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FILE4『ベートーヴェン・シンドローム』
7・別れの曲
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「それで司くん、発表会は……」
大人しそうな外見からか、俺は大抵短調やローテンポの曲を薦められることが多かった。でも、本当はもっと情熱的な曲を弾きたい。外見だけで合う曲調を人に決めて欲しくはないといつも思っている。ショパンで言えば革命や幻想即興曲がいい。
でも俺は霧島 サクヤと同じ曲で挑みたいと強く思った。
「別れの曲で」
「宣戦布告をしますか」
先生がにやりと笑った。
霧島 サクヤが画面からこちらを見た気がした。俺は彼を見据えると、一度睨み付けた。軽やかに舞台から去る彼の背中には、真っ白な羽根が生えているように錯覚した。
次の日、両指をマッサージしながら教室に入った。昨日はレッスンが終わり、家に帰ってからずっとピアノ練習室に閉じこもり、夜11時まで別れの曲を弾き込んだ。
まだ小指が釣った感覚なので、俺はゆっくりと鳴らすように小指を動かしてたくみを探す。
「たくみ、おはよう。結城の様子はどうだった?」
「あー、うん。まだ会ってくれない」
煮詰まっているような顔をしたたくみが、机にうつ伏せて呟いた。このところ元気がなく、相当結城のことを気にしている。
「司も元気ないね」
「え、そうかな」
霧島 サクヤの件があったので、少し落ち込んではいたけれど、まさかそんな些細なこともたくみにばれてしまうなんて思わなかった。
「何かあったの。もしかして、あれ?」
目だけちらりとこちらを見て、たくみが言った。
「あれって?」
ここでたくみが起き上がって俺を見た。少し迷っているようだったが、口を開いた。
「佐久間がさ、珍しく朝早く来て、黒板に大きく書き始めたんだよ。『柏木と二組の仙石は付き合っている』って。気付いたからすぐ消したけど、何人か見てたから、ちょっと噂になるかもな」
「え、そうなんだ。ありがとう」
佐久間が言いふらすことは想定内だったので、俺はそれほど驚かなかった。それよりも、たくみが気遣ってすぐに黒板を消してくれた方が嬉しかった。そして、そう言った後に頬杖を付いて考え込んだたくみに、俺は感動してしまった。
これ以上俺とハルカのことを聞かないでいてくれるようだ。もちろん噂は嘘だけれど、恐らく俺を気遣って何も聞かないことに徹するのだろう。何も聞かず寄り添ってくれる友達っていいなと俺は思った。
たくみは信頼出来る人間だとそのとき思った。
ため息をついてたくみは遠くを見つめた。彼は暇さえあればいつも空を見ている。
「結城の父ちゃんは会ってくれるんだけど、結城には会わせてくれないんだよな。そういえば結城って、母ちゃんいないのかな? 父ちゃんしか対応してくれないんだよな」
「ハルカあたりに聞いてみるよ」
俺はクラスメイトのことは良くわからないし、あまり興味もなかったので、そういう噂は聞いたことがなかった。
「俺は、今週の日曜日、ピアノの発表会があるんだ」
俺もたくみに話してみることにした。こういうことは、今までハルカにも話したことがない。でも、たくみなら俺の言うことを何でも受け止めてくれるような気がした。そして、その悩みに一生懸命考えてくれるような気がしたのだ。
「へえ、すごい。日曜日って、運動会の次の日じゃん。おれも行ってもいい?」
「えっ、きてくれるの?」
「司がいいなら」
そう言ってたくみは力なく笑った。結城のことで精いっぱいなのに、俺の方も気にしてくれている。
「……俺、将来音楽で食べていきたいと思っていたんだ。けれど昨日、霧島 サクヤって人の演奏を聞いたら、それも揺らいでしまったというか、音楽に対しての自信がなくなったというか。レベルの違いを痛感して、今落ち込み中」
俺がたくみの隣に腰かけて言うと、たくみは途中から目を丸くして俺の話を聞いていた。
「落ち込む要素なんか、どこにもないじゃん。人は人、司は司だろ? おれなんて、どれだけすごい音楽家の演奏を聴きに行っても心震えることは滅多にないよ。それよりも、司が思いを込めて弾くピアノの方が感動すると思う」
「たくみ……」
今欲しい言葉をずばりと言ってくれたような気がした。たくみは何気なく言ったのだろうが、俺はそれがとても嬉しかった。
「大変だ、佐久間と二組の仙石が、裏庭でけんかしてる!」
クラスメイトがドアから叫んだ。俺とたくみは目を合わせると、同時に走り出していた。
「何やってんだ、ハルカ!」
三階から裏庭に続く窓を開けて覗き込むと、ハルカと佐久間が取っ組み合っていた。ハルカの方がかなり背が高いので、有利に思えたが、やはり男子と女子の腕力の差は確かにあるようで、ハルカが押され気味のようだった。
「司、早く!」
たくみが三段飛ばしながら廊下を駆け下りた。一瞬頭が真っ白になったが、俺も急いでたくみの後を追いかけて行った。
7.続く
大人しそうな外見からか、俺は大抵短調やローテンポの曲を薦められることが多かった。でも、本当はもっと情熱的な曲を弾きたい。外見だけで合う曲調を人に決めて欲しくはないといつも思っている。ショパンで言えば革命や幻想即興曲がいい。
でも俺は霧島 サクヤと同じ曲で挑みたいと強く思った。
「別れの曲で」
「宣戦布告をしますか」
先生がにやりと笑った。
霧島 サクヤが画面からこちらを見た気がした。俺は彼を見据えると、一度睨み付けた。軽やかに舞台から去る彼の背中には、真っ白な羽根が生えているように錯覚した。
次の日、両指をマッサージしながら教室に入った。昨日はレッスンが終わり、家に帰ってからずっとピアノ練習室に閉じこもり、夜11時まで別れの曲を弾き込んだ。
まだ小指が釣った感覚なので、俺はゆっくりと鳴らすように小指を動かしてたくみを探す。
「たくみ、おはよう。結城の様子はどうだった?」
「あー、うん。まだ会ってくれない」
煮詰まっているような顔をしたたくみが、机にうつ伏せて呟いた。このところ元気がなく、相当結城のことを気にしている。
「司も元気ないね」
「え、そうかな」
霧島 サクヤの件があったので、少し落ち込んではいたけれど、まさかそんな些細なこともたくみにばれてしまうなんて思わなかった。
「何かあったの。もしかして、あれ?」
目だけちらりとこちらを見て、たくみが言った。
「あれって?」
ここでたくみが起き上がって俺を見た。少し迷っているようだったが、口を開いた。
「佐久間がさ、珍しく朝早く来て、黒板に大きく書き始めたんだよ。『柏木と二組の仙石は付き合っている』って。気付いたからすぐ消したけど、何人か見てたから、ちょっと噂になるかもな」
「え、そうなんだ。ありがとう」
佐久間が言いふらすことは想定内だったので、俺はそれほど驚かなかった。それよりも、たくみが気遣ってすぐに黒板を消してくれた方が嬉しかった。そして、そう言った後に頬杖を付いて考え込んだたくみに、俺は感動してしまった。
これ以上俺とハルカのことを聞かないでいてくれるようだ。もちろん噂は嘘だけれど、恐らく俺を気遣って何も聞かないことに徹するのだろう。何も聞かず寄り添ってくれる友達っていいなと俺は思った。
たくみは信頼出来る人間だとそのとき思った。
ため息をついてたくみは遠くを見つめた。彼は暇さえあればいつも空を見ている。
「結城の父ちゃんは会ってくれるんだけど、結城には会わせてくれないんだよな。そういえば結城って、母ちゃんいないのかな? 父ちゃんしか対応してくれないんだよな」
「ハルカあたりに聞いてみるよ」
俺はクラスメイトのことは良くわからないし、あまり興味もなかったので、そういう噂は聞いたことがなかった。
「俺は、今週の日曜日、ピアノの発表会があるんだ」
俺もたくみに話してみることにした。こういうことは、今までハルカにも話したことがない。でも、たくみなら俺の言うことを何でも受け止めてくれるような気がした。そして、その悩みに一生懸命考えてくれるような気がしたのだ。
「へえ、すごい。日曜日って、運動会の次の日じゃん。おれも行ってもいい?」
「えっ、きてくれるの?」
「司がいいなら」
そう言ってたくみは力なく笑った。結城のことで精いっぱいなのに、俺の方も気にしてくれている。
「……俺、将来音楽で食べていきたいと思っていたんだ。けれど昨日、霧島 サクヤって人の演奏を聞いたら、それも揺らいでしまったというか、音楽に対しての自信がなくなったというか。レベルの違いを痛感して、今落ち込み中」
俺がたくみの隣に腰かけて言うと、たくみは途中から目を丸くして俺の話を聞いていた。
「落ち込む要素なんか、どこにもないじゃん。人は人、司は司だろ? おれなんて、どれだけすごい音楽家の演奏を聴きに行っても心震えることは滅多にないよ。それよりも、司が思いを込めて弾くピアノの方が感動すると思う」
「たくみ……」
今欲しい言葉をずばりと言ってくれたような気がした。たくみは何気なく言ったのだろうが、俺はそれがとても嬉しかった。
「大変だ、佐久間と二組の仙石が、裏庭でけんかしてる!」
クラスメイトがドアから叫んだ。俺とたくみは目を合わせると、同時に走り出していた。
「何やってんだ、ハルカ!」
三階から裏庭に続く窓を開けて覗き込むと、ハルカと佐久間が取っ組み合っていた。ハルカの方がかなり背が高いので、有利に思えたが、やはり男子と女子の腕力の差は確かにあるようで、ハルカが押され気味のようだった。
「司、早く!」
たくみが三段飛ばしながら廊下を駆け下りた。一瞬頭が真っ白になったが、俺も急いでたくみの後を追いかけて行った。
7.続く
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