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FILE4『ベートーヴェン・シンドローム』
1・プレリュード
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今週の土曜日は運動会だ。毎年、この時期の生徒たちはどこか浮かれ気味で、男子は特にクラゲのようにふわふわと海を漂っているように思えた。
俺も騎馬戦の武将をやらされそうになってしまったが、何とか回避して馬にならせてもらった。この時期、怪我をするリスクは絶対に避けたかった。
病院の検査帰り、いつもは丁度良い賑わいの流れ星商店街が今日は何やら本屋が騒がしかった。作家のサイン会が行われているらしく、見ると清正 醍醐と書いてある。
一列に並んでサインを待ってる人々を見ると、女性が多い。彼の本を胸に抱え、高揚として待っている人が多かった。
俺はその列に沿ってゆっくりと歩き始めた。もしかしたら知った顔がいるかもしれないと思ったからだが、清正 醍醐の顔を見てやろうという気が多少あったのも否めない。
先頭に辿り着くと、清正 醍醐らしきおじさんが左手でペンを持って慣れた手付きでサインをしていた。愛想良く笑顔を見せると、サインをもらっている女性の顔が赤く染まった。
「ふうん……」
俺は思わずそう漏らすと、清正 醍醐の様子を目を細めて見た。静かにしていたつもりだったが、作家というものは五感が鋭いのだろうか、俺のいる方をふと見た。
清正 醍醐は俺に向かって微笑むと、何事もなかったかのように再びサインを始めた。
「ああいう顔がいいのかよ……」
精悍な顔付きに気の強そうな表情は作家らしくないなと思った。ひょろひょろの青白い顔を想像していたのだが、思いの外健康的でまあまあの顔だ。
俺はぶつぶつ独り言を言いながら彼の最新作、嘘をつく世界を買って、最後尾に並んだ。
「君で最後だよ」
店員が俺の後ろに『サイン会の列は締切りました』と書かれた紙をポールに貼った。人数に達したのかと思ったが、どうやら時間で終わりのようだ。確かに盛況とは言い難い人数だったので、あまり売れている作家ではないのだろう。
すぐに俺の順番になり、清正 醍醐はにっこりと笑って右手を差し出してきた。俺はそういうものなのかと思い、握手を交わした。
「小学生の男の子にサインを求められたのは、初めてです。ありがとう」
「……あ、はい」
彼の低音の声に、思わずいつもの癖で気を取られていたので一瞬返事が遅れた。
「この前、小学校に呼ばれて行ってきたのですが、昔と違って今の子たちはしっかりとしていますね。君もとても落ち着いていて、素敵ですね」
「そうでしょうか、ありがとうございます」
実際落ち着いているとは良く言われるが、あまり人に対して興味がないから落ち着いて見られるだけなのだ。面倒なので訂正せず、お礼を言っておいた。
「名前は?」
「仙石 ハルカ。仙人の仙に石ころの石、ハルカは片仮名です」
「ハルカくん? いい名ですね」
大きい手はしなやかで、ゴツゴツとしていた。優しげに微笑んだ清正 醍醐は、滑らかにハルカの名とサインを描いた。
物腰は落ち着いているけれど、華やかな顔立ちをしている。いつも笑顔を絶やさないためか、笑うと目尻に烏の足跡が残る。人を惹きつける笑顔を持っていると感じた。女性は夢中になってしまう人もいるだろう。
「先生は結婚しているんですか」
俺の質問に、店内にまだ残っていたファンが騒然とした。清正 醍醐は俺を見上げると、苦笑をした。
「私のプロフィールは、出版社との契約上、明かせないんですよ。謎の作家で売ろうということになっているのです。だから、私の年齢も、妻帯者かも、明かしてはならないんです。ごめんなさい」
「そうですか……カガリスポーツのモデル軍団みたいですね」
通称カガリ軍団も、モデル一人一人のプロフィールは全て謎に包まれている。最近はそういうのが流行っているのだろうか。
店員に促されたので、俺は本を受け取って帰ることにした。
1.続く
俺も騎馬戦の武将をやらされそうになってしまったが、何とか回避して馬にならせてもらった。この時期、怪我をするリスクは絶対に避けたかった。
病院の検査帰り、いつもは丁度良い賑わいの流れ星商店街が今日は何やら本屋が騒がしかった。作家のサイン会が行われているらしく、見ると清正 醍醐と書いてある。
一列に並んでサインを待ってる人々を見ると、女性が多い。彼の本を胸に抱え、高揚として待っている人が多かった。
俺はその列に沿ってゆっくりと歩き始めた。もしかしたら知った顔がいるかもしれないと思ったからだが、清正 醍醐の顔を見てやろうという気が多少あったのも否めない。
先頭に辿り着くと、清正 醍醐らしきおじさんが左手でペンを持って慣れた手付きでサインをしていた。愛想良く笑顔を見せると、サインをもらっている女性の顔が赤く染まった。
「ふうん……」
俺は思わずそう漏らすと、清正 醍醐の様子を目を細めて見た。静かにしていたつもりだったが、作家というものは五感が鋭いのだろうか、俺のいる方をふと見た。
清正 醍醐は俺に向かって微笑むと、何事もなかったかのように再びサインを始めた。
「ああいう顔がいいのかよ……」
精悍な顔付きに気の強そうな表情は作家らしくないなと思った。ひょろひょろの青白い顔を想像していたのだが、思いの外健康的でまあまあの顔だ。
俺はぶつぶつ独り言を言いながら彼の最新作、嘘をつく世界を買って、最後尾に並んだ。
「君で最後だよ」
店員が俺の後ろに『サイン会の列は締切りました』と書かれた紙をポールに貼った。人数に達したのかと思ったが、どうやら時間で終わりのようだ。確かに盛況とは言い難い人数だったので、あまり売れている作家ではないのだろう。
すぐに俺の順番になり、清正 醍醐はにっこりと笑って右手を差し出してきた。俺はそういうものなのかと思い、握手を交わした。
「小学生の男の子にサインを求められたのは、初めてです。ありがとう」
「……あ、はい」
彼の低音の声に、思わずいつもの癖で気を取られていたので一瞬返事が遅れた。
「この前、小学校に呼ばれて行ってきたのですが、昔と違って今の子たちはしっかりとしていますね。君もとても落ち着いていて、素敵ですね」
「そうでしょうか、ありがとうございます」
実際落ち着いているとは良く言われるが、あまり人に対して興味がないから落ち着いて見られるだけなのだ。面倒なので訂正せず、お礼を言っておいた。
「名前は?」
「仙石 ハルカ。仙人の仙に石ころの石、ハルカは片仮名です」
「ハルカくん? いい名ですね」
大きい手はしなやかで、ゴツゴツとしていた。優しげに微笑んだ清正 醍醐は、滑らかにハルカの名とサインを描いた。
物腰は落ち着いているけれど、華やかな顔立ちをしている。いつも笑顔を絶やさないためか、笑うと目尻に烏の足跡が残る。人を惹きつける笑顔を持っていると感じた。女性は夢中になってしまう人もいるだろう。
「先生は結婚しているんですか」
俺の質問に、店内にまだ残っていたファンが騒然とした。清正 醍醐は俺を見上げると、苦笑をした。
「私のプロフィールは、出版社との契約上、明かせないんですよ。謎の作家で売ろうということになっているのです。だから、私の年齢も、妻帯者かも、明かしてはならないんです。ごめんなさい」
「そうですか……カガリスポーツのモデル軍団みたいですね」
通称カガリ軍団も、モデル一人一人のプロフィールは全て謎に包まれている。最近はそういうのが流行っているのだろうか。
店員に促されたので、俺は本を受け取って帰ることにした。
1.続く
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