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蛇使いの女

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(紫蘭はどこだ?)

 ズルズルと進みながら、時折、鎌首を持ち上げて何かを探して這い廻る。大蛇に怯える皆が壁に張り付いて同化を試みたり、手近な物陰に慌てて隠れようとする姿を見ていると、申し訳ない以前にいっそ面白い。

 あれから執務と必要な時以外は蛇になる。
 もちろん、紫蘭が大蛇に会いやすいようにだ。

 庭園でしか見かけなかった大蛇が、城内をうろつくようになったせいで、召使いや衛兵達を怖がらせてしまっているのは知っている。だが、こちらは生涯の伴侶が得られるかの一大事なのだ、申し訳ないが諦めてもらおう。

(しばらく我慢してくれ)

 ズルズルと紫蘭を目指して城内を進む。


「あら、こちらにいらっしゃったの?」

 (紫蘭! 探したぞ?)

 紫蘭は大蛇姿の俺を見つけて、嬉しそうに頬を染めて寄って来た。あまりにも嬉しそうで、既に彼女に好かれているのでは?と勘違いしそうになる。慌てて鎌首を振って正気に戻った。

「今日は一緒に図書室に行きましょう?」

 (やはり、この姿の俺には優しいな)

 優しく俺を誘う紫蘭に嬉しさが込み上げて、素直に図書室に向きを変えると、その俺の横を紫蘭がついてくる。

「やっぱり、私の言うことがわかってらっしゃるのね。嬉しいわ! もっとお話しましょう?」

 ズルズル…

(人の姿の時にも、そういう君でいてくれないものか……)

 蛇の俺に見せる紫蘭の笑顔や優しさを知っているだけに、人型で彼女に会って冷たくされることが耐え難い。

(俺もとんだ臆病者だ。緑華が翡翠になかなか蛇だと打ち明けられなかったのも無理はない)

「大蛇さん。何てお呼びすればいいかしら?」

 ズル…… (ん?)

 物思いに耽っていると、紫蘭が愛称をつけてくれる話しになっていた。

「蒼亜殿下の蛇ですから、あお様で宜しいかしら? 青くていらっしゃるし」

 タシーンッ

 紫蘭を見つめて、尾で床を叩いて頷いた。

「ふふ では蒼様、参りましょう」

(本当に大蛇の俺といるのが嬉しいのだな)

 感極まって、人型に戻って抱きしめてしまいそうになるのを、どうにか踏みとどまった。
 第一、今、人型に戻れば俺は素っ裸だ。破廉恥きわまるどころか、変態皇子が誕生してしまう。

(落ち着け、今は我慢だ! しかし、蒼様か!)

 ズルっ くねくね ズル…くねくね

 彼女だけの俺の呼び名に少し興奮して悶えてしまう。


 皇城北塔にある皇族用の図書室には、床に厚い絨毯とクッションを並べた席が設けられており、他にもとぐろが巻けるような設え付きの本棚が並んでいる。
 紫蘭は床に座ることにしたのだろう、俺を手招きして呼んだ。

「こんな席があるなんて珍しい造りですのね」

達が来るからな)

 紫蘭はとても自然に、とぐろを巻いた俺にもたれ、読書を始めた。

(そんなにも俺に心を許してくれているのか!)

 彼女に捕食欲が湧くほど感激してしまい、皇太后陛下ばあ様に『食べてしまいたいくらい可愛いわ』と幼い頃よく言われていたことを思い出した。

(ばあ様、今ならその気持ちがわかるよ)

 そんな気持ちを知る筈もない彼女は、時折、その白い指先で俺を撫でてくる。彼女はほんの手遊びのつもりかもしれないが、俺にとっては愛撫以外のなにものでもないのだ。同じように紫蘭に触れたくて堪らなくて悶えてしまっても仕方がないと思う。

 俺の邪な気持ちを知らない紫蘭は、本に感動すると、に抱きついて感想を聞かせてくれる。くるくると変わる表情がとても可愛い。 

(ええい、くそっ 我慢できない!)

 可愛い過ぎて紫蘭の身体に巻きついてしまっても、彼女はまったく抵抗しない。に身を任せて本に夢中になっている。

(もっと抱きついても構わないのでは?)

 ヒトの姿の時には触れないので、チャンスとばかりに紫蘭の身体中に巻きついて堪能する。
 彼女にとってはクッションの代わりかもしれないが、俺にとっては密着デートだ。

(ああ、俺の伴侶……)

 夢に見た伴侶との触れあいに、身体が震える。

「どうかなさった?」

 気付いた紫蘭が心配して、大蛇の目を覗きこむ。

 家族以外の女性から、蛇の姿の時に心配されたことがなくて、嬉しくて強く巻きついて彼女の顔を舐めた。

「あら、ふふ」

(降参だ。俺はもう君にメロメロだ)

 いつの間にか自分の方が彼女にまいってしまったことを認めた俺は、紫蘭が図書室を出るまで、彼女の首に頭を寄せて過ごした。

 この日から図書室はデート場所になった。彼女が図書室にいく時間は大体、決まっていたので、執務時間を調整してベッタリくっついた。

(紫蘭は大蛇と本を読みに来ただけ、だけどな 。それにしても、人の姿で好かれるにはどうすればいいだろう。それに、大蛇が俺だと打ち明けるなんて……嫌われたくない)

 悩み過ぎて、人型で紫蘭に会うことを避けてしまうようになってしまい、大蛇のまま彼女と過ごすようになった。

 そのせいで紫蘭は、城勤めの者達から畏敬を混めて、蛇使いと呼ばれるようになっている。

「蒼様を『使う』だなんて! お友達ですのに!」

 紫蘭が検討違いに怒っているのが愛しい。

 (彼女のいる毎日がとても幸せだ。もっと一緒にいたい)

 俺は問題を先送りして、呑気に幸せを満喫してしまっていた。後から悔やむことになるなど思いもしなかった。



 別の日の昼前、執務中に側近から知らせが来た。

「蒼亜殿下、紫蘭様が大蛇に会いに行くそうです」

 喜びで席を立とうとして、気づく。

「まだ終わっていない……」

 執務机の上には、まだ書類が山のように積まれて残っている。書類の一枚一枚が民の暮らしに直結するのだ。どんなに彼女が大切でも執務を後回しには出来ない。

「紫蘭に会いたい」

 わかっていても、口をついて出てしまう。
 側近達が申し訳なさそうに此方を見ていた。

「仕方ない、今度にするよう伝えてくれ」

 コンコンッ

 ノックと同時に弟皇子が執務室に入って来る。

「水臭いな、兄上」

「緑華!」

「今度は俺が応援する番だからさ」

 そう言って書類をかっさらって行った。


 唖然として見送った俺に、側近が教えてくれた。兄弟で俺の分も代わるからと、「当分、蒼亜兄上に仕事をさせるな」と言っていったそうだ。

 兄弟皇子達も、伴侶を得る難しさを身を以て知っている。兄皇子達と弟皇子に感謝して、俺は大蛇に姿を変えて紫蘭を待つことにした。


「本当に宜しいんですの?」

 執務室に案内されてきた紫蘭は、不安そうに部屋を伺っている。

「蒼亜殿下がいらっしゃらないのに?」

「はい。蒼亜殿下よりそのように伺っております」

 側近が入室を促すと、遠慮がちに足を進め入って来た。

 そして、ソファにいる大蛇を見つけると、顔を輝かせて足早に寄ってくる。

「蒼様、こちらにいらしたら蒼亜殿下のお邪魔になります。私のお部屋に参りましょう?」

 タシーン タシーン

 魅力的な誘いだったが、移動時間が勿体ない。

「お嫌? でも……」

 困る紫蘭に、頭で奥の部屋を指す。

「そちらはいけません。殿下の私室ですわ」

 戸惑う紫蘭に巻きついて、部屋に向かわせる。

「蒼様、ちょっと!」

 か弱い女性が大蛇の力にかなうわけがない。
 牽きずるようにして紫蘭を連れ込んだ。

 そのまま、私室のソファに座らせ巻き付き直す。

「蒼亜殿下の留守に入り込むなんて……」

 タシーンッ タシーンッ

 落ち着かない様子の紫蘭に、尾を鳴らし顔を舐めて宥めた。


 ようやく落ち着いた紫蘭は急に静かになる。


「蒼様は、私に優しくしてくださいますのね」



  俺に ポタッ と水が落ちてきた。





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