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第1章

9 一触即発

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「フローラちゃん。私は行けない」 

 藤山葉子ふじやまようこはフローラの手を取れなかった。先ほどのエルピスの話を聞き、躊躇したからだ。
 だが、それはお構いなしという風に金髪の女は彼女の腕を掴むと、ぐいっと引き寄せた。

「葉子さんに危険が迫っています! 奴らがあなたに接触してくるのは、もう時間の問題です。すでに小賢しいエルピスがあなたを惑わせるために現れました。だから、私と一緒にこちらにきてください」
「う、嘘! あの子はあなたに邪魔されたと言ってたわ。本来はあなたの役目じゃなかったって! あなたは本当に私を助け――」
「ああ、葉子さん……。やはり、これではいけませんね」

 フローラは微笑むと、血相を変えている葉子を抱きしめた。
 
「私を友達と言ってくれて嬉しかった……。ですが、私は葉子さんが欲しいです。あなたとは恋人になりたいのです。あなたが他の奴に取られるのは絶対嫌です。だから私、そうなる前に――」

 そのとき、葉子はどこからかざわめきが聞こえると思った。それは彼女の背後からだろうか。
 薄桃色の艶やかな唇が、葉子の耳元で囁いた。

「あなたを私だけのにしますね?」

 金髪の女が口元に笑みを浮かべたその瞬間、葉子の意識が薄れていった――。
 
 街明かりに照らされて、フローラはご機嫌に鼻歌を歌っている。
 葉子は彼女に手を繋がれながら街中を歩いていたが、先ほどからぼんやりしている状態だった。また、頭痛と耳鳴りが酷く、目も虚ろだった。
 
 二人は街の入り口から街道へ向かった。
 道案内の看板が立っている手前で金髪の女は立ち止まると、葉子に背を向けてブツブツ何かを呟き始めた。彼女には何の言葉なのか分からなかった。

「藤山葉子、そんな所で何しているの?」

 ふいに、葉子を呼ぶ者がいた。

「今の時間帯は、魔物が活発だから危ない。街に戻ってきなさいよ」

 街の入口には、先ほどの男が立っている。
 しかし、葉子は男へ見向きもせず、返事をしなかった。何故なら今の彼女は、フローラに付き従う人形そのものだったからだ。
 フローラは男に気付いていないようで、くすくす笑うと葉子へ向き直った。

「踊りましょう、葉子さん」

 金髪の女は葉子の頬に口づけをすると、一緒にワルツを踊り始める。
 葉子はマリオネットのように、彼女の動きに合わせて踊っていたが、「はい、アーテー様……」と呟いた途端、膝を折った。

「葉子さん、踊るのが上手ですぅ。うふ、そろそろ馴染んできました?」
「あの小娘……まさか傀儡状態に!?」
 
 紫髪の男は舌打ちすると、葉子へ向かって走り出した。

「藤山葉子!」
「え?」

 突然見知らぬ男がこちらに走って来ることに、金髪の女は驚いた。

「誰ですか、あなたは? 私たちの邪魔をしないでくれません?」

 フローラは言うやいなや、隠し持っていたナイフを、ロングスカートのスリット部分から出すと右手で構えた。彼女の左手は、葉子の右手と繋いだままだ。
 男は足を蹴って飛び上がると、高く引き上げた左足をフローラの右手に、かかと落としした。その衝撃で色白の手からナイフが落とされた。フローラの右手が赤く腫れる。
 次に彼は、葉子の手を繋いでいる彼女の左手を解く。自身の背中側へ素早く引き入れると、葉子の額に右手をかざした。

「我、汝を解呪する――ディスペル」

 紫髪の男が唱えた瞬間、もやが晴れたように、葉子の意識が戻った。

「ふあっ!?」

 彼女は目をしばたたかせると、「あれ? 私、何で街の外に……?」と辺りを見渡した。

「きゃあっ! この暴漢! 痛いですぅ……!!」

 金髪の女は右手の痛みと、突然見知らぬ男に葉子を奪われたことで、泣き声を上げている。

「葉子さん! 葉子さんがっ……!! 何なの、お前っ!」

 殺気のこもった目が紫髪の男に向けられた。葉子はフローラの叫び声で、男の存在に気付いた。

(この人、エルピス君の知り合いの……)

 彼が何故ここにいるのか。葉子は今の状況を飲み込めず、呆気にとられた。

(さっきは嫌味っぽくて、素っ気ない態度だったのに。あの後、この人は家に帰ったんじゃないの? それに、私はどうして、フローラちゃんとここにいたのかしら……)
 
 この男が一体何を考えているのか、どうして自分はここにいるのか……。
 彼女が考え込んでいると、男はばつが悪そうに言った。
 
「あの子を送った後、用事を済ませて広場に戻ったの。あんたが気になってさ……」

 彼曰く、泣き続けるエルピスをなだめながら家へ送ると、自宅へ帰るやいなやスズランの手足の汚れを落とし、手早く毛づくろいをした。子犬におやつと毛布を与えると、急いで広場へ戻ったが彼女の姿はなかった。
 一晩くらい大丈夫かと思い、家へ戻ろうとしたところ、街道の方へフラフラ歩いている葉子を見つけた。隣には見知らぬ女がいたので、気になって後を追った。

「遠目で見ていてあんたの様子が何か変だと思ったら、状態異常にかかっていたの。あの女の仕業だった。それは解除したから安心して」
「私にそんな記憶はないけど、そっか。だからフローラちゃんといたのね……。というか」

(解除って……この人、魔法か何かを使えるの? わざわざ追いかけてきて、私を助けてくれた?)

 葉子は男へ視線を向ける。

「さっきは悪かった。あんたを一人残したのは私のミスだった。だから――」
「何ですか! この害虫……!! 私の葉子さんにベタベタ触らないでくれます?」

 金髪の女があからさまに、男に対して不快感を滲ませた。

「不審者ですかストーカーですか? そうですね!? 葉子さんにまとわりつく、気持ち悪い害虫は、消えろ!!」

 激昂した声で言い放つと、両手でナイフを構え、ブツブツ何かを言い始める。
 葉子はそれが、攻撃魔法だと気付いたときには遅かった。
 彼女のそばにいた男は、数メートル先まで吹き飛んでいた。彼は思いっきり地面へ転がると、うつ伏せのまま動かなかった。

「なっ……! あんた、何やってるの!?」 

 葉子の顔から血の気が引いた。
 無抵抗の相手にいきなり魔法を放つなんて、間違いなく危険だ。彼女は慌てて男に駆け寄った。
 背後から、「葉子さん?」とにじり寄ってくる気配が感じられる。

「ちょっと、あなた大丈夫!?」 

 葉子はうつ伏せだった男を仰向けにした。今の衝撃だろうか。彼はぐったりしており、頭と口元から血を流している。葉子は咄嗟に袖で拭った。
 次に胸に耳を当てて心音を聞く。しかし男の心臓の音が、聞こえない。

「!! えっと……、心臓マッサージ!」

 自分の目の前で人が死ぬ――。葉子は震える手で、男の胸を何度も押した。
 フローラは、まるで汚物に触ったかのように手をはたく。

「葉子さん……。そんなゴミみたいな不審者といつ知り合ったのですか? いけませんよ? この世界は色々危ないのですから。これから私が一から百まで教えますからね?」
「危ないのはあなたもでしょ!? 自分を棚上げしてるんじゃない!」

 葉子は叫ぶと、自分の周辺の砂をかき集める。

「フローラ! こっちに来たらこうだからね!?」

 葉子は右手で砂を掴むと振りかぶり、フローラめがけて投げた。残念ながら、それは空振りに終わり、金髪の女にはかすりもしなかった。

「うふふ! 葉子さんったら。砂遊びですか?」

 金髪の女が、葉子の前まで来るとしゃがんだ。

「大人しく私を受け入れなさい。そうすれば、あなたは永遠に幸せになります」 

 色白の手が、葉子の両頬を撫でる。

「さっきのが急に切れちゃったので驚きました……。なのでもう一回、かけておきますね? 今度は強めに――」
「んふふ……。不審者って、私が……? ふふ、ふは!」

 乾いた笑い声が聞こえ、葉子は振り向いた。紫髪の男は口元に手を当てながら起き上がっていた。

「そこのお嬢さん……。永遠って、ある意味呪いみたいなものじゃないの? 私はそういうの――」 

 男はそこで口を結んだ。
 葉子は、「よかった!」と言うと、彼の髪や服に付いた汚れを手で払った。その様子を見ていたフローラが嗚咽する。

「可哀そうな葉子さん……! その不審者に洗脳されちゃったんですね? ですが大丈夫です。私が呪いを解きますから! 私だけが葉子さんの味方です!」

(いつ、私は呪われたのよ……?)

 心の中でつっこむ葉子へ、男は顔を向けると、

「ねえ、藤山葉子。ちょっと散らかっているけれど……あんたがいいのなら、今晩うちに泊まれば?」 
「……! ありがとうございます!」

 葉子はガッツポーズをして立ち上がると飛び跳ねた。男は葉子を、まるで小動物を見るような目で見つめた。
 二人を見ていた金髪の女は唇を噛むと、発狂した。

「この不審者!! いい加減、私たちを早く帰らせてください!! どうして邪魔するのです! 次は手足をもぎますから、安心して死んでくださいね!? 葉子さん、待っていてください! すぐにその男を殺します!!」
「フローラちゃん、その発言物騒すぎるんだけど!?」

 葉子はおろおろしながら、男の服の裾を掴んだ。

「何かやばいよ、あれ! 逃げる?」

 金髪の女の背後から、ザワザワと囁き声が聞こえる。それらはやがて、ケタケタと笑い声を上げ始めた。

「さあ、闇に踊れ――!」

 フローラが咆哮すると同時に、何かがその場に現れようと、うごめいた。
 そこで紫髪の男が立ち上がった。

 葉子は不安になりながら、彼の後ろ姿を見つめる。
 そのとき、葉子の耳にキン、という音が聞こえた。例えるなら金属の音だろうか。葉子は何となく、今の音の発生源は男からだと思った。
 金髪の女へ照準を合わせた瞬間、男の双眸が鋭く光った。
 
 フローラが違和感に気付いたときには、すでに彼女の身体の半分は地面に吸い込まれていた。

「嘘……!? あの不審者、いつの間に魔法を――」

 まるで穴に落ちるように、金髪の女の姿が掻き消えた。 

 葉子は驚くと、フローラがいた場所へ走った。地面を足で蹴って確かめてみたが、穴が開いている様子も人が落ちるような状態でもなかった。戸惑いながら、彼を見つめる。

「あの子、面倒くさいから追い払った」
「へ?」
「今頃どこかで転んでいるかもねぇ……。背後の厄介そうな奴も引っ込んだと思う」
「そ、そうなの? あれって何だったの?」
「あの子の眷属かな? 安心しなさい。フローラちゃんとやらは、しばらく貴女に絡んでこないから」
 
 しばらく、という言葉が気になったので、葉子は質問しようとした。すると紫髪の男は踵を返すと街の方向を指した。

「それじゃあ、帰りましょうか」

 葉子は釈然としないまま、彼とともに街へ戻った。
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