。肩を竦めつつ園香は、ちょっと意地悪くしていた精緻な美貌を改める。

「何だ、残念だ。歓迎するんだがな。この前は、休日に付き合ってもらったし。悠希と話すのは、不快じゃない。暇なとき遊びに来てくれても、構わない」
「ありがとうございます。正直、恐れ多いですけど。実は、守啓連隊長に許可していただきたいことがありまして。それで、伺ったんです」
「ほう? わたしの元へわざわざ頼みに来る要件とは何かな、入埜小隊長」

 幾分身を乗り出す園香は、彼女特有の好奇心を隠すことがない。淑やかそうな外見に似ず園香は、己の関心に至って正直だ。その様子に若干警戒しつつ、悠希は告げる。

「アデライトに要塞都市東京を案内したいので、許可を願います。現在使用しているヒューマノイドボディを利用して、連れ出そうと考えています」
「……驚いたな。何があった、入埜小隊長?」

 目を見開きつつ園香はほっそりしたおとがいをつんと上げ、少しの間どう反応していいか困るとでもいうように言葉を探し、再び珊瑚色の唇に音を乗せる。

「仇敵といっていいアデライトのことを、あれだけ憎んでいたというのに。彼女のために、骨を折る許可をもらいに来るとはな」
「昨日の戦いで、綾咲寧々の危機に僕はまるきり無力でした。けど、アデライトは違った。僕にできないやり方で救ってみせました。そんな相手には、敬意を払うべきでは? 過去は確かに忘れられません。でも、そのままじゃもう駄目なんです」

 心の内を述べる悠希に、園香は探るような目を向ける。

「ふーん。入埜小隊長は、変わったな」
「そんなつもりはありませんが。ただ、見方が変わっただけです」
「それが、変わったというんだ。いいだろう。許可する。今の入埜小隊長とアデライトには、きっといい刺激になると思える」

 あっさり許可され悠希が拍子抜けしている隙に、園香は言葉を継ぐ。

「二人でデートを愉しんで来るといい。アデライトの外見は、ちょうどいいことに悠希よりも年下に見えるロリータメイド。嬉しいだろう?」

「デートじゃありません、守啓連隊長。あ・ん・な・い・です」

 人の悪い笑みを浮かべる園香に、悠希は一音一音区切ってきっちり訂正した。
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