●鬼巌島●

喧騒の花婿

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最終噺『鬼狩り』

三【対価と代償】

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「その仕事はやめておけ」


 興味のある張り紙を見つめていると、後ろから重厚感のある声がかけられ、スクナは振り返った。


 こちらを睨み付けながら、焔夜叉が鮮やかな赤い髪の毛を靡かせて立っていた。


 最近良くここで会うな、とスクナは思った。先日もこの場所で彼と挨拶をしたのだ。


「どうして?」


「……お前には不相応だ」


 言いづらそうに視線を反らした焔夜叉は、スクナに並んで張り紙を覗き込んだ。彼は背が高いので、張り紙すら見下ろす形となる。


 張り紙には『宇治の橋を通る人間を脅かす仕事』と書かれてあった。宇治とは人界にある地名のことだ。


「あなたは人間を脅かす仕事を請け負うこともあるでしょ? どうして私は駄目なの?」


「……分不相応だからだ」


「ひどい。馬鹿にしているのね」


 不機嫌そうに呟いた焔夜叉を見上げ、自分は危険な仕事をしているくせに、とスクナは頬を膨らませた。


「馬鹿にしているわけではない」


 自分は危ない仕事をたくさん請け負っているくせに、スクナには仕事をさせないとは何と自分勝手な鬼だと思った。


「どういう仕事なら私に相応しいの?」


「……」


 相変わらず無愛想に沈黙してしまった焔夜叉を一瞥すると、スクナは諦めて近くにあった椅子に腰掛けた。


 やはり奉公先の仕事しかしたことのない箱入り娘のスクナは、神からの依頼をこなすのは勇気がいる。


 呉葉がいなくなってしまったことで、風鬼が落ち込んでいるのを知っている。


 だから、スクナなりに自立をして、神からの仕事が出来るというところを見せて元気を付けさせてあげたかったのだ。


「焔夜叉さん。うちの呉葉お姉ちゃん、人間だったのよ」


 掲示板を眺めていた焔夜叉の背中に向かって声を張り上げたスクナを、彼は一瞬驚いたように目を見張った。


「それで、人間がお姉ちゃんを迎えにきて、家を出て行っちゃった」


 見上げて笑うスクナの目に涙が溜まっているのに気付き、どういう対応をして良いのかわからず、焔夜叉はしばらくその場に立ち尽くしてスクナと向き合っていた。


「お兄ちゃんは、人間だとわかった途端、お姉ちゃんにひどいことを言って追い出したの。まるで鬼側にはお姉ちゃんの居場所がないかのように怒鳴りつけて」


 焔夜叉は眉を潜めた。春日童子を見ていてわかったことだが、彼は姉である呉葉に対して盲目的な信頼を置いていたように思える。


 その春日童子が果たして呉葉に対してひどい行為をするものなのだろうかと疑問を抱いた。


「お兄ちゃんなんか嫌い。ううん、でも、本当は、私のせいなの。私がお花見に行こうって言わなければ、あの人間と鉢合わせることもなかったはずなの」


 しばらく涙を流すのを堪えていたスクナだが、焔夜叉の自分を見る目が思いの外心配そうだったので、自分の感情とは裏腹に頬を涙が伝ってしまうのを感じた。


 スクナは自分の頬を伝う涙に驚き、その後咽び泣いた。


「……使え」


 周囲にいる鬼たちが不審そうな顔をしてスクナを見て行くのに気付き、焔夜叉はスクナに近付き手拭いを差し出した。


 スクナは綺麗な刺繍の入ったそれを受け取ると、涙を拭う。


 他の鬼からスクナの姿を見られないような位置に座り、焔夜叉は彼女が落ち着くまで黙って待っていた。


「呉葉は人間に連れ去られたのか?」


 落ち着いた頃を見計らって焔夜叉は聞いてみる。スクナは静かに首を振った。


「自分から行ったの。でもお姉ちゃんはその前に打ち出の小槌を振っていたのよ」


「打ち出の小槌とは、何だ」


 打ち出の小槌という名に聞き覚えがなかった焔夜叉は、スクナに尋ねてみる。


 スクナは一瞬首を傾げて不可解そうに考え込んだが、やがて一寸法師と呉葉の件を詳しく焔夜叉に話すことにした。


 呉葉が人間だったこと、一寸法師と共に旅をしていて天狗に攫われて鬼ヶ島にきたこと、鬼ヶ島で泣いていた呉葉を風鬼が拾いスクナたちの姉として一緒に育てられたこと、一寸法師が呉葉を救いにきたこと、その際にした会話、打ち出の小槌の効用……全て話し終わったときには、スクナは涙も止まり目を赤くしていた。


 焔夜叉は腕を組みながら黙って聞いていたが、やがて空を仰ぐと小さくため息をついた。


「悪かった。私が花見など薦めなければ、そんなこと起こり得なかったはずだ」


「それは違うよ。焔夜叉さんのせいではないの」


 二匹はしばらく同じように空を見上げていたが、やがて焔夜叉が口を開いた。


「ただ、兄妹でけんかなどするな」


「私だってしたくないよ。でも、これはお兄ちゃんに対する抗議行動なの。お姉ちゃんを引き留めていれば、お姉ちゃんだって考え直してくれたかもしれないのに。あの言い方だとお姉ちゃんが戻ってこようなんて気は起こらないよ」


 泣きはらして気分が落ち着いたのか、スクナはわりと冷静に呟いた。


 焔夜叉は今まで春日童子を疎ましく思っていた。


 その分、彼の行動や仕草を観察することは他の鬼より多かったように自覚している。


 鈴鹿御前の事件のときに確信したものがある。小屋で寝ているときに、兄妹がしていた会話は耳に入っていた。


 春日童子は自分の意志に反して、誰かのために動くことが出来る鬼だ。自分の意見を押し殺してまでも、世界が順調に回るように取り計らっている節がある。誰にも気付かれないように。


 鈴鹿御前の角は、春日童子が持ち帰ることによって、自分が鬼ヶ島で英雄となれたはずなのだ。


 それなのに世界が順調に回ることを第一に考え、敢えて角を焔夜叉の懐に忍び込ませた。


 そうすることによって焔夜叉は未だに鬼ヶ島の評価が高かったし、反して春日童子は未だに小物の鬼のままだ。


 彼の見えない部分の細やかな気配りは、誰からも気付かれないようにしている分、焔夜叉から見たら従順で無償の愛に感じる。


 野心家の自分には備わっていないものだ。


  鬼の本質である外見の『強さ』や『力』は恐らく鬼ヶ島でも弱く、女性の鬼にすら負けることがあるだろうが、精神や心の内面部分、とりわけ懐の大きさに関しては、春日童子には到底敵わないと焔夜叉は痛感していた。


 呉葉を罵倒し、人間の元に追いやったのは恐らくわざとだ。


 呉葉に敵対したことで、呉葉が鬼の味方ではないと一寸法師に知らしめることが出来たはずで、それは本当に守りたいものを守りきるための春日童子のいつもの手段だ。


 焔夜叉のように力がない分、春日童子の行動は注意深く見ていないと、本質を見極めにくい。


 恐らく彼の自己犠牲精神は誰も気付かないだろう。


 そのことをスクナに教えてやりたかったが、教えてしまうことで春日童子の守ろうとしていたものを全て壊してしまう気がして、焔夜叉は躊躇した。


「……焔夜叉さん? どうしたの、固まって」


「いや、何でもない。話を聞いたところ、春日童子からはどうすることも出来ないようだから、お前から歩み寄るんだな」


 焔夜叉の言葉を聞き、スクナは頬を膨らませて詰め寄ってきた。


「焔夜叉さんはお兄ちゃんの味方するの?」


「いや、そういうわけではないが……」


 たじろいで思わず身を引く焔夜叉に、スクナはさらに詰め寄った。


「ねえ、本当に私に聞くまで『打ち出の小槌』は知らなかったの?」


「知るわけがないだろう」


 スクナは考え込んだ。姉が思い込んでいたのか、多少の矛盾があるようだった。


 打ち出の小槌は、風鬼の持ち物だと誰もが知っていると言っていたのは、姉の思い違いだったのだろう。


「ねえ、この仕事はどうかな」


 スクナの話題がころころ変わることに慣れず、焔夜叉は一瞬頭が白くなった。


 スクナは得意気に上を向いて焔夜叉の反応を待つ。


 紙には『大量募集! 大黒が原の清掃員急募』と書かれてあった。大黒が原で忘れ難い事件があったすぐなのに、良くこのような仕事を請ける気になるものだと焔夜叉は呆れた。


「散った桜の花びらを掃除する仕事。これなら文句ないでしょう?」


 焔夜叉は紙を受け取って詳しく読んでみた。確かに清掃ならば危険はないはずだ。しかし、日程を見て焔夜叉は首を傾げた。


 自分が請け負った仕事と同じ日、同じ場所での清掃だった。


「おかしい。私もこの日に大黒が原で人間退治を請け負ったのだが」


 最も、大黒が原は広いので、恐らく場所が違うのだろうと気に留めないことにした。


 やがてスクナは仕事を申請すると、受付にいた天狗に受諾の判を押されたようで、嬉しそうに焔夜叉に向かって歩いてきた。


「焔夜叉さん、仕事も決まったし私帰るね。色々聞いてくれてありがとう、少しすっきりしたわ。仕事の日に、また会えるといいね」


「……そんなことより早くあいつと仲直りしてやれ」


「努力してみる」


 天真爛漫に大きく手を振ってこの場を去るスクナを見送りながら、焔夜叉は地面を見て小さく呟いた。


「スクナ、神器の対価に伴う代償は鬼だけに備わっているものだ。人間は対価を受けるのみに過ぎないはずだ」


 焔夜叉はしばらくその場に立ち尽くしていた。


*続く*
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