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【06】追っ手

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「今日はもう帰るね」

「おぅ……そうだニア!この前、オマエを探してるって二人組みがきたぜ」

 椅子から腰を浮かしたまま、アニーは固まった。


「誰?どんな奴らだった?」

「名前は聞いてねぇけど、身形の良さそうな老人と40代くらいの男だったよ。丸眼鏡をかけた赤毛の女を探してるって言ってたぞ」

 丸眼鏡をかけた赤毛に該当するのは、この辺りでアニーしかいない。

   誰がなんの目的で自分を探しているのか……思い当たる節がありすぎて困る。

   そろそろ別の場所へ移るべきか。


「しらねぇって言ったけどさ、オマエなんかやばいことにまきこまれてるのか?」

「まさか!そんなわけないじゃん」

 アニーは否定したが、ジョシュはまだ疑っていた。賭博師のイザコザはよくあるからだ。


「人間違えじゃないかな。情報ありがとね」

「そうか……何かあったら、いつでも俺に言えよ?」

 アニー笑顔で頷き、再度「ありがとう」と言った。

   心の中でさよならしながら。





 駅に戻り、適当な列車に飛び乗る。

   行き先などない。

   ただ尾行や監視をまくための行為だ。

 次の駅に着くと、同じホーム側に停まっていた列車の扉が閉じるところだった。

 隙間に滑り込むと、「駆け込み乗車はおやめください」のアナウンスが。

   バラバラと席に着く乗客に紛れてアニーも対面式赤座席に腰を降ろした。


「お母さんのシチュー美味しかったね」

「あぁ、最高だろ?君にも食べさせてあげたかったんだ」

 対面座席の男女が楽しそうに会話を繰り広げる。

   ハンチング帽を被った男はピンクのコートを着た女の腰を抱き、身体を寄せ合っている。


 鼻先が耳や頬に当たるほど近い。

   若いカップルでお互いしか見えてないといった感じだ。


「お母さんからレシピを習おうかな」

「いいね!今度聞いておくよ」

 チュと軽く唇を触れ合わせる二人は幸せそうだ。

   白けつつも、目の前の誰とも知らぬ男の唇に、二年前、アニーにそれを与えた男を思い出した。


 あの薄汚れた部屋で、ダリウシュは何度もアニーを求めた。

   4回までは数えたが、そこから先は数えらないくらい何度も、お互いを貪った。

 売春婦なら口や手での奉仕が一般的だが、それらを求められる事もなく、逆に彼がアニーの全身を舐めまわした。

 犬のように余すところなく舐められ、それはそれで恥ずかしくて死にそうになったが、奉仕される歓びを知ったのだ。


 怖いと思った大きな身体は、抱き締められると安心感があった。

 高い体温は湯たんぽ要らずの暖かさで、アニーは枯れた蕾が花開くように快楽を得て、他者に自分を染めらる歓びを知った。

 あんなに何かに溺れたのは初めてだった。

 最初こそ乱雑に少しの悪意を持って身体を繋げてきたダリウシュだが、それ以降、荒々しさは徐々に収まり、回を重ねるごとに優しく……まるで恋人同士のように抱いてきた。


 彼に執着心を抱くのは、きっとあの思わせぶりな態度のせい。

 譫言のように「ごめん」と言っていたので、彼としては最初の性交に対する罪滅ぼしで優しくしたのかもしれない。

 それでもあの出来事を思い出しては身体を疼かせるほどには、気持ち快くしてもらった。


 ビビビビビ!とけたたましい音に、アニーは我に返る。

   既に次の駅に着いていた。

   飛び降り、幾つか列車を見送り、また適当な列車に乗るを繰り返した。





 そうして意味のない列車の乗り換えを数時間やり日付が変わる頃、アニーはとある大病院へ帰りついた。

 顔見知りの守衛の顔パスを通り、母ミシェルの病室へと向かう。

 夜の病院は真っ暗で不気味だ。

   消毒液の匂い、ミシミシと軋む床、時々うめき声も聞こえる。


「だだいまー。調子はどう?」

 いつもの調子で詰所の看護師達に声をかけた。


「おかえり、アニー。今夜は遅かったね」

 お金を貯めるため、アニーは毎晩病院で寝泊まりさせてもらっている。

   おかげで看護師達とは顔馴染みだ。


「ファイトクラブで一悶着あってさ。あ、私は絡まれてないよ!選手と客がやりあっちゃって、試合が遅れたの」

「それじゃあ、これから担ぎ込まれるかもね」

 アニーの嘘に年若い新人看護師は冗談を飛ばすが、親身になってくれる年配看護師ソーヤは顔を曇らせた。


「アニー、賭博師は危険じゃないかい?そりゃあミシェルの医療費のため仕方なくやっているのはわかるけどさ……ちゃんとアパートを借りて、定時の仕事に就く気はないかい?」

 アニーは返事に困り、曖昧に頷く。


「ミシェルの事も心配だけど、あんたの事も心配だよ。ミシェルの後、残されたあんたはどうやって生きていくのか。もう少し、しっかり考えなきゃ」

「……うん、ありがとうソーヤ。少し考えてみるね」

 投げ遣りに生きてる自覚のあるアニーは、ソーヤの耳の痛い忠告から逃げ母の病室に滑り込んだ。

 いつものように、まずはミシェルの寝顔を確認する。

   母は穏やかな顔で眠っていた。手を握ると暖かかい。

 しかし筋肉が衰え、ハリがなかった。

   それを物悲しく思いながら、そっと頬にかかる髪を払った。


 椛茶色の髪には白髪が多く、目元口元にできた皺が苦労を如実に表しているようだ。

   鷲鼻に細い眉、大きな口。

 一見意地悪そうな顔のパーツだが、純真で朗らかな性格が顔に表れている。

   眠る母は少女のように愛らしかった。


「アニー……?」

 眠りの浅い母は、アニーの気配に目を覚ます。


「ただいま、ミミ。ごめんね……こんな夜中に戻ってきて」

 アニーは子どもの頃から母を愛称でミミと呼んでいる。


「おかえり……お仕事お疲れ様」

 ミシェルは起き上がろうとしたが、アニーはそれを制した。

   彼女はまだ寝ぼけ眼で、今起きたら逆に眠れなくなるだろう。


 ベッドの横の椅子に腰掛け肩を撫でると、母は気持ち良さそうにウトウトし始める。

   アニーはこの時間が堪らなく好きだった。


「ねぇミミ、できる限り早く転院しようと思うんだけど……どう?」

「……どうして?」

「良いお医者さんがいる病院を見つけたの。そのお医者さんに診てもらえば、ミミの病気がもっと良くなるんじゃないかなって」

 日に日に嘘が上手くなる。

   でもこの嘘は本当であってほしい。


 できる事はもうないと余命宣告を受け、母たっての願いで闘病から緩和ケアへ切り替えた。

 しかしアニーは諦めきれない。

   腕のいい医者がいると聞けば、どれほど遠くてもカルテ片手に訊ね治療法がないか探す。

 だが結果はアニーを絶望へと突き落とす。どの医者も苦しみ少なく看取ってやれと言うのだ。


「でも……そんなお金……」

「お金の事は心配しないで。今日も勝ってきたから」

 母は夢の中へ落ちる前に「任せるよ」と呟く。


   アニーはホッとした。

 ミシェルはこの病院が気に入っていた。

   特に風呂に温泉水が使われるのがいい、肌がすべすべになると喜んでいた。

 屋根裏を改修したこの部屋も気にいっており、何時間も窓から外を眺めていた。


 ふいに泣きたくなる。見えない壁がせまっているようだった。

 ジョシュは言っていた、誰かが自分を探していると。

 推測でしかないが、天妓族の中にアニーの存在を感知する者がいるんだろう。


   そうでなければ説明できない事が幾つも起こってる。

 アニーが自分の力に気づき、それを使ってお金を稼ぐようになって直ぐ、和親族の憲兵に捕まりそうになった事がある。

   うまくかわしたが、賭場で待ち伏せされた。

 その後、別の街へ移動しても、竜騎族と天妓族の憲兵に追われる事になった。

   全てまいたが、必ずアニーの行く先で待ち伏せされるのだ。


 日に日に包囲網は狭まっており、逃げやすいよう定住地を持たない事にした。

   これも病院で寝泊まりするようになった理由の一つだ。


 イカサマによる詐欺で捕まるんだろうか。

   和親族なら詐欺罪が適用されるが、天妓族なら彼等を縛る法はないはず。

   よってアニーは厳密には罪を犯したとはいえない。


 そもそも自分は和親族と天妓族のどちらになるのだろう。

   自分でも自分が何なのかわからない。

 アニーは母の手を強く握った。

   天妓かもしれない。

   そう疑い始めた頃から、アニーは人と距離を置いてきた。


 元々学校では影が薄かったし、友人とは当たり障りなく接し、決して内心を明かさず壁を作った。

 壁を作る者に、距離を詰めようと努力する人は少ない。

   どんなグループに属しても「あの娘なんかつまらない」と見限られた。


   しかしアニーはそれでよかった。

 ミシェルとの生活がなにより大切で、それ以外に必要な事、守りたい者はなかった。


 怖い……天妓族と判断されれば特区に隔離される。

   その後どうなるか、さっぱりわからない。

 特区内での天妓の様子は一般人には公開されていない。


 言い換えれば、捕まればミシェルには会えなくなるという事だ。

   母と引き離されるのが何より怖かった。


 ミシェルはアニーが何かを隠している事に気づいていると思う。

 アニーが賭博師として大金を稼ぐようになってからは「あまり悪い事はしちゃダメよ」と言うようになったから。

 それでも彼女は変わらない様子で「貴女がどんな生き方をしても愛してる。自慢の娘よ」と言ってくれる。

 それがどれほどアニーを勇気づけ力になっていることか。

   アニーは母の寝顔を見つめながら一粒、涙をこぼした。
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