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ヴァルハラ

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 逹也、龍史、悠海、イリスと傍らに倒れている和人の五人は、優生の時間干渉が終わるのを只々待つ事しか出来なかった。勿論新たな使徒の出現も考え、気は抜けない状態なのは言うまでも無い。
 逹也は初対面のイリスに話しかけてみた。
「えっと~、君がイリスさんかな?」
 それまでひたすら優生と慧を心配そうに見つめていたイリスは、逹也に話し掛けられてビクッとした。
「え・・あ、あの・・・」
 異常なまでに怯えるイリスに、達也も少々戸惑ってしまう。
「あ、ごめんね。俺は逹也、少し前までは慧ちゃんと優生と同じチームにいたんだよ。怪しく無いから心配しないでね?」
「・・・は、はい」
「逹也さん!そんな翼を六枚も出して、イリスちゃんが怖がってますよ~」
 怯えるイリスを見て、悠海が助け舟を出した。
「イリスさん私は悠海、仲良くしてね」
 そう言って悠海はイリスに抱きついた。ビックリはしたものの、やはり女同士だと警戒も薄いのか?イリスは笑顔を見せた。
「皆さんはお姉様の御友人なのですか?」
「お姉様?」
 三人は声を揃えて聞き返した。
「優生お姉様です」
「俺と悠海は今日初対面何だよね。でも慧様に傷を治してもらっている時に、慧様の記憶が流れ込んで来て」
「そう、私も慧様の記憶見えたよー」
「天啓を授かると共に、慧様の優生さんへの愛情を感じたと言うか、何と言えば良いか・・」
「そうそう、何か愛情に満ちてて、今思い起こすと感動しちゃうな私」
「羨ましいです。私もお姉様の事もっと知りたいのに・・・」
 イリスは何処か孤独感を感じている様だった。
「これからは慧ちゃんと優生に加えて、龍史と悠海とも仲良くして貰えると助かるな」
 逹也はイリスの肩を軽くポンポンと叩きながら言った。
「はい、宜しくお願いします」
 ほんの少しであったが、逹也達に気を許したイリスだった。
「そう言えば、イリスさんが慧ちゃんと俺を助ける為に飛び込んで来てくれた事、まだお礼を言っていなかったな。本当に有難う君が来てくれなかったら、俺も慧ちゃんもアスラに殺されていただろう。本当に有難う」
 深々とイリスに頭を下げる逹也。
「いえっ、そんな、私戦うの得意じゃ無くて、只助けなくちゃって思ったら、体が勝手に動いちゃっただけですから」
「それでも君に助けられたこの命、君にもしもの事があったら必ず力になるよ。約束する」
 誠実で偽らない逹也のこの性格は、人を引き付ける魅力の一つだった。
 第八世界で堕天使ルシフェルとして悪虐の限りを尽くしたとさえ言われるが、この性格からカリスマ的人望をフルに発揮していたのを好ましく思わない、別の使徒達の手によって後世に悪魔王ルシファーと、本人とは似ても似つかぬ肖像が語り継がれる事となる。
 神によって創られしルシフェルは神を愛し慈愛に満ちていたが、神が土から作ったアダムとイブも愛せと命令された時、納得出来なかったルシフェルは天界から追放され堕天したと言う逸話があるが、実際にはもっと衝撃的な罪を行い天界を追放されたのだ。
 神を愛するが故の・・・とだけ、今は言っておこう。

 本牧山頂公園から東を向けば横須賀から千葉の金谷までを結ぶ巨大ダムが昼間なら目視できる、その横須賀から二キロ程離れたダムの上に優生や逹也の戦いを見守る人影達があった。
「やはり今の力は、真の覚醒者が居ると見て間違いないな」
「そうですねアザゼル様の見立てどうり、アスラ一人に行かせたのは正解でした」
「でもアスラがあんなにも弱いとは、ちゃんちゃらおかしいぜ。マジ爆笑」
「真の覚醒者がそれだけ桁違いだと言う事では?」
 人影達はアスラに神の奪還を命じた、主に第八と第九世界の悪魔達である。堕天使の組織を作り、神に歯向かう集団として世界を常に混乱へと導いて来た者達だ。
 組織の名をグリゴリと言う。
 同じ堕天使なのに組織に組みさないルシフェルを、目の敵にしてきた集団組織である。勿論ルシフェルの在ること無いこと、悪行を広めたのも彼らである。にも関わらずルシフェルのその力を欲してきたグリゴリは、幾度と無く強引な勧誘を繰り返す結果争いが生まれる、人類にとっても戦争の火種をばらまく結果となった。
 天が乱れれば地もまた然り。堕天と言えども使徒は使徒、悪魔を名乗ろうとも神の使いなのである。
 そのグリゴリがこの第十三世界でもルシフェルと出会ったと言う事は、また世界規模の争いが生まれると言い切っても過言では無いのであろう。

 優生が慧に対して時間干渉を始めてから、既に二十分が経とうとしてうとしていた。飛行機事故の際にどれだけの時間を要したかは、今ここに居る面々は知らない。だからと言う訳では無いのだが、時間が経つのが異常に遅く感じてしまっていた。
「まだなのかな?」
「こんなに時間が掛かるものなんですね~」
「いや・・・少し可怪しいな!」
 龍史と悠海の疑問に逹也は、自分が始めて慧に治癒された時の事を思い出していた。
「俺が元町で慧ちゃんに始めて傷を治してもらった時に、優生が今と同じ様に慧ちゃんの時間に干渉をしたんだ。勿論相当な深手を負って居たんだが、その時優生は・・・そうだな~体感時間で一分掛けなかったはず。眩しい光に包まれて、ほんと直ぐに終わって居た感じだった。今回いくら二人分の深手と言っても、こんなに時間が掛かるなんて可怪しいんじゃないかな?」
 そう言われても龍史以外は初めて見る優生の力、何と答えて良いのやら判らずに返答に困った。
「どの道今俺達に出来るのは、この場を死守する事だけだな」
 そう言って空を見上げた逹也の視線の先には、新たな使徒が三人も空に浮かんで居た。
「そうですね。アイツラにはお引き取り願いましょう」
 龍史も気付いて空を見ながら呟いた。
「悠海とイリスさんは優生達を守ってくれ、まぁ上で全て始末するつもりだけどね」
 逹也と龍史は静かに空に上っていった。
「さて御客さん方はここに何か用ですか?」
 龍史は敵対の意志が在るかどうか、取り敢えず聞いてみた。何故なら上空から直ぐに攻撃して来なかったからだ。
「貴方はルシフェル様ですね」
「あぁ~そうだが、お前らは?」
「八年前より貴方様が覚醒されるのを、今か今かと待ち望んでおりました。私はマスティア第八世界では貴方様に付き従った者です。この者達はベリアルとベルゼブブ、志を同じくし第八世界のグリゴリとの戦いではルシフェル様と共に戦いました。覚えておられませんか?」
「済まない。俺は半覚醒の時に少々記憶を操作してもらった事があってな、だからなのかは解らないが過去世界の記憶は殆ど戻っては居ないんだ。」
「そうだったんですか。道理で、数年前にルシフェル様の覚醒を感じた後、貴方様を探しても見付けられ無かった訳だ」
「じゃあお前達は敵では無いんだな?」
「ルシフェル様の敵になるなんて滅相も御座いません」
「そうか、なら良かった。今は一人でも多くの味方が欲しかったんだ、助かるよホント」
 マスティア、ベリアル、ベルゼブブ共に第七世界から第八世界に堕天してきた者達であった。アザゼルも同じく第七世界からの堕天使でマスティア達と肩を並べる使徒なのであるが、勿論逹也はアザゼルの事などこれっぽっちも思い出していなかった。
 優生達の元に戻りマスティア達の事を説明する逹也、イリスも悠海も成る程と頷く。
「逹也さんの知り合いなら問題無いですね」
「よ、宜しくお願いします」
「こちらこそお願い致します」
 お互いに会釈した後マスティアは逹也に尋ねた。
「ルシフェル様」
「あぁこれからは逹也で頼む」
「では逹也様、こちらの御仁達はどちら様で?」
 勿論慧と優生の事である。
「俺の幼なじみなんだけど、優生は女神デメテル慧ちゃんは・・・・」
 聖杯の事を話すべきかどうか逹也は一瞬悩んだが、正直に話して置くべきと判断して慧の事も説明した。
「慧ちゃんは聖杯らしいんだ。本当かどうかはまだ解らないが、ファフナーもアスラも慧ちゃんを聖杯だと言った。俺にはどっちでも構わないんだ、命の恩人を奴らに渡すつもりはこれっぽっちも無いからな」
「ほ~~彼が聖杯?そうなんですか」
 マスティアは感心するかの様に、慧をジロジロ見回した。それはまるで品定めするかの様に。

 新たな使徒が現れる事もなく、ようやく自体が動き始めたのはそれから二十分程経ってからだった。
「あっ!見てください!」
 悠海が空を指差した。
 月光が降り注ぐ雲間が塞がり始め、地面にまで伸びていた光の柱が次第に消えて行く。
「終わったのか?」
 そこに集いし者達の視線は空から優生へと移る。沈黙が辺りを包み息を飲みながら、そこに居る誰もが優生の第一声を心待ちにしていた。
「あっ!お姉様!」
 優生は力尽きる様に後ろに倒れた。地面に激突する寸前でイリスに抱きかかえられ、優生はそのまま気を失ってしまった。
「お姉様、大丈夫ですか?お姉様?」
 涙を浮かべながらイリスは優生の名前を呼んだ。
「イリス。優生は力を使い果たしたのだろう、休ませてあげるんだ」
 逹也がイリスに言い聞かせた。
 龍史と悠海は慧に駆け寄った。優生の時間干渉と言う物が、どういった物なのか知らないので今の慧を見ても成功なのか失敗なのかまるで判別出来はしない。
「逹也さん、慧様は無事なのでしょうか?」
 達也も慧に近寄り様子を見てみるが、どっちとも言えなかった。腹をえぐられていた傷を自分に移したのだから、元町の時より全快までは遥かに時間が掛かるのだろう、慧が目を覚ますのは何時なのか何年先なのかも解らない。
「出血は無いな?安静に出来る場所に移動しよう。優生の事は任せられるか?」
「ハイ」
 慧は逹也が抱え、優生は悠海とイリスで抱っこした。
「取り敢えず慧ちゃん達の溜まり場に移動だ!」
 未だに意識を戻さない和人はマスティア達に頼み、溜まり場へと帰路に着く面々は今日一日で色々な体験をした。
 アメリカから飛んで来たり殺されかけたり使徒として目覚めて戦いを経験したりと、平和な日常とありきたりの平凡とは程遠いこの経験が、今始まったばかりなのを皆一様に感じて居たが誰一人言葉には出さなかった。
 只々無言で、本牧山頂公園を降りて行った。
 
 優生は窓辺から差し込む柔らかな朝日にその身を包まれ、穏やかな寝息を立てながら眠りに就いて居る。
 
 優生は夢を見ていた。
 
 小学生の慧と優生は仲良く手を繋ぎながら、学校からの帰宅途中だった。慧が六年生、優生は四年生。
「慧ちゃん来年から居なくなっちゃうの?」
 ふと思い付いた様に慧に尋ねた優生の瞳には、寂しさが滲み出ていた。
「そうだね。卒業したら中等部に移るから、こればっかりはどうしようも無いよ」
 優生は俯いてそれ以上何も聞いて来ないが、繋いでいた手をギュッと握り直した。
 同級生からはやれシスコンだのブラコンだのとからかわれたりするが、この二人はそれを気にした事など一度もない。からかう同級生も一年生から見知った者達なので二人の本当の仲の良さを知る彼等と、今では挨拶代わり程度の意味合いで交わされる会話だった。
 元気の無くなった優生を見て慧は立ち止まり、優生の正面に膝立ちして視線を合わせた。
「良いかい優生?中等部に移っても同じ敷地内に在る校舎なんだよ?登下校は今まで道り一緒に行けるから、優生が寂しがる事なんて一つも無いんだよ。」
「・・・本当?」
「あぁー本当だ。それに優生には逹也だって居るじゃないか!何か有れば俺だって直ぐに駆けつけられるんだよ。何も変わら無いよ、だから安心して良いからね」
 優生の手を優しく握りながら言い聞かせる慧は、とても小学生には見えない程大人びた風格が伺えた。
「・・・うん」
 納得した訳ではなさそうだが、優生は慧にそっと抱きつきながら返事をした。慧は優生の頭を優しく撫でながら「帰ろっか」と、言ってから手を繋ぎ直し再び歩き出した。
「慧ちゃんいつも一緒?」
「一緒だよ」
「本当に?」
「本当にだ!」
「慧ちゃん大好き」
「うん。俺も優生が大好きだよ」
 機嫌を直した優生の満面の笑顔は、慧の心をいつも癒やしていた。
 この笑顔を守りたい守って見せると、慧は子供心に誓い自身に言い聞かせていた。

 優生はふと眠りから目覚めた。
 長い長い夢を見ていたそれは、とても幸せでかけがえの無い物の様な気がするが、夢の内容を思い出す事は出来なかった。
 ベッドに上半身だけ起こし軽く目を擦る「ここは~・・・・何処だろう?」見慣れない部屋の暖かなベッドで目覚めた優生は、自分が何処に居るのかまるで解らなかった。
 おもむろにガシャンと音が鳴り響き、優生はビクッとして音のした扉の方を見る。
 そこには涙が今にも溢れそうなイリスが、落とした水とお盆に目もくれず口を抑え優生を見ながら立ち尽くして居た。
「お・・・・・・お姉様・・」
 イリスは優生に駆け寄り抱きついた。
「お姉様、お姉様、お姉様ー」
 ベッドの優生に抱きつき抑えられなかった涙を流しながら、イリスは泣き崩れた。
 イリスが余りに泣きじゃくるので、優生は暫く頭を撫でてあげながら。
「大丈夫?」
 優生は優しく聞いてみる。
「はい、はい、だいじょ~ぶですぅ~」
 大丈夫じゃなさそうね?と思ったが泣き止むまで待つことにした。
 数分泣いてスッキリしたのか?イリスは急に立ち上がり。
「皆さんを呼んで来ますね!」
 余りの元気の良さに優生は呆気に取られ、扉から出て行くイリスを見送ってしまった。
「困ったわね~」
 体が重く手足もいまいち上手く動かない、窓辺に行って外を見ればここが何処なのか解るかもと思い、ベッドから降りようとしてみるものの、倒れてしまいそうなので諦める。
 そこへイリスが連れた悠海と和人が現れた。
「ね~さーん」
 和人が抱きつきそうになった瞬間、イリスと悠海が同時に蹴りを入れ壁まで吹き飛ぶ和人。
「やめて下さい和人さん!セクハラですよ、セ・ク・ハ・ラ」
 悠海に怒られ少ししょげる和人。
「良いじゃないか、ハグだよハグ」
「コ・ロ・シ・マ・ス・ヨ?」
 イリスにまで怒られ脳天気な和人も流石に反省しながら。
「ごめんなさい、許して下さい、お願いします」
 そんな三人のコントを見て優生は思わず吹き出す。
「フフフフ」
 優生の笑顔が見れて三人も満面の笑みを浮かべた。
「ハハハハハハハ」
 和人が嬉しさの余り大笑いすると、イリスも悠海も釣られて爆笑してしまった。部屋の中は四人の明るい笑い声で包まれたが、優生が次に発した言葉で全てが凍りつく。
「皆さんとても仲が良いんですね」
 み、皆さん?和人もイリスも悠海も同時に優生を見た!
「えっ?お姉様今・・なんて?」
 えっ?と、優生も疑問に満ちた表情で固まってしまう。
「またまたまた~優生さんも冗談きついなぁ~」
「それは私の名前ですか?」
「おいおいおいおい、マジで?慧さんの事は?」
「慧さん・・・?」
 その場に居た誰もが動きを止め、長い長い沈黙がその部屋を包み込んで行く。

 和人、イリス、悠海の三人は応接室で長い無言の時を過ごしていた。誰も何も先程の優生の状態に付いて触れようとしない、どうしたら良いのか解らないと言った方が正しいのであろう。
 和人は窓から外を眺め、イリスと悠海はソファーに力無く保たれて居る。
「・・・お姉様・・・・・・・グスン」
 イリスは溢れそうになった涙を袖で拭い、一生懸命堪えている。
「やっぱり・・記憶が無くなったのかな?一時的な記憶の混乱って事は?」
 悠海はボソリと呟く。
「逹也さんの言い方だと・・・俺達との記憶全てが無くなったと思って良いんじゃないか、何より慧さんの事を忘れる位なんだから・・・あの優生さんがだぞ!」
 口を開けば気分が重くなる様な話題しか今は出て来ない、三人はまた黙りこんでしまうがそこに一人の男性が入室して来た。
「優生さんが目を覚ましたって?」
 男の名は相馬秀明(そうまひであき)三十五歳、顎髭を少し生やしているが見た目は二十代後半に見える男前だ。
「どうした皆?少し暗いぞ?」
 三人のテンションの低さに驚いたが、成程やはりそうだったか!と察した様な素振りを見せた。
「皆聞いてくれ、優生さんが例え記憶を失っても俺達は優生さんを守ると決めた!そうだな?」
 三人は頷いた。
「ショックなのは解るが、何より今は目を覚ましてくれた事を喜ぼうじゃないか、半年近く眠りに就いていてもしかしたら目覚めないかも知れないと言われていたんだぞ?それが今日遂に目覚めたんだ、こんなに嬉しい事は無いだろ?これからまた優生さんには俺達の事を知って貰えば良いじゃないか。な?」
 三人は相馬の言葉に納得した、何より優生とまた新しい関係を築いて行けば良いんだと思えた。
「そうですよね、私お姉様の所に行って来ます」
「私も行くー」
 イリスと悠海は憑物でも落ちたかの様に、晴れ晴れとした笑顔で部屋を出て行った。和人も行こうとしたその時、相馬に「ちょっと良いかい?」と止められる。
「どうしました相馬さん?」
「今仲間から連絡があった。グリゴリが鎌倉に向かっていると」
「このタイミングで、ですか?」
「あぁ~もしかしたら、優生さんが目覚めたのを察知したのかも知れないな」
「俺が行きます相馬さん」
「いや今回は俺が行く、和人はここを。優生さんを守ってくれ」
「でも一人じゃ難しいんじゃ?」
「大丈夫だよ。この半年は正にこの時の為に準備をしてきたんだ、俺は一人じゃない任せてくれないか?」
 相馬は和人の肩をポンと叩き、軽い足取りで部屋を出て行く。

 相馬は屋敷の地下に在る司令室に居た。
 十数台のモニターにそれぞれオペレーターが配置され、さながら防衛基地の様相を呈している。ここは相馬率いる使徒達が神国と秘密裏に作りあげた組織、ヴァルハラの中枢部でも在る。
 相馬秀明はあの飛行機事故の際、最も慧と優生の近くに居た者である。
 当時は消防隊員であり、あの時優生を必死で助けようと業火に飛び込んだあの勇敢な消防士その人である。
 あの瞬間相馬秀明は天啓を受けた、優生を守れと!
 勿論あの時に天啓を受けた者は他にも居る、優生に命を救われた者の中にも数名居た。そして力を使い果たし意識を失った優生と重症を負った慧を、世界から隠したのも彼等なのである。
 あの場で目覚めた彼等の協力無くして、身を隠す事など不可能だった事は言うまでもないが、同時に彼等は日本国政府にも太いパイプを作り上げたのだ。
 いつか始まるであろう神国と世界、或いは使徒同士の争いに備えて。
 
 そして今優生が居るこの屋敷は神奈川県相模原市にある、神国国防総省支部敷地内の屋敷なのだ。
 神奈川とは今思えば不思議な土地である。この国で唯一「神」を県名に含み、時代名にまでなった「鎌倉」の名を県内に持つのは、神奈川県唯一なのだ。
 その鎌倉市内に神国国防総省対使徒組織本部、通称ヴァルハラが設置されている。
 相馬秀明がその対使徒組織本部ヴァルハラの総司令をこの若さで任されているのは、国会議事堂へのデモ隊突入阻止という実績があったからに他ならない。
 神不在という不安定な時期に優生以外の使徒が目撃されたのは、あの時が初めての事であった。そしてあの出来事により世界からの脅威を軽減出来たのも、相馬の功績と言っても過言では無いだろう。
 その時から今日に至るまで相馬と相馬の元に集った使徒達、そして国の官僚が準備を整えて来たのだ。
「モニターに映し出せ」
「はい」
 モニターに映し出された使徒はグリゴリに属す堕天使ベルゼブブだった。
「やはり来たか。慧様優生様に天啓を受けながらも、裏切り者となった逹也の手先め!」
「鎌倉まで距離七千、本部からはアレス様オケアノス様が既に対空防御に入っています」
「俺も直ぐに向かう。直接奴らに突っ込んでやろうじゃないか」
 そう言って相馬は敷地内の広い庭に出てきた。
 相馬秀明はトール神、雷の化身とも雷撃の神獣とも言われる使徒である。
 距離にして鎌倉の沖合七千の位置まで、およそ四十キロその距離を僅か十五秒で到達することが出来る神速の持ち主だ。
「待っていろグリゴリ共、今直ぐに神の鉄槌を喰らわせてくれる」
 その瞬間相馬の姿は掻き消え、旋風が一つだけ巻き起こった。
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