夢幻の花

喧騒の花婿

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FILE5『ベートーヴェン・アレルギー』

2・特性

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「ケガの具合は大丈夫ってお医者さんが言ってたから、安心して」


 仙石の声にほっとしたように息を吐いた女性は、司を見下ろす。


「もう、心配かけて……」


 呆れたような声と裏腹に安堵したような表情で司の頬をそっと愛おしそうに触る。


「ハルカちゃんは大丈夫だったの?」


「司と、ここにいる大谷くんが私を守ってくれたから。おばさんには大事な息子さんを危険な目に遭わせてしまって、申し訳ない……」


 仙石が深く頭を下げると、赤ちゃんを抱えなおしながら女性は優しそうに笑った。ふと目じりに司の面影を見る。


「大丈夫。司が自分から行動したということは、その行動に自信を持っていたからだから。あの子は未来に見通しが立たないと頭で考えたときは、まず行動しないの。そういう特性なのよ」


 泣いている赤ちゃんをあやしながら言う司のお母さんに、ぼくは少し違和感を覚えた。そういう特性、の部分が引っ掛かったのだ。敢えて性格ではなく、特性という言葉選びをした感じがした。


 眠かったらしく、赤ちゃんはお母さんの腕の中でうとうとし始めた。大きかった泣き声が、徐々に小さくなりやがて消えた。そのうち規則正しい小さな呼吸が聞こえてくる。可愛いな、と思った。


「大谷くん、だったかしら? あなたも司を守ってくれたって聞いたわ。ありがとう」


「あ、いえ! 司くんがすごい頑張って仙石さんを守ってました。おれは全然」


 突然話しかけられたぼくは驚いて少し声が掠れてしまった。お礼を言われ頬に熱が集まるのを感じる。


「司は、頭の中がアンバランスな子でね。楽典に載ってる作曲家、作詞家の生年月日や生い立ちを全て正確に暗記していたり、一曲の楽譜を全て正確に何も見ずに模写したと思ったら、二年生の足し算を平気で間違えたりするから、馬鹿にされることが昔から多いのよ」


 馬鹿にされるような感じはしなかったので、ぼくは驚いた。仙石は知っていたのか、特に驚いた様子もなく、頷いていた。


「乱暴な子に急に話しかけられたりしたら、どう対処して良いかわからなくて萎縮してしまうのね。大人は感情で動くことが少ないから、対等に話せるみたいなんだけど、幼い子や、感情をストレートにぶつけられるとダメでね、頭が混乱して固まってしまうみたい」


 確かに大人びた言葉を話し、独特の雰囲気を纏っているのはわかる。


マイペースな分人と群れないし、大多数の意見に流されることもない。ぼくはそんな司だから、気が合うというところはあるのだが。


「私この子……千奈津を産んでからノイローゼ気味で、司や他の兄弟にきつく当たってしまっていたの。そんな私を見て司が萎縮したり混乱したりすることが多くなって、だから今実家で療養しているのだけれど、いつもいる家族がふといなくなるということは、逆に心に負担をかけてしまっていたかもしれないわね」


 少し疲れた様子で笑う司のお母さんを見て、それぞれの家庭にはそれぞれの悩みがあるのだなとふと感じた。


「司、ピアノの発表会は大丈夫だろうか」


 心配そうに仙石が呟く。指は大丈夫だと思うが、頭の怪我と精神的なものも心配だ。


「大丈夫よハルカちゃん。あの子を信じてやって」


「……はい」


 足音が聞こえ、中川先生と担当医師が姿を現した。ぼくと仙石はその話題を止めた。司のお母さんと先生たちが挨拶を交わす。


「やあやあ、どうですか二人共。うんうん、元気そうだね何よりだ。さて、柏木くんは……」


 中川先生の視線を受けて、担当医師が口を開いた。


「内臓は特に何ともありません。腫れてはいませんでしたが、後日何か気になるようであれば受診して下さい。話を聞くと恐らく君の血に驚いて失神してしまい、そのはずみで頭を打ってしまったというところでしょう。頭の方は内出血もなく、軽い脳震盪でしょう。ただ頭を打ったので念のため今日は一日入院してもらうことになります」


「そうですかー、お世話かけます」


 中川先生がのんびりとお辞儀をする。医師が出て行くと、小さく息をはいてぼくたち二人を交互に見た。


「我が探偵倶楽部の面々が揃って病院送りとは。ちょっとやり過ぎです、三人共」


 少し怒ったような口調に、ぼくと仙石は肩を落としてしゅんとした。それを見た中川先生は、困ったような顔をして口を開いた。


「今日は帰って家でゆっくりして下さい。後のことはまだ何も考えないこと。まずは休息です。たくさんご飯を食べて、温かいお風呂に入って、ぐっすりと眠ること」


「はい」


 ぼくと仙石が同時に声を出した。中川先生はじっとぼくらの目を見つめると、やがてゆっくりした動作で頷き「よし」と呟いた。


「親御さんには連絡しておきました。もうすぐ迎えにくると思います」


「げっ」


 ぼくが声を出すと、中川先生は有無を言わさぬような極上の笑顔でこちらを見た。


「ん、何か?」


「いえ……何でもないです」


 その様子を見た仙石が今度は、クスッと口元を上げて笑っていた。


2.続く
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