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全て貰って逝くよ

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  ベッドの傍らで逹也が慧を抱き支え、その脇に和人、悠海が立ち、窓際でグリゴリの動向を龍史と相馬が監視している。
 静まり返った部屋で皆が見つめるその先にイリスは居た。慧の死に様を看取ったイリスに、その場に立ち会えなかった逹也達はせめて最期の瞬間だけでも聞いて、胸の中に慧の存在を留めて置きたかったのだろう。
 真剣な眼差しで見つめられイリスは少し緊張していた。
「・・・あ、あの・・」
「イリスさん。見たままで良い、聞いたままで良いから慧ちゃんの最後を教えて欲しい」
 先程まで少々取り乱していた逹也が、今では落ち着いた様子でイリスに優しく問い掛けた。
「はい。では・・・」
 イリスは時間にしたらつい先程の出来事だが、漏らす事無く全て伝えなければと少し考えてから話し始めた。
「皆さんが出て行った後、私窓辺で外の様子を見ていたんです・・・・」

 ・・・十数分前
 
 龍史に促され悠海が部屋から勢い良く出て行く。
 イリスは自分の無力さを感じながらベッドに腰掛けて居たが、相馬が現着した際の稲光に驚き窓から外の様子を見に行った。
「凄い数の使徒・・・どうなっちゃうんだろ私達」
 不安一杯で今にも泣き出してしまいそうなイリス。
 胸の前で手を合わせ祈りを捧げるその様は、自分が使徒である事を忘れ人間であった頃と変わらぬ敬虔な信者その物であった。
「大丈夫だよイリスさん」
 突然背後で声が聞こえ、飛び上がるように驚く。
「慧さん!」
 ビクッと飛び跳ね可笑しな声で悲鳴を上げた自分が少し恥ずかしくて赤面するものの、起き上がれるはずのない慧がそこに立って居るのを見て、そんな恥ずかしさは忘れて慧の心配をする。
「起きて大丈夫何ですか?皆が慧さんは暫く起きないって。ヘタしたら一年以上起きないかもって!」
「うん・・・大丈夫とは言えないけど、今はそんな事も言ってられない状態だからね」
「使徒が沢山攻めて来たから?」
「ううん、違うよ・・・・優生が危ないんだ。このままだと死んでしまうかも知れない」
「えっ!」
 イリスは一瞬で青ざめた。
「どうしてですか?苦しそうでもないし、寝てる様に見えるのに」
 直ぐさまベッドに駆け寄り優生の手を握ると、慧を見上げながら瞳一杯に涙を浮かべて慧に問いかける。
「お姉様・・・本当に死んじゃうの?」
 独りぼっちになってしまうかも知れないと思ったら、堪える事の出来ない大粒の涙が次から次へと溢れてしまった。
「嫌!そんなの嫌です」
 そんなイリスを見て慧は、あらためてイリスがまだ幼いんだなと思った。そして子供をなだめる様に優しくイリスの頭を撫でながら慧は言う。
「大丈夫だよ、だから俺は目覚めたんだ。優生を死なせはしない、俺が絶対に護ると誓った事だからね。この身に賭けて約束しよう、イリスさんを独りぼっちになんてさせないよ」
 声にはならなかったが、うん!うん!と泣きながら何度もイリスは頷いた。
 そして慧はイリスの横でベッドの脇に膝立ちになり、優生の顔を見つめながら優しく頭を撫でる。その表情は今現在命の危険が迫る状況だと言う事を忘れてしまう程に穏やかで、愛情一杯に我が子を愛おしむかの様にまるでそれは親が見せる表情にも思えた。
 何故だかイリスは、その表情を横で見て赤面してしまった。大きなとても表現できない程に大きな愛を、慧の仕草一つ一つから感じたからなのかもしれない。
 イリスには勿論これから慧が何をするのかなんて解りはしない、しかし慧の洋服の腹部に滲み出てきた血の量を見て驚きを隠す事は出来なかった。
「慧さん!血が!」
「うん、解ってる。この間の傷がまだ治っていないんだ」
「このままじゃ慧さんの方が危ないですよ」
「そうだね・・・本来なら優生が俺の時間の流れを極端に遅らせる事で、影響を受けにくい俺が元から持っている自己治癒能力が少しづつ治して行く予定だったんだけどね」
「じゃあ何故?」
「優生の力が突然弱まったんだよ。これは俺の推測だけど優生が本牧山頂公園で俺に力を使った際に、女神の力を俺が奪ってしまったんじゃないかと思うんだ」
「そんな事、可能なんですか?」
「・・・聖杯。アスラは俺が聖杯だと言った。全ての神の力を行使出来る様な事も言っていた、それって神々の力をこの身に取り入れるって事なんじゃないかな。神々の力を入れる器、それが聖杯と言う器に例えられて居るんだと思う。優生の力を奪ったのは意図してやった事では無いけれど、飛行機事故の時に比べて色々な物が流れ込んで来たのを感じたんだ」
 色々な物。その中にはきっと慧に対する絶対の愛情もきっと入っていたんだ!イリスは確信した。何故ならそう言った時の慧の表情が、全てを物語って居たからだ。
「使徒が傷付いても神力が残っていれば消滅する事は無い、傷も人間に比べれば遥かに早く治るだろう。しかし傷を負わないでも神力を無くしたら、存在理由を失くしたかの様にこの世界から消滅してしまうだろう。覚醒する前は人間の摂理に基づく死の定義がこの世界では優先される様だから消滅したりはしないと思うんだ。人間として死を迎えるか、使徒として死を迎えるかの違いじゃないかな?」
「じゃあ力を失くしたお姉様は消滅しちゃうの?力を返す事が出来るんですか?」
「・・・力を返す事は出来ない様だ。さっきから試して見ては居るんだが・・・」
 その言葉を聞いてイリスはまた瞳一杯に涙を溜める。
「まって!泣かないでイリスさん!まだ違う方法が在るんだ」
「本当?」
「うん・・・きっといけると思う。でも・・・・・・・」
 そこで慧は言葉を詰まらせた。
「でも?」
 ほんの数秒だったが沈黙に支配された部屋の中で、イリスが息を飲んで慧の次の言葉を待った。
「イリスさん・・・俺が優生の時間を操る力を手に入れる事が出来たらその力で、優生を覚醒前の人間に戻そうと思う。優生にはまだ他の世代で得た力が残るはずだから、俺が時間操作の力だけを奪えば優生の体は消滅したりはしないはず、そしてここからが重要だ・・・・」
 また言葉に詰まる慧。
「上手く出来るかは解らないけど、優生の記憶を消そうと思うんだ」
「どの記憶ですか?」
「俺や龍史、使徒に関わる全てだ」
「そんな!慧さんの記憶を消すだなんて・・・まだ付き合いの浅い私から見たって解る位に慧さんがお姉様の全てと言っても良い存在なんですよ?それを消してしまうなんて」
「だからだよ・・・俺はもう長くは保たない。優生の力を手にしても自分に作用させる事は出来無い・・・」
 そこまで言った瞬間慧は、大量の血を吐血し咳き込む。
「大丈夫ですか!」
「・・・だから俺が死んだ事を知った優生がどれほど悲しむか、下手すりゃ後を追って来かねない。だから、だから俺の・・・」
 慧は突然涙をこぼし、話を続けることが出来なくなってしまった。
 愛する者に忘れられるなんて、二度と思い出して貰えないなんて、そう考えたら止めど無く涙となって思いが溢れてしまったのだ。
 神にのみ許された近親相姦。そんな理が在ったなんて事は慧も優生も知りはしない、しかし二人は幼い頃からお互いを守りお互いを尊びお互いを愛していたのだ。お互いをかけがえの無い存在として自然に意識してきたこの兄妹にとって、相手の死は自らの存在理由を無くす事と同義であった。
「・・・慧さん」
「イリスさん!これからも優生を頼みます。逹也達にも宜しくと言って置いて下さい、な~に大丈夫アイツラなら優生を大切にしてくれますから」
 そう言った慧の笑顔はとても吹っ切れた、爽やかにさえ見える程に屈託のない笑顔だった。
「後一つ!優生の肉体年齢が何処まで遡るかは、やって見ないと解らないんだ。今回は時間の流れを遅くするんじゃない戻すんだ、下手すりゃあの飛行機事故の頃まで戻ってしまうかも知れない、目を覚ますのに何ヶ月掛かるかも解らないんだ。何もかも任せっきりで本当に済まないと思ってる、でも優生を慕い必要としてくれるイリスさんになら安心して任せられるから」
「・・・はい・・・はい。頑張ります」
 涙を堪えた慧に悪いと思い一生懸命泣くのを我慢しようとしたイリスだったが、こんなにも大きな愛を見た事がなくこれから死にゆく者の覚悟を目の当たりにして堪えられるはずもなく、それでもイリスは泣きながらでは在るものの精一杯の笑顔で慧に応えた。
「じゃあ始めるよ」
 慧は優生の手を優しく両手で握ると、静かに目を閉じる。外の喧騒が突然聞こえなくなり、部屋の中だけが別の場所に移った様にも感じた。
 すると優生の体が淡い光に包まれ始め体全体を覆うと、その光は次第に慧の体までも包み込んで行く。
 慧は優生の体をそっと優しく抱き起こすと、優生の頭をとても優しく慈しむ様に何度も撫でた。
「頑張ったな優生・・・もう静かに暮らして良いんだからね・・・生まれてくれて有難う、妹になってくれて有難う、愛してくれて有難う。もし、もしも叶うなら・・・来世でも側に居てくれるかい?」
 そう言い終わると慧は優生に優しく口吻をした。その時同時に慧は優生の記憶から、自分を含む使徒にまつわる全ての記憶を消したのだった。
「お前の記憶は俺が貰って行くよ、だから幸せになっておくれ。愛してるよ」
 一部始終を脇で見ていたイリスは泣くどころでは無くなっていた、床にひれ伏し涙という涙全てを流してしまいそうな勢いで号泣してしまう。
 こんなにもお互いを慈しみ愛し必要としているのに、別れがこんな形で訪れるなんて酷すぎるじゃないか!
 イリスは純粋過ぎた為にこの不条理で、受け入れがたい現実に対する不満をぶつける相手のいないもどかしさからか?意識せずにいつの間にか羽根を出し、憎しみにも似た感情から真っ白な羽根を黒く濁らせ堕天し始めてしまったのだ。
「あぁ~ああ~うわぁーーー」
「大丈夫。大丈夫だよイリスさん!落ち着いて」
 慧もイリスの変化に気付き、急いで駆け寄る。幼い少女には耐えられない現実だったかと慧は後悔した。
 しかし優生の妹でも在るイリスを、堕天させる訳には行かない。慧はイリスを抱きしめ優生に使った同じ力で、イリスの力を少しづつ奪って行くしか手立ては無かった。
「イリスさん!イリスさん!」
 何度も声を掛けイリスを呼び戻す慧。すると少しづつイリスから力が抜け、黒く染まり始めた羽根も白さを取り戻す。
「イリスさん落ち着いたかい?」
「・・・わ、私」
「もう大丈夫、君が堕天したら優生はきっと悲しむよ?だから自分を責めないで、世界を責めないでくれ、君が居てくれないと俺が安心して逝け無いだろ?」
 最後は少し軽くおちゃらけた感じでイリスに言い聞かせる。自分が悲しみに包まれたままイリスさんの前で逝く訳には行かなくなったからだ。
「もう時間みたいだ・・・イリスさん!優生を頼んだよ。君なら大丈夫」
 そう最後にイリスに言い聞かせ、慧はゆっくりとベッドに保たれる様に膝から崩れ倒れた。


「・・・・・・これが全てです」
 イリスは気丈に事細かに全てを話し終えたが、悠海はその場で泣き崩れ他の者達も涙を堪える事は出来なかった。
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