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FILE2『嘘で塗られた自分の体』
10・ごめんなさい、お母さん
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「あの、清正先生。小説家になりたかった頃、自分の夢をご両親に話しましたか? 協力してくれましたか?」
私は恐る恐る聞いてみた。清正先生はふと私を見ると、昔を思い出すように目を天井に向けて腕を組んだ。
「いや、言わなかったな。恥ずかしかったし、夢物語と嘲笑されるのが怖くて、言えなかった。臆病者のくせに自尊心が高かったので、友達にも言えずにいました。ただ、祖母だけには話していました。私はばあちゃんっ子で、祖母は手放しで私の夢を応援してくれていました。その祖母は、私が小説家になることが出来たことを知らずに亡くなりましたが」
私は真剣にその話を聞いた。ジソンシンという言葉がわからなかったので、後で調べてみようと思った。
「やっぱり、ご両親は厳しい方なんですか? だから夢を話せなかったのですか?」
私の立て続けの問いに、清正先生は少し驚いていたようだ。隣にいる亜紀ちゃんも驚いた目をして私を見つめていた。
「そうですね……単純に、気を許せる人が祖母だけだったのだと、振り返った今はそう考えます」
気を許せる人か。私にはいるだろうか。本心を曝け出して自分の全てを明かせる人。ママやパパにすら話せないけれど、この人になら話せるという信頼感のあるような人。亜紀ちゃんは、どうだろう。私の悩みや誰にも言えないことを話したとしたら、笑わずに味方になってくれるだろうか。果たしてこの世界に、私の味方はいるのだろうか。
九月はまだ始まったばかりなので、今日は話を聞くだけで倶楽部を終わることにした。菓子折りをあげたときは、「ありがとう、好物なんだ」とはにかんだように笑い、そのときは清正先生が子供っぽく見えた。
亜紀ちゃんと二人で帰る途中、寄り道をしたいと言ってきた。寄り道はもちろん小学校で禁じられているので反対だったけれど、押しが弱く気も弱い私は、亜紀ちゃんに押し切られて本屋に寄ってしまった。
清正先生の本を買うと張り切って、彼女は二冊も買っていた。亜紀ちゃんはすっかり清正先生のファンになったようだ。「クラスの男子なんかとは比べ物にならない紳士」らしい。それならば結婚しているのかを聞けばよかったのに、亜紀ちゃんはそういうのは照れて問えない人なのだ。本のタイトルは『音の無い世界』と『空中楼閣』だった。本屋でパラパラとめくってみたけれど、私には難しいようだった。亜紀ちゃんに釣られて、私は音の無い世界だけ買ってみた。何故そちらにしたかと言うと、ただ単純に空中楼閣よりもページ数が少なかったからだ。
塾に行くまで、私は音の無い世界を読んでみることにした。ベッドに横になって読んでいると、部屋がノックされた。私は急いで本を枕の下に隠した。
「愛美、入るわよ」
「お母さん? どうしたの……」
私は、ママがノックをする前に部屋にやってくる足音で彼女の機嫌がわかるようになっていた。今日のママは怒っている足音だった。
「お隣のおばさんが、今あなたが本屋に寄り道しているのを見たらしいわ。本当なの?」
私は心臓が跳ね上がった。私はベッドから起き上がるとママに向かって歩いた。ママは今日も綺麗にお化粧をしていた。
「ち、違うの。私じゃなくて、友達が寄りたいって……」
怒っているときのママの目が怖くて、私は小さな声でそう言った。ママは私の部屋に大股で入ってくると、仁王立ちをして私を見下ろした。
「寄り道したのね?」
「う、うん……」
ママは教育熱心だ。彼女が最も忌み嫌っているのは、ルールから外れること。つまり、小学生の道草もこれに含まれる。
「寄り道なんかして、家に変な噂でも立ったらどうしてくれるの?」
「ごめんなさい、お母さん」
鈍い痛みとともに、私の二の腕に痛みが走った。強く掴まれたのだと気付いたけれど、反抗するともっとひどい仕打ちが待っていることを長年の経験で知っていたので、私は耐える。ようやく治ってきたと思っていた青あざは、また鮮やかな紫色となって私の腕を彩り始めるだろう。
「斜め向かいの麗子ちゃんは、聖マリーベル中学を受験するそうよ。家庭教師も呼んで頑張っているのに、あなたは何をしているの?」
私学受験をしなさいとママが強く言うので、私は中学受験をする。でも私は聖マリーに入れるだけの学力がないので、レベルを二段階落としていた。それがママには気に食わないのだ。
「もう絶対に寄り道しません、許して、お母さん」
「あなたの絶対は信用出来ないのよ」
激高する、という言葉が似合った。顔を真っ赤にして唇を震わせるママのこの状態を、私は何度も見てきた。彼女が私の背中を叩き終わり、我に返って泣きながら私を抱きしめるまで、うずくまって耐えて待つのが恒例だった。ママに嫌われたくない。怖くて痛く、永遠のような時間だったけれど、ママの怒りが収まるまでの辛抱だ。叩くけれど、きちんとご飯を作ってくれるし、洋服だって買ってくれる。休日、家族で出掛けるときには、ママのお化粧品で私に薄く化粧をしてくれる。大好きなママに戻る間、何をされても私はじっと耐えられる。もうすでに叩かれる痛みでは泣けなくなってしまっていた。
10.続く
私は恐る恐る聞いてみた。清正先生はふと私を見ると、昔を思い出すように目を天井に向けて腕を組んだ。
「いや、言わなかったな。恥ずかしかったし、夢物語と嘲笑されるのが怖くて、言えなかった。臆病者のくせに自尊心が高かったので、友達にも言えずにいました。ただ、祖母だけには話していました。私はばあちゃんっ子で、祖母は手放しで私の夢を応援してくれていました。その祖母は、私が小説家になることが出来たことを知らずに亡くなりましたが」
私は真剣にその話を聞いた。ジソンシンという言葉がわからなかったので、後で調べてみようと思った。
「やっぱり、ご両親は厳しい方なんですか? だから夢を話せなかったのですか?」
私の立て続けの問いに、清正先生は少し驚いていたようだ。隣にいる亜紀ちゃんも驚いた目をして私を見つめていた。
「そうですね……単純に、気を許せる人が祖母だけだったのだと、振り返った今はそう考えます」
気を許せる人か。私にはいるだろうか。本心を曝け出して自分の全てを明かせる人。ママやパパにすら話せないけれど、この人になら話せるという信頼感のあるような人。亜紀ちゃんは、どうだろう。私の悩みや誰にも言えないことを話したとしたら、笑わずに味方になってくれるだろうか。果たしてこの世界に、私の味方はいるのだろうか。
九月はまだ始まったばかりなので、今日は話を聞くだけで倶楽部を終わることにした。菓子折りをあげたときは、「ありがとう、好物なんだ」とはにかんだように笑い、そのときは清正先生が子供っぽく見えた。
亜紀ちゃんと二人で帰る途中、寄り道をしたいと言ってきた。寄り道はもちろん小学校で禁じられているので反対だったけれど、押しが弱く気も弱い私は、亜紀ちゃんに押し切られて本屋に寄ってしまった。
清正先生の本を買うと張り切って、彼女は二冊も買っていた。亜紀ちゃんはすっかり清正先生のファンになったようだ。「クラスの男子なんかとは比べ物にならない紳士」らしい。それならば結婚しているのかを聞けばよかったのに、亜紀ちゃんはそういうのは照れて問えない人なのだ。本のタイトルは『音の無い世界』と『空中楼閣』だった。本屋でパラパラとめくってみたけれど、私には難しいようだった。亜紀ちゃんに釣られて、私は音の無い世界だけ買ってみた。何故そちらにしたかと言うと、ただ単純に空中楼閣よりもページ数が少なかったからだ。
塾に行くまで、私は音の無い世界を読んでみることにした。ベッドに横になって読んでいると、部屋がノックされた。私は急いで本を枕の下に隠した。
「愛美、入るわよ」
「お母さん? どうしたの……」
私は、ママがノックをする前に部屋にやってくる足音で彼女の機嫌がわかるようになっていた。今日のママは怒っている足音だった。
「お隣のおばさんが、今あなたが本屋に寄り道しているのを見たらしいわ。本当なの?」
私は心臓が跳ね上がった。私はベッドから起き上がるとママに向かって歩いた。ママは今日も綺麗にお化粧をしていた。
「ち、違うの。私じゃなくて、友達が寄りたいって……」
怒っているときのママの目が怖くて、私は小さな声でそう言った。ママは私の部屋に大股で入ってくると、仁王立ちをして私を見下ろした。
「寄り道したのね?」
「う、うん……」
ママは教育熱心だ。彼女が最も忌み嫌っているのは、ルールから外れること。つまり、小学生の道草もこれに含まれる。
「寄り道なんかして、家に変な噂でも立ったらどうしてくれるの?」
「ごめんなさい、お母さん」
鈍い痛みとともに、私の二の腕に痛みが走った。強く掴まれたのだと気付いたけれど、反抗するともっとひどい仕打ちが待っていることを長年の経験で知っていたので、私は耐える。ようやく治ってきたと思っていた青あざは、また鮮やかな紫色となって私の腕を彩り始めるだろう。
「斜め向かいの麗子ちゃんは、聖マリーベル中学を受験するそうよ。家庭教師も呼んで頑張っているのに、あなたは何をしているの?」
私学受験をしなさいとママが強く言うので、私は中学受験をする。でも私は聖マリーに入れるだけの学力がないので、レベルを二段階落としていた。それがママには気に食わないのだ。
「もう絶対に寄り道しません、許して、お母さん」
「あなたの絶対は信用出来ないのよ」
激高する、という言葉が似合った。顔を真っ赤にして唇を震わせるママのこの状態を、私は何度も見てきた。彼女が私の背中を叩き終わり、我に返って泣きながら私を抱きしめるまで、うずくまって耐えて待つのが恒例だった。ママに嫌われたくない。怖くて痛く、永遠のような時間だったけれど、ママの怒りが収まるまでの辛抱だ。叩くけれど、きちんとご飯を作ってくれるし、洋服だって買ってくれる。休日、家族で出掛けるときには、ママのお化粧品で私に薄く化粧をしてくれる。大好きなママに戻る間、何をされても私はじっと耐えられる。もうすでに叩かれる痛みでは泣けなくなってしまっていた。
10.続く
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