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第八章 家族
第132話 突然の不安感
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クッキーの生地に、濃縮した果汁を混ぜてみたり、オレンジピールに香料で香りづけをしたりと試してみたが、どれも納得できるものではなかった。
「どうしたのですか……何を迷っていらっしゃるの?」
「満足のいくクッキーが作れないんだ。」
「満足できるクッキーとは、どのようなものなのでしょうか?」
「……味も香りも極上の……。」
「クッキーにそこまでの質が必要なのですか?」
「えっ?」
「私にとっては、茶菓に過ぎませんし、小麦粉を練って焼いただけのものに、そこまでの完成度が必要なのでしょうか?」
「あっ……。」
「なぜ、あなたがそこに拘っているのか存じませんが、もしお悩みがあるのでしたら私にもお話しいただけないでしょうか。」
「……、俺は……、君とキキョウさんが母さんの墓をきれいにしてくれている姿を見て、とても感動したんだ。」
「ありがとうございます。」
「その時の感動を、何かカタチに残せないものかと考えた……。」
「はい。」
「それで、その時のイメージを感じられるような香りをもったものが作れるんじゃないかって……。」
「そうでしたの。ありがとうございます。……でも……。」
「うん。」
「キキョウ先生がおっしゃっていたんですけど、お花の香りはとても儚いもの……。」
「そうだね。」
「きつすぎたら嫌味になるし、仄かに香るからこそ大切に思えるのではないでしょうか。」
「大切に……思える……。」
「香りの強いキンモクセイも、風にのって微かに届くから季節を感じられると思うのですが如何でしょうか?」
「……。」
「あなたに作っていただいた香水も同じです。ふとした時に、気づいていただける程度で十分なんです。」
「あっ……。」
「24時間、あの香りに包まれているよりも、キスをするくらい近づいた時に初めて感じていただけるくらいの方が印象に残るのではないでしょうか?」
「……そうだね。確かに……、」
俺は、昨夜ソフィアにキスをした時に、彼女の香りを感じたことを思い出していた。
「そうか、一時的に強烈なインパクトを与えられても、それは長続きしないのか……。」
「そうだと思うわ。」
「じゃあ、……ああ、狙いどころがますます分からなくなってきたよ……。」
「別に、今無理して作ることはないんじゃない?」
「うっ、確かにそうなんだけど……。」
「あなたは、もう十分に頑張ってくれたわ。少しゆっくりしていいのよ。」
「ソフィア……。」
ああ、そういえば俺はただの会社員だったっけ。
別に料理人や菓子職人だったわけじゃないし、技師でもない。ましてや政治家でもなかったんだ。
前世での経験と知識があったからやってきただけで、元々たいした人間じゃない……。
そう考えたら、急に楽になった。
十分な貯えがあって、ソフィアのように美しい妻もいてくれる。
国民の生活環境は向上したし、孤児たちの自立にも貢献できた。
これ以上、望むことはないんじゃないか。
俺は、突然不安感に包まれた。
ドラゴンの炎は、俺の体験ではない。単なる記憶だ。
だが、そのあとの火傷による痛みとの戦いは俺の脳裏に焼き付いている。
盗賊に襲われ、間一髪で収納に逃げ込んだ時。
俺をかばって死んでいった母さん。
救えなかった命。
魔物との戦い。
国同士の戦いと、多くの命を奪ったこの手……。
あ……あっ……。
急に体が震えた。
どうしようもなく震え、不安で押しつぶされそうになる。
「タウ!どうしたの、あなた!」
俺を呼ぶソフィアの声がだんだんと小さくなっていった。
【あとがき】
……予想外の展開に……。
「どうしたのですか……何を迷っていらっしゃるの?」
「満足のいくクッキーが作れないんだ。」
「満足できるクッキーとは、どのようなものなのでしょうか?」
「……味も香りも極上の……。」
「クッキーにそこまでの質が必要なのですか?」
「えっ?」
「私にとっては、茶菓に過ぎませんし、小麦粉を練って焼いただけのものに、そこまでの完成度が必要なのでしょうか?」
「あっ……。」
「なぜ、あなたがそこに拘っているのか存じませんが、もしお悩みがあるのでしたら私にもお話しいただけないでしょうか。」
「……、俺は……、君とキキョウさんが母さんの墓をきれいにしてくれている姿を見て、とても感動したんだ。」
「ありがとうございます。」
「その時の感動を、何かカタチに残せないものかと考えた……。」
「はい。」
「それで、その時のイメージを感じられるような香りをもったものが作れるんじゃないかって……。」
「そうでしたの。ありがとうございます。……でも……。」
「うん。」
「キキョウ先生がおっしゃっていたんですけど、お花の香りはとても儚いもの……。」
「そうだね。」
「きつすぎたら嫌味になるし、仄かに香るからこそ大切に思えるのではないでしょうか。」
「大切に……思える……。」
「香りの強いキンモクセイも、風にのって微かに届くから季節を感じられると思うのですが如何でしょうか?」
「……。」
「あなたに作っていただいた香水も同じです。ふとした時に、気づいていただける程度で十分なんです。」
「あっ……。」
「24時間、あの香りに包まれているよりも、キスをするくらい近づいた時に初めて感じていただけるくらいの方が印象に残るのではないでしょうか?」
「……そうだね。確かに……、」
俺は、昨夜ソフィアにキスをした時に、彼女の香りを感じたことを思い出していた。
「そうか、一時的に強烈なインパクトを与えられても、それは長続きしないのか……。」
「そうだと思うわ。」
「じゃあ、……ああ、狙いどころがますます分からなくなってきたよ……。」
「別に、今無理して作ることはないんじゃない?」
「うっ、確かにそうなんだけど……。」
「あなたは、もう十分に頑張ってくれたわ。少しゆっくりしていいのよ。」
「ソフィア……。」
ああ、そういえば俺はただの会社員だったっけ。
別に料理人や菓子職人だったわけじゃないし、技師でもない。ましてや政治家でもなかったんだ。
前世での経験と知識があったからやってきただけで、元々たいした人間じゃない……。
そう考えたら、急に楽になった。
十分な貯えがあって、ソフィアのように美しい妻もいてくれる。
国民の生活環境は向上したし、孤児たちの自立にも貢献できた。
これ以上、望むことはないんじゃないか。
俺は、突然不安感に包まれた。
ドラゴンの炎は、俺の体験ではない。単なる記憶だ。
だが、そのあとの火傷による痛みとの戦いは俺の脳裏に焼き付いている。
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俺をかばって死んでいった母さん。
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あ……あっ……。
急に体が震えた。
どうしようもなく震え、不安で押しつぶされそうになる。
「タウ!どうしたの、あなた!」
俺を呼ぶソフィアの声がだんだんと小さくなっていった。
【あとがき】
……予想外の展開に……。
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